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2022年7月3日説教「太陽も、星々も現れない時に」荒尾教会 佐藤真史牧師

使徒言行録27章13~44節

小さくても感謝出来る事を見つけなさい

「苦しみの中にあるときこそ、視点を変えて、小さくても感謝出来る事を見つけなさい」

恩師の葬儀で、語られたメッセージです。その恩師は隠退教師でした。残されたいくつもの説教原稿のデータの中に、綴られていた言葉です。以来、折に触れてこの言葉を思いだし、「太陽も、星も見えない」ような真っ暗闇の中で、神さまがろうそくの光のような確かな温かい光を灯してくださっていることも、小さくても感謝できることを見つける事ができたのです。「野の花」や「空の鳥」、幼稚園で出会う子どもたちの輝くいのちに、感謝出来ることを見つけられたのです。

太陽さえも、星々さえも現れることなく

宣教の旅路で捕らえられたパウロを乗せた船が、ローマへ向けて出発しました。けれども、そこで待ち受けていたのは、これまでにないくらいの険しい航路でした。

まず直面したのは、「エウラキロン」と呼ばれた暴風です。これはギリシャ語の「東風」とラテン語の「北風」が合わせって出来た合成語です。風向きは東風にも北風にもなる、日本で言えば「旋風」の一つでした。ギリシャ語を話す人たちにもラテン語を話す人たちにも通じる、この一帯では広く使われた言葉だったのでしょう。この暴風に流されながら、パウロたちは、カウダという小島の陰に隠れます。けれども、「ひどい暴風」は止みませんでした。17節には「シルティスの浅瀬」とありますが、これは北アフリカ沿岸にある湾の名称です。つまり、地中海の北から、南のアフリカ大陸の方までパウロたちは流されてしまったのです。

船を少しでも軽くして、波が船に入り込むのを防ぐために、積荷を海に投げ捨て始めます。

20節、「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた」。  「太陽も星も見えず」、ここを直訳すれば「太陽さえも、星々さえも現れることなく」となります。「太陽さえも、星々さえも現れることない」真っ暗闇の中で、パウロと一緒に船に乗っている人たちは、希望を失っていったのです。

無牧期間

わたしが仕える荒尾教会は昨年75周年を迎えました。11月に3代前の隠退教師を招き記念礼拝を開催しました。準備の中で、これまでの荒尾教会の歴史を詳しく調べていったのですが、知れば知るほど、この小さな地方教会の歩みが、決して平坦な道のりではなかったことを、つくづく痛感しました。

特に大きな試練だったと思うのは、荒尾教会が経験した二度の無牧師期間です。一度目は3代目の浜辺牧師が退任されてからの1年。二度目は4代目の井柳牧師が退任されてからの1年です。

パウロがローマへの航海で経験したように、それはまさに「太陽さえも、星々さえも現れることない」暗闇に、すべての人たちが希望を失うかのような日々だったのではないでしょうか。特に4代目の井柳先生が辞められた頃、教会には、創立から一時は20数名までいた礼拝出席が7名にまで落ち込んでいます。牧師だけでなく教会員も失っていく、そんな時だったことがわかります。そこには様々な理由があったはずです。けれども、月1回代務の先生が熊本市内から来て下さり、それ以外の主日も、役員の方たち中心に、礼拝を守り抜きました。当時の役員の方が50周年誌にこう綴っておられました。

「懸命に心を儘して、その責任を果たそうと努め、祈り、主の恵みの中に過ごしました。…荒尾教会に集う一人ひとりが、心をひとつにして教会を守りました。」

いったい何が当時の教会員を支えたのでしょうか?聖書は荒尾教会に何を語ったのでしょうか?そしていま神さまは私たちにどんな言葉を届けているのでしょうか?

励まし、食事を共に

生きた言葉。イエスの言葉です。

「太陽さえも、星々さえも現れることない」暗闇の中で、パウロは人々に生きた言葉を届けたのです。

「元気を出しなさい。誰一人として命を失うことはないから大丈夫。昨日の夜、神さまの御使いが来て私に「パウロ、恐れるな」と告げて下さったから大丈夫。だから皆さん、元気を出しなさい。わたしに「恐れるな」と告げた神さまは確かな真実なお方だから大丈夫。」

そのように励ましの言葉を、パウロは届け続けたのです。

そして漂流する船の上で過ごすうちに14日も過ぎました。今度は、パウロは言葉だけでなく、食事をも呼びかけます。なぜなら船に乗っている人たちは皆、大きなストレス、そしてひどい船酔いのために、ろくに何も食べていなかったからです。

注目していただきたいのは34節でパウロが、「あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」と言っています。これはイエスの言葉です。ルカ福音書(21章18節)で、イエスが弟子たちに向かって、あなたたちにはこれから苦難がある。けれどもどのような苦しい困難があっても、神さまはあなたを守って下さる。「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくらない」と、告げたのです。このイエスの言葉を、パウロは同じように人々に語るのです。

さらに35節では、「一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた」とあります。この所作も、福音書に何度も出てきます。イエスが5000人もの人たちとわずかな食べ物、2匹の魚と5つのパンを分かち合った時、弟子たちの最後の晩餐でパンとぶどう酒を分かち合った時、重い皮膚病の人たちや、罪人と呼ばれた人たち、のけものにされていた人たちと食事を分かち合った時、その時の所作です。

その時と同じように、ここでもパウロと食事を共にした人々は励まされ元気になり、さらに自分たちがなすべきことへと進んでいくのです。

「太陽さえも、星々さえも現れることない」暗闇の中で、パウロはイエスの言葉を、福音を届けたのです。

おかしく愚かな私たち

75年の荒尾教会の歩みを振り返る中で、本当に小さな地方教会が少なくとも二人の牧師を生み出したことを知りました。その一人が、ここ鹿児島加治屋町教会で牧会をされた、藤原亨牧師です。荒尾はもともとは炭鉱町でしたが、藤原牧師のお父さんは万田坑につとめる炭鉱夫だったのです。藤原先生は三池高校を卒業し、大学進学を目指して受験しましたが失敗し浪人生活となります。その時のことを振り返って、このように記されています。

「周りを見渡した時、ただ一人残された自分を発見しました。その時のさびしさは口で言い表すことは出来ません。この時の挫折は、根底から覆すほどのものでありました。自己の無力と将来に対する絶望で打ちのめされていました。お先真っ暗でした。すべてが虚しく、腹立たしく、生きている自分がいやでした。

…今は亡き外井昭男さんと文学サークルで知り合ってすぐに無理やり誘われて教会に行くようになりました。最初はイヤイヤながら行きましたが、次第に聖書の中のイエス・キリストに惹きつけられて喜んで行くようになりました。また聖書を死物狂いで読みました。もしこの中に自分を活かしてくれるものがなければ自分の人生はもうこれで終わりだと切羽詰まった思いで必死でした。そしてとうとうイエス・キリストの十字架を信じることが出来、救われ、キリスト者として新生することができました。それは教会に足を踏み入れてわずか三ヶ月の出来事でした。まさに魂のニヒリズムから解放されて、生き返ったのです。まさに私は死から甦って、新しい人生を歩み始めることが出来たのです。」

生き返った、私は死から甦ったのだと、藤原先生は信じ、そして牧師として歩まれました。40年間牧師とし奉仕したあとも、5年間は北陸に残りました。「北陸の教会は毎年必ずと言ってよいほど無牧師の教会があり、更に牧師が病気や事故などで応援の必要がある教会があって、毎月と言ってよいほど主日は少ない時でも月2回、多い時は毎週礼拝説教奉仕を」されたそうです。

そして当時、息子さんの藤原仰牧師がおられた札幌に移られました。そこでも札幌クリスチャンセンターの館長としての働きを担われました。当時通っておられたのが札幌北部教会です。いま教団の副議長をされている久世そらち牧師がおられる教会です。

実はわたしが大学院のために札幌で過ごした際に、通ったのがこの札幌北部教会でした。もう15年前の話しです。そこでわたしは藤原亨先生と出会ったのです。とても熱いハートを持った、けれども出しゃばることなく、北部教会の牧師や信徒を支えて下さっていました。わたしも礼拝でお会いするたびに声をかけていただき、可愛がっていただいた一人です。その頃、私は牧師になることも思っていませんでした。そして2年間北部教会で過ごした後、神学校に行くことになった際に喜び送り出して下さったのも、この藤原亨先生でした。藤原先生が荒尾教会出身であることなど露も知リませんでした。荒尾に赴任するまでは、わたしはその地名すら聞いたことがありませんでした。赴任してしばらくしてから初めてそのことを知ったのです。パウロがイエスと出会い、神さまの愛、救い、ゆるし、福音を述べ伝えていったように、藤原先生も、荒尾教会という小さな地方教会でイエスと出会い、魂の死から甦って新しい人生を始めていかれたということを。

神さまの深い深い導きを強く感じています。そして襟を正す思いです。

◯喜んでいる

説教の冒頭でご紹介した、言葉ですが、実はこの言葉は、藤原亨牧師の説教の引用なのです。

「苦しみの中にあるときこそ、視点を変えて、小さくても感謝出来る事を見つけなさい」

わたしは札幌北部教会で2年間過ごした後、東京にある農村伝道神学校に進学しました。その際、喜んで下さったのも藤原亨牧師です。神学校に入学して間もなく、藤原先生は突然天に召されました。その事を知って、いてもたってもいられなくなりました。日曜の礼拝後、札幌へと飛びました。そして月曜の夜、東京に戻ったのですが、体力的にはきついものでした。しかし、へとへとになりながら東京に帰って来て気づいた事がありました。不思議と心が生き返っていたのです。藤原先生の告別式で、残されていた藤原先生の説教原稿から紹介されたこの言葉に大きく支えられたのです。

藤原先生は、「苦しみの中にあるときこそ、視点を変え小さくても感謝出来る事を見つけなさい」というメッセージを残されました。どんなに辛い時にも、「太陽さえも、星々さえも現れることない」暗闇の中でも、必ず足元に、小さくても感謝出来る。そこに神さまの息吹を感じること出来る。小さくても確かな「神の国」を見つけることが出来るのです。

この小さな、けれども確かな福音を、イエスの福音を、ここから分かち合っていきましょう。お祈りいたします。

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