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うらめしや

松本敏之流川柳⑫

「うらめしや?おもてのメシヤはイエス様」

(「信徒の友」落選作)

これは「信徒の友」2020年8月号用に「納涼」モードで投稿したのですが、落選でした。実は、その前に同じネタの別ヴァージョンで、4月号用として「復活」モードで、以下のものを投稿していました。

「こっそりと化けて出るのは裏メシヤ」

こちらも落選でした。何が敗因だったのでしょうか。(分析することは、次回に役立つ)

①全くつまらないのか。→ これなら仕方ありません。自分では、結構「おもしろい(イケてる)」と思ったのですが。
②ダジャレ系がだめなのか → ダジャレを超えていると思うのですが。
③「どこかで聞いたことがある」ということで、オリジナル性を疑われたのか。

③だとすれば、確かに、私自身、2018年4月1日に、以下のような礼拝説教をし、フェイスブックでも公表しました。でも、オリジナル・ネタであったことは間違いないのですが。その日の鹿児島加治屋町教会のイースター礼拝説教を引用しておきます
(テキストは、ヨハネ福音書20:19~23)

そこへイエス・キリストが現れます。鍵までかけているのに、それを越えて入って来られるのです。弟子たちの恐れていたことが起きたのです。「出たあ」という感じです。そこでなんと言われたか。普通であれば、「うらめしや」ですよね。「よくもわたしを見捨てて逃げたな。どうして私を見殺しにした。一生呪ってやる。一生たたってやる。」そういうことではないでしょうか。「イエス様、どうぞ成仏してください。」それが私たちの知っている世界です。ところで皆さん、復活のイエス・キリストは、どうして「うらめしや」と言われなかったと思いますか。よく考えてください。それは、復活のキリストが、「うらのメシア」ではなく、正真正銘の「おもてのメシア」であったからです!ちょっと嘘っぽいですね。まあ、エイプリール・フールということでおゆるしください。

二度も落選だったので、「信徒の友」ではあきらめて、「松本敏之流川柳」として、ここにアップします。

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