2020年9月20日説教「よい羊飼い」松本敏之牧師
よい羊飼い
ヨハネ福音書10章1~3節
(1)過酷な羊飼いの仕事
先ほどお読みいただいたヨハネ福音書10章1~6節は、日本基督教団の本日の聖書日課です。そこからみ言葉を聞いていきたいと思います。聖書の中には、羊と羊飼いの話が、たくさん出てまいります。ある時はたとえとして、ある時は実際の物語として、出てきます。それは、ユダヤ・パレスチナ地方に住む人々にとって、羊や羊飼いの生活というのは最も身近なものであり、たとえとしてもわかりやすいものであったからでしょう。最も有名なものは、詩編23編であろうかと思います。
「主は羊飼い、
わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ、
憩いの水のほとりに伴い、
魂を生き返らせてくださる」
と始まります。ただ私たち日本人にとっては、羊や羊飼いというのは、あまり生活に密着したものではありませんので、何かほんわかとした、のどかな生活、いわゆる「牧歌的生活」を思い浮かべかねません。しかし羊飼いの生活とは、決してのどかなものではなく、非常に過酷なものでありました。ダビデがペリシテ人の巨人ゴリアトを対決することになった時、自分は小さい時から、羊飼いとして獅子や熊と戦ってきたと話しました(サムエル上17:34~35)。羊飼いの生活は、狼や盗人など、さまざまな敵から自分の羊を守る、大切な、そして大変な仕事でありました。今日、私たちに与えられましたヨハネ福音書第10章の言葉も羊と羊飼いのたとえでありますが、先ほど述べましたように、羊飼いの生活が、非常に厳しいものであること、いつも危機に面していることをよく表していると思います。このヨハネ福音書第10章全体の主題のようにして響いてくる言葉は、11節と14節に二度出てくる「わたしはよい羊飼いである」という言葉でありましょう。「わたしは何々である」(エゴー・エイミ)というのは、おれまでも何度か申し上げてきたように、イエス・キリストが誰であるかを示すヨハネ福音書独特の定式(言い回し)であります。ヨハネ福音書10章には、この他にも「わたしは羊の門である」(7節)、「わたしは門である」(9節)という言葉が出てきますが、これも同じ定式です。今日は、「わたしはよい羊飼いである」という言葉をめぐって、御言葉を聞きたいと思います。一体、よい羊飼いとは、どういう方であるのか。それは二つのいわば偽者との対比によって、鮮やかに語られています。一つは盗人との対比、もう一つは雇い人との対比であります。
(2)「盗人」との対比
一つ目は「盗人」「強盗」であります。1~4節に、こう記されています。「羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く」(1~4節)。羊飼いは、羊が外に出て迷ってしまわないように、羊が跳び越すことのできない高さの、大きな囲いを作っていました。羊飼いは朝、正規の入り口である門を通って羊の囲いの中に入り、羊たちを草のある牧場へ連れて行きます。ところが家畜泥棒や強盗たちは、夜、柵を乗り越えて羊を奪っていきました。移動するときには、羊飼いは羊が野獣や泥棒の餌食にならないよう、羊の先頭に立って行きました。そして一匹一匹名前をつけて、名前でもって羊たちを呼びました。では、ここで「盗人」「強盗」とたとえられているのは、どういう人のことなのでしょうか。主イエスは、「わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である」(8節)と言われますが、これは、旧約聖書の預言者たちやモーセのような人たちのことではありません。彼らはイエス・キリストと同じ方を指し示した先駆者でした。そうではなく、ここでの「わたしより前に来た者」というのは、「神様の権威を自分のために利用してきた人たち」と言えるでしょう。9章の終わりでファリサイ派の人々とイエス・キリストの間に対立がありました。彼らは「我々も見えないということか(9:40)と主イエスに食ってかかりましたが、10章の言葉は、そのファリサイ派の人々に向かって語られているということを、見逃してはならないでしょう。
(3)牧師として、自分を正していく
私は牧師として説教の準備をしながら、しばしばその聖書の言葉に、私自身が裁かれたり、救われたりする経験をしますが、今回の言葉は、本当に厳しく、ぐさりと胸に突き刺さる言葉でありました。
「牧師」(pastor)というのは文字通り、羊飼いということですが、私はここで偉そうに、あたかも自分が盗人ではないかのごとく語ることができるかと思いました。「私ももしかして、神様の栄光のためにではなく、自分の栄光のために働いているのではないか。」あの使徒パウロでさえも、心当たりがあったのでしょう。彼はこのように述べています。「こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません」(ガラテヤ1:10)。パウロのような優れた指導者であっても、いやそうであればこそ、それによって自分を高めようとする誘惑が大きいことを深く自覚していたのでしょう。逆に言えば、それを意識することなく、自分は神様のために働いていると信じ込み、明言することのほうが恐ろしいような気もします。これは本当に紙一重のことです。牧師というのは、誰でもそのような危険性をもっていることを自覚しておいたほうがよいと思っています。常にまことの羊飼い、良い羊飼いであるイエス・キリストを見ながら、その鏡に照らして自分を正していかなければならないでしょう。
(4)「雇い人」との対比
もう一つ、主が「良い羊飼い」「本当の羊飼い」と対比的に語られたのは、今日の聖書日課より、少し後の部分、11~13節に記されていますが、「雇い人(の羊飼い)」でありました。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。……彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである」(11~13節)。羊飼いにとって、羊を守るために危険にさらされるのは、日常茶飯事でした。羊のために、実際に命を失った羊飼いもたくさんいたようです。この言葉も自分に照らし合わせてみれば、私は、よい羊飼いとは程遠い、懺悔せざるを得ないような経験を何度も繰り返しています。厳粛な思いにさせられます。一体誰がこの言葉に耐えうるでしょうか。人間である牧師は、この羊飼いと雇い人の間を行ったり来たりしているのだと思います。あのシモン・ペトロもどこまでもイエス・キリストに従うつもりでしたが、危機的な状況では主イエスを否定してしまいます。しかしそのペトロを、主イエスは羊飼いとして立てられるのです(ヨハネ13:37、18:27、21:15~17参照)。
(5)ニューヨークからドイツに帰ったボンヘッファー
私は、このことからディートリッヒ・ボンヘッファーの、ある経験を思い起こすのです。ボンヘッファーは20世紀前半のドイツの神学者でありますが、1930年から31年まで、ニューヨークのユニオン神学校に留学いたしました。私もその同じ神学校で学びましたが、ユニオン神学校の中には、今でも「ボンヘッファー・ルーム」という部屋があります。その部屋は、かつてボンヘッファーが祈りを捧げ、ドイツに帰る決断をしたことを記念する、特別な意味が込められた部屋でありました。ボンヘッファーは、この留学の後、1930年代、ナチスが台頭する中、ドイツ告白教会というナチスに組みしない教会の中心的人物になっていきました。ナチスの言うとおりにして、ナチスの加護を受けていたドイツ国家教会に対抗してのことです。しかしながら、ナチスのアメとムチの政策の中で、この告白教会運動もだんだん骨抜きにされていき、内部崩壊し、結局、失敗に終わるのです。彼が挫折感を味わっていたちょうどその頃(1939年)、ユニオン神学校時代に知り合った神学者、ポール・レーマンやラインホルト・ニーバーたちが、ボンヘッファーをアメリカへ招きました。彼はその招きを受けて、再びニューヨークに行くのですが、ニューヨークに着いたとたん、「自分は今、ドイツから逃げるべきではない」と、後悔し始めるのです。彼はラインホルト・ニーバーに対して、こういう手紙を書きました。「私がアメリカへ来たのは間違いでありました。私は、私たちの国の歴史の困難な時期を、ドイツのキリスト者と生きなければなりません。もし私がこの時代の試練を同胞と分かちあうのでなければ、私は、戦後のドイツにおけるキリスト教生活の再建にあずかる権利を持たなくなるでしょう。……ドイツのキリスト者は、キリスト教文明が生き残るために自分の祖国の敗北を望むか、あるいは、祖国の勝利を望んでそのためにわれわれの文明の破滅を招くかという、恐るべき二者択一の前に立たされるでしょう。そのうちのどちらを選ぶべきか、私にはよく分かっております。しかし私はその選択を、自分の安全を犯さないですることはできないのです」(E・ベートゲ『ボンヘッファー伝』408頁)。そしてボンヘッファーは、6月26日の『ローズンゲン(聖書日課)』の言葉に、はっとさせられるのです。そこには、こう記してありました。
「冬になる前に、急いで来て欲しい」(テモテへの手紙二4:21、口語訳)。
彼はその日の日記に、こう記しています。
「この言葉が一日中、私の頭にこびりついて離れなかった。それは、戦場から休暇で帰ってきた兵士が、自分を待っていたすべてのものをふり捨てて、また戦場引き戻されるときのようだ。……『冬になる前に、急いできてほしい』-これをもし私が自分に言われたことだととらえても、それは聖書の乱用ではない」(宮田光雄『御言葉はわたしの道の光』12頁)。そして彼は、ドイツへと帰り、いよいよナチスの転覆計画をもつ地下抵抗組織に入って行くことになります。彼は、戦後のドイツの再建にかかわりたいという思いをもっていたにもかかわらず、ナチスの手で処刑されて死んでいきました。自分の羊を見捨てず、そのために命を落とすことになった一人の「羊飼い」の実例を見る思いがいたします。
(6)よい羊飼いに招かれて
最後にもう一度、「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(11節)という主イエスの言葉を心に刻みたいと思います。イエス・キリストは、この言葉通りに生き、この言葉通りに死ぬことによって、羊飼いとしての使命を全うされました。その羊飼いに、私たちは生かされています。そしてその良い羊飼いを模範としつつ、私たちは 、牧師も一般の信徒も、小さな羊飼いとしてそれに続くようにと招かれているのです。