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2022年12月24日「だから今日、希望がある」クリスマスキャンドルサービス

 

ルカによる福音書2章1~7、8~14節

(1)アルゼンチン旋風

クリスマス、おめでとうございます。

鹿児島加治屋町教会では、今年のアドベントとクリスマス、「だから今日希望がある」というテーマを掲げて歩んできました。この言葉は、アルゼンチンの賛美歌の題名から取りました。私が日本語に訳して紹介した賛美歌です。

今年の12月、世界中でアルゼンチン旋風が巻き起こりました。一つはカタールで、もう一つは鹿児島の加治屋町で。今回のワールドカップの決勝戦、アルゼンチン対フランスは、ものすごい試合でした。詳細は略しますが、夜12時から観始めて、「そろそろ勝負が決まったかな」と思ったら、また振出しに戻って、結局PK戦にもつれ込み、2時半か3時まで、寝られませんでした。アルゼンチンでは大変なお祭り騒ぎになったようです。

一方、鹿児島のほうでは、それに先立って、11月末からこのアルゼンチンの賛美歌「だから今日希望がある」を歌い始めて、毎日曜日に歌っているうちに、皆さんの心も次第に高まり、アルゼンチン・モードになってきたのではないでしょうか。そこへ来て、アルゼンチンがワールドカップで優勝、ということになりましたので、「当たったな」と思いました。

(2)ブラジルの貧しい北東部のこと

さて私が、この賛美歌と出会ったのは、アルゼンチンにおいてではなく、サッカーではアルゼンチンと永遠のライバル国ブラジルにおいてでありました。ブラジルでは、ポルトガル語で歌っていました。

私は1991年から98年まで足掛け8年間、ブラジルで宣教師として働きました。その前半はサンパウロの日系人教会で牧師をしていました。その後、ブラジル北東部(南緯8度の熱帯地域)の日本人のいないオリンダという町のメソジスト教会に移って働きました。オリンダという町は、御存じない方が多いと思いますが、ラテンアメリカの地図を思い浮かべていただきますと、ちょうど右側へ、三角定規のようにアフリカ大陸のほうに向けて突き出たあたりで、南緯8度の熱帯地域です。オリンダは、レシフェという大都市(人口150万人)の北側に隣接しています。ブラジルではいわゆる南北問題は逆転して、豊かな南と貧しい北という(北南問題だと言った方がよいかもしれません)問題があります。

もちろん貧しい北部、北東部でも、田舎と都会の経済格差、国内移民の問題があります。

民衆の識字教育や意識向上運動を進めたドン・エルデル・カマラ大司教という人は、ヨセフとマリアのベツレヘム到着の物語(ルカ福音書2章4~7)を指して、こう語っています。

 「たとえばわたしたちのところのような、世界のある場所においては、ほとんど毎日このような情景を、身をもって体験することができます。〈土地のドラマ〉を通して、実際にそこに生きているからです。大企業が奥地の方で何エーカーもの土地を買い上げます。するとそこに何年も何年も住んでいた家族は、そこを去らざるを得ません。そして例えばレシフェのような都市にやってきて、住むところを探します。しばしば妻は妊娠しています。最後にはみすぼらしい小屋(小屋以下だと言ってもいいでしょう)を建てるのです。そこはいつも沼の近くで誰も住みたくないところです。そしてそこでキリストは生まれます。そこには牛もろばもいませんが、豚がいます。豚と、時々にわとりが。これが飼い葉桶、生き生きと実在する飼い葉桶です。

 当然のことながら、クリスマスには、私はいろんな教会でミサを祝いますけれども、こうした生き生きとした飼い葉桶のどこかでミサを立てるのが好きです。どうしてキリストの歴史的生誕地、ベツレヘムへ巡礼に行く必要があるでしょうか。この日のあらゆる瞬間に、ここで実際に、キリストがお生まれになっているのを見られるのですから。その子はジョアン、フランシスコ、アントニオ、セバスチャン、セヴェリーノと呼ばれます。でもキリストなのです。」

Through The Gospel With Dom Helder Camara: Orbis, New York, 1986, p.14

(3)「だから今日希望がある」の賛美歌

先ほど、「だから今日、希望がある」という言葉は、アルゼンチンの賛美歌の題名であると申し上げましたが、この曲の折り返しの部分で「だから今日希望がある」という言葉が出てきます。私の話の後で、ご一同で歌うことになっていますが、最初に1節の歌詞を読んでみたいと思います。

1 主が貧しい馬小屋でお生まれになられたから
この世界のただ中で 栄光、示されたから
主が暗い夜を照らし 沈黙、破られたから
固い心、解き放ち 愛の種、蒔かれたから

(くり返し)
だから今日、希望がある
だから恐れずたたかう
貧しい者の未来を 信じて歩み始める
だから今日、希望がある
だから恐れずたたかう
貧しい者の未来を 信じて

ちなみに、この歌は、1節はクリスマスを歌い、2節は、前半でキリストの生涯、後半で受難を歌い、3節はイースターを歌ったものです。ですからクリスマスに限らず、キリストの生涯全体について歌ったものと言えるでしょう。イースターでも歌える賛美歌です。

(4)路上生活者のためのメソジスト・コミュニティー

私が、この賛美歌に出会ったのは、私がまだレシフェ/オリンダに移る前、サンパウロにいた頃であります。サンパウロのメソジスト教会が運営する〈路上生活者のためのメソジスト・コミュニティー〉というところで、初めてこの賛美歌を歌いました。サンパウロは南米随一、いや南半球で最も大きな都市でありますが、大勢のホームレスの人たち、路上生活者がいました。そのサンパウロにおいて、ブラジル・メソジスト教会は、この〈コミュニティー〉を運営していました。

私は、その頃、先ほど申し上げた通り、サンパウロ福音教会という日系人教会の牧師をしていましたが、いつもホームレスの人たちのことが気になっていましたので、このコミュニティーの働きにいろんな形でかかわらせていただいていました。

このコミュニティーは、1992年、メソジスト教会とサンパウロ市役所の合意によって始められたものでした。「路上生活者たちに、彼らが暖かく受け入れられる場所を提供し、個人的問題、社会的問題を解決する道を探り、社会的権利と人間としての尊厳を回復することを目的とする」と謳われていました。

毎朝9時から夕方5時まで開いていたのですが、約180人の人たちがここに集まってきました。いくつかの活動のうち最も大事なことは、日々の生活に関する事でありました。彼らはここでシャワーを浴び、ひげを剃り、時に散髪もいたします。簡単な昼食をとり、医療相談をします。また彼らはここに身分証明書や貴重品を預けることもできます。何でもないように見えるカバンも彼らにとっては全財産であり、路上で生活をしていると、すぐ人に盗まれてしまうのでした。

第二に、彼らはここでリラックスして人と交わり、新聞や雑誌を読んだり、手紙を書いたりします。家がないということは住所がないということでもあります。路上に住み始めて、遠い故郷の家族と連絡が取れなくなってしまった人も少なからずありました。彼らは、このコミュニティーを通して、手紙を受け取る住所を得るのです。また毎日午後3時には、短い礼拝もしていました。

第三は、将来に関しての働きです。彼らはここで、どうすれば家族との絆を回復できるか、また仕事を得られるかを共に考え、職業訓練などもしていました。女性たちは手芸などを習ったりもしていました。

(5)「メソジスト・コミュニティー」のクリスマス

その路上生活者のためのメソジスト・コミュニティーのクリスマス行事は、二日か間にわたって盛大に行われていました。ブラジルの社会では、クリスマスは、普通家族全員が集まる時であります。それだけに、家族のいない人は普段以上に淋しさを感じる時です。そのメソジスト・コミュニティーでは、普段の簡単な食事と違って、クリスマスの日には七面鳥他、いろんな御馳走が250人分、用意されました。路上生活者たちも列になって食事を受け取るのではなくて、この日はきちんとしたテーブルに着き、奉仕者によって給仕されるのです。彼らの一人一人が人格をもった者として受け入れられていることを示すためでありました。デザートまでついていました。私もおいしくいただきました。

(6)クリスマス・カンタータ

そしてこの時の最後の礼拝では、そのコミュニティーの利用者たちも加わって、クリスマスのカンタータを上演するのです。シナリオはリーダーの牧師と一緒に彼ら自身が作り、音楽はいつもコミュニティーで歌われている歌から選ばれました。

そして何よりも意味深かったのは、彼らは自分たちの物語とヨセフとマリアの物語を重ねて演じ、セリフを作ったのです。彼らは貧しさのために故郷を離れ、サンパウロへやって来た。その多くは、先ほど申し上げたレシフェ/オリンダなど、貧しい北東部(ノルデスリ)出身の人たちでした。

夢を抱いてきたけれども、夢はすぐに破れてしまった。誰も彼らを迎えてくれる人はいない。路上に住むことを余儀なくされた。ヨセフとマリアも田舎からベツレヘムの町へ出てきた時、家畜小屋、馬小屋にしかいられる場所はなかった。

しかしそうしたただ中で、イエス・キリストはお生まれになり、クリスマスは始まっているのです。幼子イエス・キリストの役を担当するのは、路上で生まれた赤ちゃんでありました。
そのクリスマスのカンタータの最後に、毎年歌われるのが、この「だから今日希望がある」という賛美歌でありました。

この路上生活者の人たちは、まさにこの曲で歌われている内容が、彼らの生きている状況とぴたりと重なり合うのでした。イエス・キリストがこの世界に来られたのは、まさに八方ふさがりに見える状況においても、なお希望があることを告げるためでありました。

(7)今日の世界に照らし合わせて

私たちの生きている状況は、彼らの現実とは違うかもしれません。しかし深いところでは、私たちも同じような問題を抱えています。

コロナ禍にあって、またロシアのウクライナへの軍事侵攻という世界情勢の中で、不安は絶えません。ウクライナの人々は、なおさらのことでしょう。インフラ施設を、ロシアのミサイル攻撃で破壊され、寒い冬を乗り越えられるかどうか不安だと聞いています。今日の食べ物、明日の食べ物も心配でしょう。それだけではなく、攻めているロシアの一般の人々への締め付けも厳しいと聞いています。ウクライナ、ロシアの人々だけではなく、ミャンマーの人々、イランの人々、中国の人々、特に中国の少数民族の人々のことも忘れてはならないでしょう。

さて私が参加した1994年、サンパウロの〈メソジスト・コミュニティー〉のクリスマスでは、そこでイエス様役を演じた赤ちゃんをはじめ、3人の赤ちゃんの幼児洗礼式が行われました。洗礼というのは、私たちがそのイエス・キリストを、自分の主と受け入れる決心をして歩み始める時です。また幼児洗礼の場合には、親がその子を、そのように信じて育てるという風に新たに決心をする時です。

しかしそれと同時に忘れてはならないのは、洗礼と言うのは、そのような私たちの決心のしるしということに留まらず、イエス・キリストがその人に、その子にしるしを付けてくださる時なのです。「この子は、私のものだ。この人は私のものだ。」だからそこにイエス・キリストのしるしが付けられるのです。どんな時にあっても、お前を決して離れることはない、というしるしをつけられるのです。たとえこの世界のすべての人がお前に背を向けようとも、私は決して背を向けないというしるしなのです。神様は、そのこと、つまり私たちのことを決して忘れていないということを知らせるために、御子イエス・キリストを遣わしてくださいました。だから私たちには、希望がある。だから私たちは恐れずに闘う勇気を与えられるのです。私たちも今日、そうした信仰の原点に立ち返りたいと思います。

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