2020年11月22日説教「弱さを担うキリスト」松本敏之牧師
弱さを担うキリスト
ヨハネによる福音書18:15~18、25~27
(1)手下の耳を切り落とすペトロ
イエス・キリストが、一隊の兵士と下役たちによって捕らえられた時、弟子の「シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その耳を切り落とし」ました(10節)。ヨハネ福音書は、わざわざ「手下の名前はマルコスであった」と記しています。このような細かいことにこだわって記しているのは、ヨハネ福音書だけですが、それが実際にあった出来事であったということを伝えたかったのでしょう。
ただしこの名前、カタカナで書くと、マルコ福音書を書いたマルコスと同じ人物かと思いがちですが、そうではありません。ローマ字にすると、マルコ福音書の著者名のほうのマルコスの「ル」は「アール」で、こちらのマルコスの「ル」は「エル」で別の名前です。この当時、よくあったギリシア名のようです。
シモン・ペトロが、このような行動に出たのは、恐らくその前夜に、イエス・キリストに語ったことに嘘はないということを示したかったのでしょう。
その前夜のやり取りは、少しさかのぼりますが、13章36節以下にあります。
「主よ、どこへ行かれるのですか」と問うたシモン・ペトロに対して、イエス・キリストは「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる」と言われました。それに対してペトロは、「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます」と言い切ったのでした。しかしイエス・キリストは、こう予言されました。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」。
ペトロは、イエス・キリストが逮捕されそうになった時、このやり取りのことを思いだしたのでしょう。「私は、イエス様のためなら、命を捨てます、と誓った。今こそ、それを示す時だ。」しかしそれは主イエスの意思ではありませんでした。イエス・キリストは、ペトロに「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は飲むべきではないか」と言って、自ら兵士たちや手下たちの手に身を委ねていかれるのです。ペトロは、その主イエスの言葉に従いました。もしかすると内心びくびくとしていて、ほっとしたかもしれません。
その後、イエス・キリストは大祭司のもとに連行されていきます。
(2)従うために来た
ペトロともう一人の弟子は、この後、わざわざ屋敷にまで忍び込んでいくのですが、逮捕される危険性が高い所へ、どうしてわざわざ行ったのでしょうか。他の弟子たちと一緒に逃げていってもよかったのではないでしょうか。もちろんイエス・キリストのことが気になったということはあったでしょう。しかしそれだけではありませんでした。ここに「シモン・ペトロともう一人弟子は、イエスに従った」(15節)とあります。この「従った」という言葉にはっとさせられるのです。この「従う」というのは、ペトロがイエス・キリストに召しだされて「網を捨てて従った」(マタイ4:20)という時と同じ言葉であります。この時、他の弟子たちが逃げ出していく中で、とにかくペトロともう一人の弟子は、なお主イエスに従おうとしていたのです。彼は、ただ単に興味本位で、イエス・キリストを見ようとしたのではない。心配で見に来たというのでもない。それだけではない。最後まで従いたいと思った。だからこそ、こんな危険を冒してまでここにいるのです。
(3)最初の嘘
「もう一人の弟子」という人が、ここに登場しています。「この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた」(15~16節)とあります。つまり、このもう一人の弟子のおかげで、ペトロも門の中へ入ることを許されたという訳です。これもヨハネ福音書だけが記していること、詳細にこだわるヨハネ福音書らしいです。
この門番の女中がペトロに、こう尋ねました。「あなたもあの人の弟子の一人ではありませんか」(17節)。すっと潜り抜けられると思ったのが、そう簡単にはいきませんでした。一言、尋ねられたのです。この時、ペトロはとっさに「違う」と言いました。まさかこんなところで、問われるとは思っていなかったのではないでしょうか。そしてとっさに「違う」と言ってしまった。最初の嘘とは、誰しもそういうものではないかと思います。嘘をつくつもりではなかったけれども、不意を突かれて「いや違う」と言ってしまった。ところが、だんだんと一つの嘘が次の嘘を生み、そして嘘で固めていくようになってしまうのです。自己防御反応があるように思います。
私は、最近の日本の首相の答弁を思い起こしました。その典型的なのは菅首相の「日本学術会議メンバーを任命するにあたり、特定の6名を除外した」ことの理由説明です。最初は「自分はそのリストは見ていなかった」と述べましたが、では誰が決めたのかと追及されて、「見るには見たが、詳しくは見ていない」という意味だったとか、その後の答弁も、最初の嘘を、つじつま合わせするために、より大きな嘘をついていくという展開になっています。安倍政権の時もそうでした。森友学園問題で、安倍首相が「私や妻がもしもかかわっていたら、首相も国会議員を辞めます」と宣言してしまったものだから、そこにつじつまを合わせるために、より大きな嘘、隠蔽をすることになっていきました。その結果として近畿財務局の一人の職員が自死するまでに追いやられました。最初の小さな嘘が次々と大きくなって、取り返しがつかなくなっていく様子を見る思いがいたします。
(4)同時進行する2つの裁判
今日の箇所と前回の箇所は、それぞれ二つにまたがっています。かわるがわるに出てくるのです。12節以下で、イエス・キリストが大祭司のしゅうとであるアンナスのもとに連れて行かれ、15節以下でペトロが大祭司の屋敷に入る話が出てくる。そしてまた19節以下で、イエス・キリストが大祭司の尋問を受けてる。そしてまた25節以下で、ペトロがイエス・キリストを繰り返し否定することが記されている。そういう構成になっています。このことは、場面転換がはかられることによって、時が経っていることを示す効果があろうかと思います。しかしそれと共に、イエス・キリストの宗教裁判が行われている時に、実は同時進行的に、もう一つの裁判が行われていたのだということを対比的に告げているのではないでしょうか。
ペトロは第一関門を何とかくぐり抜けて、僕や下役たちが焚き火にあたっているところで一緒に、恐らく少し顔を隠すようにしてじっとしていました。そこで「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」(25節)と尋ねられるのです。この時は、門番の女中の時と少し違ってきております。尋ねたのは複数であり、もう少し公的な性格が出てきている。ペトロも恐らく最初の時よりも、もっと大きな声で、「いや違う」と強く否定したのではないでしょうか。このあたりからだんだんまわりを警戒するようになってきます。「何とかしなければならない」というあせりも出てきます。
その時、何と大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人(マルコス)の身内の者が出てきました。はっきり見ていました。これもヨハネ福音書独特の書き方です。自分の身内を傷つけた者を忘れることはない。「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか」(26節)。「もうあなたは言い逃れをすることはできませんよ。私が証人です」と強く言ったのです。その時ペトロは、再び、いや三度、それを打ち消しました。するとその時、鶏が鳴いたのです。もはや、「とっさのことでした」という言い訳はできません。
ペトロは、イエス・キリストとの会話を思い起こしたことでしょう。他の福音書は、この時ペトロは激しく泣いたということを記しています。「イエス様に申し訳ないことをした。自分は何と強がりを言っていたのか。しかしその言葉のとおりにはできなかった。」自分を責め、自分の弱さを嘆き悲しんだことでありましょう。
(5)ペトロは自分の出番を待っていた
イエス・キリストを否定しながらも従って行こうとする、このペトロの行動はやや不可解でもあります。最初の時の反応はとっさであったとしても、恐らくその後の否認は、ひやひやしながらも、何とか切り抜けようとしていたのではないでしょうか。今は大祭司によるイエス・キリストの尋問が行われています。宗教裁判のようなものです。ペトロは、そこへ行くことはできません。もう少しすればあのピラトによる裁判が始まる。群衆の目の前で、イエス・キリストの裁判が始まる。とにかくその時まで持ちこたえなければならない。今ここで捕まることはできない。もしもイエス様の裁判の時に、イエス様に不利なことが起きれば、自分が飛び出そう。そしてイエス様がどんなに素晴らしい方であったか、どんなに素晴らしいことをしてくださったか、自分が証人になろう。それでも差し止めることができなければ、自分も一緒に裁きを受けよう。自分もイエス・キリストの弟子だと名乗ろう。死んでも構わない。そう思って、チャンスを待っていたのではないか。私はそういう風に想像するのです。
しかしその時ペトロは鶏が鳴いて、はっといたしました。そして先ほどのイエス様の言葉を思い起こしたのです。イエス様のおっしゃった通りになってしまった。自分は「命を捨てます」とまで言いながら、こんなところで、イエス様を否定してしまった。
(6)ゆるしと派遣
ヨハネ福音書は一番最後のところで、復活のイエス・キリストがペトロに出会う物語を記しています(21:15~19)。共に食事をした後でイエス・キリストがペトロに「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」言われました。ペトロが「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」と言うと、イエス様は「わたしの小羊を飼いなさい」と言われました。そうしたことが3回も繰り返されるのです。よく言われることは、ペトロが3回「イエス・キリストを知らない」と言ったことを、ここで「わたしを愛しているか」と問いながら、それをひとつひとつ赦していかれたということです。そして「わたしの羊を飼いなさい」というその後の使命を語られたのです。
鶏の鳴き声を聞いたことは、彼にとっては有罪の宣告を受けたようなものです。ところが同時に、赦されて、次の使命まで与えられていたことを思い出したのです(もちろんこれを思い起こしたのは、もう少し後であったかも知れません)。イエス・キリストは、それでペトロを断罪するのではなくて、再び立ちあがらせ、自分の使徒として立てていこうとされたのです。ここに、イエス・キリストの大きな愛があります。どんなに裏切られても、どんなに捨てられても、イエス様の方からは、決して捨てることはない。そうした大きな愛を示しているのです。
(7)ペトロの証
この後、ペトロはいわば教会の創始者になっていきます。ローマ・カトリック教会によれば、初代の教皇になります。福音書が書かれ始めた時には、すでにペトロは、おしもおされぬ大リーダーでありました。そのペトロの過去を告発するような話です。どうしてそのような話をすべての福音書が残しているのでしょうか。これもよく言われることですが、ペトロ自身がどこへ行っても、自分の信仰の原点として、この証をしたのではないでしょうか。「あの出来事なくしては、今の自分はありえなかった。」自分の弱さをさらけ出すようにして、みんなの前で証をし、それが教会の中で伝えられていったのではないでしょうか。この神様の大きな愛、イエス・キリストの大きな愛が私たちにも注がれていることを知り、私たちもその中で悔い改めて立ち返っていく者となりましょう。