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2022年12月25日説教「未来を信じて歩み始める」松本敏之牧師

マタイによる福音書2章13~23節

(1)「だから今日希望がある」折り返しの言葉

クリスマス、おめでとうございます。

鹿児島加治屋町教会では、今年のアドベントとクリスマス、「だから今日希望がある」というテーマを掲げて歩んできました。これまでの4回のアドベントの日曜日とキャンドルサービスの合計5回、この賛美歌をめぐって説教をしてきました。今日で6回目、これで終わりです。何度も歌っているうちに、この曲を好きになられた方も多いのではないでしょうか。これは世界でも最も愛されているアルゼンチンの賛美歌の一つであると思います。

「~だから、~だから」と、希望の根拠が述べられていく中で、歌っている私たちの気持ちも高まっていきます。そしてサビの折り返しの部分に入るのです。今日は特に、その折り返しの部分の歌詞を心に留めたいと思います。

私の日本語版では、こういう歌詞です。

「だから今日希望がある。 だから恐れずたたかう。 貧しい者の未来を信じて歩み始める。 だから今日希望がある。 だから恐れずたたかう。 貧しい者の未来を信じて。」

例によって、スペイン語の原歌詞を直訳すると、こういう感じになります。

「だから私たちには今日、希望がある。 だから私たちは今日、恐れずたたかう。 だから私たちは今日、確信をもって見つめる、 私たちの世界の未来を。」

ポルトガル語訳では最後の行のニュアンスが微妙に違っていまして、「私たちの世界の未来を」というところが、「抑圧された人たちの未来を」となっています。

私の日本語版の「貧しい者の未来を信じて」というのは、どちらかと言えば、ポルトガル語版を参考にしたものですが、スペイン語の原歌詞でも、全体としてそういうニュアンスがあると思います。

ここで歌われていることは、どんな困難の中にあっても、どんなに抑圧されても、どんなに貧しくても、その逆境の中で、未来を信じて歩み始めるという希望です。

(2)自国民をも殺そうとする為政者たち

今日は、この「だから今日希望がある」という賛美歌の折り返しの部分から、マタイ福音書2章13節以下の物語を心に留めたいと思いました。ここに記されていることは「ヘロデ王による幼児虐殺事件」と「ヨセフとマリアと幼子イエスの逃避行」です。それらは現代の問題と重なってきます。

ヘロデの幼児虐殺事件が示していることは、為政者は自分の地位が脅かされる危険を感じると、徹底的にそれを探し出そうとし、追い詰め、それがたとえ自国民であろうと殺そうとするということです。

今、ミャンマーで起きていることはまさにそうではないでしょうか。

2021年2月1日、軍事クーデターが起きてから間もなく2年になろうとしています。抗議活動が国内でも国外でも広がりましたが、国内の抗議活動は国軍によって封じ込められていきました。プラカードを掲げての平和的なデモ活動も、治安部隊によって発砲を受け、死者も続発しています。国軍は自国民に対しても銃で脅し続け、殺すのです。それだけではなく、今年10月下旬には、ミャンマー北部の少数民族のコンサート会場が空爆を受けたという報道がありました。抗議活動をする人たちだけではなく、子どもたちも巻き添えになっているのです。ヘロデの幼児虐殺に通じるものがあります。

またイランの状況も深刻です。女性が髪を隠すヒジャブを正しく身に着けていないとして風紀警察に逮捕された女性が9月に死亡し、その後、抗議活動が全国に広がりました。しかしイランでも治安部隊によって子どもたちを含む多くの人が殺されました。もちろん治安部隊に指示を出しているのは為政者たちです。為政者たちは、自分たちの地位や現在の体制を維持しようとして自国民をも迫害するのです。

それはロシアにおいても起きています。言論の自由を奪われ、有無を言わせず徴兵が始まりました。息子を奪われた母親たちの抗議や嘆きが広がっています。もちろん、戦争の被害地であるウクライナにおいても、母親たちの嘆きが広がっています。

(3)ヘロデの幼児虐殺事件

実は、イエス・キリストがお生まれになった最初のクリスマスの時にも、「嘆きの声」がベツレヘム一帯に満ち溢れました。2千年前の最初のクリスマスも、決して平和なクリスマスではなかったことを思います。

博士たちは、その救い主を見つけて、礼拝した後で、夢で「ヘロデのところへ帰るな」(同12節)とのお告げを聞き、別の道を通って、自分たちの国へ帰っていきました。そのことを知ったヘロデは激怒します。そして、「二歳以下の男の赤ちゃんを一人残らず殺せ。皆殺しにせよ」という命令をくだすのです。

クリスマスの喜びの歌声が、自分の子どもを殺された母親の泣き叫ぶ声でかき消されるようです。マタイはこう記しました。

「その時、預言者エレミヤを通して言われたことが実現した。 『ラマで声が聞こえた。 激しく泣き、嘆く声が。 ラケルはその子らのゆえに泣き 慰められることを拒んだ。 子らがもういないのだから。』」マタイ2:17~18

ラマというのは、ベツレヘム、あるいはその近くにあった古代の町です。ラケルの墓はそこにありました。ラケルというのは、創世記に出てくる女性、イスラエルの族長であったヤコブの妻であった人です。ヤコブというのは、否定的な意味合いをもつ名前でしたが、後にイスラエルという祝福された名前を神から与えられます(創世記32:23~29)。イスラエルとは、「神は支配し給う」という意味です。ラケルはその「イスラエル」という名前の男(ヤコブ)の妻ですから、イスラエル民族の母のような意味合いをもっているのでしょう。そのラケルが泣いている。墓の中から泣いている。子どもが取られたから。

ここに「預言者エレミヤを通して言われていた」ことが実現した」と記されているとおり、この言葉はエレミヤ書からの引用です。

(4)バビロン捕囚時の母親の嘆き

エレミヤ書31章15節にこう記されています。

「主はこう言われる。 ラマで声が聞こえる 激しく嘆き、泣く声が。 ラケルがその子らのゆえに泣き 子らのゆえに慰めを拒んでいる。 彼らはもういないのだから。」エレミヤ31:15

ここには、イスラエルの民のもう一つの悲しい歴史が重ねられています。それは紀元前6世紀のバビロン捕囚という出来事でした。イスラエル王国はダビデ王、ソロモン王の時代には栄華を極めるのですが、その後どんどん落ちぶれていきました。さらに国は北王国イスラエルと南王国ユダの二つに分裂しました。エレミヤの時代にはすでに北王国は滅び、南王国もバビロニアによって滅ぼされ、多くの人々が捕虜としてバビロンに連れて行かれたのです。紀元前6世紀のことです。

このラマはバビロンに連れて行かれた時の通過点であったと言われます。その連れて行かれる人を見て、「ラケルが墓の中から泣いている。慰めてほしくない。子どもはもう帰らないのだから」ということなのです。それをマタイ福音書は引用している。ですから、創世記のラケルの時代(紀元前18世紀ころ)と、バビロン捕囚の時代(紀元前6世紀)、そしてヘロデ王の時代(紀元1世紀)という、三つの時代が重ね合わせられています。私は、それに現代の母親たちという四つ目の時代が重ねることができると思います。

(5)ウクライナからの難民(避難民)

もう一つ、この聖書箇所から現代に通じることは、ヨセフ一家は、国外への難民、あるいは避難民であったということです。これも世界各地で起きていることですが、今年最も大きな問題となったのはウクライナ難民です。

ウクライナでロシアの軍事行動が開始され300日が経過、国連機関の発表によると、2022年12月現在で、424人の子どもを含む6702人に及ぶ民間人の命が奪われたということです。そして安全を求めてウクライナ国外へ避難するため国境を越えた人は1600万人を突破したことが発表されました。

それだけではなく、ウクライナ国内でも、故郷を追われた人々が10月現在の情報で、推定654万人以上いるとのことです。

またウクライナを攻撃しているロシアへ避難している人たちも多数いることが報道されていました。モスクワに避難した人たちへの取材記事が「朝日新聞」に連載されていましたが、彼らの多くは他に選択肢がなかったし、自分たちは英語もポーランド語も話せず、ウクライナ語とロシア語しか話せない。ロシアでは複雑な思いで、本音を言えないで過ごしている。自分たちの生活を助けてくれるロシア正教の教会、修道院には感謝しているというような話が記されていました。

避難を続けるのが困難なため、または親類等の避難を助けるため、激しい爆撃で破壊された故郷へ戻ることを選択した帰還民も増えてきています。その人たちへの支援もさらに求められています。

日本でも、ウクライナから逃れてきた人は、ウクライナ避難民と呼んで、他国からの難民と区別して特別扱いにしています。2022年12月21日現在の情報では、2220人のウクライナ避難民が日本に逃れてきているとのことです。ウクライナの人々への支援は手厚く、それ以外の国からの難民に対してはとても厳しいというダブルスタンダードの日本の政策に疑問を感じないわけでもないですが、だからと言って、「ウクライナの避難民にも厳しくしろ」というのではなく、むしろウクライナだけではなく、他国からの難民に対してももっと優しく、もっと門戸を広げて欲しいと思います。

(6)「難民鎖国」日本

今朝(2022年12月25日)の「朝日新聞」に、「『難民鎖国』それでも日本に」という記事が1面に出ていました。

日本に来たばかりの若いミャンマー人のことが最初に記されています。20代のその男性が本格的に日本語を習い始めたのは、昨年2月の国軍による軍事クーデターの直後からでした。軍に抵抗した市民の多くが殺され、経済は混乱に陥り、『いまのミャンマーで生きるのは無理です』と言って、助けを求めたところ、救いの手を伸ばしてくれたのは佐賀市でボランティアの日本語教室を営む方であった。そういうふうにして記事が始まっていました。

難民条約が日本で発効して今年で40年。国際法が専門の阿部浩己氏(明治学院大教授)によると、ミャンマーのように大量の避難民が発生している場合、「その国の客観的な状況から、一斉に難民として保護することも難民条約上は可能」とのことです。ただ実際は、日本は難民認定のハードルがとても高いのです。昨年は難民申請したミャンマー人のうち認定されたのは32人だけで、559人は不認定であったそうです。世界では、紛争や様々な人権侵害から祖国を逃れる人が増えています。しかし日本では、反体制活動家のように権力側から名指しで狙われているような場合でなければ、難民と認定されにくいと指摘されています。そんな高い壁をよそに、就労や留学というかたちで日本に来る人がいます。戦禍のシリアやウクライナからも留学生として迎えられ、「人材」として期待されています。

増え続ける難民への対応として、国連は2018年に「難民に関するグローバルコンパクト」を採用しました。難民条約とは別のかたちでの受け入れも広げるよう求めています。国連によりますと、移住を強いられた人の数は1億人を超え、世界はかつてなく深刻な難民危機に直面しているとのことです。各国は近年、難民を広くとらえてより多くの人を保護している中、日本は「難民鎖国」と批判されています。その一方で、人手不足が深まる中、人権に敏感でグローバルな事業を考える企業の人たちが、難を逃れる人々を「人材」として迎える新たな動きが広がっています。

私は、そうしたこと、つまりウクライナの人々に対して広げた門戸が他の国の人々に対しても広げられていってほしい、それが日本の将来を、逆にまた支えてくれることになると思うのです。ただ助けるというのではなく、将来に対する投資のようなものではないでしょうか。日本がこれから少子化時代に突入していきますが、どうやって日本社会を維持していくのかと心配になります。ひとつは日本が多民国家(多民族国家)になっていくこと、私は個人的には、日本の将来はそこにしかないのではないかなと思っておりますが、いずれにしろ、私たちは今、そうした時代に生きているということを認識しなければならないでしょう。

(7)不思議な力に守られて

そしてヨセフ、マリア、幼子イエスの3人の家族も、イスラエルからエジプトへの難民であったということを心に留めたいと思うのです。ヨセフの一家の場合はどういう状況で過ごしたでしょうか。苦労したに違いありません。しかし行く先々で出会う人々に助けられたのではなかったかと思います。旧約聖書にも、「旅人をもてなしなさい。寄留者を大事にしなさい」という教えがあります。実際にそういう教えを知らない人の間でも、実際に人と人が出会う場合には、そのようにふるまわれたのではないかと想像するのです。

彼らはエジプトに避難しました。そしてエジプトではかなり長く滞在したようです。19節にこう記されています。

「ヘロデが死ぬと、主の天使が、エジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。『起きて、幼子とその母を連れ、イスラエルの地へ行きなさい。幼子の命を狙っていた人たちは、死んでしまった。』そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れてイスラエルの地に入った。」マタイ2:19~21

どんなにヘロデの執念がすさまじく、どんなにヘロデの軍隊が強大であろうとも、彼らは神様の不思議な力によって守られたのです。それは、その子がそこで死んではならない大事な使命を持っていたからでしょう。神の計画は、人間のどんな力も及ばないのです。

だから「もう何も主の御国をさえぎることはできない」のです。

神の計画は、イエス・キリストが馬小屋でお生まれになられた時から始まっているのです。そしてそれは今も脈々と続いているのです。だから今日、希望があるのです。だからどんな困難があろうとも、未来を信じて歩み始めたいと思います。そしてその神の計画に私たちも加わっていきたいと思います。

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