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2021年1月24日説教「宣教の開始」松本敏之牧師

マタイによる福音書4章12~17節

(1)洗礼者ヨハネの逮捕と死

先ほどお読みいただいたマタイによる福音書4章12節から17節は、日本基督教団の本日の聖書日課です。
(その後の箇所は、先週の聖書日課で、あわせて語ろうと思っていましたが、時間的にも難しいので、元来の聖書日課の箇所だけで語ることにします。)
この箇所は、イエス・キリストが悪魔との対決を終えて、いよいよ公の宣教活動に入られるところです。
最初に洗礼者ヨハネが捕らえられたことが記されていますが、彼が捕らえられたのには、こういういきさつがありました。
この当時ガリラヤ地方を治めていたのは、ヘロデ・アンティパスという領主です。彼にはすでに妻がいましたのに、自分の兄の妻に恋をして、彼女を奪ってしまいました。その女性の名前はヘロディア、その娘がサロメです。洗礼者ヨハネは大胆にも、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とヘロデ・アンティパスを追及したために、捕らえられたのでした。
やがてヨハネはこの家族にもてあそばれるように、殺されていきます。ヘロデの誕生日にサロメがみんなの前で踊りを踊るのですが、それをたいそう気に入ったヘロデは、サロメに「褒美に何でも好きなものをやろう」と約束します。母親ヘロディアの入れ知恵により、サロメは「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言い、ヘロデはみんなの前で約束した手前、その通りにしたのでした(マタイ14:1~12参照)。

(2)ヨハネの死を受け止めるイエス

ここには正義の声、正義の叫びを、力でもって封じ込めようとする権力者の姿があります。洗礼者ヨハネは人の罪を責め、悔い改めを叫び求めました。彼は正義に生き、正義に死にました。彼はなされるがままに権力者の手に渡されました。それを神が許しておられる。なぜ神は黙っておられるのか、どうしてヘロデとその家族を懲らしめられないのか、私たちには不可解です。安易な答えを出しても意味がないでしょう。なぜなら私たちのまわりでも、現代の世界でも、これと同じようなことが起こっている、その答えにはならないからです。
ただこのことは、イエス・キリストが十字架にかけられる時も全く同じであったことを忘れてはならないでしょう。その意味では、洗礼者ヨハネは、言葉の面だけではなく、その歩みにおいても、イエス・キリストの先駆けでありました。そして神に等しいイエス・キリストがそれと同じ歩みをすることによって、洗礼者ヨハネの生と死をしっかりと受け止め、引き受けておられるのです。

(3)端っこから始まる

主イエスの宣教活動はガリラヤ地方で始まります。それはマタイによれば、イザヤ書8章23節~9章1節の言葉の成就でした。

 「ゼブルンの地とナフタリの地、
湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
異邦人のガリラヤ、
暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」(マタイ4:15~16)

ゼブルンとナフタリというのは、もともとヤコブの息子たちの名前でありますが、その後ユダヤ部族の名前となりました。そしてこの部族が住んだ北ガリラヤ全体を指す地名にもなっていました。「湖沿い」の「湖」というのはガリラヤ湖のことです。ガリラヤ地方は、エルサレムのあるユダヤ地方から見れば、田舎の田舎で、異邦人とまじって住んでいる汚れたところと思われていました。とてもそこからメシア(救い主)が現れるとは思えない。暗闇の地です。しかしマタイは、「主イエスの宣教は、中心エルサレムではなく、このガリラヤの田舎から始まった」と告げたのです。
聖書の神様は、ご自分の計画を進めるのに不思議な方法を取られます。中心ではなく、まず端っこを選ばれるのです。誰もが「中心」と思うのは、繁栄しているところ、人の目をひくところ、尊敬を受けるところでしょう。
しかし神はまず端っこを選び、そこから中心へと向かうことによって、私たちの世界観、価値観をくつがえされるのです。世界の中心であるお方が、世界の端っこにおられる。それによって端っこが中心となるという逆説です。
イエス・キリストがお生まれになったのも、エルサレムの宮殿ではなく、ベツレヘムの家畜小屋でした。中心ではなく端っこです。しかし中心が捨てられたわけではなく、端っこから中心へと向かうのです。主イエスも最後はエルサレムへ向かわれました。

(4)小山晃佑先生の歩み

「端っこが大事なんですよ」としばしば言われたのは、ニューヨークのユニオン神学校の恩師であった小山晃佑先生でした。小山先生自身、アメリカのプリンストン神学校で学位を取られた後、タイへ渡り、1年間バンコックでタイ語の特訓を受けた後で、さらに奥地のチェンマイの神学校の教師となり、タイ語で神学を教えられました。その後シンガポールの神学校、ニュージーランドのオタゴ大学を経て、アメリカへ戻って来られたのでした。「端っこ」と言っても、ただ遠いだけでは端っこにならないでしょう。「辺境」というのがいいでしょうか。英語では、「マージン」という言葉があります。「端っこに追いやられた人」というので、「マージナライズド・ピープル」という言葉があります。
私がニューヨークのユニオンで学んだ後、宣教師としてブラジルへ行く決心をしたことを、身近で一番喜んでくださったのは小山先生でした。

(5)私のブラジル経験

私は、サンパウロの日本人教会で4年半働いた後、ブラジル国内でも最も貧しいと言われるノルデスチ(北東部)のオリンダ市のとても貧しい地区で働くことになりました。それは、行って、住んでみないとわからない世界です。教会の中には、字の読めない人たちもたくさんいて、外国人の私のほうがまだ字が読める、聖書が読める、という奇妙な逆転現象もありました。聖研祈祷会に必ず来る熱心なトイーニャという女性がいました。彼女の話す北東部の独特の言葉がわからない。標準ポルトガル語を話せる人に、いわば通訳してもらうのですが、二人だけの時は困りました。字が書ける人なら、「ちょっと書いてみてください」と言えるのですが、それもできません。
結局、二人で顔をあわせて苦笑いして、「ではお祈りましょうか」と言って、祈って終わることもありました。しかしそこでの経験はとても貴重な、かけがえのないものでした。このトイーニャも1年半ほど前に亡くなったという知らせを受けましたが、一番忘れられない方でした。
ブラジルから一時帰国の途中で、ニューヨークへ立ち寄って小山先生とお会いした時、小山先生は、先生のご著書の表紙裏に「あなたはブラジルに行きました。わたくしはタイに行きました」と、さらさらっと書いてくださいました。なんでもない言葉ですが、似たような経験をした者には、何を言おうとしているかが言わずともわかる、そういうものです。私にとっては、今でも胸に迫るものがあります。

(6)その後の日本での歩み

日本へ帰ってきて、東京の二つの教会で働きました。その終わりころ、『牧師とは何か』という本の監修をすることとなり、全国各地で働く牧師たちの原稿を読んで編集をしたのですが、そうした原稿を読みながら、私自身は、「日本では東京の教会以外で働いたことがないな。それでいいのだろうか」というふうに思ったりもしました。
再びブラジルへ行きたいという気持ちもありましたが、環境が整わず、御心ではないようでした。そうした時、突然、鹿児島の教会から、招聘の手紙が来たのです。ブラジルは日本から世界で二番目に遠い国ですが、神様は、「ブラジルはちょっと遠いから、東京から二番目に遠い県の鹿児島でどうか」と言って、鹿児島を示されたのかなと思います。少し迷いましたが、これを神様の御心と受け止めました。
でも加治屋町に来てみると、ここは東京から見れば。地理的には日本の端っこに近い方かもしれませんが、「辺境」ではありません。鹿児島県ではむしろ「中心」、ど真ん中ですね。「『鹿児島に行った』って偉そうに言わないで。加治屋町はど真ん中よ」と、地区の他の牧師から言われました。
ちなみに新聞に加治屋町のマンションの広告が入っていまして、「都心に住むという贅沢」と書いてありました。新宿でもちょっと謙虚に「副都心」と言っていますが、「ここは都心か」と思いました。加治屋町に住んでいたのでは、鹿児島全体のことはわからないかもしれません。しかしここにいて初めて、鹿児島県内の辺境も少しはわかるということも事実でしょう。

(7)夜中の11時と12時

さて17節に、「そのときから、イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、
宣べ伝え始められた」とあります。
主イエスが宣教活動の最初に語られた「悔い改めよ。天の国は近づいた」という言葉は、実は洗礼者ヨハネが語ったのと全く同じ言葉でした。マタイ福音書3章2節のところで、洗礼者ヨハネは「悔い改めよ。天の国は近づいた」と告げています。
その同じ言葉で宣教を始めるということは、ヨハネの活動を引き継いだということでしょう。ヨハネが捕らえられた時に、主イエスはそれを引き継いで、宣教活動を始められたのでした。ヨハネが公の宣教活動を終えたところから、イエス・キリストの公の活動が始まりました。洗礼者ヨハネの活動と主イエスの活動は連続していたのです。
しかし二人の語った言葉が同じであり、二人の活動の間にこうした連続性があろうとも、二人の間には大きな違いがありました。ある人はそれを「夜中の11時と12時のような違いだ」と言いました。今は夜で、同じように朝を待っています。ところが11時と12時ではすでに日付けが変わっています。明日来るものとして待っていたものが、主イエスが活動を始められたことによって、すでに今日のこととなりました。
(「アスクル」が「キョウクル」になったのです?)。
洗礼者ヨハネは、いわば「天の国は近づいた」と、天を指して叫んだのですが、イエス・キリストは、ご自分で天の国をもたらすために来られたからであります。イエス・キリストがおられるところに、すでに天の国、神の国が始まっているからです(ルカ17:21参照)。
天の国が近づいた時に、私たちがしなければならないことは悔い改めです。悔い改めとは、神様に向かって方向転換することです。1月10日の礼拝で、そのことを語りました。
「悔い改め」(方向転換)を、ギリシア語でなんというか覚えておられますか。メタノイアです。「愛のためのメタノイア」。方向転換をして、右から読んでも「あいのためのめたのいあ」、そういう話をいたしました。まあそれはそれとして、悔い改めというのは、あっちを見てはふらふら、こっちを見てはふらふらしていたのを、向き直ってまっすぐに神様を見つめることです。
また悔い改めとは、洗礼を受ける時に、一生に一度だけすればよいものではなく、全生涯をかけて絶えずするものです。私たちの心は放っておくと、すぐに神様から離れてしまうからです。今も新たに神様に向き直り、神様を生活の中心に迎えて、新たに歩み始めたいと思います。

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