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2021年4月4日説教「二人は走る」松本敏之牧師

ヨハネによる福音書20章1~10節

(1)マグダラのマリアが「見た」もの

イースター、おめでとうございます。今日から、礼拝での朗読聖書が、聖書協会共同訳に変わります。なぜそうしたのか、というようなことは、先週の教会総会でも少し申し上げましたが、来週の礼拝で、改めてもう少しお話したいと思っています。

さてこの3月、私たちは、ヨハネ福音書の受難物語を読み進めてまいりましたが、今日はその後に記されている、イエス・キリストの復活物語を読むことにいたしました。ヨハネ福音書は、受難物語においてもそうでしたが、復活の出来事についても、他の福音書とは違う独特の書き方をしています。ヨハネ福音書では、まずマグダラのマリアがお墓の前で見たことを二人の弟子のところへ報告に行き、その二人の弟子も急いで墓を見に来るということになっています。

「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た」(1節)。

4つの福音書は、復活の日の朝、最初にお墓へ向かったのは女性たちであったということを告げていますが、ヨハネ福音書は、特にマグダラのマリアに焦点を当てています。彼女は「見た」とありますが、実際、何を見たのでしょうか。お墓の中へ入っていったわけではありません。「墓から石が取りのけてある」のを「見た」のです。そして「大変なことになった」と、弟子たちのところへ知らせに行くのです。

「誰かが主を墓から取り去りました。どこに置いたのか、分かりません」(2節)。彼女は、「墓から石が取りのけられてあるのを見た」だけのはずですが、「主が墓から取り去られました」と報告しています。これは直訳すると、「誰かが」ではなくて、「彼らが主を墓から取り去りました」という文章です。祭司長たちユダヤ人のたちは、弟子たちが主イエスの遺体を盗むかもしれないと警戒していましたが、他方、彼女を含む弟子たちの側でも、官憲(ユダヤ人たち)がイエス・キリストの遺体を奪うかも知れないと思っていたことが伺えます。

とにかく何かただならぬことが起きた。その異常な空気を、彼女は墓の前で感じ取ったのでしょう。何が起きたかわからないけれども、彼女には悪いことのように思えました。胸騒ぎがする。そして走っていったのです。彼女の予想通り、確かに墓の中では、ただならぬことが起きていました。しかし彼女の予想とは違って、喜ばしい出来事が起きていたのです。

(2)ペトロと「もう一人の弟子」

彼女は、まずシモン・ペトロのところへ、次に、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ行きました。この「もう一人の弟子」は、これまでも何度か出てきました。弟子ヨハネではないかと言われます。「ペトロ」と「もう一人の弟子」をわざわざ分けて記していることからすれば、この二人は別々の場所にいたようです。二人は、それぞれに家を飛び出し、道で一緒になったのでしょうか。こう記されています。

「二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子のほうが、ペトロより速く走って、先に墓に着いた」(4節)。

報告を聞いたのはペトロの方が先でしたから、「もう一人の弟子」がそれを追いかけるようにして走り、追いついたのでしょう。しばらくは一緒に走ったかも知れません。しかし「もう一人の弟子」のほうが足が速かった。恐らく、彼の方が若かったのでしょう。ペトロがもたもたしていたかも知れません。「悪いけど、気になるから、先に行って見てくるよ。」「そうしてくれ。頼む。わたしもすぐに追いつくから。」そういう会話が思い浮かびそうです。

しかし「もう一人の弟子」はお墓についても先に入ることはしません。ペトロを待っていたのです。彼は、ただ遠めに、主イエスの遺体をくるんでいたはずの亜麻布が置いてあるのを見ました。そこへ、ようやくペトロが到着し、お墓にはペトロが先に入るのです。ペトロも「もう一人の弟子」と同じように、亜麻布を見ました。そして主イエスの頭を包んでいた覆いも別のところに置いてあるのを見ました。亜麻布は丸めておいてありました。遺体が奪い去られた跡というよりは、一応、きちんと置いてありました。そこへ「もう一人の弟子」も入ってきます。同じことを確認しました。彼のほうは、それを見ただけではなく、「見て、信じた」とあります。「信じた」のはこちらが先、ということでしょうか。

何だかおもしろい流れであるように思います。二人が先になったり、後になったりしている。ペトロが先に出たけれども、もう一人の弟子に追い越される。しかしこのもう一人の弟子は、ペトロに敬意を払ってか、お墓に着いても先に入らないで、外で待っている。「後の者が先になり、先の者が後になる」という聖書の言葉が、そのまま当てはまるような情景です。競争しているようにも見える。確かにそういう面もあるのです。

(3)ユダヤ人教会と異邦人教会

実はこの二人は、ヨハネ福音書が書かれた当時の二つの教会、ユダヤ人教会と異邦人教会を象徴していると言われます。ペトロの方がユダヤ人教会であり、「もう一人の弟子」の方が異邦人教会というわけです。ヨハネ福音書というのは、ギリシア世界を意識して書かれていますので、そのように言えるかもしれません。このヨハネ福音書を書いた人は、伝統的には、この「もう一人の弟子」、つまり使徒ヨハネだとされてきました。しかしそれは時代考証的に少し無理があるとされています。ただしこの使徒ヨハネと無関係な人が書いたのでもない。この「もう一人の弟子」を自分たちの教会・教団の創立者と仰ぐ誰かであったと思われます。そのようにして、自分たちの教会と「もう一人の弟子」を重ね合わせているのです。

キリスト教は、最初ユダヤ人から始まり、異邦人へ伝えられ、広まって行きました。その後の歩みからすれば、圧倒的に異邦人教会が大きくなっていくわけですが、この福音書が書かれた頃は両方の勢力が拮抗していたのではないかと思われます。もしかすると、もう異邦人教会がユダヤ人教会を数(教会数と会員数)の面でも、経済的な面でも追い越そうとしていた頃かも知れない。

ユダヤ人教会の中には、なお、異邦人のクリスチャンを少し下に見る傾向があった。「自分たちこそ、本家本元だ」と。他方、異邦人教会の中には、そうした旧態依然としたユダヤ人教会を、逆に軽蔑はしなかったかもしれませんが、批判的に見る傾向があったことでしょう。そうした中で、「いや張り合っているのではなくて、共に同じ方向を向いて走っているのである」という認識をもつことが大事なことであったのです。だからこそ、時にいっしょに走り、若くて、より力に満ちているかに見えるもう一人の弟子も、先輩の弟子に対する尊敬を忘れないのです。

(4)伝統的な教会と新しい教会

このことは、単にユダヤ人教会と異邦人教会の関係にとどまらないものを指し示しているのではないでしょうか。教会においてはいつもこういうことが起きています。この関係を、カトリック教会とプロテスタント教会に当てはめることもできるかもしれません。カトリック教会は自分たちこそ正当な継承者だと思って、プロテスタント教会を軽く見る傾向がありますし、プロテスタント教会はプロテスタント教会で、カトリック教会を旧態依然とした教会として批判する傾向があるのではないでしょうか。しかし大事なことは細かな違いよりも、共に同じ方向を向いて走っている仲間だということです。

伝統的なプロテスタント教会(WCCに属するような日本基督教団、聖公会、ルーテル教会、伝統的な長老教会)と、20世紀後半に生まれた福音派の教会の関係に置き換えることもできるかもしれません。伝統的な教会は、福音派の教会を「しっかりとした神学がない。今日の問題、社会的な課題に向き合っていない」と言って批判しがちですし、福音派の教会は、伝統的な教会を「旧態依然として、生きた信仰がないとか、超越的な神を見失っているとか、言って批判をすることがあります。

(5)西欧の教会と第三世界の教会

もっと地球規模で考えれば、西欧の教会と第三世界の教会と読むこともできるかも知れません。これまでキリスト教の中心は、西欧、すなわちヨーロッパ、北アメリカだと考えられていましたが、今日の世界において、キリスト教の中心は、もはや西欧ではありません。皆さん、世界で最もクリスチャン人口の多い地域は、どこかご存じでしょうか。ラテンアメリカです。また世界で最もクリスチャンが増えているのはアフリカです。アジアはそうであるとは言えませんが、フィリピンや韓国の教会は新しい力に満ち溢れています。キリスト教の中心は西欧から第三世界に移りつつあるのです。カトリックでも、ローマ教皇が初めてラテンアメリカから出てきました。世界の教会は、特に西欧の教会はそういう現実をしっかり認識しなければならないでしょう。しかし同時に、若い教会は自分たちを育ててくれた西欧の教会に対する尊敬の念を忘れてはならないでしょう。

(6)日本基督教団の中の古い教会と新しい教会

日本基督教団の中の古い教会と新しい教会と読むこともできるでしょう。創立が古いからと言って、今も力がある大きな教会であるとは限りません。地方の教会で130年の歴史があるけれども、小さな群れで、ぎりぎりのところでがんばっているという教会はたくさんあります。開拓伝道で生まれた子なる教会の方が母なる教会を、追い越して成長するということもあるでしょう。しかし決して競争ではないのです。違った持ち場で、時に違った宣教の課題を、それぞれ担いあう。共に同じ方向に向いて、主の委託を受けて走る仲間であります。

(7)先輩の信徒と後輩の信徒

教会同士のことだけではなく、一人一人の信仰においてもそうでしょう。教会の中ではいつも「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」(マタイ20:16)ということが起きます。教会の中には、若い頃からクリスチャンの方もありますし、高齢になってからクリスチャンになる人もあります。長い間、教会に来ていたけれども、洗礼は受けていなかった。その間にどんどん他の新来会者が先に洗礼を受けられたというケースもあるでしょう。あるいは洗礼を受けて間もない方が先に役員に選ばれるということもあるでしょう。それでよいのです。競争ではないからです。共々に祝されていることを喜ぶことができる。それが教会です。

(8)半信半疑でも、「信じた」

「もう一人の弟子」は、亜麻布と頭を包んでいたはずの覆いが置いてあるのを見て、「信じた」とあります。

「見て、信じた」の後に、「イエスが死者の中から必ず復活されることを記した聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」(9節)と続きます。ちょっとわかりにくい日本語です。「信じた」理由が、「理解しなかったから」という風に読めば、どうもよくつながりません。むしろ、そういう聖書の言葉を、「二人はまだよく知らなかった」位に訳したほうがわかりやすいかもしれません。そう訳している聖書もあります。

いずれにしろ、この後、二人はよくわからないまま自分たちの家へ帰っていったのです。「主が復活された」と、喜び勇んで帰っていったのではありません。

クリスマスの日に、羊飼いたちが、救い主がお生まれになったのを見て、「神を崇め、賛美しながら、帰って行った」(ルカ2:20)のとは、少し違う。半信半疑です。はっきりとしたしるしを見たわけではない。ただ遺体が無くなっているのを見たのです。しかし「信じた」のです。

私は、この時の「信じた」というのは、「わからないけれども信じよう」という信仰の決意表明のような言葉ではないかと思うのです。その時には十分に理解していない。しかしすでに信仰の萌芽はある。そして信じる決心をする。それでもまだ不十分です。

私たちも、信仰をもっている者であっても、みんなどこかで疑いをもっているのではないでしょうか。多かれ少なかれ「疑う」ということがあるから、「信じる」と言うのです。一時(いっとき)非常に強い確信をもって信仰の道を歩んでいたとしても、いつしか疑いの波に襲われることもあります。私たち人間の信仰とは、そういうものではないでしょうか。しかしそうした中、私たちの疑いをはるかに超えたところで、大いなる神様の物語がすでに始まっている。見る目を持ち、聞く耳を持つところでは、それがあらわされているのです。使徒パウロは言いました。

「きょうだいたち、私自身はすでに捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(フィリピ3:13~14)。

これが、私たち、地上の教会に生きる者に与えられている信仰の道ではないでしょうか。

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