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『小さくされた人々のための福音 』四福音書および使徒言行録 本田哲郎訳

「アレテイア」34号「私の選んだ一冊」(日本キリスト教団出版局、2001年9月1日発行)

この書物(四福音書と使徒言行録の合本)が出版されて以来、キリスト教出版界ではほとんど取り上げられていないのはどういうわけだろうか。 私は不思議に思い、新世社の主人に聞いてみて、 少し事情が分かった。 カトリック教会法では、司教の許可なしに、聖書を翻訳出版することができないそうであるが、この聖書にはその許可がおりていない。それにもかかわらず出版したものだから、カトリック出版界では新聞でも雑誌でも書評はおろか、広告原稿を出すこともできないのだという。

本田哲郎神父は、フランシスコ会の修道士であり、優れた聖書学者である。かつてはフランシスコ会聖書研究所で聖書翻訳に携わり、新共同訳聖書の翻訳および編集委員でもあった。フランシスコ会の日本管区長も務められた。一方、そうした活動を続ける中で、次第に「弱い立場に置かれた人」「貧しい人」の側に立つことを鮮明にし、現在は「大阪釜が崎で日雇い労働者から学びつつ聖書を見直して」おられる。この聖書もそうした「学び」の中から産み出されたものである。

私は今から十数年前(1989~91年)、アメリカ留学中に、解放の神学のダイナミズムに触れ、いわば2度目のコンヴァージョンのような経験をした。それからブラジルに渡り、7年間宣教師として過ごした。解放の神学の現場で慟いたわけではなかったが、いつもそのチャレンジを身近に感じ、また積極的に受けとめてきた。

この本田訳聖書は、解放の神学が持っているのと同じ「解放の霊性」に満ちあふれている。もっとも解放の神学の立場で書かれた聖書注解書は数多く出ているが、聖書の翻訳そのものを、「下からの視点」で徹底して提示して見せてくれたのは、世界でも類を見ないのではないか。従来の聖書とは全く違う斬新な解釈もたくさんあり、新たな発見と刺激に富んでいるが、それらは深い学問的 見識に裏付けられている。

巻頭の小論「新しい訳語、言い回しの試み」と、巻末の5つの小論によって翻訳姿勢がきちんと示されているのは親切である。本田神父の生き様があらわれており、説得力がある。「イエスが行ったのは、すべて底辺とか周辺、すみっこからのはたらきかけでした。したがって、イエスが模範として示したのは、『あわれみ』ではなく『痛みの共感と共有』であり(マタイ9・13)『へりくだり』ではなく『身分が低いと見なされる中からの立ち上がり』であり(マタイ11・29)『ほどこし』ではなく『不足の中からの分かち合い』(マルコ6・33~44 )だったのです」(729頁)。

またこの聖書には細かい小見出しが付けられており、それが訳者の注解の役割を果たしている。「『けがれ』の混じる『キリスト』イエスの系図 」、「最初の訪問者は、貧しい不毛の『東の地 』からの占い師 」、「幼子イエス、マリア、ヨセフ、『難民』としてエジプトに避難」といった具合である。

この聖書のもう1つの魅力は、言葉が平易であり、よくわかるということである。「小さくされた人々」の側に立つという神学だけが一人歩きするのではなく、「小さくされた人々」自身が読んで分かるということが、よく配慮されている。

新世社からは、すでに本田訳『コリントの人々への手紙 』が出版されており、『ローマの人々への手紙』『ガラテヤの人々への手紙』も年内に出版される予定であるという。新約聖書の後半も、 ぜひまとめて『小さくされた人々への手紙』(?) として完成して欲しいものである。

立場の違う人にとっても、特に説教者には、示唆に富んだ有益な書物であるに違いない。

(B6・766頁・本体2800円・新世社・2001年)

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