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『真夜中に戸をたたく キング牧師説教集』クレイボーン・カーソン/ピーター・ホロラン編、梶原寿訳

〈昨日語られた言葉のように響く〉

『真夜中に戸をたたく キング牧師説教集』、クレイボーン・カーソン/ピーター・ホロラン編、梶原寿訳

日本キリスト教団出版局、2007年  松本敏之

 

本書は、2003年に出版されたM・L・キングの説教集『私には夢がある』(梶原寿監訳、新教出版社)の後続版であり、共にキング知的資産管理機構(IPM)のもとで企画進行中の全4巻のキング書著作集の一部である。

前作同様、M・L・キングの初期の説教から最晩年の説教にいたるまで11編が選ばれ、それぞれに11名の著名な人々による解説が添えられている。そのうち〈アメリカのキリスト者へのパウロの手紙〉〈あなたの敵を愛せよ〉〈真夜中に戸をたたく〉〈完全なる人生の三つの次元〉〈なぜイエスはある男を愚か者と呼んだか〉の5編は『汝の敵を愛せよ』(新教出版社)の中にあるものと重なるが、本書では、録音テープから起こされたものが多く、聴衆の反応が(その通りだ)(もっと話して欲しい)(おお主よ)というふうに挿入され、臨場感にあふれ、訳も読みやすくなっている。

ここでは『汝の敵を愛せよ』に収録されていない説教を中心に、簡単に内容を紹介したい。

〈失われた価値の再発見〉は、イエスの両親が、エルサレムに置き去りにしてしまった少年イエスを探すために引き返した話を手がかりに、自分たちも置き去りにしてしまった貴重な物がある、と社会的良心を呼び覚まそうとする。バス・ボイコット運動が始まる前年(1954年)の説教であるが、すでにその内的準備が整っていたことがわかる。「科学的才能によってわれわれは世界を隣近所(ネイバーフッド)にはしたが、道徳的および霊的才能によって兄弟関係(ブラザーフッド) にすることには失敗している」(32頁)という表現は、最後の説教でも継承されることになる(255頁参照)。

〈アメリカの夢〉は、1963年の有名な〈私には夢がある〉以来、多くの機会になされたもので、最後の部分は〈私には夢がある〉に響きあう。説教というより、アメリカの独立宣言に基づく講演と言ったほうがいいかも知れない。人種差別だけではなく、階級差別にも目を向け始め、それに対しても非暴力的手段で闘わなければならないと説く。

〈めだちがりや本能〉は、ひねりがあり、キングの自己理解を知る上でも、興味深い。「わたくしどもの内の一人を右に、もう一人を左に座らせてください」というヨハネとヤコブのあつかましい要求を、イエスが一蹴しなかったことに言及しながら、「めだちたがりや」もそのまま悪いわけではなく、正しく用いればよい才能である。愛、道徳的卓越性、寛容においてこそ、第一人者になって欲しいと説く。キング自身も、自分の中に、「めだちたがりやな本能」があることをわきまえていたのだろう。

〈実現せざる夢〉は、1968年、暗殺される1月前の説教であり、自分の死を予感していたことがうかがえる。ダビデが神殿建築の夢を持ちつつも、ダビデ自身の時代には実現しないと告げられたこと、しかしその心がけはりっぱであると、神からほめられたこと(列王記上8:17~18)を、自分の運命と重ね合わせて語る。やがてその認識は、死ぬ前夜、〈私は山頂に登ってきた〉(前作所収)において、モーセの最期と自分の運命を重ね合わせて語ったことつながっていく。

〈大革命の時代に目を覚ましていること〉は、死の四日前の説教で、まさに遺言のようである。黒人差別との闘いから始まり、視野を広げ、仲間を増やしながら歩んできた旅の末に行きついた総括とも言える。彼が見つめていた危急の課題とは、人種的平等と経済的正義と平和の3つであったが、それは40年後の今日においても、昨日語られた言葉のように響いてくる。

訳者は、お連れ合いが膵癌の診断を受けた時に、「キング牧師の説教集を一字一句日本語に移し替えることを通して、彼の負った『不当な苦難』を追体験してみよう」(287頁)と思い立ち、一編一編を訳了するごとに音読して、お連れ合いに聞いてもらったという。お二人の命の重みのかかった協働作業の賜物に、私たちもあずからせていただきたいと思う。
(「本のひろば」2007年)

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