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2020年10月11日説教「仲 間」松本敏之牧師

仲 間

出エジプト記4章18~31節・使徒言行録15章22~27節

(1)神学校日にあたって

本日は、神学校日です。神学校や神学生たちを心に留めながら礼拝をいたしましょう。神学校で学ぶことは、ただ単に神学を学ぶこと以上の意味があります。その最大のことのひとつは志を同じくする仲間と出会うということです。それはとても貴重なことです。宝物となります。私の場合、その交わりは今も続いています。お互いに励まし合い、支え合って、時に教会の中ではなかなか言えないことも相談し合うことがあります。私たちは、神様に仕えるということにおいても、そういう仲間がいることは幸いなことです。ひとりで神様に仕えるのではありません。今日のテキストは、そういうことを改めて気づかせてくれる物語であります。

(2)「命をねらう者は死んだ」

モーセは「エジプトに帰ってイスラエルの民を奴隷の地から導き出せ」という神の声を聴き、随分抵抗するのですが、ようやくエジプトに行く決心をいたしました。彼はしゅうとであるエトロのもとに帰って、「エジプトにいる親族のもとへ帰らせてください。まだ元気でいるかどうか見届けたいのです」(18節)と言いました。この時、エトロは本当のことを知っていたのかどうかわかりませんが、「無事に行きなさい」と言って、彼を送り出しました。これは「シャローム」という祝福の言葉です。聖書協会共同訳は、これを「安心して行きなさい」と訳しています。
そこで主は、再びモーセに現れて、このように言います。「さあ、エジプトに帰るがよい。あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった」(19節)。
これとそっくりの言葉が、新約聖書にも出てきます。

「ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。『起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは死んでしまった』」(マタイ2:19~20)。

ただしこの時(新約聖書のほうの時)は、モーセの時とは反対に、エジプトが避難の地でありました。幼子イエスの命をねらっていたヘロデのもとを逃れ、ヨセフは妻マリアとその子イエス・キリストを連れてエジプトの地へ避難していたのです。そして「ヘロデが死んだので、もうイスラエルの地へ帰れ」という主の天使のお告げを受けて、イスラエルの地へ帰っていったのでした。
さて主はモーセに言われました。「エジプトに帰ったら、わたしがあなたの手に授けたすべての奇跡を、心して行うがよい。しかし、わたしが彼の心をかたくなにするので、王は民を去らせないであろう」(21節)。そしてその後に言葉が書記されているのですが、このとき語られた言葉については、それが実際に行われた時に触れることになりますので、今は先へ進みましょう。

(3)不可解な出来事

この後に記されているのは、とても不可解な、謎に満ちた出来事です。「途中、ある所に泊まったとき、主はモーセと出会い、彼を殺そうとされた」(24節)。
まずここからして不可解です。主は今、モーセを「エジプトに遣わす」と言われたばかりであるのに、いきなり「殺そうとされた」と言うのです。モーセが旅の途中で死にそうになり、そのことを「主が殺そうとされた」というふう風に理解したのかも知れません。これは一応、謎のままにしておき、続きを読んでみます。
「ツィポラは、とっさに石刀を手にして息子の包皮を切り取り、それをモーセの両足に付け、『わたしにとって、あなたは血の花婿です』と叫んだので、主は彼を放された。彼女は、そのとき、割礼のゆえに、『血の花婿』と言ったのである」(25~26節)。
このいわゆる「血の花婿」の出来事は、一体何を言おうとしているのか非常に曖昧であり、解釈が困難です。この時、モーセの妻ツィポラは、神がモーセを殺そうとしていることをなぜか察知して、すぐに息子に割礼を施し、その際に切り取った男性器の包皮をモーセの両足に付けたというのです。この「両足」というのは、男性器を示す婉曲表現だと言われます。そして彼女が「わたしにとって、あなたは血の花婿です」と叫ぶと、どういうわけか「主が彼を離れた」、つまり災難が去ったというのです。
なぜ神がモーセを殺そうとされたのか。また息子に割礼を施すというツィポラの取った措置が、なぜ、またどのようにして災難を防ぐのか。そして包皮をモーセの「両足」に付けることの意味は何なのか。これは古来聖書学者を悩ませてきたことですが、幾つかの解釈を紹介しておきましょう。
一つ目は、モーセがこの時、まだ「血の花婿」ではなかった。つまり結婚前に割礼を受けていなかった。それで神様が怒り、モーセを襲ったというのです。モーセは生まれてすぐに、殺されないように隠されて三ヶ月過ごし、その後はエジプト人として育てられましたので、割礼を受けていなかったのではないかという理解です。モーセが割礼を受けていたかどうかは、聖書には記されていません。そしてツィポラがモーセの代わりに息子に割礼を施し、それによってモーセを象徴的に「血の花婿」としたという解釈です。
二つ目は、このとき息子は確かにまだ割礼を受けていませんでしたので、その怠慢と不信仰をとがめて、神様はモーセを殺そうとされたというもの。そこでとっさにツィポラは息子に割礼を授けました。これが結構支持のある解釈です。
さらに三つ目ですが、息子が割礼を受けていなかったので、主はモーセではなく、息子の命を奪おうとされたという解釈。新共同訳聖書では、「主はモーセと出会い、彼を殺そうとされた」となっていますが、ヘブライ語の聖書には、「主は彼と出会い、彼を殺そうとされた」としか書かれていませんので、「息子を殺そうとされた」というふうにも読めるわけです。ただ話がややこしくなるので、一応新共同訳聖書のとおりに、「モーセを殺そうとされた」としておきましょう。
ただどの解釈をとってしても、根本的なところはすっきりといたしません。

(4)フェミニスト神学の視点

一つ確かなことは、この時のツィポラの行為、つまりツィポラが息子に割礼を施し、その包皮を「両足」に付け、叫んだという一連の行為の結果、「主は彼を放された」ということです。それで、モーセの命を奪おうとする主の攻撃が終わった、言い換えると、ツィポラの行為がモーセの命を救ったということです。
この出来事は依然すっきりしないままですが、この記事が聖書の中に取り入れられたことは、割礼がそれほど重要な意味を持っていたことを、示していると思います。割礼をないがしろにしたままモーセが派遣されることはありえないことであったのでしょう。
またこの出来事は、フェミニスト神学にとって大事な意味を持っています。それは女性であるツィポラがここで割礼を施しているということ、そして祭司の役割を担って(血の犠牲をささげて)、モーセを神に執りなしているということです。割礼を施すのは男性の役割でしたから、これは非常に珍しい記事です。いわば女性祭司、今の言葉で言うと、女性教職の草分けとして大事な意味をもっているのではないでしょうか。時代が下るに連れて、父権制社会が強固なものとなり、神と人との間に立つのは男の役割という風になっていきます。しかしその前の時代はもっと自由な形であったのだろうと思わされる出来事です。
もっともこのときのツィポラの行動を促されたのは神ご自身であったということもできるでしょう。そして神はそれ(ツィポラの行動)を承知しながら、モーセをふさわしい者として立てていく。それは、これから起きようとしているさまざまな試練を予表するような出来事でありました。

(5)アロンと合流

この事件の後、神はモーセの兄であるアロンに会い、彼に語りかけます。「さあ、荒れ野へ行って、モーセに会いなさい」(27節)。この言葉を受けたアロンは、神の山ホレブでモーセに会い、キスをします。モーセは神が命じられたことをアロンに告げます。そして二人でイスラエルの長老たちに会い、アロンがモーセを通して聞いたことを、彼らに告げるのです。アロンが、いわば人々に対するスポークスマンになりました。モーセは、自分は口が重く、舌が重い、つまり口べたです、と言ったので、神が雄弁な兄アロンを、モーセと一緒に遣わせてくださったのでした。イスラエルの人々は「主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になった」(31節)と聞いて、ひれ伏して神を礼拝いたしました。

(6)旅の仲間たち

さて、今日の物語は、全体としてあまり統一感のないように見えますが、このテキストを通じて思わされることは、モーセは決してひとりで遣わされたのではないということです。彼には旅の仲間がおり、その旅の仲間がモーセを助け、モーセを救い、モーセを支えたのです。
もしもツィポラがいなければ、モーセはどうなっていたでしょうか。彼女のとっさの判断で、モーセは危機を逃れました。アロンがいなければ、イスラエルの民はそれほど早く、神様の言葉を理解し、受け入れたかどうかわかりません。アロンはモーセと違い、これまでから民の近くにいましたので、民の信頼を得ていたということもあるでしょうし、モーセよりもずっと雄弁でした。モーセの召命というものは、根本的なところではモーセと神の間の事柄でしたが、実際には神様は、モーセのまわりに必要な人材を配置し、その人たちにモーセは支えられていったのです。
イエス・キリストが弟子たちを派遣された時も、決してひとりでは行かせませんでした。マルコ福音書6章7節には、

「そして十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた」

と記されています。二人ずつ組にされたのです。
使徒言行録では、もっとはっきり記されています。使徒言行録の13章は、パウロのいわゆる第一次伝道旅行というものについて述べていますが、この時パウロはバルナバと一緒に派遣されて、一緒に活動していました。やはり二人セットであったのです。今読んでいただいた使徒言行録の15章ですが、これはエルサレム使徒会議と呼ばれる会議の決議について記しております。その会議において、パウロとバルナバはアンティオキアに遣わされることが決定されるのですが、今度はこの二人と共に、教会全体からバルサバと呼ばれるユダと、シラスの二人を旅の同伴者として、選んで一緒に派遣することを同時に決定するのです。
その後、パウロとバルナバは意見が分かれて(というよりも意見が激しく衝突して)、別々に行動することになります。しかしながら、その時もパウロはやはり一人ではなく、シラスという同伴者を連れていくのです。いつも一人ではなく、必ず二人かそれ以上です。

(7)牧師にとって

旅に道連れがいるということはやはり大事な意味を持っています。一つには、人間はみんな不完全であるからです。それぞれに欠けがあります。それを補いあって生き、それを補いあって主の道を歩むのです。
牧師もそうであります。私にもちょうどこの時のモーセと同じように、妻と息子があります。この三人でこれまで幾つかの教会に仕えてきました。家族というのは、教会員とは違った目で牧師の仕事を見ております。
妻からは説教の批判をされることもあります。「今日の説教は、難しくて全然わからなかった」とか、「今日の説教はちょっと長すぎた。あそこで止めておけばよかったのに。後半にどんなにいいことを言っても、もうみんな聞いてないよ」とか言われます。言い訳をしますと、「プロでしょ」と言われます。夫婦で牧師の場合は、連れ合いが説教をしたときに言い返せるかもしれませんが、うちはそうではありませんので、そういうわけにもいきません。しかし教会員がなかなか言ってくれないこと、あるいは言えないことを、連れ合いや子どもが言ってくれるのは、ありがたいことであると思います。もちろん批判されるだけではなくて、モーセがツィポラに助けられましたように、旅の道連れ、連れ合いによって、私も助けられ、支えられております。
家族がいない場合でも、もちろん家族があっても、牧師には仲間、道連れがあります。地区の牧師たちや、最初に申し上げたように、神学校で出会った仲間たちに支えられ、励まされ、時に批判しあい、間違いをただし、お互いに高めあっていく。それは大事なことであろうと思います。

(8)信仰者にとって

このことは牧師、伝道者に限らず、教会の信徒の方々にも、すべて当てはまることではないでしょうか。私たちには信仰の仲間、信仰の旅路の連れ合いがいるのです。一人で、家で静かに聖書を読んで、あるいはキリスト教放送を聞いていれば、それで十分であると思われるかも知れませんが、それではなかなか信仰生活を全うすることはできません。また聖書の解釈にしても、交わりの中にあることによって、独りよがりをなくしていくのです。
ただ教会に行きたくても行けない場合もあるでしょう。家族に許されないとか、日曜日に仕事を休めないとか、近くに教会がないとか、そしてまさに今、コロナ禍の状況の中で、たとえ教会に行きたくても行けない場合があります。逆にそういう時にこそ教会の祈りの輪の中に入れられることには大きな意義があります。私たちは弱い者ですから、そのようにお互いに支え合い、また間違いをおかす者ですから、建設的な批判をしあいながら、独りよがりをなくして、信仰生活を全うするのです。
私たちには、教会の中で、あるいは教会を超えたところで、信仰生活の道連れがあるのです。時には家族であったり、時には友人であったりするでしょう。そして大きな視点で見れば、そのように信仰生活の友、道連れを遣わしてくださった神様がおられる。神様そのものが、信仰生活の真の道連れであるということを心に留めたいと思います。

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