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2020年7月12日説教「種まきと刈り入れ」松本敏之牧師

種まきと刈り入れ

ヨナ書4章1~11節  ヨハネ福音書4章27~42節

(1)ウィズ・コロナの時代

先週に続いて、今週もまた、教会に集っての礼拝は中止となり、説教の動画配信による礼拝となりました。日曜日を過ぎた後、何人もの方から、「はじめてのことでしたが、無事に見ることができました」という声を聞きました。「いつもは私一人で教会に行っているけれども、家で礼拝をしたおかげで、夫も一緒に礼拝に参加してくれました」という声も聞きました。そう言ってくださった方、今日もご一緒に礼拝をしておられますか。
新型コロナ・ウイルスに感染し、その病気の克服のために闘っておられる患者さん、そしてその人々のケアをする医療従事者の方々、そして経済的打撃を受けている多くの人たちが一日も早く、この苦しい状況から抜け出すことができるように祈りをあわせ、できる限りの協力をしていかなければならないと思います。
教会もまた、新型コロナ・ウイルスのために、礼拝ができないなど、苦労を余儀なくされていますが、そうした中にあっても新しい教会の使命、伝道のあり方を考える時が与えられていると受け止めることもできるでしょう。
今日の聖書は、後で述べます通り、伝道について多くのことを考えさせられる箇所です。私たちも、さまざまな試行錯誤をしながら、インターネットを通じた新しい可能性が広がってきていると感じています。ウィズ・コロナの時代に、ふさわしい教会のあり方、伝道のあり方を考え、大胆に実践していきたいと思います。

(2)伝道は一対一の対話から

さて今日は、先週に続いて「イエスとサマリアの女」と題された部分を読みました。3週間前から、日本基督教団の聖書日課を1週間遅れで扱っています。今日のテキストは、伝道ということについて、さまざまなことを示唆してくれる箇所であります。そしてそれは、伝道者、牧師でなくても、クリスチャンである一人一人にも、とても大切なことであります。
この「イエスとサマリアの女」と題された箇所は、最後まで読んでみますと、この話がただ単にこのサマリアの女の救いにかかわるだけではなくて、これがサマリア地方にイエス・キリストの福音が広まるきっかけになったということがわかります。39節に「さて、その町の多くのサマリア人は、『この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました』と証言した女の言葉によって、イエスを信じた」とあります。
サマリア伝道というのは、福音書によって少し書き方が違うのですが、ヨハネ福音書に基づいて言うならば、これがサマリア伝道の出発となった、サマリア伝道はイエス・キリストと一人の女性との小さな対話から始まったということになります。この一対一の対話というのが伝道の基本であると思います。私たちは個人的な小さな対話によって福音を伝える、そこでその人の独特の問題を一緒に受けとめるということを、おろそかにしてはならないし、そんなことしかできないと、過小評価する必要もありません。その小さな対話を抜きにして、十把一絡げのような伝道というものはありえないと思います。
たとえ何か大きな伝道集会のようなところで、あるいはかつてのスタイルで言えば、路傍伝道で、イエス・キリストの福音に触れたとしても、そこには、あるいはその後で、一対一の対話、一人一人違う問題や課題の中で、キリストの福音を受けとめていくということが必ずあると思います。そしてその小さな対話から大きな業が生み出されていく。この場合も、そこから、この女性が証人、あるいは伝道者となって、福音がどんどんサマリアの町全体に広がっていきました。イエス・キリストが「神の国は、まさにからし種のようなものだ」(マルコ4:31他)とおっしゃったことを思い起こします。

(3)伝える者自身が変えられる

次に伝道というのは、まず伝える人自身がつくりかえられることから始まるということを心に留めたいと思います。このサマリアの女は、もともとはこの井戸に水くみにやってきたのです。ところが、その本来の仕事を忘れ、水がめを置いていってしまいました。
「女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。『さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません』。」(28~29節)
水がめを置き忘れるほど、彼女はびっくりしたのです。この驚きは恐怖ではありません。喜びで心が弾んでいる。これを伝えずにはいられない。彼女はもともと人目を避けて生き、人目を避けて真っ昼間に水を汲みに来ていました。ところが今や、そんなことさえ、どうでもよくなってしまった。イエス・キリストとの出会いが、それほどまでに彼女を変えて、恥ずかしさをも克服させた。自分で人の中へ飛び込んでいく。人との隔ての壁をうち破らせたのです。
私は、「喜びで心が弾んでいる」というのは、とても大事だと思います。魅力があるかどうかということです。あの人が、あんなに喜びに満ちているのは、いったい何なのだろう。何があの人の表情をあんなに明るくさせたのだろう。何があの人を変えたのだろう。私もそれを知りたい。私もそのようになりたい。そういうことがなければ、人は関心をもたないのではないしょうか。この時のサマリアの人たちも、それまでこそこそと人目を避けていた彼女と、まるで別人のような、明るい表情、はじけるような喜びに満ちた女性が目の前に現れたのを見て、そのような気持ちをもったのではないでしょうか。だからこそ、「人々は町を出て、イエスのもとへやって来た」(30節)のだと思います。
残念ながら、それと反対のこともしばしばあります。「あれがクリスチャンか。あれがクリスチャンなんだったら、クリスチャンなんかにはなりたくない」。そういうつまずきになるケースは、ありとあらゆるところにあります。そういう時、私たちは、「人を見たら、つまずきますから、人を見ないで、イエス様を見ましょう」と言いますが、ちょっと苦しいですね。やっぱり人はまずクリスチャンを見るのです。またもっとひどいのは、「いやあの人はクリスチャンになったから、あの程度ですんでいるのです。クリスチャンになっていなければ、一体どんな人間になっているかわかりません」という言い訳もあります。まあこれは冗談のようなものですが、もちろんそれも言い訳です。しかしいずれにしろ、それでは福音は伝わらないでしょう。本当に人に伝わるのは、その人が福音によってどのように生きているかという生き様、生活、あるいは表情を通して、であろうと思います。

(4)イエス・キリストに出会わせる

そして彼女は、「さあ、見に来てください」とイエス・キリストを指し示し、人々をイエス・キリストに出会わせようとしました。これも大切なことです。最終的に大事なのは、「私がこのように変えられた。私はこのように生かされている」ということではなくて、「私を変えたのはこの方、私を生かしているのはこの方です」と、イエス・キリストを指し示すことであるからです。教会の中には、「私の役割は、友人や家族を教会に連れてくること。そこから先は牧師さんにお任せします」という人があります。まあすべて牧師に任されてしまっても困りますが、確かにそこで一番大切な役割は果たしてくださっていると思います。教会にお連れしてイエス・キリストに出会っていただくということです。ただ牧師は牧師で、同じようにイエス・キリストを指し示して、「そこから先はイエス様、お任せします」ということになるでしょう。

(5)感動がない弟子たち

ちょうど、イエス・キリストがこのサマリアの女と話しておられるところへ、弟子たちが町から買い物を終えて帰ってきます。彼らはイエス・キリストがこの女性と話しておられるのを見て、驚きました。当時、男性は、知らない女性とむやみに話してはならなかったからです。それはラビの品位にもとることでした。彼らはその現場を目撃しました。しかし彼らは、何も尋ねません。「何かご用ですか。余程お困りになったことがあって、仕方なく話されたのですか」と思ったかもしれません。あるいは「一体先生、どうなさったのです。あんな女と話をなさって。人に見られたらどうするのですか」と思ったかもしれません。しかしか、複雑な思いを持ちながら、結局何も尋ねないのです。
私は、この弟子たちは、このサマリアの女と対照的であると思います。サマリアの女のほうは、主イエスと出会って、疑問に思っていることを何でも率直に尋ねました。それで少しずつ変えられていきました。
ところがこの弟子たちは、心の中で不思議に思っても、それを「こんなことを聞いてはいけない」とためこんでしまったのです。この続きを読んでもそうです。恐らく気まずい沈黙が続いた後に、弟子たちは「ラビ、食事をどうぞ」と言いますと、「わたしにはあなたがたには知らない食べ物がある」(32節)と言われました。これも意味深長な言葉ですが、弟子たちはそれを聞いて、「誰かが食べ物を持ってきたのだろうか」と互いに言い合ったとあります。ここでもそれを直接主イエスにぶつけるのではなくて、自分たちの中で悶々としていたのです。
私は、この弟子たちは常識人間の典型であるような気がいたします。主イエスがサマリアの女と話しておられるのを見て、それが常識を超えたことであるので戸惑いました。常識の範囲内だけで考えようとする。主イエスに従って旅をしていたのですが、何か彼らの姿には喜びがないように思えます。もしかすると長い旅をして、疲れていたのかもしれませんが、主イエスの行かれる所に仕方なくついて行っている感じがいたします。ニューヨークのユニオン神学校教授であった小山晃佑先生は、そういう人のことを「ゆで卵」的人間とおっしゃっていました。すでに固まってしまっているので、融通が利かないのです。 それに対して、このサマリアの女のほうは喜びで弾んでいる。主イエスはこう言われました。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。あなたがたは『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。」(34~35節)
そういう状態であることを弟子たちに告げるのです。「刈り入れを待っている」状態とは、この後にサマリアの人々がイエス・キリストを受け入れていくことを予感させる言葉です。弟子たちがそのように何もしないでいる間に、その弟子に代わるようにして、イエス・キリストのところから町に出ていって、イエス・キリストを宣べ伝える仕事をしている対比が鮮やかです。

(6)種まきと刈り入れ

もう一つ、その後に書いてあることを見てみましょう。
「刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。そこで『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。」(36~37節)
種まきと刈り入れは、普通は一人の人によってなされるものです。種まきだけをするのではやる気がなくなってしまいます。やがて色づいて刈り入れの時がくる。それを楽しみにして、種を蒔くものでありましょう。ところが伝道というものは必ずしもそうではありません。ここに記されていることわざのとおりに、しばしば「一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる」ということになるのです。
「あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」(38節)
それはまず、イエス・キリストが種を蒔いたもの、労苦したものを、やがて弟子たちが刈り入れる日が来るということでしょう。そしてそこでまた弟子たちが種を蒔いたものをその次の世代が刈り取っていくのです。時には、種まきだけをして、殉教者として死んでいく人もありました。その一番の典型がイエス・キリストです。一粒の麦が地の上に落ちるように死んでいかれましたが、それが後に実を結ぶようになっていきました。
このことは、今日の教会においても忘れてはならないことであろうと思います。私たちの教会が今日あるのは、多くの先輩の伝道者、そして信徒の方々の種まきがあったからに他なりません。その方々が種を蒔いてくださったものを、私たちが今、刈り入れているのです。ですから常に歴代牧師や先輩信徒の方々の労を思い、感謝しなければならないと思います。
同時に私たちも、次の世代の人々がやがて収穫を得ることができるように、新たに種まきをしていかなければならないでしょう。刈り入れをしながら種まきをしていく。一つの業が刈り入れであると同時に、種まきになっていくのです。それが伝道の業の不思議なところです。そのようにして初めて、「こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶ」(36節)ということが実現するのではないでしょうか。
ですから種まきの仕事をして、すぐに効果が見えなくても、意気消沈する必要はありませんし、効果が見えなくても、それを続けていかなければなりません。私たちがどんなに伝道をしても、それが実を結ぶ確率は非常に低いと思ってしまうかもしれません。
しかし逆の見方をすれば、興味深いことがあります。ある統計によりますと、成人してから教会に来てクリスチャンになる人たちの8割は、小さい頃にキリスト教の幼稚園に通っていたか、教会学校に行っていた。あるいは若い頃にキリスト教主義の学校に通っていた。つまり、どこかでキリスト教の福音に触れているのだそうです。そういう人が圧倒的に多いのだそうです。そういう意味でも種まきの業の重要性というものを改めて覚えさせられるのではないでしょうか。私たちの教会の場合で言えば、敬愛幼稚園の働きは、とても大事だということがわかります。

(7)地方の教会と都会の教会

また「種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶ」ということのためには、地方の教会と都会の教会の関係も考えていかなければならないでしょう。地方の教会はしばしば苗床教会と呼ばれます。一生懸命種を蒔き、苗を育てたところで若い人たちは、東京や大阪や福岡の都会へ出ていってしまう。そして教会を探して、都会の教会のどこかに根付きます。つまり地方の教会の種まきや苗床の実りを都会の教会は得ていると言えるでしょう。そこでそのような地方の教会にどれだけ感謝をしているか、あるいは「共に喜ぶ」ために、どれだけその責任を果たしているだろうかということが、都会の教会に問われているのではないか。鹿児島に来て、改めて東京などの都会の教会の使命ということを思いました。
しかし鹿児島県という枠の中で考えてみるならば、種子島、奄美大島など南西諸島から鹿児島へやってくる青年たちもたくさんいます。指宿や薩摩川内や大隅半島のほうから鹿児島市という都会へやってくる人たちもたくさんいることに気づかされます。鹿児島加治屋町教会もその地域の教会と連携し、感謝の思いをもって支えていくセンターチャーチの使命を果たさなければならないポジションにあるのだと思います。

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