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2021年5月16日説教「対 決」松本敏之牧師

出エジプト記8:16~28  ローマの信徒への手紙12:1~2

ホームページでお知らせしていますように、コロナ・ウイルス感染症拡大のため、5月30日まで教会に集う礼拝を中止し、動画配信による礼拝のみとすることとしました。毎週日曜日の朝10時30分の配信開始の予定ですが、遅れることもあるかもしれません。その時はどうぞおゆるしください。また9時の子どもを中心とした家族礼拝の配信も5月2日から始めています。「こちらのほうが面白くて聴きやすい」という声もあります。私が紙芝居や絵本を使ってお話をし、ジェスチャー付きの賛美歌を紹介していますので、まだご覧になっていない方はぜひご覧ください。

こちらは午前9時に配信を開始しています。こちらの配信が遅くなることはないと思いますので、主日礼拝の配信が間に合っていない場合は、家族礼拝の子ども向きのお話を聞きながら、お待ちいただいてもよいかと思います。

さて、今日は月に一度くらいのペースで読み進めています出エジプト記のほうで説教をします。「対決」というタイトルです。実は今年2月に一度、本日と同じ、「対決」と題して説教をいたしました。しかし取り扱う範囲が広すぎたので、これを2回に分けて語り直すことにしました。その前半は4月18日に「災禍」と題してお話しました。今日はその続きで、2月と同じ題ですが、内容も2月の話と重なりますことをどうぞご了解ください。

(1)あぶの災い

エジプトのファラオが頑なで、イスラエルの奴隷たちに、荒れ野で神に礼拝するための休みを与えないということで、神様はモーセとアロンを通して、エジプトに十の災いをくだされます。前回はその最初の3つを扱いました。「血の災い」「蛙の災い」「ぶよの災い」でした。今日はその続きです。先ほどは、8章16節から終わりの28節までの「あぶの災い」の部分をお読みしましたが、その続きの9章12節まで「疫病の災い」、「腫れ物の災い」の部分も含めて、お話します。

神様はモーセに、ファラオに対して、このように告げるように命じます。

「主はこう言われる、私の民を去らせ、私に仕えさせなさい。もしあなたが私の民を去らせないなら、あなたとあなたの家臣、あなたの民とあなたの家にあぶを送る。エジプトの家々も、彼らのいる土地もあぶの群れで満ちる。」(8:16~17)

ただしこのお告げには続きがありました。

「しかし、私はその日、私の民の住むゴシェンの地を区別し、そこにはあぶの群れが入らないようにする。主である私がこの地のただ中にいることをあなたが知るためである。私は、私の民をあなたの民と区別して贖う。明日、このしるしは起こる。」(8:18~19)

ここから先の災いは、これまでの災いと違うところがあります。それは神様が守るとされるところ、そこには災いが及ばないということです。それは、このあとの疫病の災い、腫れ物の災いでも同じように言われます。そのことは、さらにその後も続き、最後の「初子の災い」において、それが最も鮮明になります。

(2)地上の権威と神の支配

「私の民とあなたの民を区別して贖う」と言い、それは、「主である私がこの地のただ中にいることをあなたが知るためである」と言われるのです。挑発的な言葉です。つまりここは地上においてはエジプトのファラオの所有地ですが、本当にこの地を支配しているのは主なる神、ヤハウェであると言われるのです。

このことは、この物語を超えて大事なことを語っています。鹿児島加治屋町教会の聖書日課、5月4日のところに、ローマの信徒への手紙13章でしたが、そこには、多くの人が「えっ」と思うような言葉がありました。「支配者への従順」と題されています。

「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権力はなく、今ある権力はすべて神によって立てられたものだからです。」(ローマ13:1)

あまり人気のある箇所ではありません。この箇所をどう読むべきか、慎重にしなければなりません。マルティン・ルターは宗教改革においては、あれほど大胆でしたけれども、地上の権威に反旗を翻すことについては、とても保守的であり、当時の農民たちの支配者たちへの抵抗運動については(今日では民主化運動と言えると思いますが)、この箇所の解釈をもとに、支配者の味方をしてしまいました。またナチス・ドイツの時代にも、ヒトラーに従うことがこの箇所からナチスのもとにあった教会によって正当化されてしまった面があります。)

しかしその地上の権威は、あくまで神様の意志のもと、神様の意志を実施している限り有効であるということを忘れてはならないでしょう。特に人の上に立つものは謙虚に読まなければならないでしょう。この続きを読むと、地上の権力者は、勝手にその権威のもとにある人たちを、自分の意のままにしてよいということは語られていません。

4節にはこう記されています。「権力は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです」とあります。地上で人の上に立つ者は、何よりも神に仕えるためにあるのだということを忘れてはならないでしょう。

エジプトのファラオがすべて悪かったというわけではありませんでした。事実、その400年前、ヨセフを自分の家臣としたファラオはそのことよくわきまえていました。しかしこのモーセと向き合っているファラオはそのことをわきまえていませんでした。ですから、彼がそのことを知るために、つまり主なる神、ヤハウェが、この地のただ中にいることを知るために、それを行うと言われるのです。

(3)ファラオの妥協案

あぶの大群がファラオの王宮や家臣の家を襲い、被害がエジプト中に及んだ時、ファラオは再びモーセとアロンを呼び寄せました。そしてファラオが妥協案を述べるのです。

「さあ、この地であなたがたの神にいけにえを献げなさい。」(8:21)

もともとモーセ側が要求していたのは、エジプトから出て、荒れ野で、しかも三日の道のりの場所で神様に犠牲をささげることでした。ファラオは「それを認めることはできないが、エジプト国内で礼拝をするのは認めよう」と、提案したのです。国から出ると、逃亡の危険性もあるし、往復1週間の休暇は到底認められるものではないということでしょう。

それに対してモーセは、このファラオの妥協案に同意せず、それを退けました。その理由をこのように述べています。

「そうすることはできません。私たちは、私たちの神、主にエジプト人が忌み嫌うものをいけにえとして献げるからです。私たちがエジプト人の忌み嫌うものを彼らの目の前で屠るなら、彼らは私たちを石で打ち殺すでしょう。主が私たちに言われたとおり、私たちは三日間かけて荒れ野を行き、私たちの神、主にいけにえを献げなければなりません。」(8:22~23)

この「エジプト人の忌み嫌うもの」とは何であったのか。学者の研究によりますと、エジプトでは神にささげるものは、植物か、せいぜい鳥や動物の肉片であったのに対して、ヘブライ人のささげものは、羊や山羊まるまる一頭であったりしたということです。もっともこれは、モーセのファラオに対する論戦の戦術(ストラテジー)であったでしょう。それと同時に、礼拝する時と場所、そして形にこだわり、「主を礼拝するとは一体どういうことであるか」を毅然とファラオに示そうとしたということもできるでしょう。

ファラオはしぶしぶ、モーセの要求をのみます。

「私はあなたがたを去らせる。あなたがたの神、主に荒れ野でいけにえを献げなさい。ただし、決して遠くに行ってはならない。」(8:24)

そして「私のためにも祈ってほしい」と付け加えました。

このファラオの言葉は、この時の複雑な気持ちをよく表しています。「荒れ野に行くことは仕方がない。承知した。けれども遠くへは行くな。三日の道のりとはとんでもない」。そのことによって、ファラオはまだ、自分が主権をもっていることを誇示しようとします。しかしこの事態を何とかしなければならないので、モーセの神に「私のためにも祈ってほしい」と懇願するのです。モーセは早速、ファラオのもとを去り、出かける準備をするのですが、あぶの大群が去ると、ファラオは再び、心を頑なにし、彼らを去らせないようにしてしまうのです。

(4)疫病の災い

その次の9章1~7節は、「疫病の災い」と題されています。これは家畜を襲う疫病でした。主はモーセに言われます。

「ファラオのもとに行って、彼に告げなさい。『ヘブライ人の神、主はこう言われる。私の民を去らせ、私に仕えさせよ。もしあなたが去らせることを拒み、なおも彼らをとどめておくならば、主の手は、野にいるあなたの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊の群れに極めて重い疫病をもたらす。』」(9:1~3)

しかし主は、同時にこう付け加えられました。

「イスラエルの家畜とエジプトの家畜とを区別する。イスラエルの人々の家畜は一頭たりとも死ぬことはない。」(9:4)

果たして主が言われた通りになります。エジプト人の家畜はすべて死にましたが、イスラエルの人々の家畜は一頭も死にませんでした。ファラオが人を遣わして確認させたが、やはりその通りでありました。しかしファラオの心は一層頑迷になり、民を去らせません。

(5)腫れ物の災い

その次が腫れ物の災いです(9:8~12)。

「主はモーセとアロンに言われた。『二人で両手いっぱいにかまどのすすを取り、モーセがそれをファラオの目の前で天に向かってまき散らしなさい。それは塵になってエジプト全土にふりかかって炎症を起こし、腫れ物となる。』」(9:8~9)

モーセとアロンは主なる神ヤハウェの語られた通りにします。するとそれが空中を舞って、それに触れた者には、人であれ家畜であれ、そこに腫れ物が生じたということです。そこにいた魔術師もそれに触れて、腫れ物が生じ、そのためにモーセの前に立つことができませんでした。そして魔術師だけではなく、エジプト人すべてに広がっていきました。しかしファラオはそれでもかたくなになり、モーセとアロンの言うことを聞こうとはしませんでした。それが6つ目の災いです。

(6)災いの分類

さてこれまでの6つの災いを二つずつセットにして整理してみましょう。最初の災い「血の災い」と「蛙の災い」は、ただ人に不快感を与え、困らせるものでした。その後の「ぶよの災い」と「あぶの災い」は直接に人と家畜を襲うものとなります。しかしそれはあくまで外側から人と家畜を襲うものでした。その次の二つ、「疫病の災い」と「腫れ物の災い」は、家畜や人間の体に取りついて、いわば内側からそれを襲う災いであると言えます。家畜はばたばたと死にました。

あるいは、こういう分類をする人もいます。最初の3つの災い、「血の災い」、「蛙の災い」、「ぶよの災い」はナイル川のすさまじい氾濫と有機的関連がある。これらはまだ民がこうむった深刻な迷惑と結びついていたにすぎないけれども、その次の3つは、実際に損失と肉体的苦痛をもたらした。さらにそれらが最初の3つと違うのは、ゴシェンの地が災害を免れたということもあるでしょう。

これらのことを通して、ファラオの決心が揺るぐきざしが現れ(私のために祈ってくれ)、魔術師たち、つまりファラオを取り囲む宗教体制の支持者たちは闘いをあきらめるのです。

(7)この世と妥協してはならない

最後に、このところのモーセの態度から大切なことを学びたいと思います。それはモーセが、肝心なところではファラオと妥協しなかったということです。

ローマの信徒への手紙12章2節に、こう記されています。

「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を造り変えていただき、何が神の御心であるのか、何が善いことで、神に喜ばれ、また何が完全なことであるのかをわきまえるようになりなさい。」(ローマ12:2)

「この世に倣ってはなりません」というのは、以前の口語訳聖書では、「この世と妥協してはならない」と訳されていました。

私たちは、確かにこの世の中にある教会として、あるいはこの世に生きるクリスチャンとして、当然のことながらこの世の事柄と、そしてクリスチャン以外の人たちと協調してやっていかなければならないことが多々あります。逆にこの世から学ばなければならないことも少なくありません。「教会の常識は世間の非常識」などという皮肉な言い方もある位です。教会では、「世間で通用しないようなことを平気でやっている」という意味でしょうが、それでは証しになりませんし、かえって大きなつまずきになるでしょう。LGBTQの人々に対する理解などはそうであるかもしれません。市役所や県庁から来る指導要領のほうがよほどしっかりしています。

しかし同時に安易にこの世と妥協して、クリスチャンとして最も大切な点を曲げてはならないということもあるのではないでしょうか。一体、私たちはどこで協調し、どこで妥協してはならないのか。これはなかなか難しい、デリケートな問題であります。具体的にそれが一体何であるかを特定することはできませんし、しないほうがよいと思います。

私個人に関することを言いますと、例えば仏教のお葬式に参列してお焼香をするというようなことはあまり気になりません。「それは偶像崇拝だ」と言って気にするクリスチャンもありますが、私はそうは思いません。むしろ亡くなった方の信仰に敬意を表して、お焼香するのは自然なことであり、決して自分の信仰を曲げるようなことではないと思っております。もちろんお焼香したくないというクリスチャンがあれば、事実それがあるのを知っていますが、それはそれで尊重しなければならないでしょう。「どうしてお焼香しないんだ。松本先生も『いい』って言ったわよ」と言って、お焼香することを強要することも間違っている。その自由が保障されなければならいでしょう。

あるいは日曜勤務のあるお仕事で、礼拝に出られないことをうしろめたく思われる方もあるかも知れませんが、それはそれで「この世と妥協する」ことにはあたらないでしょう。それは必要なことであります。例えば日曜日に電車やバスやタクシーが動いていなければ、私たちは教会に来ることができない人もあるわけです。

(8)弓削達氏の問い「私たちはなぜ迫害されないか」

弓削達(ゆげとおる)という先生(元フェリス女学院大学学長)が、『ローマ皇帝礼拝とキリスト教徒迫害』(日本基督教団出版局)という書物の中で、興味深いことを述べておられました。それは、ローマ帝国時代のキリスト者(クリスチャン)たちがなぜ迫害されたのか、ということです。紀元2世紀のローマ帝国において、「キリスト者は子どもの肉を食べ、近親相姦を行う」という社会通念(うわさ)を前提に、迫害され、処刑されました。しかしそのようなことが事実無根であることが明らかになった後も「キリスト者」という名前そのものが処罰の対象となっていきます。

実は人々がキリスト者を忌み嫌った背景には次のような理由がありました。それは第一に、彼らが皇帝礼拝をせず、都市の共同体祭儀(お祭り)にも加わらなかったということであります。洪水や日照りが起こると、ローマの人々はキリスト者が神々を怒らせたのだと考えました。
第二は、キリスト者が売春や毒薬調剤などという都市のあだ花的繁栄に手を貸さなかったということです。それらはいわば社会の「必要悪」のように考えられていましたが、キリスト者たちは、それを信仰と相容れないものとして、毅然と「ノー」と言ったのであります。キリスト者の存在そのものが、一般民衆の生活原理に対する根底的批判となっていました。そうしたところで、彼らはこの世と妥協せず、自分の信仰を貫いたのです。「殉教者」という言葉は、もともと「証言する人」という言葉から生まれたものでありました。

弓削達先生は、そういう風にローマ時代のことを書きながら、「今日の私たちはどうであろうか」と問います。「今日、『私はキリスト者です』という証言は何のインパクトも与えない。それは、キリスト者が迫害されない、よい時代になった、ということよりも、キリスト者自身が、ローマ時代のような社会に対する根底的な批判をそぎ落としてしまったからではないか」と、言われるのです。この世が、あるいはこの世の支配者が、神様の御心に背いたような歩みをしている時でさえ、私たちは社会に対して何も言わないがゆえに、この世から受けいれられているのかも知れません。こうしたことが具体的には、一体何であるのかは、特定することは難しいですし、しない方がいいでしょう。

むしろ、私たち一人一人が、「何が神の御心であるのか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるのかをわきまえるようになりなさい」と、問われているのだと思います。あの時、モーセがファラオに妥協しなかったように、私たちもこのことを謙虚に問い返しながら、御心に適ったキリスト者としての歩みをしていきたいと思います。

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