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2022年3月13日説教「抗 議」松本敏之牧師

出エジプト記15章22~27、17章1~7節
マタイによる福音書7章7~8節

(1)ウクライナ危機の中で

ウクライナ情勢がとても緊迫しています。事態が悪化していないか、ロシア軍によるキエフの総攻撃が始まっていないか、心配で、数時間おきにニュースを見ては、憤りともどかしさを感じています。ウクライナのゼレンスキー大統領の世界の人々に向けたメッセージやウクライナの人々の訴えが胸に突き刺さります。皆さんもそうであろうかと思います。

ウクライナ国内の状況、また近隣諸国へ避難された方々の状況を見ながら、私たちにもできること、ウクライナの人々との連帯の仕方などを考え、実践していきたいと思います。日本基督教団社会委員会でも、3月10日からウクライナ救援募金を始めたようです。

幸い、日本のさまざまな企業やブラジル人など外国人がたくさん住んでいる群馬県太田市大泉町などがウクライナからの避難民の受け入れを表明しています。諸外国の受け入れと比べると、二桁ほど少ないのではないかと思いますが、各グループが責任的に言える人数は少人数にならざるを得ないのでしょう。しかしそうした輪がどんどん広がって行けば数も大きくなるでしょうし、何よりもウクライナの隣人が身近にいることによって、私たちの危機意識も変わってくるのではないかと思います。その意味で、鹿児島県や鹿児島市、そして鹿児島の企業も、早く避難民の受け入れを表明してくれないかなと思っています。

同時に、ロシアの一般の人々のことも心に留めたいと思います。ロシア国内での締め付けも厳しくなり、戦争反対の声を上げるのもとても難しくなっているようです。ナチス時代のドイツ国内もそうでしたし、第二次世界大戦下の日本も恐らくそうであったことでしょう。昨夜は、ロシアのシベリア地方で、ただ雪の上にハートマークを付けて「戦争反対」と書いた女性コトワさんが、新しくできた法律により、「軍の信頼を傷つけた」ということで警察に7時間拘束された後、裁判所を受けさせられ罰金刑を課せられたことが報道されていました。新しい法律での有罪判決第1号です。私たちはロシアの中にもあるそうした小さな声を聞き洩らさず、何らかの仕方で連帯していければと、願います。また日本国内でもロシアの人やベラルーシの人たちや子どもたちに対する誹謗中傷が起きないように、差別が起きないように、注意深く配慮していかなければならないでしょう。

そうした厳しい状況の中にあっても、不思議にウクライナの人々から神様を呪うような声はあまり聞こえてきません。「敵は神様ではない」ということがよくわかっているのでしょう。もちろん神様に訴える声、抗議する切実な声は恐らく、たくさんあるのでしょう。命の危険にさらされている状況においては、当然のことと思います。

(2)荒れ野の旅路

今日、私たちに与えられた出エジプトの物語も、そのような民衆の切実な訴えから始まっています。そして神様はその声を封じ込めるのではなく、聞き届け、危機から脱する道を示してくださいました。そのことを念頭に置きつつ、読んでいきましょう。

出エジプト記は、この15章22節から新たな部分に入ります。それは「荒れ野の旅路」という段階です。このように始まります。

「モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせ、一行はシュルの荒れ野に入って行った。一行は荒れ野を三日の間進んだが、飲み水が見つからなかった。彼らはマラに着いたが、マラでは水が苦くて飲めなかった。それで、そこの名はマラと呼ばれた。」(22~23節)

「マラ」というのは「苦い」という意味です。もっとも「マラ」というのは、この故事にちなんで後で付けられた名前です。シュルの荒れ野というのは、聖書協会共同訳聖書の巻末地図(2)によりますと、シナイ半島の西側のスエズ湾側の中央あたりになっています。前の新共同訳聖書では、もっと北のほうビター湖と記されているあたりに「マラの苦い水」と記されていました。地域を特定するのはなかなか難しいようですが、いずれにしろエジプトから東へ出て、シナイ半島の西側のどこかでしょう。そちらの方角に向かって三日間、新たな水を得ることなく、歩きどおしであったということです。これは非常につらいことであったでしょう。食糧は少しの間であればなくても、人間の体はもちますが、水は絶対に欠かすことはできません。

ようやく水のある場所にたどり着きました。「水があったぞ」と、みんな大喜びしたことでしょう。ところがその喜びもつかの間、そこの水は苦くて飲めませんでした。この時の彼らの失望はどれほどのものであったか、想像に難くありません。水は旅人にとって命綱のようなものですから、がっかりするどころか、その命綱が急に絶たれたように思えたことでしょう。

彼らはモーセに向かって「何を飲んだらよいのですか」と不平を言いました(24節)。ここでもモーセはイスラエルの民の訴えをそのまま神様に伝えます。イスラエルの民があれほど大きな神様の奇跡を目の当たりにし、モーセやミリアムと共に、神様の栄光をほめたたえる歌を歌いながら、たった三日で不信仰の中に逆戻りしてしまったことは不思議な気もいたしますが、それほど彼らの失望が大きかったということもできるでしょう。

この箇所は、この後40年におよぶ荒れ野の旅路の序章のような感じがいたします。実際この40年の旅は、ひとつの見方からすれば、イスラエルの民の不平の40年であったとも言えるほどです。この後の16章で述べられることも、食べ物をめぐって、イスラエルの人々が文句を言うことから始まっています。「神様のあれほど大きな業と恵みも彼らに伝われなかったのか」と不思議に思えます。

しかし考えてみると、私たちの信仰もそれほど変わらないのかも知れません。一時は非常に燃えて「もうどんなことがあってもこの信仰は変わらない」と、自他共に思っていても、あっという間に冷めてしまうこともあります。受けた恵みの方を忘れて、あるいは棚上げにして、すぐに不平を言い始めるのです。それだけに私たちも恵みの原点を忘れず、いつもそこに立ち返るようにしていかなければならないでありましょう。

(3)甘い水

さて人々の不平は、ここでもモーセに向けられました。

「そこでモーセが主に向かって叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。彼がそれを水に投げ込むと、水は甘くなった。」(25節)

「甘くなった」というのは、砂糖水になったということではないでしょう。外国語の「甘い」という言葉は日本語よりも広い意味を持ちます。英語でも Sweet Water というのは、砂糖水ではありません。ポルトガル語でもそうです (Agua Doce)。それは硬水ではなくて軟水、飲める水ということです。

神様はこの時、イスラエルの人々の訴えを即座に聞いてくださいました。この後の荒れ野の旅路においては、さまざまな形の不平が出てきます。今回のように、不平の元となる原因がはっきりしている場合もありますが、そういう直接的原因がないのに不平を言う場合もあります。民数記11章1節以下の「民の不平」と題されている物語はそういうケースでしょう。

「民は主の耳に届くほど激しい不平を漏らした」とあります。その時は「主はそれを聞いて怒りに燃え、主の日が彼らに対して燃え上がって宿営の端を焼き尽くした。」(民数記11:1)

その不平不満は民のほうに大きな原因があったと言えます。しかしその区別がつかないこともあるでしょう。ただ旅のはじめに、すぐに応えてくださったという話があることは、神様がどういう方であるかということを象徴的にあらわしているように思います。聖書の神様は私たちの悩みを無視するのではなく、その悩みに応えてくださる方なのです。
イエス・キリストが「求めなさい。そうすれば、与えられる」(マタイ7:7)と言われたとおりです。

(4)自然の力を用いて

ここで示された解決方法は、奇跡というよりも、それなりに根拠のあることのように思えます。その木には水を甘くする(硬水を軟水にする)特性があったということ、それを神様はモーセに教えてくださったということかと思います。ある種の木の樹皮や葉っぱにはそのような効能があるようです。それは、その後にも役立つ知識です。神様は、人間の能力によって、また自然界の諸要素に含まれる「癒し」の特性によって、業を行われるのです。フレットハイムという注解者は、そういうことを述べつつ、「注目に値するのは、自然秩序のある要素が、同じ自然秩序の別の要素を元どおりに回復させるのに用いられるという点である。創造的混乱の回復には神の祝福が伴う」(264頁)と述べています。

しかし神と関係がないというわけではありません。神様がそういう危機的状況において、ご自分が作られた自然の力によって、民を救ってくださった。そのことを示すためにモーセを用いられたということです。

(5)聖書の幸福論

この業の後、こう記されます。

「その所で、主は掟と法を示し、その場で彼を試みて、言われた。『もしあなたの神、主の声に必ず聞き従い、主の目に適う正しいことを行い、その戒めに耳を傾け、その掟をすべて守るならば、エジプト人に下したあらゆる病をあなたには下さない。まことに私は主、あなたを癒す者である。』」(26~27節)

「主はモーセを試みた」とありますが。これは先々週「荒れ野の試み」のところでも言ったのと同じく、神様がモーセを自分から引き離すように誘惑したというのではありませんし、意地悪をしようとされたのでもありません。

「神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、ご自分でも人を誘惑したりなさらないからです」(ヤコブ1:13)とある通りです。

むしろ幸福になる道を示されたと言えるでしょう。これを裏返して考えると「もしあなたの神、主の声に聞き従わず、主の目に正しいことを行わず、その戒めに耳を傾けず、その掟を守らないならば、エジプト人に下したあらゆる病をあなたにも下す」となりそうです。しかし必ずしもそうした病を神自らが下す、ということでもないでしょう。どちらかと言えば、そうした生活をしていると危機的な事態を招くことになる、という警告でありましょう。むしろ最後の一言「まことに私は主、あなたを癒す者である」(26節)という言葉が全体を支配していると思います。

神様の御心に即した歩みをするならば、幸いを得るであろう、ということです。ここに人生の大きな指針が与えられていると思います。あるいは聖書の幸福論がここに記されていると言ってもよいかも知れません。幸せはどこにあるか、それは神と共に歩むことだというのです。聖書にあらわされた神様は、根本的なところで、私たちを裁き、滅ぼすお方ではなく、私たちをいやし、生かすお方なのです。神様自身からモーセを通して、私たちに与えられている大きな約束の言葉、慰めの言葉であります。

そしてこのマラの後、エリムという場所に着くと、そこには12の泉と70本のなつめやしが茂っていました。大きな恵みが待っていたのです。そのところで彼らはしばらく滞在することになりました。

(6)不平と不信仰の生活

さて16章のマナの奇跡の物語は次回にお話しますが、その次にある17章1~7節の「マサとメリバ」と題されたところをあわせて見ていきましょう。このマサとメリバという地名も、7節の言葉から推測できるとおり、「試し」「争い」という意味があります。再び飲み水の話です。彼らはシンの荒れ野を出発し、旅を重ねて、レフィディムという所に宿営しました。しかしまた水の問題に直面します。今回は水そのものがありませんでした。

「民はモーセと言い争いになり、『飲み水をください』と言った。モーセは彼らに言った。『なぜあなたがたは私と言い争うのか。なぜ主を試すのか。』」(2節)

16章でも、神様は食べ物をめぐって、その不平を聞きあげてくださったばかりでありましたが、彼らは再びそのことも忘れてしまったかのように、モーセに向かって不平を述べ立てます。

「私たちをエジプトから上らせたのは何のためだったのですか。私や子どもたちや家畜を渇きで死なせるためだったのですか。」(3節)

何だか彼らはずっと同じことを繰り返しているように見えます。困難に直面すると、すぐに不平を述べ立てる。不思議な奇跡で食べ物をいただいたばかりであるにもかかわらず、また不信仰へ逆戻りしてしまう。

しかし苦しい状況であるのはモーセもわかっているので、再び神様に訴えます。

「私はこの民をどうすればよいのでしょうか。彼らは今にも私を石で打ち殺そうとしています」(4節)。

彼らはモーセを殺さんばかりに詰め寄っていました。モーセはそのことを率直に神様に訴えています。神様は言われました。

「民の前を通り、イスラエルの長老を何名か一緒に連れて行きなさい。ナイル川を打ったあの杖も手に取って行きなさい。私はホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたがその岩を打つと、そこから水が出て、民はそれを飲む。」(5~6節)。

モーセが神様の言われた通りに、岩を打つと、そこから飲み水がわき出てきました。

このエピソードも15章の話同様、神様が造られた自然の秩序の中に、すでに解決の道が準備されていた。神様はモーセにその場所を示されたのでした。神様は、民の困難を放置される方ではないのです。

(7)「喜び」の差し入れ

さてこの話を読んで、私は私たちの信仰生活と似ていると思いました。浮き沈みがあるのです。どんなに素晴らしい神様の御業を見せていただいても、そのすぐ次の瞬間にはそれを忘れてしまう、信じられなくなってしまう、挫折してしまうのです。私たちはそれをどういう風に克服すればいいのでしょうか。そのことを考えるのに、フィリピの信徒への手紙4章4節以下がヒントになるかと思います。

「主にあっていつも喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心をすべての人に知らせなさい。主は近いのです」(フィリピ4:4~5)。

「喜びなさい」と命令される。これはちょっと変わった命令です。というのは、何か具体的に「ああしなさい」「こうしなさい」というのであれば、いやいやながらでも、それをすればいいでしょうが、「喜べ」と言われても、そう簡単に喜ぶことはできないからです。作り笑いをすることはできるかも知れませんが、それでは本当に喜んだことにならないでしょう。

パウロはここで、無理やり喜ぶことを強要しているのではないのです。これを語ったすぐ後で、「主は近いのです」(フィリピ4:5)と言っています。イエス・キリストはすぐ近くにおられる。言い換えれば、喜びの根拠はすぐそばにある。私たちはそのことをすぐに忘れてしまいます。あるいはわからなくなってしまうのです。パウロは、「あなたのすぐ近くにイエス様がおられますよ。だから喜びなさい」と言っている。何もないところで、から喜びさせようとしているのではなく、「ほら、ここに喜びがありますよ」と、「喜びの差し入れ」をしているようなものでしょう。

「何事も思い煩ってはなりません。」(フィリピ4:6)

先ほどの出エジプトの生活は、思い煩いの生活でした。毎日毎日不安の中で、どうなるかわからない。そうした中でどうしても不平が口に出てしまうのです。パウロがこの手紙を書いた時も、フィリピの人たちの中に思い煩いがなかったわけではありません。むしろ思い煩いがあることを前提に語っています。

「どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピ4:6)

祈りと感謝の生活を形成していく。そこにこそ不平と思い煩いの生活から脱する道があるのではないかと思います。意識的にそれを作っていく。祈りと感謝の生活を続けていこうと思っても、私たちはすぐに挫折してしまいます。なかなか一人で達成することはできません。いかにして祈りと感謝の生活を築いていくか。それを信仰の仲間と共に支え合って、感謝と祈りの生活を形成していきたいと思います。

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