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宗教改革

松本敏之流川柳⑯

「『聖書のみ……』今年はノミが大発生」

(「信徒の友」2017年10月号掲載)

10月31日は宗教改革記念日。マルティン・ルターが1517年の10月31日にウィッテンベルク城教会の扉に95か条の提題(質問書)を貼り、当時のカトリック教会に抗議(プロテスト)しました。このことから、10月31日はプロテスタント教会の誕生日とまで言われるようになりました。2017年は宗教改革500周年ということで、さまざまな行事が行われました。いわばプロテスタント教会の500回目の誕生日でした。
ちなみに私は、宗教改革の精神を、「信仰のみ」、「聖書のみ」、「キリストのみ」の三つの「のみ」という風に、説明しています。
※「キリストのみ」は一般的には「万人祭司」(正確には「全信徒祭司制」)ですが、言い換えれば、「真の大祭司はイエス・キリストのみ」ということだからです。
(a)信仰のみ
「信仰のみ」というのは、「義認(救い)」に関してです。当時のカトリック教会では、「信仰と行い」によって義とされる(救われる)と言われていました。その「行い」には、免罪符の購入なども含まれていたのです。私たちは「行い」、つまり何かいいことをすることによって救われるのではなく、「信仰によってのみ」義とされる(救われる)ということです。
(b)聖書のみ
「聖書のみ」というのは、「信仰の規範」についてです。それまでは、私たちの信仰は「聖書と伝統」に基づくと言われていました。「伝統」というのは、イエス・キリスト以降の教会の歴史、教会の権威を含みます。ことの中には、さまざまな聖人伝説など、聖書と関係のないものも含まれてきます。それに対し、宗教改革者たちは、いや信仰の規範は「聖書のみ」だと言いました。
(c)キリストのみ
「キリストのみ」というのは、父なる神様と私たちの間に立つ仲保者は、イエス・キリストだけだということです。一般的には「万人祭司」と言われることです。(正確には「全信徒祭司」)。ですからイエス・キリスト以外に、母マリアや聖人などを特別扱いすることはありません。特別なのは、大祭司とも言うべきイエス・キリストだけ。それ以外の人(クリスチャン)は、祭司(執り成し手)となりえます。

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