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2026年5月31日説教「背負わされた十字架」松本敏之牧師

ホセア書10:8~10
ルカ福音書23章26~31節

(1)十字架の道行

棕櫚の主日の3月29日以来、2か月ぶりにルカ福音書の続きを読んでいます。今日のテキストであるルカ福音書23章26節から31節は、イエス・キリストがピラトの裁判で、十字架刑に処せられることが決定し、十字架に向かって歩いて行くところを記しています。十字架の道行と言われます。ヴィア・ドロローサ、悲しみの道とも呼ばれます。

プロテスタント教会ではあまりいたしませんが、カトリック教会では、この十字架の道行をたどりつつ黙想をするという習慣があります。多くのカトリック教会では、礼拝堂の中であったり、中庭であったりするところに、「十字架の道行」をたどる聖画などが置かれています。鹿児島のザビエル教会の礼拝堂の中にも、それがあります。聖書に記されている場面だけではなく、伝説上の場面なども含まれて、通常14の場面があります。海外旅行されてカトリック教会に入られると、そこに14の場面の聖画が掲げられているのを御覧になったことがある方もあるのではないでしょうか。

十字架の道行について、東京のカトリック小平教会のホームページには、以下のように記されていました。

「十字架の道行とは、イエスの死刑判決から十字架上の死、そして、墓に納められるまでの出来事が描かれた絵画や彫刻などの前で祈りながら、順次回っていくことでイエスの受難をしのび黙想するものです。ひとつ一つの出来事は、〈留(りゅう)〉と呼ばれています。
エルサレムには古くから、イエスが十字架を背負って歩んだ道を巡礼者がたどるという習慣があり、やがて、ゆかりのある場所に記念碑や聖堂が建てられるようになりました。
エルサレムを訪れることのできない人から、同じように十字架の道行をたどりたいとの声が聞かれるようになったことから、教会や修道院に各場面を描いた絵画や彫刻が設置されるようになり、現在の形になりました。」

以上のことが、小平カトリック教会のホームページに書かれていました。とてもよく説明されていると思います。

「ひとつ一つの出来事は、〈留(りゅう)〉と呼ばれています」とありましたが、この〈留〉というのは、英語では、Station と言います。「駅」ですね。駅で電車から降りてしばらくそこで留まって黙想をする、そしてまた次の駅に向かっていくということなのでしょう。「十字架の道行」のことも〈The Stations of the Cross〉と言います。全部で14 Stations あるのです。

(2)第1留から第4留まで

その「14留」が、どういう場面なのか。前半だけでもたどってみましょう。

第1留は「ピラトはイエスに死を宣告する」という場面です。これは聖書で言えば、前回の箇所、ルカ福音書23章24節に記されてた部分です。

第2留は、「イエスは十字架を受け入れる。」です。「イエス、十字架を担わされる」と説明されているものもあります。これは第1留で、ピラトの出した決定を、主イエス・ご自身が神様のみ心として積極的に受け入れられた」ということを意味しているのでしょう。イエス・キリストが十字架を担おうとしている絵が描かれます。

第3留は「イエス、初めて倒れる」です。十字架を担いで、しばらく歩いたけれども、倒れてしまった。ルカ福音書は、マタイ福音書やマルコ福音書と、少し違った書き方をしています。マタイやマルコでは、イエス・キリストが兵士たちから侮辱を受けた後、すぐにキレネ人シモンに十字架を担がせたような書き方になっていますが、ルカでは、そこに「人々」が登場して、「人々」がキレネ人シモンに十字架を担がせようとするので、最初は主イエスご自身が十字架を背負われたという含みがあるのでしょう。でも、十字架は、疲れた主イエスが担ぐには重すぎたのでしょう。

第4留は、「イエス、母マリアに会う」です。これは聖書には出てきません。カトリックらしい発想であると思います。「イエス、聖母マリアに会う」という説明もありました。母マリアは、十字架の下にまで一緒についてくるのですが、「十字架の道行」では、民衆の怒号の中、母マリアと1対1で別れを告げたということなのでしょう。この場面では、むしろ母マリアと自分を重ね合わせて黙想をするようになっているのでしょう。

(3)第5留「キレネ人シモンの助け」

そして第5留は、「キレネのシモンが十字架を担うのを助ける」です。ここでようやく「キレネ人シモン」が登場します。ルカ福音書ではまさに今日の箇所です。こう記されています。

「人々はイエスを引いて行く途中、シモンというキレネ人が畑から帰って来るのを捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後から付いて行かせた。」23:26

ルカでは、民衆がシモンに十字架を担がせたことになっていますが、マタイやマルコでは、兵士たちがシモンに十字架を背負わせたとなっています。これはあれかこれかで考える必要もないでしょう。十字架は基本的には、十字架にかけられる本人が担ぐことによって、すでにその刑が始まっていることを示すのでしょう。ただしそれができないような場合には、他のものがそれを担ぐことも認められていました。兵士としては職務遂行のために、誰かにそれを背負わせる必要がありました。民衆は、それに輪をかけてはやしたてたのでしょう。シモンはたまたまそこに居合わせたのでした。そして、ルカはわざわざ、シモンは「イエスの後から付いて行かせた」と記しています。場面のイメージとしては、主イエスが前を歩き、そのうしろからシモンがついて行くのです。またルカとマルコは、ここでシモンが畑からの帰り道であったことを記しています。野菜をたくさんもっていたのでしょうか。それまで自分が持っていたものを横に置いて、主イエスの十字架を担ぐようになるのです。またマルコ福音書は、その場面をこのように記しています。

「そこへ、アレクサンドロとルフォスの父でシモンというキレネ人が、畑から帰って来て通りがかったので、兵士たちはこの男を徴用し、イエスの十字架を担がせた。」マルコ15:21

「キレネ」というのは、北アフリカ地中海沿岸の都市で(現リビア東部)、シモンはそこの出身のディアスポラのユダヤ人だったということが考えられます。そしてエルサレムに住んでいたのか、たまたま過越祭でエルサレムに来ていたのかはよくわかりません。

マルコ福音書は、このシモンは「アレクサンドロとルフォスの父」であったと説明しています。わざわざそのように書くということは、マルコ福音書が書かれた当時(つまり主イエスの時代よりも少し後)、この二人は有名なクリスチャンになっていたのでしょう。

パウロは、ローマの信徒への手紙の最後の部分で、「主にあって選ばれたルフォスと、その母によろしく。彼女は私の母でもあります」(ローマ16:13)と、親しみをこめて書いていますが、このルフォスは、キレネ人シモンの息子である可能性が高いと言われます。だとすれば、パウロが「私の母でもあります」と言っているルフォスの母親は、キレネ人シモンの妻であったのかもしれません。

さらに、使徒言行録13章1節に、パウロの異邦人伝道の拠点となったアンティオキアの教会のメンバーとして、「ニゲルと呼ばれるシメオン」という人が登場します。「ニゲル」というのはアフリカ系の人々を指す言葉であり(英語やスペイン語のニグロの語源)、「シメオン」というのは、「シモン」のヘブル名なので、このパウロの異邦人伝道に加わったこの人は「キレネ人シモン」と同一人物ということが考えられます。

ルカは、マルコのように二人の息子の名前を記してはいませんが、キレネ人シモンを、キリストの弟子の模範としています。彼は十字架を担ぐ場面で、弱り果てて痛ましい姿をしたイエス・キリストに出会って、イエス・キリストに従う者となった。弟子になった。その意味で、彼は弟子であることの深い姿を、私たちに伝えているのです。

(4)キリストの苦難の欠けたところ

パウロが書いたとされているコロサイの信徒への手紙1章24節にこういう言葉があります。

「今私は、あなたがたのために喜んで苦しみを受けており、キリストの体である教会のために、キリストの苦難の欠けたところを、身をもって満たしています。」コロサイ1:24

「キリストの苦難の欠けたところを、身をもって満たしている」という表現は、あたかも「キリストの苦難が不完全なものであったのか」という印象を与えかねませんが、そういうことではないでしょう。むしろその苦難に、パウロも与らせていただいた」ということなのでしょう。それがどういうことであったのかは、このキレネ人シモンの姿からはかり知ることができるのではないでしょうか。

(5)第6留「ヴェロニカのヴェール」と第7留

さて、その次は、「第6留 イエス、ヴェロニカより布を受け取る」です。「ヴェロニカ、イエスの顔を拭く」という説明もありました。これは、聖書に記されていることではなく、伝説によるものです。

伝説によると、ヴェロニカはベレニケ(Berenice)ともいい、エルサレムの敬虔な女性でありました。彼女は、十字架を背負いゴルゴタの丘へと歩くキリストを憐れみ、額の汗を拭くよう自身の身につけていたヴェールを差し出します。キリストは彼女の申し出を受けて汗を拭き、ヴェールを彼女へ返しました。すると、ヴェールには、キリストの顔が浮かび上がるという奇跡が起きたというのです。この伝承から、絵画や彫像の聖ヴェロニカは、聖顔布を手にした姿で表されます(ウィキペディア参照)。

ブラジルなどキリスト教圏の国には、ヴェロニカという名前の女性はたくさんいます。ちなみに、ジョルジュ・ルオーの絵画に「ヴェロニカ」と題する一連の絵がありますが、私は大好きな絵です。

「第7留」は「イエス、再び倒れる」です。この時は、もう十字架を担いではいないのですが、それでも倒れられたのです。主イエスの疲労のようすが推し量られます。

(6)第8留「エルサレムの女たちを慰める」

「第8留」は、「イエス、エルサレムの女たちを慰める」です。これは、今日の私たちのルカ福音書のテキストに基づいています。

「大勢の民衆と嘆き悲しむ女たちとがイエスに従った。」23:27

この「大勢の民衆」のほうは必ずしも嘆き悲しむためについてきていたのではないでしょう。興味本位かあるいは嘲笑が目的でしょう。この「嘆き悲しむ女たち」も職業的な「なき女」だとする人もいますが、私は純粋に嘆き悲しんだ女性たちであっただろうと思います。だからこそ主イエスは、彼女たちに向かって言われるのです。28節。

「イエスは女たちの方を向いて言われた。『エルサレムの娘たち、私のために泣くな。自分と自分の子どもたちのために泣け。人々が、「不妊の女、子を生んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ」と言う日が来るからである。』」23:28~29

一般には子どもを持つ母親のほうが祝福されているとされていましたが、ここでは逆転が起きるということでしょう。これは、先に21章20~24節に記されていたエルサレムの滅亡(紀元72年頃のエルサレム神殿の崩壊)の言葉に対応しているのでしょう。

31節の言葉は、おそらく格言のような言葉として人々に知られていた言葉なのではないかと言われます。「生木」と「枯れ木」が何を意味するのかは、いろんな解釈があるようです。「生木」が主イエスで、「枯れ木」は「不信仰なエルサレム、あるいはイスラエル」という読み方が示されたりしますが、それ以外の解釈もあるようです(「生木」は信仰的な人々など)。

(7)第9留から第14留まで

「第9留」は、「イエス、三度倒れる」です。主イエスの疲労困憊(こんばい)がいかに大きかったかを示しているのでしょう。ここでも立ち止まって黙想をするようになっています。私たちの今日の聖書箇所としては、そこまでですので、そこから先はテーマだけ掲げておきましょう。

「第10留」は、「イエス、衣をはがされる」です。その衣服を兵士たちが分け合うのです。

「第11留」は、「イエス、十字架につけられる」。

「第12留」は、「イエス、十字架で息をひきとる」。

「第13留」は、「イエス、十字架から降ろされる」、

最後の「第14留」は、「イエス、墓に葬られる」です。

ザビエル教会の礼拝堂内には、それらすべての絵が掲げられています。カトリック信徒以外の人たちにも礼拝堂は開放されていますので、見学、そして黙想に行かれてもよいかもしれません。

(8)キリストの十字架を負う恵み

さて、このシモンという人は、恐らくたまたま畑からの帰り道に、そこを通りかかっただけです。しかし運悪く兵士に見つかり、「おい、そこの男」と呼び止められてしまいました。そしてイエス・キリストに向けられている冷たい視線、そして嘲笑、罵倒、ののしり、彼もいっしょに受けることになってしまいました。彼だって、こんな屈辱的なことはしたくなかったでしょう。仕方なく、イエス・キリストの十字架を担がされたのです。それが、イエス・キリストの最後の道において受けた唯一の人間的な救助でした。

このキレネ人シモンの姿は、先ほども申し上げましたように、キリストに従って行くクリスチャンの姿を指し示していると思います。キリストがみんなから辱められて十字架への道を歩まれるとすれば、それに従う私たちも、このシモンと同じように辱められて当然ではないか。イエス・キリストに従って生きるということは、栄光の道ではなく、この世的にはどこかで恥ずべき道を歩むことであるはずだと、告げられているように思います。

(9)不当な苦しみ、不当な辱めの意味

またこのシモンの姿には「強いられた恩寵」「強制された苦悩と恵み」があります。私たちには、いやいやながらでも重荷を引き受けていかなければならないことがあります。しかしそこにいつしか「思いがけない恵みがあった。いやな役目を課せられたと思っていたけれども、気がついてみたら、自分の目の前をキリストが歩んでいた」ということがあるのではないでしょうか。

私たちが何か不当な苦しみ、不当な辱めを受けていると感じる時には、私たちのすぐそばを、(ルカによれば、目の前を)キリストが歩いているということを思い起こしていただきたいと思います。誰よりも不当な苦しみ、不当な辱めを受けられたのは、イエス・キリストです。そして私たちが不当な苦しみと辱めを受ける時、私たちはキリストに似たものとされて、キリストの後を歩むのです。

キレネ人シモンは最後まで十字架を負わされて、そして十字架にかけられたというのではありません。キレネ人シモンが十字架を担いだのは、ゴルゴタまでのほんのわずかな道のりでした。それによって、シモンはキリストの苦しみの、ほんの一端を見せていただいた。参与させていただいたのです。ゴルゴタに到着し、キリストに十字架が戻されたとき、シモンの肩から十字架が降ろされました。

私たちの負う苦しみというのも、このシモンの負った十字架のように、キリストの負われた苦しみのほんの一部に過ぎないと受け止めることができるのではないでしょうか。ですから、私たちも不当な重荷を負わされる時、不当な辱めを受ける時、自分もキリストの苦しみに参与することがゆるされているのだと思えるようになりたいと思います。キリストが共に担ってくださる。キリストは今も共に歩み、前を歩み、やがてその十字架を私たちの肩から降ろし、御自身が担ってくださることを覚えたいと思います。

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