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2023年7月2日説教「感謝のサマリア人」松本敏之牧師

ルカによる福音書17章11~19節

(1)サマリアとガリラヤの間

先ほどお読みいただいたルカ福音書17章11節から19節は、本日の日本基督教団の聖書日課の箇所です。このように始まります。

「イエスはエルサレムに進んで行く途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。」ルカ17:11

これまでも述べたことがありますが、ルカは、9章から19章までイエス・キリストの一行がガリラヤからエルサレムへ向かう旅の途上の出来事として、さまざまなことを記しています。そこにところどころ出てくる地名をたどってみますと、行ったり来たりして、どうも変な感じがいたします。でもルカはそういうことはあまり気にかけていないようです。旅程としてはおかしいけれども、内容的、神学的に大事な意味がある。今日のところもまさにそうです。

「ある村に入られると、規定の病を患っている十人の人が出迎え、遠くに立ったまま、声を張り上げて、『イエス様、先生、私たちを憐れんでください』と言った。」ルカ17:12~13

「規定の病」と訳された言葉は、レプラというギリシア語ですが、前の新共同訳聖書では「重い皮膚病」となっていました。その前の口語訳聖書や、新共同訳聖書の初版では、「らい病」となっていたのですが、その後の研究で、これはいわゆるハンセン病とは違う病気であることがわかってきたので、「重い皮膚病」と訳し直された。しかし「重い皮膚病」でも、まだ「ハンセン病」を思わせるニュアンスが残っていたので、新しい聖書協会共同訳では、全く違う「規定の病」となったのでしょう。巻末の用語解説の(27)頁に、詳しい解説が出ていますので、興味のある方はどうぞ、そこをお読みください。

さて、サマリアとガリラヤの間にひとつの村があり、そこに10人の規定の病を患っている人々がいました。この後の記述からわかるように、10人のうち9人はユダヤ人で、1人はサマリア人でした。

サマリア地方というのは、それまで主イエスが活動されたガリラヤ地方の南側にあります。エルサレムのあるユダヤ地方は、さらにその南にありますので、サマリアは、ガリラヤ地方とユダヤ地方の間にあるということになります。
ユダヤ人とサマリア人は対立関係にありました。元々はユダヤ人のほうがサマリア人を外国人の血が混じった汚れた民として軽蔑し、差別し、交わらないようにしていました。有名な「善いサマリア人」(「よきサマリアびと」、ルカ10章)の話は、そうして差別されているサマリア人のほうが、宗教的正統派に属すると思われていたユダヤ人よりも神様のみ心に従っているではないか、というメッセージがあるわけです。ここでもそれとある意味で似たことが起こるのですが、それは後で申し上げましょう。

(2)二つの町からここに追いやられた

さて旧約聖書レビ記13章は、規定の病の症状について詳しく述べながら「この患部があるかぎり、その人は汚れている。宿営の外で、独り離れて住まなければならない」(レビ記13:16)と記しています。レビ記の背景となっている時代は、まだ出エジプトの旅の途上でありましたので、宿営というテント住まいです。この病気になった人は、群れのテントから隔離されて一人で住むように命じられています。衛生的な面と同時に、この病気の人は宗教的な意味で汚れていると断定されていたのです。

今日のルカ福音書の記述は、その人たちの扱いをそのまま踏襲しているようです。レビ記では「宿営の外に住まねばならない」とありますが、イエス・キリストの時代は定住の時代ですから、「町の外」へ追いやられたのでしょう。

一方にユダヤ人の住むガリラヤの町々があります。そこに住めなくなったユダヤ人で規定の病の人たちが町はずれに追いやられてきた。他方、ガリラヤの町の隣には、サマリアの町があります。このサマリアの町でも、規定の病の人がいて、サマリアの町に住めなくなって、町はずれに追いやられてきました。そして両方から町はずれに追いやられた規定の病の人がここで出会い、ひとつの村、ひとつの共同体を形成していたのです。

その共同体の中にも、小さな差別はあったかもしれませんが、少なくとも一緒に住んでいたようです。差別なんかしていられない。ある差別を受けている人が、別の共同体で同じ差別を経験している人と、差別経験を共有して協力し合う。そういうことは現代でもあるのではないでしょうか。差別状況でなくても、たとえば戦争している国同士の隣接地帯に難民キャンプがあり、敵のはずの人が、戦争そのものを憎み、支え合うということがあります。また性差別を受けている女性たちやセクシュアル・マイノリティーの人々が国や民族の敵対を超えて、その性差別に立ち向かって協力し合うこともあるでしょう。

(3)人との交わりを断たれるつらさ

この村に住んでいる10人の規定の病を患った人たちは、イエス様がお通りだと聞いて出迎えるのですが、しかし「遠くに立ったまま、声を張り上げて、『イエス様、先生、私たちを憐れんでください』」(17:13)と言いました。ここにもレビ記の律法が生きていたようです。

レビ記13章45節にはこう記されています。

「規定の病を発症した人は衣服を引き裂き、髪をたらさなければならない。また口ひげを覆って、『汚れている。汚れている』と叫ばなければならない。」レビ記13:45

つまり「自分は汚れているから、近寄ると危険ですよ。あなたも汚れますよ」と、自分のほうから発信しなければならない。もちろん近寄ってもならない。しかもそれだけだとまだわからない人があるかもしれないので、身なりも衣服も、いかにも汚れているような格好をしなさいというのです。こんなにつらいことはないと思います。

(4)信じて歩み出す

主イエスは、彼らが叫ぶ姿を見て、一言、「行って、祭司たちに体を見せなさい」(ルカ17:14)と言われました。これもレビ記の律法に基づいています。その人が清くなったかどうかを認定するのが祭司であったからです(レビ記13:17等)。症状が消えただけでは、まだ自分の共同体に帰ることはできない。祭司の完治証明書が必要であったというのです。

それにしても主イエスの取られた行動は興味深いです。その場で癒してあげて、「さあ祭司のところへ行って、癒されたことを証明してもらいなさい」というほうがわかりやすいですし、彼らも喜んだのではないでしょうか。もうひとつの規定の病の人の癒しの物語ではそうなっています(ルカ5:12~16)。しかしここではそうではない。彼らには、その主イエスの言葉を信じて行動するかどうかが問われたのです。「先生、まず癒してください。そうでなければ祭司様のところへ行っても意味がありません。このままイエス様のもとを離れるのは不安です」ということもできたでしょう。しかし彼らはその言葉を信じて、とにかく一歩を踏み出したのです。

これは信仰ということがどういうものであるかをよく示していると思います。私たちは何か証拠があって信じるのではありません。むしろ「見ないで信じる」ことが求められる。復活されたイエス・キリストが疑い深い弟子のトマスの前に現れて、その痛々しい釘跡をお見せになった後で、「私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである」(ヨハネ20:29)とおっしゃいました。また、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(ヨハネ20:27)と言われました。

証拠があって信じるならば、「信仰」という必要はないでしょう。信じられないという状況があっても信じる決心をする。いや信じてその言葉に従って歩み出す決心をする。その中でその言葉が真実であったことがわかるのです。

ボンヘッファーは興味深いことを語っています。

「信じるならば、第一歩を踏み出せ! その第一歩がイエス・キリストに通ずるのである。信じないならば、同じく一歩を踏み出せ。……あなたが信じているかいないかを問う問いは、あなたにゆだねられているのではない。従順の行為こそあなたに命じられている。その行為においてこそ、信仰が可能となり、また信仰が現実に存在する状況は与えられるのである。」ボンヘッファー『キリストに従う』47頁

この規定の病を患っている人たちも、主イエスの言葉を信じ、その言葉に従って歩み始めました。その途中で体が癒されたことを見出していくのです。

(5)サマリア人だけが戻って来た

この物語には、まだ後半があります。

「その中の一人は、自分が癒されたのを知って、大声で神を崇めながら戻って来た。そして、イエスの足元にひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。」ルカ17:15~16

それまでは、民族差別を超えて10人一緒に行動していましたが、それが癒された途端に、また元の民族グループに戻ってしまったのでしょうか。治ったことを認定してもらう祭司がユダヤ人とサマリア人では別の祭司だったので、すでに彼らは別の方角に向かって進んでいたのでしょうか。いずれにしろ戻って来たのが、この10人の中でもさらに社会的弱者であるサマリア人だけであったというのは偶然ではないような気がいたします。

彼は他の人たち(ユダヤ人の規定の病の人たち)よりも、ユダヤ人であるイエス様が、この自分に目をかけてくれたという思いで、感謝の念がより強かったのかもしれません。他の人たちは「癒してもらって当たり前」とまでは思っていなかったでしょうが、「まずは癒されたことを祭司に認定してもらわねばならない。イエス様のところへお礼に行くのは、その後でも遅くはない」と思ったのかもしれません。そこに判断の差が出ました。

主イエスは、この帰って来たサマリア人にこう言われました。

「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を崇めるために戻って来た者はいないのか。」ルカ17:17~18

そして彼に告げるのです。

「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」ルカ17:19

(6)恵みは等しく降り注ぐ

このとき、主イエスは、この10人が、どう行動するかを試されたのでしょうか。私はそうではないと思います。一人だけが帰って来た。彼は信仰の試験に合格したので、そのまま癒された。あとの9人は、戻って来なかったので、その瞬間に癒された体が元へ戻ってしまった。そういうわけではないでしょう。祭司の前に行くと、清くされたと認定されなかった。そういうわけでもないでしょう。主イエスはそれほど意地悪な方ではありません。またそれほど姑息な方でもありません。その恵みは、私たちの信仰に関係なく、降り注いでいます(マタイ5:45参照)。

(7)救われるとはどういうことか

では「あなたの信仰があなたを救った」というのはどういうことでしょうか。

恵みが等しく注がれているとしても、それがどういうふうに受け止められるかはまた別の話です。あるいはもっと言えば、それによってその人の生き方が変わるかどうかは別の話なのです。その恵みが素通りしていくこともある。

私たちは、そこで受けた恵みの中に、神の働きを見抜き、そこに感謝の思いをもつかどうかで、人生が変わっていくのではないでしょうか。その恵みに従って、新しく生き始めるかどうかが問われているのです。

「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われたことの意味は、そこにこそあります。

この「救い」というのは、死んだ後で天国へ行けるかどうかというようなことでもないでしょう。むしろそこで、自分の人生を神様のもとに置くことができるか、あるいは自分が主イエスのものとして生きるかどうか。そのことの中にこそ、「救い」ということの深い意味が隠されているのではないでしょうか。

有名な「善いサマリア人」のたとえに対して、この物語は「感謝のサマリア人」の物語と呼ばれます。私たちは、このサマリア人と同じように、イエス様の恵みを恵みとして受け止めて、感謝して生きる者となりたいと思います。

イエス様は言われました。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」この派遣の言葉を自分に語られた言葉として聞きつつ、新しく1週間を歩み始めましょう。

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