1. HOME
  2. ブログ
  3. 大地のリズムと歌-ブラジル通信3 「カーナバルにおいても」

大地のリズムと歌-ブラジル通信3 「カーナバルにおいても」

2月は、ブラジルではカーナバルの季節。今年も2月7日あたりから11日まで、ブラジル各地でそれぞれのカーナバルが行われた。「カーナバルといえば、リオデジャネイロ、そしてサンバ」と日本の人は思うかもしれないが、カーナバルはカリオカ(リオっ子)だけのものではないし、音楽もサンバだけではない。ブラジルにはさまざまな舞踊音楽があり、特にノルデスチ(北東部)は舞踊音楽の宝庫である。リオ生まれの舞踊音楽サンバにしても、もとを正せばノルデスチ出身の黒人たちが作ったものだ。

わたしの住んでいるベルナンブッコ州オリンダは、カーナバルで最も有名な町のひとつである。カーナバルの前からプレ・カーナバルと言って騒ぎ始め、住民もそわそわし、町が機能しなくなる。電話などの不動産や中古車の値段が下がってくる。冗談のような話だが、カーナバルで遊ぶお金が欲しい人が増えるために、買い手市場になるのだと言う。オリンダでは、リオのカーナバルのように決まった会場はなく、町全体がカーナバルに包み込まれてしまう。

オリンダのカーナバルの象徴的存在は、高さ3メートル位のジャイアント人形である。一人でこれを担ぎ、下から上手に人形の手足を操りながら歩く。ジャイアント人形は、もともとは中世ヨーロッパで魔よけに使われたらしい。ここオリンダでは、伝統的な魔よけのスタイルから、その年の話題の人物のものまで登場する。そしてそのまわりを、ベルナンブッコ州生まれの舞踊音楽フレーヴォにあわせて、踊りながら練り歩く。フレーヴォという名前は、「沸騰」(フェルヴォール)という言葉が変化したものだが、その名前が示すように、激しく熱狂的なのが特徴である。片手で小さなカラフルな傘を振り回しながら、足を相互に素早く放り出すようにして踊る。ただしサンバほど足の動きは複雑ではない。またマラカトゥーと呼ばれる伝統的な仮装行列も楽しい。人形をもつ二人の黒人女性を先頭に、王・女王・王女・大使夫人・踊り子その他に仮装した者がこれに続く。音楽も独特である。

カーナバルは信仰の世界とはかけ離れた最も世俗的な祭りのようであるが、わたしはここにもブラジル人らしい信仰が生きているように思う。サンバ界の大物歌手べッチ・カルヴァーリョのレパートリーに、「サンバは力強く」(”FIRME E FORTE” 直訳すると「しっかりと力強く」)というすてきな曲がある。

「今日を思い切り生きよう
人生は一度限りだから。
明日が良くなるか悪くなるか
誰も知らない。
肩の力を抜いて行こう
あまり熱くならないで。
ブラス氏が会計をやっているなら
最後にはよくなるよ。
なぜなら神様はブラジル人で
人生は大力ーナバルだから。・・・」
(私訳)

ブラジルでも決して教会へ行く人は多くないが、みんな深いところで素朴に「神様がいる」ということを信じている。不思議に貧しい人ほどそうである。こうした何でもない世俗的なサンバの中にも、わたしは「明日のことを思い煩うな。神様が見ているから、きっといつかはよくなる。だから今日をせいいっぱい生きよう」という信仰が息づいているとわたしは思う。


(カニも酔っぱらう?)

また軍事政権の弾圧が厳しかった頃(1979年)、ジョアン・ボスコの 「酔っぱらいと綱渡り芸人」(”O BEBA DO E A EQUILIBRISTA”)というサンバをエリス・レジーナが歌って大ヒットさせた。こういう歌詞である。

「日が落ちる。
夜へと橋がかる黄昏。
喪服を着た酔っぱらいに
わたしはチャップリンを思い起こした。
月は
売春宿のおかみさんのように
冷やかな星々から
きらめきという宿代を求めていた。
そして雲は
空の吸い取り紙で
拷問の血痕を吸い取っていた。
-ああ息苦しい。狂っている。
山高帽子をかぶった酔っぱらいは
ブラジルの夜のために(わがブラジル!)
あらゆる無作法をやってのけた。
多くの人々といっしょにパトカーで
連れていかれたエンフィルの兄弟が
帰ってくるのを夢見て。
私たちの祖国、気高い母は泣いている
マリアたちもクラリシたちも泣いている
ブラジルの大地で。
でも私は知っている
突き刺すような苦しみが
無駄にはならないということを。
『希望』はサーカス小屋の綱の上で
一歩一歩進みつつ
危なっかしく踊っている。
けがをするかもしれない。運だよ!
『希望』という綱渡り娘は知っている
すべての芸人のショーは
続けられなければならないということを。」
(私訳)

このサンバでは、その時代のブラジルを夜にたとえ、拷問や不当摘発などどきっとする内容の現実が、憂いをおびつつも希望へとつながるトーンで歌われている。歌い、踊りぬくことによって、逆境を跳ね返すたくましさ。こうした信仰が、軍政の時代にも、民衆を支え続けたのだと思う。
これらの曲は、日本でもそれぞれべッチ・カルヴァーリョとジョアン・ポスコの歌唱で、RCAレーベルから出ていますから、みなさんもぜひ聞いてみて下さい。

(『福音と世界』4月号、1997年3月)

関連記事