2026年6月21日説教「キリストが形づくられるまで」松本敏之牧師
創世記1:27
ガラテヤの信徒への手紙4:12~20
(1)創立148周年
本日は、教会創立148周年記念礼拝として、この礼拝を守っています。鹿児島加治屋町教会はもともと米国メソジスト教会の伝道から始まっています。鹿児島加治屋町教会史『恵みのみ手に支えられて』によれば、1877年(明治10年)秋に、米国メソジスト派九州教区長デヴィソン宣教師が、すでに伝道を開始していた長崎から、鹿児島に視察に来ました。そして山下町(185番地)に場所を定めて、会堂にあてる民家の借り入れを決定します。そして翌年1878年(明治11年)6月に、山下町に鹿児島美以教会が設立されました。そのことは『鹿児島県史』にも記載されているそうです。そこから数えて148年になるわけです。6月何日かは書いてありません。6月なのでペンテコステの日だったのかもしれません。
ちなみに、昨日AIに「1878年のペンテコステはいつでしたか」と尋ねると、「1878年のペンテコステは6月2日でした」と瞬時に教えてくれました。賢いですね。ですから、この日が創立記念日である可能性はあります。
教会の名称は、先ほど申し上げたように、創立当初、「鹿児島美以教会」と称しました。「美」はメソジストのメの漢字、「以」はエピスコパルのエの漢字で、メソジスト・エピスコパル・チャーチの略字です。その後1907年(明治40年)5月に、「日本メソジスト鹿児島中央教会」と呼称するようになります(これが二つ目の名前)。さらに1941年(昭和16年)6月、日本基督教団成立に伴って、「鹿児島城南教会」となりました(これが三つ目の名前です)。そしてもともと敬愛幼稚園のあった、加治屋町のこの場所に、幼稚園と合同の建物を建てることを決定し、移転してきました。1975年9月に着工し、1976年(昭和51年)5月23日に献堂式が行われています。そしてその9年後、1985年(昭和60年)8月1日、「日本基督教団鹿児島加治屋町教会」に改称いたしました。それが4つ目の、そして現在の名称です。
ですから創立は148年ですが、現在の会堂の献堂式から数えるならば、ちょうど50年。鹿児島加治屋町教会という名前になってから41年ということになります。
ちなみに、教会のガレージの入口、お隣のヒカルヤさんとの境にある古い電柱公告(ごみステーションの前)には、40年以上前のものだとわかる「鹿児島城南教会」という名前と古い電話番号、局番が二桁の(23-7285)が書かれている電柱公告があるのに気づかれた方はありますか。実は私も長い間気づきませんでした。
(2)関係が悪化した時
さて、私たちは月に一度位ガラテヤの信徒への手紙を続けて読んでいます。今回で11回目です。今日は創立記念日で、特別な箇所を読むかどうか迷いましたが、続きを読むことにしました。この中に創立記念日にふさわしいみ言葉があると思ったからです。そのことは後で触れたいと思います。
人と分かりあうというのは、なかなか難しいことです。言葉が通じない。これは私たちが毎日の生活の中の身近な人間関係でも経験することであります。親子の間において、夫婦の間において、きょうだいの間において、職場において、学校において、そして悲しいことに教会においてさえ、言葉が通じなくなることがあります。他の世界はともかく、教会だけは違うであろうと思われる方もあるかも知れませんが、教会も例外ではありません。パウロのガラテヤの信徒への手紙自体が、教会においてさえも、言葉が通じ合わなくなることがあるということを語っています。今日のテキストの一番終わりの部分、4章20節のところで、パウロは「あなたがたのことで途方に暮れている」と正直に告白しています。
パウロほどの人でも、教会のごたごたで途方に暮れることがあったのかと、牧師としては逆にほっとしたりいたします。パウロでさえも、途方に暮れるほど頭の痛い問題を、教会というところは2000年前から抱えていたのです。
ガラテヤの教会はパウロが建てた教会でした。パウロが創立者です。ところがパウロが去った後、パウロに批判的な指導者が入って来て、パウロとの関係は悪化していきました。そのことは、今日の箇所である4章17節などからも推し量られます。また前回の箇所の最後の11節では、こう語っていました。
「あなたがたのために労苦してきたことが無駄になったのではないかと、あなたがたのことが心配です。」4:11
(3)愛と誠意をもって接する
そして今日の箇所は、こう始まります。
「きょうだいたち、お願いです。私もあなたがたのようになったのですから、あなたがたも私のようになってください。」4:12
この言葉は、これまでのところを読んでいない方にはわかりにくいと思いますので、スキップしていただいてもよいのですが、一応、説明しておきましょう。「私もあなたがたのようになったのですから」というのは、パウロは「もともとユダヤ人で律法をもつ者であったけれども、律法をもたない者のようになった。あなたがたにあわせた」と、いうことでしょう。そして彼らにも「私のようになって欲しい」というのは、「あなたがたも諸霊(もろもろの霊)の奴隷になるな。もちろん律法の奴隷にもなるな。本当に自由な者となって欲しい」、ということであろうかと思います。
さて、一旦悪くなってしまった関係を改善するために、私たちは何をしなければならないのか。信頼関係を回復するためには、何をしなければならないでしょうか。
パウロのこの言葉を読みながら思うことは、結局当たり前の結論のようですが、第一に、真心、愛、そして心からの誠意をもって接すること、第二に、言葉が通じるようにするために忍耐と努力が必要であるということです。
パウロ自身の20節の言葉を借りて言えば、「語調を変えて話す」用意があるかということです。言葉を通じるようにするため、心が通い合うためには、相手を屈服させる力、武力は役にも立ちませんし、かえって逆効果の方が多いでしょう。今のアメリカとイランの関係を見てもわかります。権威づけることも役に立ちません。
パウロは、ガラテヤの人々に何か負い目があるわけではありませんが、「きょうだいたち、お願いです」と言っています。弱みがあるわけでもない。関係がまずくなると、彼が困るというのでもないのです。しかしそれでも、「お願いです」という言い方をします。そして過去にガラテヤ教会の人たちが、自分にどんなによくしてくれたかを思い起こさせようとします。
(4)パウロの持病
「知ってのとおり、私が最初あなたがたに福音を告げ知らせたのは、私の肉体が弱っていたためでした。そして、私の肉体にはあなたがたのつまずきとなるものがあったのに、あなたがたは蔑んだり、忌み嫌ったりせず、かえって、私を神の天使のように、そればかりか、キリスト・イエスのように受け入れてくれました。それなのに、あなたがたが味わっていた幸福は、どこへ行ってしまったのですか。」4:13~14
これは少し含みのある意味深長な言葉です。少しばかり謎めいています。ここからわかることは、まずパウロがガラテヤにしばらくの間とどまったのは、そこが本来の目的地であったわけではないということです。どこかへ向かう途中で、何らかの病気にかかり、そこに、つまりガラテヤに留まらざるを得なかったのです。しかしその病気が何であったのかはわかりません。さまざまな説がありますが、ある有力な説は、眼病、眼の病気の一種であったというものです。この後の15節では、こう言っています。
「あなたがたのために証言しますが、あなたがたはできることなら、自分の目をえぐり出してでも私に与えようとしたのです。」4:15
これは最も大切なものをささげる、という象徴的な意味で使われたのかも知れませんが、パウロの目が見るからにひどい病気であることがわかるような、見るに堪えないような状態であったことを推測させる言葉でもあります。
それがどういう病気であったにせよ、見た目にそれとわかる重い病気をもっていたこと、しかもそれが神から呪われたしるしと考えられてもおかしくないような病気をもっていたことでありました。しかし彼らはそれをマイナスの材料とは思わず、かえって天使かイエス・キリストを迎えるように受け入れてくれたというのです。パウロはそのことを本当の宝物のように大事にしていました。ここであなたたちにそうしてもらったと、自慢しているのではありません。あの最初の信仰に立ち帰って欲しいと、ひたすら下から訴えかけているのです。
(5)語調を変えて話す
言葉が通じるようにするためにしなければならないことの二つ目は、「語調を変えて話す」ということです。私たちはそのために、一体どの位の努力をしているでしょうか。どちらかと言うと、正面突破型のパウロが、「あなたがたのことで途方に暮れている」という風な弱音とも聞こえるような本心を述べながら、「できることなら、私は今、あなたがたのもとにいて、語調を変えて話したい」と言うのです。
皆さんも話が通じない相手とどのようにすれば、話が通じるようになるか苦労されたことがあるかもしれません。話が通じるようになるために、調子を変えて話してみる。あるいはもしかしたら、調子を変えてしゃべりっぱなしになるのではなくて、無言でその傍らに立つというようなことが必要なこともあるかもしれません。パウロ自身が「ユダヤ人にはユダヤ人のようになった」「異邦人には異邦人のようになった」(第一コリント9:20)と語ったように、私たちも、相手と同じ立場に立ってみることも必要ではないかと思います。
ただし「語調を変える」ということは、「本質的なことを曲げる」ということではないでしょう。あるいはまた、ただ単に技巧的に語り口を変えるとか、言葉を変えるとか、そういうことでもないでしょう。福音が違った福音にならないで、しかも相手に届く言葉、新しくその人の心の内に響く言葉を語っていかなければならない。このことは特に私のような牧師にとっては、大きな使命であろうと思います。
(6)キリストの形
また19節のところで、不思議なことを語っています。
「私の子どもたち、キリストがあなたがたの内に形作られるまで、私は、もう一度、あなたがたを産もうと苦しんでいます。」4:19
分かりにくい言葉ですが、ここには、教会の本質にかかわることが述べられています。創立記念日にふさわしいと思ったのも、この言葉の故です。「教会形成」という言葉がありますが、それは何を意味しているのでしょうか。教会形成とは、教会が組織として整えられていくことであるとか、だんだん人数が増えて教会が大きくなっていくことであるとか、そういうことを指すこともしばしばあるのですが、本当の意味で教会が形成されるというのは、このところでパウロが言っていますように、まさに「キリストが内側に形作られていく」ことだと思います。牧師、あるいは伝道者はそのために遣わされるのです。牧師、伝道者が、どんなに魅力的な説教をしても、あるいはどんなにすばらしい働きをしたとしても、その牧師が去った後、あるいは死んだ後、何もなくなってしまったというのでは意味がありません。そこに「キリストが形づくられていく」ことこそが大切であり、それこそが教会形成ということでしょう。この鹿児島加治屋町教会も、そのようにして歴代の牧師たちや先輩の信徒の方々に育まれ、形成されてきたのです。
パウロは、そのことのために、自分は再び産みの苦しみをすると言うのです。パウロは、何か打算的な目的で、そう言っているのではありません。本当に善意から、真心をもって、ガラテヤの信徒の人たちに、「その信仰を回復して欲しい。そして、まことのキリストがあなたがたのうちに形づくられるように」と、願って語ったのでした。私たちも、そのような思いをもって、149年目の歩みを始めていきましょう。