1. HOME
  2. ブログ
  3. 2026年3月22日説教「ピラトとヘロデ」松本敏之牧師

2026年3月22日説教「ピラトとヘロデ」松本敏之牧師

イザヤ書53:7~10
ルカによる福音書23:1~12

(1)最高法院からピラトのもとへ

受難節第5主日、復活前第2主日を迎えました。講壇のキャンドルの火も一つだけとなりました。来週、棕櫚の主日を迎えると、すべての火が消えることとなります。

私たちは、今ルカ福音書によって、イエス・キリストの受難物語を読み進めています。前回、3月1日は、イエス・キリストが最高法院によって裁かれるという箇所でした。その宗教裁判によって、「この男は死刑に処せられるべきだ」という判決が下されて、ピラトのもとに連れて来られるのです。

「そこで、議員たちは皆立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。」23:1

彼らがなぜそうしたのか、少し説明しておきましょう。死刑の場合、ユダヤの最高法院は、判決はできても、執行はローマの総督の裁可を必要としたのです。そしてローマ人の手によってなされました。通常、この最高法院の要請が、ローマ当局によって拒否されることはありませんでしたけれども、今回の場合、ピラトに疑義をはさまれるかもしれないと思ったのかもしれません。しかし彼らにしてみれば、絶対に死刑にしてもらいたいといきり立っています。そこで罪状書きを膨らませるのです。

「この男はわが民を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っています。」23:2

「この男はわが民を惑わし」というのは、彼らにしてみれば、その通りでしょう。しかし次の「皇帝に税を納めるのを禁じ」というのは、どうでしょうか。これは、例の「納税問答」を指しているのでしょう。律法学者たちと長老たち(19:1)が、イエスを陥れようと、回し者を遣わして「ひっかけ問題」を出すのです。

「ところで、私たちが皇帝に税金を納めるのは許されているでしょうか、いないでしょうか。」19:22

主イエスは、彼らのたくらみを見抜いて、「デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、誰の肖像と銘があるか」と逆に問い返されます。彼らが「皇帝のものです」と言うと、「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えられたのです(ルカ19:20~26)。最近の言葉で、「神回答」という言葉があるようですが、これこそ、本当の「神回答」と言えるかもしれません。ただし、「みんなが喜ぶ」という神回答ではありません。

主イエスは、この時、皇帝に税金を納めるのを禁じてはおられません。それは、彼らが誘導した落とし穴でありました。主イエスは、それにはまることはありませんでした。しかし、このピラトの裁判では、主イエスが「皇帝に税を納めるのを禁じたと、うその証言をするのです。「また、自分が王たるメシアだと言っています」というのも正確ではありません。主イエスは、最高法院で、「お前はメシアなのか」「お前は神の子なのか」と問われた時にも、決して「そうだ」と答えられたわけではありませんでした。

(2)ピラトの尋問

ここには、彼らのあせりが感じられます。しかし、ピラトも、これは、宗教家同士の内輪もめのようなものだと理解しているようです。そんなことに巻き込まれたくないと。そこでピラトも、主イエスに尋問をします。

「お前はユダヤ人の王なのか。」23:3

主イエスは、「それはあなたが言っていることだ」と答えられました。ここでも、正面から答えられるのを拒否しておられるようです。ピラトは、なんだか恐ろしくなったのでしょうか。「この男には何の罪も見つからない」と言うのです。自分で裁きたくなかったのでしょう。しかしそれでは、彼らが納得するはずはありません。彼らは、ピラトにこう言い張りました。

「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです。」23:5

それを聞いたピラトは、「ガリラヤ」という言葉に飛びつきました。「この人はガリラヤ人か」と尋ねます。あることをひらめいたのです。当時、ガリラヤ地方は、ヘロデ・アンティパスという領主によって治められていました。主イエスがお生まれになった時の、あのヘロデ王の息子です。そのヘロデ・アンティパスに、主イエスを裁かせようとしたのです。そしてヘロデのもとに主イエスを送りました。この記述は、ルカ福音書だけが記していることです。

(3)ヘロデにあざけられるイエス

しかしヘロデはこのことを喜びました。ずっと以前から、イエスに会ってみたいと思っていたのです。このことは、ルカ福音書9章7節以下に出ています。

「ところで、領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて困惑した。」ルカ9:7a

「これらの出来事」というのは、主イエスが悪霊を追い出したり、病気をいやしたりして、大勢の人々が彼のもとに集まっているということです。

「というのは、イエスについて、『ヨハネが死者の中から生き返ったのだ』という人もいれば、『エリヤが現れたのだ』と言う人もいたからである。ヘロデは言った。『ヨハネなら、私が首をはねた。では、耳に入って来るこの噂の主は、一体、何者だろう。』そしてイエスを見てみたいと思った。」ルカ9:7b~9

この段階では、まだヘロデは、困惑しつつも会いたいと思っていた。恐れをもっていたのでしょう。しかし今や、その男がしばられた状態で連れて来られたのです。こちらが完全に優位に立っています。あの時の洗礼者ヨハネ同様、生死の鍵をこちらが握っている。こんなにうれしいことはなかったでしょう。彼は、早速いろいろと尋問しました。何かしるし(奇跡)をやってみせろ、とも言ったかもしれません。実際に、何かやって見せたら(ヘロデを満足させたら)、イエスを解放してやる気持ちもあったかもしれません。怖さ半分、からかい半分であったかもしれません。しかし、イエスは何もしないし、何も答えない。そして、何と祭司長たちと律法学者たちは、ヘロデのところまでついて来ているのです。何としても、誰かに、イエスを裁いてもらわないと気が済まないのです。彼らは、ヘロデに対しても、激しい口調で訴えました。それでも、イエスは何もしないし、何も答えません。

そこで、ヘロデは、兵士たちと一緒になって、イエスを嘲り、侮辱しました。気が済むまでやりました。その挙句、自分では裁かずに、きらびやかな服を着せて(「ユダヤ人の王」という触れ込みで連れて来られていたので)、ピラトのもとに送り返すのです。ヘロデにも、イエスを許す権限はあったかもしれませんが、死刑にする権限はなかったのかもしれません。いわば、たらい回しです。神の子がたらいまわしにされるとは、恐ろしいことではないでしょうか。

(4)ピラトとヘロデの仲がよくなる

ルカは、最後に興味深い言葉を添えています。

「この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは敵対していたのである。」23:12

この言葉から察すると、当初、ピラトがイエスをヘロデのもとに送ったのは、敵対しているヘロデを喜ばせるためではなく、自分がめんどうなことにかかわりたくなかったから、ヘロデに裁かせたかったからでしょう。一方、ヘロデのほうは、それをピラトの好意によるものと受け止めたのでしょう。そして実際、ヘロデは大いに楽しませてもらったことでしょう。ヘロデが、イエスをピラトのもとに送り返す時には、何かしらの返礼品を添えたのではないでしょうか。

主イエスの存在が、皮肉なことに敵対するピラトとヘロデの仲を取り持つことになったというのは皮肉なことです。現代でも、敵対する国同士が手を組む。あるいは自分で攻撃しないで、意外な敵対国がやってくれたおかげで関係が改善されたというのはありうることでしょう。

(5)ピラトの名―使徒信条

しかし、その結果、ピラトは自分でイエスの裁判をやり通さなければならなくなってしまいます。その裁判の続きは、来週、読むことにいたしますが、彼は、イエスに対して、死刑の判決を下さざるを得ないことになります。そこへと追いやられていくと言ってもよいでしょう。今日は、ここで少し立ち止まって、ピラトという存在について考えてみたいと思います。

ピラトとは、どういう人物だったのでしょうか。歴代のキリスト教会によって伝えられてきた「使徒信条」の中には、「主は……ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」というくだりがあります(『讃美歌21』93―4参照)。

使徒信条とは、「キリスト教信仰とはどういうものであるか」を、最も簡潔に言い表したものと言えるかと思います。原文のラテン語にして、わずか75の単語で記されています。その原形になるものは、恐らく2世紀後半にはできていただろうと言われます。

この使徒信条の中に、イエス・キリスト以外に二人の人物名が記されています。たった二人だけです。一人はイエスの母マリアです。そして、もう一人が驚くべきことにポンテオ・ピラトなのです。洗礼者ヨハネも、ペトロもパウロも出てきません。旧約聖書の人物も出てきません。それでもポンテオ・ピラトの名前は省略できなかった。いったいどうしてでしょうか。

それは第一に、イエス・キリストの苦難が、私たち人間の歴史の中にしっかりと組み込まれるためでありました。この当時、イスラエル地方一帯は、ローマ帝国の支配下にありましたが、ポンテオ・ピラトは、ローマ帝国から任命され、紀元26年から36年までの10年間、ユダヤ地方の総督でした(ルカ3:1参照)。その世界史上の10年間のいつかある日、ピラトはイエス・キリストを十字架にかけるという決定を下したのです。ピラトの名前は、聖書以外の歴史書にも出てきます。つまり私たちは、ピラトという名前によって、イエス・キリストの十字架が、架空の事柄ではなく、歴史上の出来事であったことを確認するのです。

第二に、ピラトの名は、イエス・キリストが、公的な権威のもとで裁かれ、十字架刑に処せられたことを示しています。イエス・キリストは、強盗に襲われたのではなく、政治的右翼か左翼の過激派集団にねらわれてリンチで殺されたというのでもありません。総督というしかるべき肩書をもった人物(ピラト)の手によって、公的な権威のもとでこの世から追放されたということです。つまり「この世」がイエス・キリストを裁いたのでした。

そうしたことからある意味では、たまたまピラトは歴史に汚名を残すことになりました。使徒信条が唱えられる度に、ピラトの名も唱えられてきました。初代教会以来、今日にいたるまで、はたして何度ピラトの名が唱えられたことでしょう。何億回でもきかないでしょう。文字どおり天文学的数字であり、想像がつきません。まさかそうしたことになるとは、ピラトは「夢にも思わなかった」でありましょう。

もっとも「夢に思った」人物もいました。それはピラトの妻でした。マタイ福音書27章19節には、こういう言葉があります。

「ピラトが裁判の席に着いているとき、その妻が彼のもとに人をやって言わせた。『あの正しい人に関わらないでください。その方のために私は今日、夢で非常に苦しみました。』」マタイ27:19

ピラトの妻が、ここでイエス・キリストのことを、「あの正しい人」と呼んでいるのは興味深いことです。彼女は、伝説によれば、イエスの集会に出入りしていて、その教えを聞いていた、そして後にクリスチャンになったと言われます。

(6)ピラトという男

ピラトという男は、聖書本文を読む限り、それほど悪い人間には思えません。彼は無理矢理この裁判をさせられたのでした。何とかして、イエス・キリストに有罪判決を下したくなかったのでした。しかしついに群衆の「十字架につけろ」という声に押し切られてしまうのです。マタイ福音書によれば、ピラトは最後に自分の手を洗いながら、こう言い放ちます。

「この人の血について、私には責任がない。お前たちの問題だ。」マタイ27:24

手を洗うという行為は、身の潔白を表明する象徴的行為として申命記21章6~7節に示されています。ピラトはユダヤ人ではありません。ローマから遣わされて、このユダヤ地方を治めているのです。その異邦人であるピラトが、あえてユダヤ人の習慣にならって、自分の身の潔白を表明しようとしているのは興味深いと思いました。「お前たちの問題だ」というのは、「お前たちの好きなようにしろ」ということです。

ピラトは多くのものを恐れ、びくびくしながら生きている人間でした。何がしかの権力をもち、それを振りかざし、それにしがみつきながら、恐れを振り払うようにして生きていました。彼はよそから来てユダヤを治める人間として、ユダヤの有力な指導者たちを恐れていました。ユダヤの民衆を恐れ、ここで暴動が起こるのを恐れていました。また一方で本国ローマ帝国のカエサルを恐れ、自分の失政をカエサルに密告されることを恐れていました。そして幾分は、自分の目の前にいる謎のような不敵な人物をも恐れていたかもしれません。上にいる人間を恐れ、下にいる人間をも恐れる。そして自分が遭遇した出来事をも恐れる。何かを決定する時には、自分が正しいと思うことで判断するのではなく、力関係を見ながら、どちらのほうが自分に有利であるか。どちらのほうが自分に非難が来ないかということで判断する。そういう悲哀がこの男の背中に漂っています。

それでは、はたして彼に責任はなかったのでしょうか。残念ながら、「ノー。やはり彼もその責任を免れない。いや最も重大な責任はピラトにある」と言わざるを得ません。上に立つ者の責任はそれだけ重いということです。

(7)決断の幅が広がる

私がかつて働いた阿佐ヶ谷教会に、日本の経済界を代表するような方がおられました。彼は、若い頃、自分の社会的地位がだんだん高くなっていくことと、信仰をもって生きることの狭間(はざま)で悩まれたそうですが、ある信仰の先輩に「地位が上がることは決断の幅が広がることであり、それを恐れてはならない」と励まされたとのことです。地位が高くなればなるほど、大きな決定にかかわるようになり、当然それだけ自分の決定に影響される人々が多くなります。それによって人や社会に対して貢献できることも大きくなるということでしょう。

いろいろな例がありますが、第二次世界大戦中に、リトアニアの領事館に勤務していた杉原千畝(ちうね)氏のことを思い起こします。彼は、ナチス・ドイツの迫害から、東へ逃れようとするユダヤ人たちに大量のビザを発給したことで知られています。それは、外務省の訓令に反することでしたが、彼は自分の地位を利用して彼らを助けたのです。

しかし逆に、自分が誰かを助けられる地位にありながら、それを用いてその人を助けることをしなかった場合、その責任までも問われてくるということでもあるでしょう。ピラトの場合がまさにそうでした。この時彼は、イエス・キリストを釈放できる地位にあり、しかも彼が無実であることを知りながら、彼を釈放しなかったのでした。

私たちは神様からの信頼と委託から逃げずに、大胆にそれに応える者でありたいと思います。

関連記事