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2021年12月24日メッセージ「光は闇の中で輝いている」松本敏之牧師

ヨハネによる福音書1章1~14節

(1)暗いトンネルの向こうに

クリスマス、おめでとうございます。
鹿児島加治屋町教会では、今年のクリスマス、「光は闇の中で輝いている」という言葉を、テーマとして掲げて歩んでいます。私たちは、2020年の初めより、2年近くの間、新型コロナ・ウイルスの脅威のもと、ある意味で出口の見えない暗闇の中を歩んできたように思います。
7月20日、当時の菅首相は、東京オリンピック直前のIOC総会において、「コロナ感染拡大は一進一退、長いトンネルようやく出口が見え始めている」と述べていました。また首相退任を決意した後の、9月9日の記者会見では、「新型コロナという見えない敵との闘いは、暗いトンネルの中を一歩一歩手探りで進んでいくことにも似た、極めて困難なものでありました」と述べていました。正直な思いであったことでしょう。
私たちの多くの人が同じような思いをもっているのではないでしょうか。そのような時であるからこそ、「光は闇の中で輝いている」という聖書の御言葉に聞きたいと思うのです。

(2)「闇は光に勝たなかった」

先ほどの「光は闇の中で輝いている」という言葉は、新約聖書、ヨハネによる福音書1章5節の言葉ですが、5節にはまだ続きがあります。
「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」というのです。
また旧約聖書イザヤ書60章2節にこういう言葉があります。

「見よ、闇が地を覆い
密雲が諸国の民を包む。
しかし、あなたの上には主が輝き出で
主の栄光があなたの上に現れる」

私たちの目の前の状況は光よりも闇のほうが優勢に見えるかもしれませんが、「闇は光に勝たなかった」と聖書は告げるのです。将来を指し示すのは、闇のほうではなく、光のほうなのです。

(3)仮庵祭、雲の柱・火の柱

イエス・キリストは、同じヨハネによる福音書の中で、「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ」(ヨハネ8:12)とも言われました。この言葉は、旧約聖書に出て来る出エジプトの出来事を記念する仮庵祭というお祭りの時に語られた言葉でした。この祭りの間、エルサレム神殿の中庭に4つのたいまつを置いて火を灯したそうです。そこで火が焚かれると、エルサレム中が照らされました。エルサレム神殿は標高800メートルの高台にありましたので、エルサレムの遠いところからでも、その火を見ることができたそうです。
この火を焚くという行事は、旧約聖書の出エジプト記の旅における次の出来事と関係がありました。

「主は彼らの先を歩まれ、昼も夜も歩めるよう、昼は雲の柱によって彼らを導き、夜は火の柱によって彼らを照らされた。昼は雲の柱、夜は火の柱が民の前を離れることはなかった」(出エジプト13:21~22)。

(4)神の臨在のしるし、インマヌエル

この「雲の柱、火の柱」というのは、神の臨在のしるし、つまり神が民と共におられるということのしるしでありました。神様は、かつて昼も夜も自分たちの先祖と共にいて、導いてくださったように、自分たちと共にいてくださるということを覚える祭りでありました。そのところで、イエス・キリストは「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ」と告げられたのです。ですからそれは、「私は、世の光としてあなたがたと共にいる」という宣言でもありました。
まさに、イエス・キリストは、神の臨在のしるし、つまり「神は私たちと主におられる」ことのしるしで、世に来られました。
マリアがイエスを身ごもった時のことを、マタイ福音書はこう記しています。

「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』これは、『神は私たちと共におられる』という意味である」(マタイ1:22~23)。

「インマヌエル」。「神が私たちと共におられる」。
これが、クリスマスの最も大きなメッセージです。

(5)「天、共に在り」

アフガニスタンで人道支援に尽くした医師の中村哲さんが73歳で何者かに銃撃されて亡くなってから、今年の12月4日で2年になりました。中村哲さんは、クリスチャンでありましたが、2013年に『天、共に在り-アフガニスタン三十年の闘い』という自伝のような書物を出版しておられます。この「天、共に在り」という言葉、私は最初気づかなかったあのですが、実は、中村哲さん流の「インマヌエル」の日本語訳であったのです。
中村さんは、こう書いておられます。
「『天、共に在り』を、ヘブライ語で『インマヌエル』という。(異論はあろうが、ここでは日本語になじむ理解に従って、こう記す)。これが聖書の語る神髄である。枝葉を落とせば、総てがここに集約し、地下茎のようにあらゆるものと連続する」(『天、共に在り』40頁)。
「神は私たちと共におられる」を「天、共に在り」と表現する。私は、「神」という言葉を使わずに、日本人になじむように「天」と言い換えるセンスは、「敬天愛人」にも通じるものがあると思いました。敬天愛人は、西郷隆盛が座右の銘とした言葉です。西郷が聖書をどの程度知っていたか、どの程度聖書になじんでいたかはさまざまな説がありますが、内邑鑑三は「代表的日本人」という書物の中で、この「敬天愛人」という言葉、教えが、聖書に通じるものであることをいち早く指摘していました。私も、少なくとも間接的に聖書に由来する言葉であろうと思います。「天を敬い、人を愛する」というのは、聖書的に言えば、「神を愛し、隣人を愛する」ことでありましょう。

(6)インマヌエルの原事実、バルトから滝沢克己

中村哲さんは、この本によると、若い頃に、内村鑑三や20世紀最大の神学者と言われるカール・バルトの神学からも大事なことを学んだということですから、驚きました。中村哲さんが医学を学ばれた九州大学にはカール・バルトの弟子であった滝澤克己という思想家がおられたので、その影響かと思います。滝澤克己という人は、カール・バルトの神学から学んだものとして、「インマヌエルの原事実」ということを言いました。それはわかりやすく言えば、「イエス・キリスト」は「インマヌエル」(神は私たちと共におられる)のしるしとして、クリスマスに私たちのところに来てくださったのですが、それ以前に、つまりイエス・キリストがこの地上に来られる以前から、「神は私たちと共におられる」という原事実が存在するということです。
私は、中村哲さんは、そこでクリスチャンでありつつ、クリスチャンであることを超えて、他の宗教を信じる人と共に歩む道を見出されたのではないかと思いました。これは決して、自分の信仰をあいまいにすることではなく、妥協することでもありません。

(7)世界宗教の共通の根っこにある「事実」

中村さんは別の本の中で、こんなことを語っておられます。少し長いですが、紹介させていただきます。途中からの引用なので、少し最初のほうはわかりにくいところがありますが、中国の陽明学の王陽明の言葉を引用して、こう言うのです。
「実は、われわれの知識以前に事実があるのだ。その事実を感得するかどうかで、その人の徳の高さが決まる」と述べます。私は、この「事実」というのは、先ほど私が先ほど述べた「インマヌエルの原事実」に通じるものがあると思いますし、中村哲さんもそのことを心得ておられたと思います。そしてこう言うのです。
「その事実は、イスラム教の中にもあるわけです。……深い所で共通の根っこから発している……ということが、現地にいて実感として分かるような気がするのです。だから、『キリスト教の仲間だけで通用する言葉ではなく、その辺りを歩いている普通のイスラム教徒にも解る表現で語ろう』ということも出てきます。
そういう意味で、論語や聖書を学んで得たものが大変役に立ちました。ここで『語る』とは、必ずしも言葉ではありません。行いや態度でしか語れぬものもあります。
『全ての宗教が同じだ』と無原則にいうのではありません。時代や地域によって隔てられていても、大きな影響を与えた教えは、何か大切な『文化』として根づかせ、それぞれに独特のスタイルを持っています。私たちが感ずる『神聖さ』の根源は、人が語り得ない奥深いところで輝いている。一方、その『事実』を人知は定義できない。何かしら人の超えてはならぬ『神聖な空白地帯』を、その地域と時代で共有できる形で戴いている。
だからその事実に触れる者は、なに教徒であろうと、決して宗教が異なるからと言って人を排斥することはないかと思います。」(『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束』澤地久枝〈聞き手〉、岩波書店、61頁)。
私は、なんと深い言葉、しかも真理に満ちた言葉であるかと思います。しかもアフガニスタンでの中村さんの実体験に裏打ちされた言葉です。
この言葉からすると、宗教による戦争というのは嘘だ、欺瞞だと思わされます。実は打算で戦争しているのに、宗教のせいにしているのでしょう。

(8)「あなたがたは世の光である」

イエス・キリストは「私は世の光である」と言われましたが、別のところでは「あなたがたは世の光である」(マタイ5:14)と言われました。これは山上の説教と呼ばれるイエス・キリストの教えの中の言葉です。かつては山上の垂訓と呼ばれていました。中村哲さんも「マタイ伝の『山上の垂訓』のくだりを暗記するほど読んだ」(『天、共に在り』39頁)と述べておられます。
「あなたがたは世の光である。……人々が、あなたがたの立派な行いを見て、天におられるあなたがたの父を崇めるようになるためである」(マタイ5:16)。その光は、私たち自身を輝かせる光ではありません。イエス・キリストという「世の光」を反射させるようにして、天の父の栄光を輝かせるのです。
中村哲さんの働きもアフガニスタンにあって、そのような光であったのではないかと思います。

(9)タリバン政権も認める中村哲さんの功績

中村哲さんの没後2年の日、12月4日の「朝日新聞」には、中村さんの意志は、中村さんとともに働いた人たちによってしっかりと受け継がれ、現地での活動も続けられているという記事が掲載されていました。
アフガニスタンでは、今年、イスラム主義勢力タリバンが再び権力を掌握し、それに伴って米国が資産凍結を行いました。また干ばつも深刻化しています。そのような試練が続く中、「命をつなぐことこそ最も重要」として、中村さんを支えてきた福岡市のNGO「ペシャワール会」は、いっそうの支援を訴えています。
タリバンは、イスラム教の原理主義を掲げていますので、イスラム教以外の宗教を認めていませんが、中村哲さんに対しては、大きな敬意を表しています。
12月3日の「テレビ朝日」の報道の中で、タリバンのムジャヒド報道官はこう述べていました。
「我々は、中村医師が始めた事業を国として必要としています。全土で水不足や農業に適さない土地があり、中村医師が始めた事業を国が継続すべきだと強く感じます。用水路などの建設事業が必要不可欠なのです。中村医師は、国民の心に生き続けています。」

(10)「御言葉を行う人になりなさい」

聖書のヤコブの手紙は、「信仰は行いを伴ってこそ意味がある」ということを強調しています。そして

「御言葉を行う人になりなさい」(ヤコブ1:22)

と勧めています。私は、中村哲医師は、まさに、クリスチャンであること、「インマヌエルの原事実」に触れ、それに突き動かされた者であることを、実践によって示し、「世の光である」ことによって「光は闇の中で輝いている」という聖書の言葉を証して生きた人であったと、改めて思いました。

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