2026年8月16日説教「私の霊を御手に委ねます」松本敏之牧師
イザヤ書25:7~10
ルカによる福音書23:44~46
(1)召天者記念礼拝
本日の礼拝は、召天者記念礼拝として守っております。
私たちの教会では、この1年の間に、4人の教会員および関係者の方々を天にお送りいたしました。前にお写真が並べられています。草木迫芙沙子さん(93歳)、橋口尚文さん(66歳)、山口典子さん(97歳)、尾﨑慶子さん(99歳)の4人です。本日、「からしだね 召天者記念特別号」(通算第4号)を発行しましたが、この4人の方々に対する追悼文をご家族がお書きくださっています。皆様にもお渡ししましたので、どうぞそれを御覧ください。説教のはじめに、この4人の方々について簡単に紹介するつもりでしたが、長くなりますので、やめることにしました。報告の時に、時間がゆるすようであれば、ご紹介したいと思います。
この4人の他にも、皆さんの中には、近年、親しいご家族を天に送られた方もあるでしょう。皆さんのお手元には、これまでの教会員、また教会関係者の召天者のリストをお渡ししましたし、ここに名前の記されていないご家族もあることも承知しています。別れはつらいものですが、私たちにとっては、この別れは永遠のものではないと約束されていることは慰めであります。
(2)主イエスの死
さて、私たちはルカによる福音書を続けて読んでいますが、本日もその続きを読むことにいたしました。先ほど、お読みしたところは、イエス・キリストが十字架上で息を引き取られた箇所です。召天者記念礼拝の案内ハガキには、「主イエスの埋葬」と予告していましたが、少しずれてきて、その手前の「主イエスの死」について記した箇所となりました。「主イエスの埋葬」については、9月6日の説教で語ることにいたします。もっとも「主イエスの死」について記した箇所も、召天者記念礼拝にふさわしい箇所であります。また先ほどは49節までお読みいただきましたが、47節から49節についても、次回にお話しすることにいたします。ルカは、44節でこう始めます。
「すでに昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、三時に及んだ。」23:44
真昼間の正午であるのに、全地が暗くなったというのです。そしてそれが午後三時まで、つまり3時間も続いたというのです。これは、何を意味するのでしょうか。自然科学的な現象としてそれを解明しようとするよりも、そこに込められた意味を問いたいと思います。イエス・キリストが捕らえられた時、主イエスは「今はあなたがたの時であり、闇が支配している」(ルカ22:53)と言われました。全地が真っ暗になった出来事は、この主イエスの言葉がヴィジュアルな形となっていると言えるかもしれません。また救い主イエス・キリストが亡くなるという出来事は全地が喪に服する、そのような出来事であったとも言えるかもしれません。
イエス・キリストがお生まれになった時、ルカはこれと真逆の情景を描いていました。
「さて、その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が現れ、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。」ルカ2:8~9
あの時は、真夜中であったにもかかわらず、主の栄光が周りを照らしたので、真昼のようになった。それは羊飼いたちが恐れをなすほどでした。その中で、天使は告げました。
「恐れるな。私はすべての民に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」ルカ2:10
今、その救い主が取り去られようとしているのです。全地が喪に服さないはずがありません。ルカは、その情景を、「太陽は光を失っていた」と表現しています。そしてこう言うのです。
「神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。」23:45
これはまた、何を意味するのでしょうか。「神殿の垂れ幕が裂けた」というのは、マルコもマタイも記していますが、マルコやマタイでは、それはイエス・キリストが息を引き取られた後のことでした。ルカはそれを生の最後の瞬間、最後の言葉の前に置いています。いずれにしろ、神殿は主イエスの十字架が建てられていたゴルゴタの丘からは遠く離れたところにありました。それが連動するように裂けたというのです。この出来事にも幾つかの解釈があるのですが、多くの人が指摘するのは、主イエスの死によって、神と人とを隔てているものが取り除かれたというものです。エルサレム神殿には至聖所と呼ばれる場所がありました。それは大祭司が年に一度だけ入ることが許されて神様と直接まみえる場所とされていました。垂れ幕によって至聖所の中は隔てられているです。しかし主イエスは、どんな大祭司よりも神に近くあり、人を神に執り成す祭司の中の祭司、まことの大祭司です。そのイエス・キリストの十字架によって、神と人を隔てているものが無くなったというのです。
(3)十字架上の最後の言葉
そして最後に、イエス・キリストは大声で叫ばれました。
「父よ、私の霊を御手に委ねます。」23:46
この言葉は、前回、紹介しました、「十字架上の七つの言葉」の最後の言葉です。七つのうちの三つがルカ福音書に記されています。最初が「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです」(23:34)という言葉。二つ目が、「よく言っておくが、あなたは今日、私と一緒に楽園にいる」(23:43)という言葉。そして、三つめが今回の「父よ、私の霊を御手に委ねます」(23:46)という言葉です。
これは、すべてを終えて悟りの境地にはいった穏やかな言葉のようにも聞こえますが、闘いの言葉でもあります。主イエスは、この言葉を大声で叫ばれたとありますので、むしろ、そうであったのでしょう。
(4)詩編31編の引用
マタイとマルコに記されている「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのか」という言葉が詩編22編の言葉であったように、こちらの言葉も詩編31編からの引用です。この詩編を読むと、確かにこの言葉は穏やかな悟りの言葉であるというよりは、自分を苦しめている者との闘いの中の言葉であることが分かるのです。こういう言葉です。詩編31編の最初から読んでみます。
「主よ、あなたのもとに逃れます。
私がとこしえに恥を受けることがないようにしてください。
あなたの正義によって私を救い出してください。
私に耳を傾け、
急いで私を助け出してください。
私のために、砦の大岩、救いの城になってください。
あなたこそわが岩、わが城。
御名のゆえに、私を導き、伴ってください。
彼らが仕掛けた網から私を引き出してください。
あなたこそわが岩。わが砦。
主よ、まことの神よ、
私の霊を御手に委ねます。
あなたは私を贖われた。」詩編31:1~6
その後もこう続きます。
「主よ、私を憐れんでください。
私は苦しんでいます。……」詩編31:10
「しかし、主よ、私はあなたに信頼します。
私は言いました。『あなたこそわが神』と。
私の時は御手にあります。……」詩編31:15~16
(5)最初の殉教者ステファノ
この主イエスの「私の霊を御手に委ねます」という生き方、死に方は、クリスチャンの生きるべき姿、模範でもあります。最初のキリスト教の殉教者と呼ばれるステファノの最後も、このイエス・キリストの最後の瞬間を彷彿とさせるものでした。ルカ福音書と同じ著者よって記された使徒言行録7章54節以下に、それは記されています。ステファノは、イエス・キリストと同じように、最高法院に引かれて行くのですが、そこで力強く、イエス・キリストの証をしました。そうすると、それを聞いていた人々は、激しく怒り、ステファノめがけて石を投げつけるのです。彼は、その石を受けながら、こう祈るのです。
「主イエスよ、私の霊をお受けください。」使徒7:59
「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」使徒7:60
この二つ目の祈りの言葉も、主イエスの十字架上の祈りを彷彿とさせるものです。
(6)コルベ神父の記念日、8月14日
さて本日は、もう一人、この「私の霊を御手に委ねます」という言葉を発することはなかったと思いますが、まさにこの言葉のとおりに生き、この言葉のとおりに死んでいった一人の人に心を留めたいと思います。それは、アウシュヴィッツの聖者と呼ばれるコルベ神父です。それを思い起こさせてくれたのは、一昨日、鹿児島朝祷会でお話しくださった霧島彬神父でした。カトリック教会では、8月14日は、カトリック教会では、コルベ神父の命日にちなんで、コルベ神父の記念日とされています。コルベ神父がアウシュヴィッツで亡くなったのが1941年8月14日でしたので、一昨日がちょうど85年目の記念日でした。
(7)コルベ神父の生涯
コルベ神父こと、マキシミリアノ・マリア・コルベは、1894年にポーランドで生まれました。1910年、16歳の時にフランシスコ修道会に入会いたします。1917年に、〈聖母の騎士修道会〉を創設します。その後〈汚れ無き聖母の騎士〉という機関誌によって文書伝道を開始しました。とても文才に恵まれていました。1930年に、5人の司祭と共に来日し、1936年まで長崎で活動しました。その間の働きもとても重要なものがあるのですが、今日はそこまで触れるいとまがありません。その後ポーランドに戻り、1939年、ナチス支配下のポーランドで活動していたコルベ神父はナチスに逮捕されますが、一旦は解放されました。しかし、1941年2月に再逮捕され、5月にアウシュヴィッツ強制収容所に移されました。どのような理由で逮捕されたかは諸説あるのですが、彼の書く文章がナチス批判と取られたか、あるいはとにかく影響力のある宗教者を見せしめのように捕らえられたとも言われています。
そしてこのアウシュヴィッツ強制所において、コルベ神父は、320名の囚人と共に、言語に絶する迫害を受けました。つらい労働を科せられて、少しでも作業が遅いと、10メートルおきについている監視兵から鞭が飛んできました。
6月12日、ご聖体の祝日、監視兵たちにも外出許可がおりて、監視兵たちが出て行ったあと、コルベ神父から救いの言葉を聞こうと、囚人たちがコルベ神父のもとに集まってきました。コルベ神父はこう語りました。
「私たちの迫害者は、決して、私たちを霊的に殺すことはできません。私たち囚人は、迫害者と違ってカトリック信者、ポーランド人としての誇りを持っています。彼らは、これを殺すことはできないでしょう。私たちは屈服しません。耐え忍びます。脅迫をもって、ポーランド魂を抹殺することは決してできないでしょう。もし死ななければならないなら、神のみ旨のままに、清く、安らかに死んでまいりましょう。」
私は、この言葉から、コルベ神父が、先ほどのイエス・キリストの「父よ、私の霊を御手に委ねます」という祈りと同じ心を持っていた。あるいは持とうと闘っていたということを思うのです。
(8)コルベ神父の最期
1941年7月末、コルベ神父のいる14号舎から、一人の囚人が脱走しました。一人の囚人が逃亡すると、その号舎から10人が餓死刑に処せられると決められていました。その10人は誰が指名されるかわかりません。皆、「自分が指名されるのではないか」と震えあがりました。所長が、「こいつ」「こいつ」とひとり、またひとりと指名していきました。指名されなかった者はほっとしましたが、指名された人は、「友よ、さようなら。まことの正義のある所で会おう」と悲しく言う者、「ポーランド万歳」と誇らかに叫ぶ者。その中に「ああ妻と子どもがかわいそうだ。どうなるのだろう。もう一度会いたい」と泣く者がいました。10名の指名が終わった時、一人の者が所長のもとに進み出ます。コルベ神父でした。そしてこう言いました。「私はカトリック司祭で年寄りです。妻子のあるこの人の身代わりになりたいのです。」所長は驚きましたが、しばらく考えた後に、「よし、行け」と言って、それを認めました。そしてコルベ神父は餓死室に連れていかれました。そこでは、一歳の飲食を与えられません。2週間のうちに、10名の囚人たちは一人、また一人と死んでいきました。3週間目の8月14日、コルベ神父の牢には4人だけが生き残っていました。しかし意識があるのはコルベ神父だけでした。神父は動くこともできず、じっと座ったままでした。これを見た当局は、4人の腕に死を早めるフェノールという薬物を注射しました。コルベ神父は祈りながら、自分で腕をさしのべて雄々しく死んでいきました。その時、コルベ神父は自分の魂を注射を打ったドイツ人に委ねたのではなく、つまり「体を殺しても、それ以上何もできない者」(ルカ12:4)に委ねたのではなく、父なる神様に、あるいはイエス・キリストに委ねたのでした。
(9)20世紀の殉教者の一人として
戦後、コルベ神父が身代わりになってたおかげで命を救われたその人は、フランツェク・ガイオニチェクという名前ですが、戦後まで奇跡的に生き延びて、世界各地で、コルベ神父が「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)というイエス・キリストの言葉通りに生き、死んでいったという証しをしました。
コルベ神父は、20世紀の殉教者の一人に数えられます。ロンドンにあるウェストミンスター大聖堂の西正面入口の上部には、20世紀の10人の殉教者の立像が刻まれています。コルベ神父はその中の一人として、ディートリヒ・ボンヘッファーやマーティン・ルーサー・キング牧師やエルサルバドルのオスカル・ロメロ大司教らと共に、その立像が並んでいるとのことです。
私たちは、コルベ神父やステファノのような迫害は受けていません。そして彼らのような勇ましい生涯を送ることはできないかもしれません。しかしどんな人であっても、その霊を、そして生涯を、自分なりに、神さまの御手に委ねて生きることこそが、クリスチャンがクリスチャンらしく生きることであると思います。そうする時に、逆に他の何ものにも支配されないで、本来的に人間らしい生き方ができるようになり、まことの平安が与えられるのではないでしょうか。