2026年4月26日説教「主よ、守りたまえ、平和を」松本敏之牧師
ミカ書4:1~3、5~9
マルコによる福音書10:13~16
(1)今の世界情勢
昨年2025年度、鹿児島加治屋町教会では、「手を携えて、歩もう共に」という年間主題を掲げて歩んできました。この言葉は、「勝利をのぞみ」(We Shall Overcome)というアメリカ合衆国の公民権運動のテーマソングとなった賛美歌の1節でした。世界各地で戦争や抑圧が起きている中で、何とか戦争が収まり、平和が来ますように、という願いを込めてのことでした。しかし世界の状況はこの1年間でいっそう緊迫したものとなってきたように思います。今年2月28日に、アメリカ合衆国とイスラエルがイランに奇襲攻撃を仕掛け、最高指導者ハメネイ氏を初め、多くの人々を殺害しました。その後、戦争は出口を見いだせず、混とんとしてきています。
アメリカ合衆国のトランプ大統領は、最近ではアメリカ国内の世論を気にしてか、彼の暴言も少しトーンダウンしてきていますが、3月末から4月初めの発言はひどいものでした。
トランプ大統領は、4月1日の演説では、「今後2~3週間で極めて激しい打撃を与え、イランを石器時代へと逆戻りさせるつもりだ」と強調しました。そうしたトランプ大統領をいさめるように、初のアメリカ人のローマ教皇レオ14世は強い非難のメッセージを発信しました。
レオ14世は、このトランプ大統領の演説に先立つ3月29日、棕櫚の主日サンピエトロ広場で行った講話の中で、「戦争を始め、血にまみれた手」を持つ指導者たちの祈りは、神に拒絶される」と述べました。これは、イラン戦争が2カ月目に突入する中での異例の強い発言でした。レオ14世は、イラン戦争を「残虐極まりない」と非難し、イエス・キリストはいかなる戦争の正当化にも利用することはできないと言明しました。「これがわれわれの神、平和の王イエスだ。イエスは戦争を拒絶される。」と訴えました。「(イエスは)戦争を起こす者たちの祈りを聞き入れず、拒絶し、『たとえあなた方が多くの祈りを捧げても、私は聞かない。あなた方の手は血にまみれているからだ』と言われる」と、聖書の一節に言及しました。これは、イザヤ書1章15節からの引用です。ちなみにこの言葉は、私たちの聖書協会共同訳では、こういう訳になっています。
「また、あなたがたが両手を広げても
私は目をそらし
あなたがたが祈りを多く献げても、聞くことはない。
あなたがたの手は血にまみれている。
洗え。身を清くせよ。
あなたがたの悪い行いを私の目の前から取り除け。
悪を行うことをやめよ。
善を行うことを学べ。
公正を追い求め、虐げられた者を救い
孤児のために裁き、寡婦を弁護せよ。」イザヤ書1:15~17
アメリカ合衆国とイランは、パキスタンを仲介国として、今週も停戦協議の続きがなされるような報道がなされていますが、危うい薄氷を踏むような状況です。完全な終結となる見込みはありません。
(2)今年の年間主題
そうした中、私たちは2026年度も、平和について祈り続けたいと願い、「主よ、守りたまえ、平和を」という年間主題を掲げました。この言葉は、この後歌います『讃美歌21』371番「このこどもたちが」という賛美歌のフレーズです。1節はこういう歌詞です。
「このこどもたちが 未来を信じ、
つらい世の中も 希望にみちて、
生きるべきいのち 生きていくため、
主よ、守りたまえ、平和を、平和を。」『讃美歌21』371番1節
この賛美歌の歌詞は、『讃美歌21略解』によれば、「CCA1990」という歌集から採られました。作詞者はダグラス・クラークという人ですが、詳細はわからないようです。現代の平和聖日の賛美歌として採用したいという願いから讃美歌委員会によって日本語に訳されました。なかなか、この歌詞にふさわしい曲がなかったのですが、応募によって山中知子さんという方が作った曲が採用されたとのことです。山中さんは、『讃美歌21略解』が出版された1997年当時、山口県の萩教会でオルガニストを務められておられた方です。彼女は、こういうふうにコメントしています。「“こども”“平和”“希望”という言葉にひかれて作曲に取りかかったのですが、世の中の厳しい現実を見つめると、この子どもたちの未来はと祈らずにはおられません。」
(3)「剣を鋤とし 槍を鎌とし」
この賛美歌の3節はこういう言葉です。
「『剣を鋤とし 槍を鎌とし、
洪水のように、正義を流せ』。
神のみ言葉は世界にひびく。
主よ、教えたまえ、み旨を、み旨を。」
前半の「剣を鋤とし 槍を鎌とし」という言葉、そして「洪水のように、正義を流せ」というのは、旧約聖書の預言者の言葉ですが、別の箇所に出てきます。この賛美歌の下に参照箇所として示されていますが、前半の「剣を鋤とし 槍を鎌とし」というのは、イザヤ書2章4節と、ミカ書4章3節に出てきます。イザヤ書のほうは、先ほどのローマ教皇レオ14世が講話で引用しているイザヤ書1章の言葉の続きとして出て来ます。今日はミカ書のほうを読んでいただきました。
「主は多くの民の間を裁き
遠く離れた強い国々のためにも判決を下される。」ミカ書4:3
この言葉は、今、戦場となっているのはイランですが、「遠く離れた強い国」であるアメリカ合衆国のためにも判決をくだされる、ということを思い起こすべきでしょう。そしてこう続きます。
「彼らはその剣を鋤に
その槍を鎌に打ち直す。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦いを学ぶことはない。」ミカ書4:3
これはイザヤが幻で見た、未来の平和の情景です。戦いの道具である剣や槍を、平和の道具である鋤や鎌に打ち直す」というのです。
(4)「洪水のように正義を流せ」
次の「洪水のように正義を流せ」というのは、アモス書5章24節から来ています。これは、とても大事な言葉ですから、よかったら開いて見てください。旧約聖書の1416ページです。
「公正を水のように
正義を大河のように
尽きることなく流れさせよ。」ホセア書5:24
この言葉は、今年度の旧約聖書のほうの年間聖句にいたしました。週報の表紙にも1年間記します。さて、預言者アモスは、この言葉をどういう状況で語ったのかと言えば、その少し前を見れば、想像がつきます。彼らは、表面的には神を神として熱心に宗教行事を行っていました。しかし社会では不正が満ちあふれ、弱い人々がないがしろにされ、正義が踏みにじられていたのです。
アモス書5章21節以下に、こう記されています。
「私はあなたの祭りを憎み、退ける。
あなたがたの聖なる集いを喜ばない。
たとえ、焼き尽くすいけにえを献げても
穀物の供え物を献げても
私は受け入れず
肥えた家畜のいけにえも顧みない。
あなたがたの騒がしい歌を私から遠ざけよ。
竪琴の音も私は聞かない。」アモス5:21~23
なんという皮肉でしょう。彼らは宗教行事を行っているつもりなのですが、神様はそれを拒否される。「そんなことをする前に、もっとやることがあるだろう。」先ほどのローマ教皇レオ14世が引用したイザヤ書1章の状況に似ています。
私は、アメリカ合衆国大統領の執務室で、アメリカの福音派の牧師たちがトランプ大統領を取り囲んで手を挙げて大声で祈っている情景を報道で見た時に、ぞっとしました。彼らは、アメリカの勝利を本気で神に祈っていました。しかし神は、そうした戦争へと突き進み、それを鼓舞するような祈りを拒否されると、私は信じます。誤解のないように言えば、あの「福音派」というのは、日本の「福音派」とは随分違います。カギカッコ付きで「福音派」と言わなければならないかもしれません。今は、それについて詳しく言及することはできませんが、私たちはそういう宗教事情があるということを、心に留めておく必要があるでしょう。
(5)映画「お坊さまと鉄砲」
「剣を鋤とし、槍を鎌とし」、つまり「戦いの道具を平和の道具に」ということで、私は「お坊さまと鉄砲」という映画を思い起こしました。この映画のことは、「からしだね」3・4月号で紹介しました。2023年のブータンの映画です。
ブータンはかつては国王を中心とする絶対君主制でしたが、2006年国王が自ら退位し、民主制へ移行することとなりました。選挙を知らない国民に対して、政府の役人が地方をまわって選挙の指導をするのです。選挙など興味のなかった村民に対して、その重要性を説きます。「民主制は国民の宝だ。国王はそれを国民に下さったのだ」と言って、役人が国中を回ります。そして模擬選挙を実施します。ウラ村にも役人がやってきました。「自由と平等が大事だと思う人は青色に、産業の発展が大事だと思う人は赤色に、伝統の保護が大事だと思う人は黄色に、一つを選んで投票してください。」しかし蓋を開けてみると、「黄色に票が極度に偏っていました。95%の人が黄色に投票していたのです。「こんな大差は不自然だ。何か不正があったのではないか」というのですが、「黄色は国王陛下の色で、村の人はみんな国王陛下が大好きなのです」ということでした。ところが模擬選挙実施の知らせがあった頃から村では異変が起こってきます。それまで仲の良かった村人の間に不和が生じ、対立候補支持の子どもへのいじめも始まるのです。
村のラマ(高僧)は、「物事を正さねばならん」と言って、弟子に向かって「4日後の満月の日までに銃を2丁準備するように」と命じました。弟子は、なぜラマがそんなことを言われるのかわからないままに村を奔走します。やっとのことで、ある家で家宝となっている古い銃があるのを聞きつけます。それはアメリカの南北戦争時代に使われていたヴィンテージもの、とても貴重な銃でした。その頃、同時にアメリカの銃コレクターのロンという人が、その貴重な銃があることを聞きつけて、何としてもその銃を入手したいと思って、ブータンに入国していました。そのために約8万ドル、つまり1千万円以上を出す覚悟をしています。会話のやり取りからそれが分かります。それだけ価値のあるものです。その所有者である村人と会うことができ、一時はその銃を買う約束まで取り付けていました。しかしその後で、ラマの弟子がやって来て、「その銃をラマが必要としておられる」と告げますと、あっさりとそちらに無償で提供してしまうのです。ラマの弟子はその銃の価値など知りませんし、関係ありません。ただラマが「銃を2丁、用意しろ」と言われたのに従っていただけです。そのラマの弟子は、あと1丁、必要としています。たまたま村のお店で流れていた007の映画を観て、その映画に出て来た最新型のカラシニコフ銃が欲しいと思うのです。一方で、その貴重な銃を買い損ねたロンは、ラマの弟子に「その銃を譲ってくれ。いくらでも払う」と交渉します。ラマの弟子はあと1丁、必要なので、「007の映画に出て来た銃2丁となら交換してもよい」と条件を出しました。ロンは必至で、携帯電話で尋ねまわってインドからそれを密輸入することになりました。しかし警察の追手がロンに迫っていました。
一方、ラマはあえて模擬選挙の日に、法要を実施することにしました。ラマの銃の用い方は、誰もがあっと驚くものでした。ラマはこう語ります。
「私は民主化については何もわからない。善いことか悪いことかさえも。しかし物事は正しくあるべきだ。仏塔はブッダの悟りを表している。災厄を防ぐために、これまで多く建てられてきた。私たちは大きな変革の時を迎えている。私たちはここに救国の仏塔を建てる。仏塔を建てる時に、穀物を埋めれば飢饉を防げる。薬を埋めれば流行り病を防げる。今、仏塔の土台となる大地の奥深くに何かを埋める必要がある。憎しみ、争い、苦しみを象徴する何かだ。その上に仏塔を建てる。私たちは苦難を乗り越え、慈悲心と平和が、その三つの毒(憎しみ、争い、苦しみ)に打ち勝ったことを示すためだ。世のあらゆる害悪の象徴として、ここにある銃を埋める。」そう言って、国から遣わされてきた役人に向かって、「あなたは国家の重要な任務を負っている。この銃を埋めてください」と言って、そのヴィンテージものの銃を差し出します。そして役人はそれを地面に掘った穴の中に投げ入れてしまうのです。もちろん、ロン以外の人はそれが1千万円以上の価値があることを誰も知りません。ロンは、「あちゃちゃあ」と思うのですが、警察が見ている手前、何もできません。むしろ、自分の持っている密輸入の銃によって逮捕されかけるのですが、ロンは「実は、この銃はここに奉納するために準備したのです」と言い逃れをして、逮捕を免れるのです。それどころか、ラマの説法に感動した二人の警官は、自分の持っていた銃を穴の中に投げ出してしまうのです。そしてみんなで、その穴に向かって土をかぶせていきました。そしてその夜は、村人みんなで楽しいお祭りとなります。
仏教国でのお話ですが、「戦いの道具を平和の道具に作り変える」という意味では、この聖書の預言書に通じるものがあると思いました。あちこちにユーモアが込められている、なかなかいい映画です。ほとんど全部、ネタバレしてしまいましたが、よかったらぜひご覧ください。
(6)敬愛幼稚園の認定こども園への移行
さて、この賛美歌をテーマソングのように挙げたことには、もう一つの意味があります。教会と共に歩む敬愛幼稚園は、この4月から「幼保連携型認定こども園 敬愛幼稚園」として新たなスタートを切りました。多くの変化がありますが、根本精神は変わりません。新たに「あふれる愛の中ではぐくむ生きる力」という言葉を保育理念として掲げました。引き続き、敬愛幼稚園と共に歩んでいきたいと思います。
毎日午前7時から午後7時まで開園し、土曜日も保育を行うという大きな変化の中で、教会こども会も少なからず影響があるだろうと思います。教会こども会の活動もあわせて祈りのうちに覚え、できる協力をしていただきたいと思います。
そうしたことも心に留めつつ、平和への祈りを新たにしていきましょう。