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2021年9月5日説教「最初の新約文書」松本敏之牧師

テサロニケの信徒への手紙一5章12~28節

(1)聖書日課

新型コロナウイルスの感染者数がなかなか減少しない中、学校や幼稚園では2学期が始まりました。心配も続いていますので、私たちは、教会に集う形式の礼拝の休止することをもうしばらく継続することとなりました。教会に集いたいという気持ちを多くの方々がもっておられることと思いますが、祈りつつ、それぞれの場所で礼拝をし、何とか、この厳しい時期を耐え抜いていきましょう。

4月から、聖書日課に即して聖書を通読しようと呼びかけています。皆さんにお配りしている通読表は左右2頁になっていて、先週から右のページになりました。折り返し点で、ちょうど半分が終わったことになります。皆さんは、続けておられますか。どこからでも合流できます。たとえば今週の木曜日から、いよいよ私たちの聖書日課表では四つ目の福音書、ルカによる福音書に入りますので、ここからお始めになってもよいのではないでしょうか。

(2)「いつも喜んでいなさい」

先週、テサロニケの信徒への手紙一が終わり、今週の前半はテサロニケの信徒二を読みます。書名が長いので、短く言いたい時は、第一テサロニケ、第二テサロニケと呼ばせていただきます。本日は、昨日の聖書日課である第一テサロニケ5章の中の言葉を読んでいただきました。その中に、多くの人たちが愛唱聖句としておられる有名な言葉があります。それは、5章16~18節の言葉です。

「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて
神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ一5:16~18)

名言だと思います。何の説明もなく、よくわかる言葉です。あたかも今日、神様が私に向かって語られた言葉であるかのように、すっと心に入ってきます。

私も、しばしば受洗された方に、教会から聖書をプレゼントするような時に選ぶ聖句です。

「いつも喜んでいなさい」私たちは、よいことがあった時にはうれしい気持ちになりますし、いやなことがあった時には悲しい気持ち、つらい気持ちになります。しかし「いつも喜んでいなさい」と言われるのです。これは難しいことです。ただパウロは、そして神様は私たちを困惑させようと思って、そう言われるのではありません。やみくもに「喜べ」と命令されるのではありません。私たちは気づかないことが多いものですが、「喜びはすぐそばにあるよ。それに目を向けなさい」ということ、喜びのプレゼントをしつつ、その添え状のようなものです。

「絶えず祈りなさい。」これもよくわかりますが、意外に難しいものです。私も自分でできているとは言い難いです。とてもつらい時には、助けを求めて祈ります。しかしそうでなくなれば、祈ることをやめてします。とてもすばらしいことがあると感謝の祈りをします。しかしそれも長くは続かない。「いつも喜んでいなさい」の「いつも」と「絶えず祈りなさい」の「絶えず」は同じことを指す言い換えのようなものですが、「絶えず」というのは「絶えることなく」「途切れてしまうことなく」という言葉が使われています。私たちは、どんな状態の時にも、いわば信仰生活の呼吸のように、祈り続けることが大事です。祈る言葉が思いつかないならば、イエス・キリストが弟子たちに教えられた主の祈りを祈ればよいと思います。そのようにして心がいつも神様とつながっていることが大事です。

「どんなことにも感謝しなさい。」これも難しいです。素晴らしいことがあった時、自分の願いがかなった時には感謝をしますが、それこそ嫌なこと、つらいことがあった時には、感謝する気持ちにはなれません。試練の時には、「神様はきっと何か今の私にはわからない、よいことを準備してくださっているに違いない」という思いで、その神様とつながっていられることに感謝をするとか、その都度、祖恩都度、「感謝することを見つけて感謝する」ことで、心の持ちようも変わっていくでしょう。

(3)パレアナの「何でも喜ぶゲーム」

エレナ・ポーターの「少女パレアナ」という本に、「何でも喜ぶゲーム」というのが出てきます。ご存じの方も多いでしょう。

主人公のパレアナは愛する両親を亡くしてしまった11才の幼い少女です。彼女は孤児になったことで、叔母に引き取られます。このパレー叔母さんは気難しい人で、パレアナの周囲には同年代の子どもも少なく、叔母以外の周りの大人たちも時としてパレアナのことを冷たく扱います。しかし、パレアナは明るくその素直な性格で、次第に周囲の大人たちを変えていくのです。

パレアナは、もともと父親から教わった「何でも喜ぶゲーム」というのをやっていました。どんなこと、どんな状況からでも喜ぶことを探し出す遊びです。

ゲームのやり方は次のようなものです。

パレアナがパレー叔母さんの家にやってきた時、屋根裏部屋を使わせてもらうことになります。パレアナは自分一人の部屋を持てることにうれしくなります。イメージは膨らみ、カーテンと絨毯、そして壁にある絵にはきれいな額がかかった、かわいらしい部屋が自分のものになると期待を抱きます。

しかし、案内された部屋はパレアナのイメージとは程遠いものでした。壁にはなんの飾りもなく、屋根裏部屋なので、部屋の向こう側は屋根がほとんど床まで下がっていました。パレアナは息苦しさすら感じます。

パレアナはそんな状況でも喜びを見出します。鏡のない部屋だから(自分が気にしている)ソバカスを見ないで済む、壁に絵がないけれども、その代わりに窓からは、教会や木々・川が流れている景色を喜びます。そして、叔母さんがこの部屋をくれたことをうれしいと言うのです。その後、さらにつらいことがあるのですが、それはそれぞれで読んでみてください。(多田翼氏のサイト参照)

私は、作者のエレナ・ポーター氏が「何でも喜ぶゲーム」というのを思いついた背景には、恐らくこの第一テサロニケの「いつも喜んでいなさい」「どんなことにも感謝しなさい」という言葉があったに違いないと思うのです。

そしてこの三つの言葉をまとめて、パウロは「これこそ、キリスト・イエスにおいて 神があなたがたに望んでおられることです。」と結びます。

それは確かに神が望んでおられることでしょう。でも言葉をひっくり返して言えば、そういうことができるように、「神はあなたのためにイエス・キリストを贈ってくださったのです」ということができるのではないでしょうか。そしてそれは私たちの人生が豊かになる、どんな時にも前向きに生きることができる秘訣であるのだと思います。これはまさに信仰生活を送る道しるべのような言葉です。

(4)最も古い新約文書

さて、この言葉は、今まさに神様が私に向かって語られた言葉のようだと申し上げましたが、この言葉にも背景、コンテクストがあります。少しそのことを述べてみましょう。

実は、この第一テサロニケは、新約聖書に納められている文書の中で、最も古いもの、一番はじめに書かれたものであると言われます。イエス・キリストの生涯を記している福音書よりも古いのです。恐らく紀元51年頃に書かれました。ちなみに、福音書のうち最も古いマルコ福音書が書かれたのが紀元70年の少し後だと言われますので、それよりも20年も前です。しかし同時に、それでもイエス・キリストの死から20年経っているということもイメージとして頭に入れとくとよいでしょう。

ですからもしも新約聖書の配列が、書かれた年代順になっていたとすれば、マタイ福音書ではなく、この第一テサロニケが新約聖書の一番前に来ていたということになります(ガヴェンタの注解書による)。

そのことは、第一テサロニケの中に出てくイエス・キリストについての言葉は、イエス・キリストに対する最も古い信仰告白の言葉だということになります。具体的に言えば、第一テサロニケの1章10節にこういう言葉があります。

「この御子こそ、神が死者の中から復活させた方、来るべき怒りから私たちを救ってくださるイエスです。」(テサロニケ一1:10)

この言葉こそ、聖書の中で最も古い、ということは言い換えれば、現存する最も古いイエス・キリストについての信仰告白の言葉です。キリスト教は、この言葉から始まっていったと言ってもよい位です。そう考えると、何でもないような言葉、読み過ごしてしまいそうな、1章10節のこの小さな言葉が、とても貴重な言葉のように思えて、わくわくするのではないでしょうか。

(5)真正パウロ書簡

次に第一テサロニケについて大事なこととして知っておきたいのは、これは真正パウロ書簡と呼ばれるもののひとつであるということです。新約聖書の中には、パウロの名前で書かれている手紙が全部で13ありますが、実はその中のいくつかは、「パウロの名前によって書かれているけれども、他の人が書いたもの」もあるのです。

現代ですと「偽造文書」と呼ばれそうですが、当時はそういうことがよくあったようです。教会で朗読されるためのある種の文学のようなものと言ってもよいかもしれません。内容的に価値があるからこそ、選ばれて聖書に収められることになったのです。

それでは、一体どの書物が、本当にパウロの書いたものであるのかというのは、気になるところではないでしょうか。間違いなくパウロが書いたとされる手紙は、「真正パウロ書簡」と呼ばれますが、それらは全部で7つあるのです。聖書の配列順に言えば、「ローマの信徒への手紙」「コリントの信徒への手紙一」「コリントの信徒への手紙二」「ガラテヤの信徒への手紙」「フィリピの信徒への手紙」「テサロニケの信徒への手紙一」「フィレモンへの手紙」の7つです。もう一度、短く言いますと、ローマ、第一コリント、第二コリント、ガラテヤ、フィリピ、第一テサロニケ、フィレモン、この7つです。この中で一番古いもの、早く書かれたものが、第一テサロニケなのです。

これまでの聖書日課で読んだところで言えば、エフェソの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙は多くの学者たちによれば、恐らく真の著者はパウロではないだろうということです。皆さんも読んでいて、他のパウロの手紙と随分トーンが違うなと思われたのではないでしょうか。ちなみに明日からの第二テサロニケもパウロの名前で書かれてはいますが、真正パウロ書簡ではありません。なぜそう判断されるのかは省きますが、恐らく、第一テサロニケと少しトーンが違うということをお感じになろうかと思います。

(6)終末はすぐに来ると思っていた

第三に申し上げたいことは、新約聖書の文書は古いものほど、つまり早く書かれたものほど、終末、世の終わりはすぐに来ると信じて書かれているということです。ですからパウロ書簡の中でも最も古い、この第一テサロニケは終末が近いということが色濃く表れていて、そういう今だからこそ、どういうふうに生きなければならないかが述べられるのです。

第一テサロニケの構造は最初のあいさつに続いて、3章までが本文、4章以下が、倫理的な教えとなっています。

その4章13節のところに「主は来られる」という題が付いていて、15節には、こう記されています。

「主の言葉によって言います。主が来られる時まで生き残る私たちが、眠りに就いた人たちよりも先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、続いて生き残っている私たちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に出会います。こうして、私たちはいつまでも主と共にいることになります。ですから、これらの言葉をもって互いに慰め合いなさい。」(4:13~18)

自分たちの死が来る前に、終末が来ると信じていたことがわかります。紀元後51年というと、イエス・キリストが去って行かれて20年です。すぐに戻って来られると言われていたのに、なかなかそれが起こらない。再臨が来ない。そういう中で、先になくなる人も出てきます。イエス様は本当に帰って来られるのだろうか。自分たちは見捨てられたのではないか。信仰者の中にも動揺があったのでしょう。それを察して、パウロはこの手紙を書いたのです。

(7)終末はそうすぐには来ない

福音書が書かれたのは、この手紙からさらに20年後、紀元70年よりも後だと申し上げましたが、最初は(つまり紀元50年の頃は)、そんな福音書なんか必要ない。すぐに世の終わりが来ると思われていたからでもありましょう。

しかし終末はなかなかやって来ない、ということがクリスチャンの間にも広がってきます。そしてきちんと、イエス・キリストの生涯について、教えについてまとめて書き残しておく必要がある、というふうになっていったのです。

さらに興味深いことは、新約聖書の中で、一番遅く書かれたであろうと思われる文書は、第一テモテ、第二テモテ、テトスという、牧会書簡と呼ばれるものですが、紀元100年を越えています。その頃になると、「これはそう早く、終末は来そうにないぞ、長期戦を覚悟しなければならない」ということで、教会の制度を整えていく話になるのです。「監督の資格」「奉仕者の資格」ということが述べられます。そして、その後何と2000年以上の年月が経ってしまった。パウロが第一テサロニケを書いた時には、まさか2000年以上、再臨:はなく、世の終わりが来ないとは、想像すらしていなかったでしょう。

もちろんそのことは、これらのパウロの言葉に意味がないということではありません。私たちはいつ終わりの日が来てもよいような心の備えをしながら生きていかなければならないからです。たとえ世の終わりはまだ来ないにしても、私たち一人一人の人生の終わりは確実にやって来ます。そしてその終わりを見据えながら生きるというのはとても大事なことだからです。

5章で述べられる倫理的な教え、最初に紹介した16~18節の言葉の前後にも、さまざまな有益な教えが出てきます。ひとつひとつ味わい深い大事な教えです。それぞれ自分に語られた言葉として受け止めて、この世の終わりの時を生きていきましょう。

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