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2026年2月1日奨励「主にゆだねる」保さら

箴言 3:5~8
ペトロの手紙一 5:1~7

本日はこのような機会をいただけましたことに感謝致します。「奨励」となってはおりますが、少し長めの「証」としてお聞きいただけましたら幸いです。

(1)「主にゆだねる」

本日の題として「主にゆだねる」とつけさせていただきました。

おそらく皆さん、この言葉は日々の祈りの中で使われたり、この言葉について考えたりすることは多いのではないかと思います。私もその一人です。心から「あなたにすべてをゆだねます」と祈ることができる時、穏やかに過ごせる日もあれば、ゆだねきれず、不安を増幅させ、「ゆだねます」と祈りながらも、心から神さまを信頼できていない自分を自覚することもあります。

ただ、確実に言えることは、「全てをゆだねられる神さまがいてくださる、言い換えると、全てをお引き受けくださる神さまがいてくださることは、どれだけ安心なことか。どれだけ幸せなことで感謝なことか」ということです。私が仕事を続けられるのは、「ゆだねることができる神さま」がいてくださるからで、神さまがいてくださらなかったら、私は今の仕事は怖くて続けていられなかったと思います。

ここから、私の仕事のことと、その中で体験したことをお話し致します。

(2)私の仕事について

私はスクールカウンセラーという仕事をしています。世の中には「私はカウンセラーです」という人があまりに多くて、中には怪しい人もたくさんいるので、私はあまり積極的に自分の仕事について話しません。今回この話をしようと思ったのは、「信徒の友」に掲載されたので、もういいか、と思いがあり、今回自分の仕事に関することをお話ししようと思いました。

少し、スクールカウンセラーについて説明します。スクールカウンセラーは、「心の専門家」として、国家資格では「公認心理師」、民間の資格では「臨床心理士」という資格を持って活動しています。私は両資格を持っています。

スクールカウンセラーは、学校に行って、子どもの相談、保護者の相談、先生方の相談を受けます。そして、対応が必要であれば、その対応策等を、専門的知見からアドバイスしたり、学校と共に考えていったりする仕事です。鹿児島県は、現在、全ての義務教育学校、高等学校、特別支援学校にスクールカウンセラーが配置されていますが、常勤でいるわけではありません。全国の中では鹿児島県のスクールカウンセラーの派遣時間は下位の方になります。もっと時間があれば、子どもの悩みを聴くことができるのに、と思いますが、与えられた時間の中でできることを精一杯しよう、と日々仲間と共に頑張っています。

(3)Aさんのこと

ここからは、20年近く前に担当していた中学校のある生徒さんのことをお話しします。個人が特定できないように、少し事実とは変えてお話をしますが、大筋は変えません。ですので、この話はここだけのこと、今日聞いた方だけで共有していただけると有難いです。教会HPに掲載する動画もこの部分はカットしていただきます。ご了承ください。

(4)成長につながる

本日お読みいただいた聖書箇所、新約聖書の「ペトロの手紙1第5章5節~6節」に

『同じように、若い人たち、長老たちに従いなさい。また、皆互いに謙遜を身につけなさい。
「神は、高ぶる者を退け へりくだる者に恵みをお与えになる」からです。
ですから、神の力強い御手の下でへりくだりなさい。そうすれば、しかるべき時に神はあなたがたを高くしてくださいます。』

とあります。

人は、何かが成功したり、良い結果となった時に、「これは自分が頑張ったから良い結果になったのだ。」と自分の手柄であると思いがちになりますし、そのように思いたくなります。でも、神さまを知っている私たちは、「自分も努力はしたけど、全ては主の導きと、お守りがあったから。」と分かっています。そして、感謝の祈りをささげることができます。これは、「全ては自分がやったこと」と高慢になることに対しての、ある意味ストッパーにもなり、「謙遜」を身につけることにもつながるのではないかと思います。

私は現在、県教育委員会に所属しておりますが、私の仕事で最も優先されるのは、子どもの命に関わる仕事です。例えば、県内で、子どもの大きな自殺未遂や自殺が起こった際は、その後のケアのためにその日の内か、次の日までは、その学校、子どもの元にチームの一員をして派遣されます。その際のミッションは、パニックになっている学校を平常に戻す道筋を作ることと、後追い自殺を防ぐことです。仕事を終え、帰る時、先生方は「先生が来てくださって、本当に助かりました。子どもたちも救われました。」と言って下さいます。でも、私が、たかだか数時間、数日支援したからといって、子どもたちの命が保障されるわけではありません。助けた感覚も無く、救えたとも思いません。私は、自分が誰かを「救える」と思うようになった時はこの仕事を辞める時だと思っています。ただただ、少しはお役に立てるかもしれない、という思いの中で、仕事を続けています。その思いの中で「少しは役に立つために、すべてを神さまにお任せするのではなく、専門家として、私にできることを増やすために、もっと勉強しよう、努力をしよう」という意識を持つことができ、高慢にならず、自分のことを過大評価せず、謙遜することは、私を成長させることにもつながっています。

(5)ゆだねた先に

自分のことを話すと、誰かに心配をかけてしまう結果になるかも、と思い、あまり自分のことを話すことは苦手なのですが、最後に、昨年11月22日の土曜日の朝、母が胸の痛みを訴え緊急搬送されました。診断は「大動脈解離」でした。医師から、手術はできるが、母が高齢であることから、手術をしてもかなり厳しいかも、でも、そのままだと、もって数日かも、ということを言われました。母との突然の別れを覚悟しつつ、手術の道があるなら、と思い、手術をお願いしました。

手術室に行く前に、母が「もう何もしなくていいのに」と言ったので、私は母に手術を受けて欲しい一心で思わず母に「私を一人にしないで」と言いました。その時母は「大丈夫、あなたには神さまがついている」と言ったのです。その時、私は母に対して「クリスチャンじゃないのにそれ言う?」と泣き笑いで母に突っ込んでしまいました。手術の間、母のその言葉を考えました。母は、高校を卒業するまでは熱心に教会に通っていたこと、そして、私が天野朝子さんとお会いするたびに、母のことを気にかけ「あなたのお母さんは洗礼は受けてないけど、ちゃんとしたクリスチャンよ」と言ってくださっていたことを思い出しました。そして、ものすごい痛みであろう中、また、母は認知症もあるのですが、そのような中「神さま」を口にした母のそばに神さまがいてくださっていることを確信でき、手術の間、心から祈り続けることができました。そして、母はいつも私のことを神さまにゆだねていたのかもしれない、ということにも気づきました。

幸いなことに、手術は成功しましたが、予断を許さない状況が続き、自分がクリスマスに関するご奉仕をちゃんとできるだろうか、と不安な日々を過ごしていました。不安はありましたが、祈りの最後には主を信頼して「あなたに全てをゆだねます」と祈りました。主によってすべてが守られ、クリスマスも無事に皆さまとお祝いすることができ、今日も皆さまと共に礼拝を守ることができ、奨励のご奉仕もできています。

母は、神さまに感謝な出来事がいくつも重なり、今、施設に入所して、車いすで過ごすことができるまでになりました。日曜日は、短時間ですが、家にも帰る時間も持てています。突発的な病気のリスクは今もありますが、神さまは、私たち家族に、一日一日を大切にする気づきと、穏やかに過ごせる日々を与えてくださいました。主に感謝し、母の全てを神さまにゆだねて、そして施設のスタッフの皆さまへの感謝を忘れず、母にできることを最大限にする日々を送りたいと思っています。

お祈り致します。

本日は、奨励の機会をいただきました。このような機会をいただけましたことに心から感謝致します。

私たちは、困難なことがあると、「主にゆだねます」と祈ります。どのような時も、私たちと共にいてくださっていること、ありがとうございます。

ややもすると、私たちは何かが思い通りに行ったり、良い結果を得られたりすると、その結果を得られたのは、自分がやったことの結果だと、自己中心的に考えてしまうこともあります。御前に悔い改めます。

これからも私たちが、自らを低くし、自分にできることは努力し、これからも、あなたを信頼し、御心にしたがって生きていくことができますように、導いてください。

この祈りを主イエスキリストのみ名によって、お祈り致します。アーメン。

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