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2022年7月10日説教「洗礼者ヨハネからイエスへ」松本敏之牧師

マルコによる福音書6章14~29節

(1)洗礼者ヨハネの道備え

ただ今読んでいただいたマルコによる福音書6章14節から29節は、本日の日本基督教団の聖書日課の箇所であります。ここには、洗礼者ヨハネがどのようにして死んだかということが記されています。

洗礼者ヨハネという人は、イエス・キリストに先だって活動し、イエス・キリストの福音の道備えをした人として知られています。

マルコによる福音書では1章2節以下に、こう記されています。

「預言者イザヤの書にこう書いてある。
『見よ、私はあなたより先に使者を遣わす。
彼はあなたの道を整える。
荒れ野で叫ぶ者の声がする。
「主の道を備えよ
その道筋をまっすぐにせよ。」』
そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現われて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。」(マルコ1:2~4)

そして洗礼者ヨハネは、イエス・キリストにも洗礼を授けました。その後、このヨハネとイエス・キリストは別々のところで活動をするのですが、それぞれの活動を、距離を置きつつ、敬意を持って見ていたようです。イエス・キリストは、「よく言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」(マタイ11:11)とまで言っておられます。一方、ヨハネは自分の分をよくわきまえておりました。主イエスを指して、「私よりも力のある方が、後から来られる。私は、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない」(マルコ1:7)と言いました。また、「あの方は必ず栄え、私は衰える」(ヨハネ3:30)とも言いました。

(2)牢につながれたヨハネ

そのヨハネが今は、牢に入れられています。今日のテキストであるマルコ福音書6章17節には、こう記されています。

「実はヘロデは、兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。」(マルコ6:17)

ヘロデというのは、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスのことで、この人は、かの悪名高きヘロデ王(マタイ2章参照)の息子です。紀元4年から39年まで、ガリラヤおよびペレアの領主でしたが、自分の兄弟フィリポの妻であったヘロディアと恋仲となり、律法に違反する形で強引に再婚していました。洗礼者ヨハネは、ヘロデに対して、「あの女と結婚することは律法で許されていない」と、それを咎めたため、ヘロデは洗礼者ヨハネを捕らえて牢につないでいたのです。

牢の中にずっと入れられていると、人間は精神状況も大分不安定になってくるものです。ヨハネは、ある日、牢の中から自分の弟子の一人をイエス・キリストのもとへ送り、こう尋ねさせたことがありました。

「来るべき方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか。」(マタイ11:3)

もしもあのイエスという方が、来るべきメシアでなかったとすれば、自分の人生とは何だったのか、と思ったのかも知れません。この問いに対して、イエス・キリストは「そうだ。私がそれだ」とはおっしゃらずに、ヨハネの弟子たちにこう言われました。

「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、既定の病を患っている人は清められ、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」(マタイ11:5)

「一体、外で何が起こっているかを知れば、私が誰であるかわかるであろう」ということでしょう。自分で「私がそれだ」というよりは、客観的な状況が、それを指し示しているということです。

(3)ヘロデの誕生日パーティー

さてその事件は、ヘロデの誕生日パーティーの時に起こりました。ヘロディアには美しい娘がいました。伝説によれば、サロメという名前でありました。彼女は、新しい父親ヘロデと、父の招待客の前で踊りを踊ります。ヘロデはたいそうご満悦で、娘に対して、招待客の面前で「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう。と言い、さらに「お前が願うなら、私の国の半分でもやろう」と固く誓いました。

サロメは、席を外して母親と相談し、何と「今すぐに、洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と言うのです。サロメはまだ17歳前後であっただろうと言われます。そこにはヘロディアの心の奥に潜む執念のようなものとサロメの無邪気さがあいまって、冷酷非情な残虐さがあるように思えてなりません。

ヘロデは「非常に心を痛めた」(26節)とあります。ヘロデといえども、わずかな良心をもっていたのでしょうか。20節によれば、ヘロデは、ヨハネが正しい聖なる人であることを知っており、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていました。マルコ福音書によれば、殺意を持っていたのは、へロディアのほうであったようです。

ヘロデは仕方なく、すぐに衛兵を遣わし、ヨハネの首を持ってくるように命じました。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持ってきて少女に与え、少女はそれを母親に渡しました(27~28節)。

その場の空気がどのようなものであったか、想像がつきます。客全体が震え上がり、ヘロデに逆らうと、どういう目に遭うかをみんなが思い知らされた。見せしめのようなものです。それにしても残虐な話であり、それにしても呆気ない話です。あれだけの預言者が、こんなにも簡単に殺されてしまうのです。洗礼者ヨハネは、このようにしてその生涯を閉じました。

(4)イエス・キリストの死の先駆け

洗礼者ヨハネは、その言葉と行為において、イエス・キリストの先駆けでありましたが、その死に様においても、イエス・キリストの先駆けであったということができるでしょう。

イエス・キリストも、洗礼者ヨハネと同じように、権力者の敵意の中で、ヨハネよりももっと残虐な仕方で、殺されていくことになります。ヨハネはあっという間に、苦しむ間もなく、首をはねられて息を引き取りましたが、イエス・キリストは鞭で打たれた上、十字架の上でもっともっと苦しんで、息を引き取られました。また権力者の敵意だけではなく、群衆の敵意をも受けて、ひそかにではなく、公衆の面前で、あざけられながら時間をかけて殺されました。そういう意味では、イエス・キリストの十字架は、洗礼者ヨハネの死をもしっかりと受け止め、その死を引き受けておられるのだと思います。

(5)それぞれの罪

洗礼者ヨハネを死に追いやった人々とイエス・キリストを死に追いやった人々を比べてみると、それは並行しており、共通点があります。

洗礼者ヨハネの殺害を陰で誘導したのはヘロディアでしたが、イエス・キリストの殺害を陰で誘導したのはユダヤの祭司長たちと最高法院でありました。自分の手を汚さず、陰で操ろうとするのです。

ヘロディアの誘導に乗ってしまったのがサロメでしたが、イエス・キリスト殺害の誘導に乗ったのは群衆でした。人は知らず知らずのうちに大変な罪に加担していくのです。時には無邪気な遊び心で、時には熱狂的な雰囲気の中で、事が進行していく。気がつくと誰かが犠牲になっているということがしばしばあるのではないでしょうか。

またそれを見て見ぬ振りをする人もいます。ヘロデの誕生日パーティーには、大勢の客が招かれていましたが、誰もそれを止める勇気をもっていませんでした。

群衆がイエス・キリストを「十字架につけろ」と叫んだ時も(マルコ15:14)、群衆の中には、「それは間違っている」と思った人もきっといたに違いありません。しかし沈黙のうちにそれを肯定したのです。ノーと言うべき時に、それを言わない罪もあるのです。

ヨハネの死に決定的な命令をくだしたのはヘロデでした。彼は、ヨハネが正しい人で聖なる人であることを知っていました。ですから、サロメがヨハネの首を要求した時、非常に心を痛めましたが、「誓ったことではあるし、また列席者の手前、少女の願い通りにします。軽々しい誓い、約束をしてしまうことは問題ですが、より大きな罪を犯さないために、時には過ちを認め、謝罪し、引き返す勇気をもたなければならないでしょう。

イエス・キリストを十字架にかける命令をくだしたのはピラトでしたが、彼の場合も、不本意なことでした。ピラトは、「祭司長たちがイエスを引き渡したのは、妬みのためだとわかっていた」(マルコ15:10)というのです。彼はイエスを何とか釈放しようとしましたが、結局、群衆の「十字架につけろ」という声に圧倒されて、あるいはその声に恐ろしくなり、群衆を満足させようと思って、十字架につけるために引き渡すのです。

しかし使徒信条で、「(主は)ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と言われているとおり、ピラトは、後々まで、その最大の責任者として語り継がれることになります。上に立つ人間の責任は、それだけ大きいのです。

ヘロデもピラトも、偉そうにして人にその権力を誇示しながら、実はまわりを見ながら、びくびくしている臆病な人間でありました。権力者というのは、その力にしがみつき、それを失うことを恐れているのでしょう。

ヘロデもピラトも群衆を恐れていました。群衆の暴動が起きると、彼らに殺されるかもしれないし、政治的に失脚するかもしれない。そう思っていたことでしょう。

ヘロデは、洗礼者ヨハネを殺してしまった後、後悔と言えるかどうかわかりませんが、その「亡霊」にさいなまれたようです。その首が、夢にまで現れたのではないでしょうか。イエス・キリストの評判を聞いた時に、家来たちに「私が首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」(マルコ6:16)と言いました。

この物語には、イエス・キリストは登場しません。しかし洗礼者ヨハネを通して、イエス・キリストが映し出され、その存在は、時の権力者であるヘロデを恐れさせていると言えるのではないでしょうか。

(6)5千人の野外パーティーとの対比

さて、このヘロデの誕生日パーティーの記事のすぐ後には、いわゆる五千人の供食(給食)の記事が出ています(マルコ6:30~44)。この並びはマタイ福音書にも、ルカ福音書にも共通していることです。私は、これは偶然ではないと思います。

野原で主イエスが五つのパンと二匹の魚を祝福して、それを分けられたら、五千人の男が、女や子どもも含めれば、もっと大勢の人が食べて満腹して、さらに12の籠にいっぱいになるほど余ったという話です。これも一種のパーティーであると言えるでしょう。野外パーティーです。これは直前のヘロデの誕生日パーティーと比べて、何と対照的でしょうか。

ヘロデの誕生日パーティーには限られた人だけが招待されました。招かれた人は、選ばれた人としてそれだけで一つのステイタスになったでしょう。本人も光栄に思ったかもしれません。しかしこのパーティーに参加するために、ヘロデに対して、その費用を超えるだけの貢ぎ物をしなければならなかったかもしれません。「ヘロデの誕生日パーティーなど行きたくない」と思った人もきっとあるでしょう。しかし行かないと、また何をされるかわからない。

食事には最高級の料理が出たことでしょう。庶民が決して口にできないような料理。しかしどんなにご馳走が並んでいても、喉を通らなかった人も多かったかもしれません。

こんなパーティーは楽しいのでしょうか。ちっとも楽しくありません。このパーティーには笑いがあったでしょうか。あったとしてもおべっかの作り笑い。少なくとも後半はしらけ切っていたことでしょう。みんな恐怖のあまり身震いしていたことでしょう。恐ろしくても、笑っていなければならない。しかし誰もそれを止める勇気をもっていない。ただ権力者におべっかを使い、ご機嫌を損ねないようにして、へらへらとつき合っている。そういうことをしなかった一人の邪魔者が、今殺されたのです。見せしめのようなものです。

さてもう一つのパーティーは、どうであったでしょうか。こちらは極端に質素なパーティーでした。ご馳走はありません。最初はたった5つのパンと2匹の魚だけでした。しかしこの野外パーティーでは、みんなが心行くまで、食べることができました。このパーティーは、ヘロデのパーティーと違って、喜びに満ちていました。心からの笑いがあふれていました。子どもたちが走り回っていました。女性たちも楽しくしていました。

ヘロデのパーティーには、招かれた人と給仕をする人がいましたが、こちらの野外パーティーではすべてが招かれた人でした。あるいはすべての人が給仕のサービスにかかわりました。隔てがなかったのです。

ヘロデのパーティーの主人は、ヘロデです。陰の主人はヘロディアであったかもしれません。みんなを震え上がらせる力をもち、そこに参加した人には自由はありませんでした。参加を断る自由さえもないのです。それに対して、この野外パーティーの主人は、イエス・キリストです。この主人は何も強制せず、見返りも期待せず、ただ与えました。喜びの食卓です。

(7)サロメとシャローム

サロメという名前は、ヘブライ語のシャロームに由来していると言われます。シャロームとは、平和、平安、繁栄を意味する言葉です。満ち足りた状態を意味する言葉です。確かにヘロデのパーティーのまわりには、ある種の繁栄がありましたが、逆らう者を押さえつけて、時には殺して、成り立つ「シャローム(サロメ)」でした。

それに対して、イエス・キリストが主人であるパーティーには、まことのシャロームがありました。このパーティーは、とても質素なものでしたが、ヘロデのパーティーにはない豊かさがありました。お金では買えない豊かさがあったのです。神のシャローム、キリストのシャロームとは、誰かが誰かを押さえつけて成り立つものではなく、共に生きる中で成り立つ平和です。私たちも、この平和と喜びのパーティーに招かれているのです。

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