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2021年10月10日説教「若い伝道者への勧め」松本敏之牧師

テモテへの手紙一4章6~16節

(1)神学校紹介

日本キリスト教団では、10月の第二日曜日を、神学校日・伝道献身者奨励日と定めています。キリスト教会にとって、次の世代の伝道者を養成していくことは大事な課題です。その大切な役割を担っているのが神学校です。日本キリスト教団には、現在、6つの認可神学校がありますが、簡単に紹介いたしましょう。

まず私たちの教会と最もかかわりが深いのは、東京・目白にあります日本聖書神学校です。前任の飯田輝明牧師も、その前の前の今野善郎牧師も日本聖書神学校のご出身です。藤原亨牧師も、町頭良行牧師も、日本聖書神学校のご出身です。

東京の目白という都心にある夜間の神学校ということで、働いている人たちも多く、またそうでない人たちもたくさん学んでいます。日本聖書神学校は、第二次世界大戦直後の1946年5月、「日本の新生と世界平和の基礎はキリストの福音宣教にある」ということを示された同志たちにより開校され、今年5月に創立75周年を迎えられました。「聖書に基づき、他者と共感する霊性を養い、宣教の現場を重視した教育」を目指し、第三世界との連帯や、日本のアジアに対する歴史的責任を大切にしています。

鹿児島加治屋町教会では、教会から、教団の伝道委員会を通して神学校献金をしていますが、同時に最もかかわりのある神学校ということで、日本聖書神学校後援会への献金をお願いしています。今年も阿川まち子さんが取りまとめのお世話してくださっていますので、皆さん、どうぞ献金をよろしくお願いします。

二つ目は、私の出身校である東京神学大学です。東京神学大学は、日本で唯一の神学専門の単科大学です。その伝統は、1873年の宣教師ブラウン塾にまでさかのぼります。日本のプロテスタント伝道の最初期である約150年前から、その前身である神学塾があったということになります。お隣の鹿児島教会の尾崎和男牧師も東京神学大学のご出身です。

三つ目に紹介したいのは、関西学院大学神学部です。こちらは総合大学の中の神学部です。この鹿児島加治屋町教会と同じ、メソジストの伝統にあります。近隣の西畑望牧師、坂田茂牧師、日下部遣志牧師、戸田奈都子牧師、みなさん関西学院神学部です。九州教区は関学の牧師が多いです。

四つ目は、東京の町田市鶴川にあります農村伝道神学校です。農村伝道神学校の設立にかかわったアルフレッド・ラッセル・ストーン宣教師は、1927年、日本への宣教の使命を受け来日し、27年間宣教師として働かれましたが、1954年に洞爺丸の沈没により52歳で亡くなられたことで知られた方です。教育の目標としては、「農村・地方教会に仕える伝道者の養成」を掲げ、特に①「農」にかかわる、②戦争責任、③大地、共同性、④エキュメニカルな神学校ということを大事にしています。串木野教会の藤田房二牧師、志布志教会の石倉夕子牧師、今年4月に阿久根伝道所に着任された竹花牧人牧師も、前任の輿水正人牧師も農村伝道神学校、そして今年度信徒研修会の講師としてお招きする予定の熊本県荒尾教会の佐藤真史牧師も農村伝道神学校の出身です。

五つ目は同志社大学神学部です。こちらも関西学院大学同様、総合大学の神学部です。同志社大学は、1875年に新島襄が創立した同志社英学校を前身とし、会衆派教会、組合教会の伝統に立っています。神学部もその伝道者の養成ということを大切な任務として担ってきました。藤原亨牧師のご子息、藤原仰牧師、数年前に創立記念日に来ていただきましたが、同志社大学神学部のご出身です。加治屋町教会から何人か進学した青年もいます。

六つ目、最後の一校は、東京聖書学校という神学校です。こちらは日本キリスト教団の中の「ホーリネスの群れ」の神学校です。私はあまりよく知らないのですが、なかなか厳しい訓練をするようです。全寮制で、毎朝6時から早天祈祷会をして一日を始めると聞きました。

日本キリスト教団の中に、このようにいくつかの認可神学校があり、多様性があるということは、さまざまな教派が合同してできた「合同教会」としてとても大事なことであると思います。

(2)伝道者として育つこと、育てること

さて鹿児島加治屋町教会の聖書日課は、先週からテモテへの手紙一に入りました。

今日は、神学校日にふさわしいと思われる明日の聖書日課から4章の言葉を読んでいただきました。12節にこう記されています。

「あなたは、年が若いからといって、誰からも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、振る舞い、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範になりなさい。」(テモテ一4:12)

これは若い伝道者への勧めです。神学生にも該当すると言ってもよいでしょう。もっとも神学生には昔からそう若くない人もいましたし、最近では定年退職をしてから神学校に来られる方もありますので、神学生=青年とは限りません。私の前任地にもそういう神学生がおられました。「旅行をする時に、学割とシルバーパスとどっちが安いかなあ。両方は使えないよねえ」、と冗談で言っておられました。しかしそういう方であっても、献身の決意をして日が浅いからといって、軽んじられてはならないという意味では同じことが言えるでしょう。

この勧めは、何よりもまず、(若い)伝道者自身の心構えを語っています。「信じる人々の模範となりなさい」というのです。パウロがテモテに語るという形を取っています。(このことは少し問題があるのですが、そのことについては、後で申し上げます。)しかし同時に、このことは、若い伝道者や神学生を迎える教会側の心構えについても間接的に語っていると言えるでしょう。そこでその人々が若いからといって、軽んじてはならない。敬意をもって接しなければならない。そのようにして伝道者を育てていくということです。続けてこういわれます。

「私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。」(同13節)

伝道者は言葉遣いや振る舞いなど、外目にも気を配る必要があるでしょうが、何よりも内側から成長していかなければなりません。そのために聖書を読むことは欠かせません。また「勧めと教えに専念すること」が述べられます。説教者としても語ることが成長につながります。そのチャンスがなければ、説教者として育つことはできません。教会の信徒の人びとも、それを聞きながら、まだまだだなあ、と思うこともあるかもしれませんが、若い伝道者のフレッシュな御言葉を聞いて学ぶこともあるでしょう。そしていろいろな意味で、共に育っていくのです。そしてこう続きます。

「あなたの内にある賜物は、長老たちが手を置いたとき、預言を通してあなたに与えられたものです。」(同14節)

ここで、「賜物」と訳されたギリシア語は、最近では日本語としてもしばしば使われるカリスマという言葉です。「カリスマ美容師」という言い方もあります。特別な賜物というような意味です。神様から授かったものです。この「手を置く」というのは、プロテスタント教会で「按手」という儀式として定着しています。さらにこう続きます。

「これらのことに努め、そこから離れないようにしなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。自分のことと教えとに気を配り、それをしっかり守りなさい。」(同15~16節a)

興味深いのは最後のまとめの言葉です。

「そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々を救うことになります。」(同16節b)

そこに最終目的がある。伝道者は自分を律し、自分が救われることにとどまらないし、とどまってはならない。その言葉を聞く人が救われるために、自己研鑽を積むのです。だからこそ、教会は、共に祈りつつ、若い伝道者、神学生を育てていかなければならないのです。それは困窮する神学生や神学校を助けるということ以上の意味がある。そこに教会の将来がかかっているのであり、そこに多くの人々の救いがかかっているのです。

(3)牧会書簡

さて、この手紙について全般的なことを少しお話しておきましょう。

テモテへの手紙一、テモテへの手紙二、テトスへの手紙の三つは、18世紀以降、「牧会書簡」と呼ばれてきました。これらの手紙が、基本的に牧会、すなわち教会の組織化や信徒の導き方に関心が寄せられていることから、そう呼ばれるようになりました。

この三つの手紙は、宛名が教会ではなく、テモテ、テトスという個人になっています。差出人はパウロとなっています。ただし実際にはパウロが書いたのではないようです。用語(用いている言葉)・文体・思想(神学)など多くの点で、パウロの真正書簡と呼ばれるものとかなり違うのです。

そして手紙の背景、時代状況も違います。パウロの書簡は大体紀元50年代に書かれましたが、このテモテへの手紙、テトスへの手紙は、それよりも約50年後の、紀元100年代、2世紀初頭であろうと言われます。よって、著者だけではなく、宛名も、パウロの同時代人であるテモテ、テトスではないということになります。

パウロ自身の手紙には、「終末はすぐにでもやってくる。自分たちが生きているうちに来る」という切迫感がありますが、この牧会書簡では、その切迫性が後退しています。世代交代がなされ、「終末はそうすぐには来ないかもしれない」ということで、長期戦に備えて、教会の制度をきちんと整えていくということが大きな課題となります。2章には「監督の資格」「奉仕者の資格」ということが出てくるのも、パウロの時代には考えられないことでした。

(4)監督、執事

ちなみに、ここで「監督」と訳された言葉(エピスコポス)という言葉は、英語ではビショップですが、後のメソジスト教会の「監督」という言葉の語源であり、カトリック教会では「司教」と訳される言葉の語源です。そして「奉仕者」と訳された言葉(ギリシャ語では「ディアコノス」)は、英語では「ディーコン」と言いますが、日本語では「執事」とも訳されます。バプテスト教会、組合教会などでは、教会役員のことを「執事」と呼びます。そこには役員とはどういう存在かという教会観が表れています。「長老」というのは「教会を上から指導する存在」というニュアンスですが、「執事」というのは「教会員に仕える存在」というニュアンスでしょう。ちなみに、かつてのメソジスト教会では役員のことを「幹事」と呼んでいました。法人の監事と違って、日本基督教団総幹事の幹事です。宴会の幹事と言ったほうがわかりやすいでしょうか。先ほど詳しく紹介した「若い伝道者への勧め」も、そうした文脈で読めばよくわかると思います。

これらの手紙はそういう文脈、教会の制度を整えていくという背景の中で書かれました。その頃には、パウロだけではなく、その弟子であるテモテもテトスも若い伝道者ではなく、生きていたとしたら、最長老であったでしょうし、すでに過去の人になっていた可能性もあります。この手紙はそうした大伝道者パウロが当時の駆け出しの伝道者であったテモテ、テトスに向けた出した手紙という体裁をとった教会の指導書のようなものです。ある種の手紙文学と言ってもよいかもしれません。この当時には「著作権」などという概念が存在しませんでしたので、そのような偽名性は決してとがめられることではなく、むしろ名前を借用した人物に対する敬意の表現であったのです。

(5)女性に対する偏見

ただし牧会書簡はそうしたことからもわかるように、教会を権威付けようとする傾向がとても強いのも事実です。

特に女性に対する考え方は当時の一般的な女性理解をそのまま教会の中ても適用しようとします。2章9節以下にその言葉が出てきますが、特に11~12節は今日的な視点から言えば、ひどいと言えるほどのものです。

「女は静かに、あくまでも従順に学ぶべきです。女が教えたり、男の上に立ったりするのを、私は許しません。むしろ、静かにしているべきです。」(同11~12節)

何かイスラムの超厳格主義のタリバンの言葉を聞いているようです。女性差別的な傾向のあるパウロでも、そこまでは言いませんでした。イエス様なら絶対にこんなことはおっしゃらなかっただろうと思います。

聖書の言葉も時代が遅く書かれたものほど、父権主義的傾向が強くなっていきます。旧約聖書の中には「神様はお母さんのような方だ」という表現も出てくるのですが、それが時代と共にだんだんと封じ込められていく感じがします。

(6)女性が前に出てきたことを逆に示す

しかし牧会書簡の中に、こういう「女は静かにしていなさい」という言葉があるということは、逆に、当時の教会において、恐らく福音に促されて、解放されてだんだんと発言する女性も多くなっていたということを示しているのではないでしょうか。それに反発する人たちが出てきて、「女が前に出て発言するのを許していていいのでしょうか」ということで、それを封じるような言葉が、パウロの権威の下で語られた。そうでなければ、こんな言葉は必要なかったでしょう。パウロも天国で困ったのではないかと察します。「私も、そこまでは言っていないのだけれど。私の名前でそういうことを語らないで欲しい」と。

それでも女性たちは教会の中では前には出なくても実質的な指導権を持ち続けたことと思います。そしてようやく20世紀になって、プロテスタント教会では、男性と同じ教職として認められるようになりました。さらに20世紀の終わりころには、聖公会やメソジスト教会では監督(ビショップ)も登場します。ちなみにポルトガル語では、ビショップのことをビスポと言いますが、ビスポという言葉自体が男性名詞なのです。1990年代、私がブラジルにいた頃、初めて選挙で女性監督が選出されました。その時「ビスパ」(女性監督)という言葉が実質的なものとして誕生したのでした。そこにいたるまで2000年かかったということもできるかもしれません。

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