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2023年8月13日説教「命の道がひらかれる」松本敏之牧師

列王記上17章17~24節 ルカによる福音書7章11~17節

(1)召天者記念礼拝

鹿児島加治屋町教会では、毎年、8月第二日曜日(時々、8月15日のこともありますが)、召天者記念礼拝をまもってきました、2020年と2021年はコロナ禍にあって、中止とさせていただきました。昨年(2022年)は3年ぶりの召天者記念礼拝をまもりましたが、まだコロナ禍にありましたので、それまでの3年間の召天者のご家族のみに案内状をお送りし、縮小した形での召天者記念礼拝となりました。ご遺族のお写真もロビーには並べず、3年間の召天者の方々のお写真のみを礼拝堂前方に置かせていただきました。今回は、連絡の取れる、ほぼすべてのご遺族に案内状を出しましたので、4年ぶりの従来の形での召天者記念礼拝をまもれることとなりました。

(2)コロナ禍の葬送式

さてコロナ禍の制限中にお亡くなりになった方のお葬式は、重傷者リスクの高い時期も多かったので、教会を使えなかったり(幼稚園と同じ場所ということもありました)、ご家族のみの葬儀となったりして、仕方がなかったこととはいえ、申し訳なく思っています。

召天者の名簿を見てみますと、2020年1月14日のMSさんまでは、通常の形で教会でのお葬式ができましたが、その後は教会での葬儀を望まれた方にも何らかのコロナ対応をさせていただきました。

振り返ってみて、教会によく来られていたにもかかわらず、教会で皆さんをお招きしてお葬式をできなかった方々について、私がお葬式の折に語ったことなどをもとに、少しご紹介させていただきたいと思います。全員については、時間の関係でできませんけれども、少しその補いをさせていただきたいと思います。通常は、1年以内に召天された方々を紹介していますが、その方々については、今回、「からしだね」特別号を発行し、そこに追悼文が記されていますので、どうぞそちらをご覧ください。

またMMさんが、今年8月5日に召天され、8月7日に葬送式が行われましたが、名簿は8月1日現在となっていますので、お名前は出ていません。お写真だけでは前に置かせていただきました。礼拝の後で、ご家族からご挨拶をいただくことにしています。

(3)この4年間の召天者の方々

さて召天者の一覧表を見てみますと、MSさんの次は、MNさんでありました。MNさんは2020年5月1日のご召天でしたが、ご家族だけでの葬儀を教会で行いました。MNさんは、ご家族ぐるみで教会に来られていて、今もお孫さんは地区のキャンプに参加される等して教会に連なっておられます。亡くなられる少し前の3月29日には礼拝に出られて、HUさんが、KOさんとMNさんを車でお送りなさったそうです。「今日はちょっとしたドライブね」と言われた言葉が、HUさんにとっては最後の挨拶なったとのことでした。

YSさんは、2020年5月15日の召天でした。お葬式はご家族と教会役員だけで執り行いました。

YSさんは、鹿児島加治屋町教会の会員であると同時に、敬愛幼稚園を含む三つの幼稚園からなる鹿児島敬愛学園の監事を1992年から27年間、務めてくだいました。

YSさんは、亡くなられる1年前の2019年4月14日が鹿児島加治屋町教会の礼拝の最後の礼拝だったそうです。4月14日の礼拝の帰り道で、桜が美しく咲く中、桜島を撮影され、「今年の桜を満喫した」と語られたそうです。その4日後の、2019年4月18日に、ご自宅にて倒れられ、I病院に搬送されました。その後、約3か月後にN病院へ転院され、10か月を過ごされました。後半はコロナ禍にあって、ご家族との面会もできなかったそうです。最後はご家族にとっても、つらいもどかしい思いをなさったのではないかと察します。

YSさんはご自分の葬儀についてもたくさんのことをお書きになっていましたが、その中に、最後は「マイ・ウェイ」で送り出して欲しいとありました。教会での葬儀ではありましたが、「マイ・ウェイ」でお見送りしました。その歌詞を味わってみますと、まさに「わが人生、わが道を行く」というYSさんらしいと思いました。

 

TUさんは、2021年5月9日のご召天でありました。教会でのお葬式を強く望まれましたが、それなりの人数が集われるということで、S社A会館の葬儀となりました。

TUさんのキリスト教との出会いは、中学、高校時代だそうですが、カトリック教会の小平卓保という神父様を通してであったそうです。

大分におられた時には、大分の教会の牧師の指導を受け、また大島でお医者さんをなさっていた時には、名瀬教会において、薫陶を受け、求道生活を送られました。お連れ合いのSUさんもご一緒でしたが、SUさんはすでに洗礼を受けておられましたので、ご一緒に教会へ行かれたのだろうと察します。

TUさんは、鹿児島市に戻られた後、開業して10年程経った1983年4月3日(イースターだと思いますが)、鹿児島加治屋町教会において、当時の藤原亨牧師から洗礼を受けられました。その時、「受洗の喜び」という文章を書いておられます。

「父母に生を受けて49年。終戦時は、食なく、住なく、衣なき、ひどい時代を過ごしましたが、今日まで特に大病をすることもなき感謝致しております。戦時中、子供心に、目の前で多くの罪なき人々が何故このように死なねばならないのか、考えたことでした。

亡き母が『神が生命を与え、生命を慈しむことが愛に通ず。』と教えてくれたものでした。

残念なことに、私の若い時は、目に見えぬものを信ずることが出来す、唯々学ぶことに精出しておりました。その後多くの本を読むことにより、知識も得ましたが、知恵とは?悟りとは?義とは?……と問われても戸惑うばかりの自分でした。何と無意味な数十年を過ごしてきたことかと思います。妻に誘われ教会に行ったのは15年程前でしたが、キリストを理解しえず、今日に至りました。

ところが今回、神の導きにより、日々、妻と共に、聖書に親しむ時を与えられ、神は私と共にいたまい、しかも、私たちが選んだのでなく、神が選んでくださったことを知らされました。このような自分にも、神の愛が注がれていることを示され感謝いたします。

肉は滅びるとも、霊は必ず神と共にあることを確信します。天地創造より今日まで、すべては神の支配によるものであり、人間の力の弱さ、それに比し、神の愛の限りなさを知ることにより、不思議な力が湧いてくるのを覚えます。まだキリストに出会ったばかりの私ですが、私に備えられた道を一歩ずつ、ゆっくり味わいながら、進んで参りたいと思います」

これが洗礼直後に書かれた文章であります。私はその当時のTUさんを存じ上げませんが、晩年のTUさんは、まさにこの言葉通りに、いつもお連れ合いのSUさんと共に静かに礼拝を守っておられました。それはご病気が重くなっても続けられ、最後に礼拝に出られたのは、亡くなられる1カ月前の2021年4月4日のイースター礼拝でありました。

 

TMさんは親しい方だけで、HSさん、FIさん、EOさんはご自宅での葬儀となりました。

TMさんは、2021年10月12日の召天でありました。徳之島にてお生まれになり、その後、鹿児島市の女学校に進まれて卒業されました。一時、徳之島で小学校の先生をするというので故郷に戻られましたが、その後、さらに勉強したいと思って、東京の洋裁専門学校で勉強をされました。その間かその後か、今で言うブティックのようなところでお仕事をされたそうですが、その職場の上司にクリスチャンがおられて、その方のお誘いで、教会に行くようになられたとのことです。文京区の本郷中央教会という教会でありましたが、洗礼の試問会(洗礼にふさわしいかどうか役員会で質問を受ける)の時に、「他の人は受洗への篤い思いを話されたけれども、自分は聖書がまだよくわからなかったので、『正しく生きる自信はないが、尊敬する上司のような生き方をしたい』と述べられたそうです。

その後、鹿児島市に戻られて、薩摩屋という洋裁店にデザイナーとしてお勤めになりました。晩年は吉野の温泉病院で過ごされましたが、私もしばしば訪問いたしました。

 

HSさんは、ご家族だけでお見送りしましたが、その後、教会でお別れ会をすることができました。

FIさんは、2022年2月13日に召天されましたが、おうちでご葬儀をいたしました。教会でよくお子様方と一緒に教会に来られて、共に礼拝した日を懐かしく思い起こしています。

EOさんはMMさんのお母様ですが、女手一つでMMさんを育て上げられました。そのEOさんが大事にされた言葉は、「天知る、地知る、人ぞ知る」という言葉でありました。この言葉をMMさんやお孫さんたちにしばしば語り、教えられたそうです。これは誰もみていないようであっても、天と地と人は知っているものだ。だからどんなに人が振り向いてくれなくても、あるいは誰も見ていないようであっても、正しく恥ずかしくない生き方をしなさい、という意味の言葉でしょう。美智子さんやお孫さんたちも、これをおばあさんの教えとして大事にお聴きになったということでありました。

IYさんの時にはコロナが少し下火になっていましたので、通常で教会で行うことができました。この1年以内の方では、EHさん、そして教会員ではありませんでしたが、TKさんのお葬式は教会で行うことができました。

(4)子どもの死に直面する母

今日はルカによる福音書7章11節以下をお読みいただきました。「やもめの息子を生き返らせる」という話です。

「それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。」ルカ7:11

この前の箇所で記されていたことは、イエス・キリストが、カファルナウムという町で、百人隊長の部下の重い病気を、遠く離れたところから、言葉一つでいやされたということでありました

この町の門のところで、二つの集団が出会います。一つの集団はイエス・キリストと弟子たち、そして群衆の一行です。ナインの町へ入ろうとしていました。それと向き合うように、町から外へ出て行こうとするもう一つの集団が近づいてきました。それは、葬送の行進、死者を葬りに行く集団でありました。お墓は町の門の外に置かれていたのです。

「イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、担ぎ出されるところであった。母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。」ルカ7:12

身近な人の死、家族の死はつらいことです。ただ子どもが親の死をみとるのは、いつかは誰もがしなければならない子どもの務めであるかもしれませんが、その逆、親が子どもの死をみとるのは、きっとそれを経験した人でなければわからないことでありましょう。私どもの教会の中にも、そういう方が何人かあるのを承知しています。

今日の箇所の場合には、やもめということですから、それ以前に夫にも先立たれていました。そしてその子は一人息子でありました。恐らく彼女にとっては唯一の家族であったのでしょう。彼女の生活の支え、将来の希望でもあったであろうと察します。その一人息子が今奪われたのです。彼女は言いようのない悲しみと同時に、将来に対する不安と絶望に襲われていたことでしょう。彼女は大勢の人に付き添われていました。みんな同情して付き添っていたのであろうと思います。付き添いつつ、自分たちではどうしてあげることもできないという無力感に包まれているようです。

(5)はらわたが痛む

その母親を見て、イエス・キリストは、心が突き動かされるのです。

「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。」ルカ7:13

「憐れに思い」という言葉は、言葉の成り立ちから言えば、「はらわたが痛む」ということを指しており、まさに「はらわたが痛む」ほどの激しい心の動きを示しています。

(6)激しく心を揺さぶられる神

旧約聖書のホセア書に、「神の愛」と題された箇所があります(11章)。

「エフライムよ どうしてあなたを引き渡すことができようか。 イスラエルよ どうしてあなたを明け渡すことができようか。 どうしてアドマのようにあなたを引き渡し ツェボイムのように扱うことができようか。」

これは神様の言葉として述べられています。この神は、自業自得とはいえ、人間が滅んでいくのを黙って見ていることはできないのです。そしてこう続けます。

「私の心は激しく揺さぶられ 憐れみで胸が熱くなる。」ホセア11:8

これが、聖書の神様の姿です。ギリシャの最高神「ゼウス」は動揺しないのです。動揺するのは神様らしくない、ということでしょう。しかし聖書の神様は動揺するのです。激しく心を揺さぶられるのです。

新約聖書のこのイエス様の態度も、まさに、このやもめの女性と出会って、激しく胸を焼かれるほどに心を動かされたのであろうと思います。そしてその息子を生き返らせ、その息子とお母さんに新たな人生の道がひらけていきます。

(7)「人は生くる とこしえに」

もっともこの子がここで復活したとしても、いずれまた死んでしまいます。言い換えれば、イエス・キリストは、この男の子の寿命を長くしただけ、と言えるかもしれません。もちろんこの出来事によって、この子が母親と過ごす時間が長くなり、このやもめの気持ちが慰められて、母親の生活も支えられるということもあったでしょうが、死ということの本質的な解決とは言えないと思います。

むしろこれをきっかけに、イエス・キリストがどういうお方であるのかということを指し示しているのです。そのようにして読む時に初めて、この物語も意味を持ってくるのではないでしょうか。

イエス・キリストこそは死に勝利してくださったお方、まことの永遠の命への道を開いてくださったお方であり、それによって私たちに将来への希望を与えてくださったのです。

このあとで歌う讃美歌327番の2節は、こういう言葉です。

「明日をも知らぬ 世に住み、 涙の谷 たどる身の 悲しみも悩みも消え 今は喜びにあふる。」

私は、この讃美歌は大好きな歌ですが、もっとお葬式で歌われてもよい讃美歌であると思います。出だしの、「すべての民、よろこべ」という言葉が、お葬式にふさわしくない、と考えて敬遠されるのかもしれません。

しかしまさに私たちは、誰かの死に立ち合う時にも、それが絶対ではないこと、道がそこで閉ざされるのではなく、向こうへと開かれているという喜びを歌うことができる。そういう信仰を与えられるのではないかと思います。

私たちは、イエス・キリストにつらなる時に、これが決して過去の英雄のなした偉大な奇跡の物語にとどまらないということ、命の道が開かれていることを知らされるのです。

「主は栄光の御座につき、 みつかいらは ほめ歌う、 『主イエス死に勝ちたまえば、 人は生くる とこしえに。』」

私たちも、み使いたちと共に、「主イエス死に勝ちたまえば、人は生くる とこしえに」と高らかに歌いたいと思います。

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