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キリスト教保育連盟 社員総会 開会礼拝説教 230605

キリスト教保育連盟 2023年度第11回社員総会 開会礼拝
2023年6月5日 13:00
説教「あなたをみなしごにはしておかない」
ヨハネによる福音書14章16~18節  
賛美歌:幼児さんびか42「ちいさいひつじが」
鹿児島加治屋町教会牧師 松本敏之

 はじめてお会いする方々、よろしくお願いします。なつかしい皆さま、こんにちは。
私は、ブラジルから帰国して早25年が経ち、東京から鹿児島に移り住んで9年目になりました。だんだん鹿児島での責任も増えてきまして、それなりに大変なこともありますが、それなりに楽しく仕事をしております。今日は短い時間ですが、開会礼拝の務めをさせていただきます。よろしくお願いします。

(1)咲間まり子さんの論考
 先日受け取りました「キリスト教保育」2023年6月号に、函館短期大学教授の咲間まり子さんが、「外国につながる子どもの保育について」と題する論文を寄稿しておられました。私はとても興味深く読ませていただきました。今、最も大事なことを指摘していただいたと思っています。
 咲間先生は、最初に「法務省・出入国在留管理庁の統計で、2022年6月末現在における在留外国人数は296万1969人であり、前年比で20万1334人増加したことを事実として指摘されます。そして、「外国につながる人々が増加するに従い、外国につながる子どもたちも増加しており、保育・教育の多文化・国際化に対応できる保育者の定着が至急の課題として浮上してきています」と述べられます。そしてその背景にあることとして、「日本の人口減少問題」との関連を指摘され、「世界人口が爆発的に増加する一方、日本人口は先進国の中でも急速な減少の過程入っています」と述べられるのです。
 少し先のほうでは、こういう記述がありました。
「抜本的な少子化対策が困難な現状を鑑みれば、外国人と外国につながる子どものマンパワーは、持続可能な社会を構築する上で不可欠のものとなるということです」(18頁)。
 これこそが、私が前々から、ずっと考えてきたことであり、「わが意を得たり」と思いました。いや実を言うと、もう一歩さらに踏み込んだことを言いたい、と私は考えています。咲間先生の論考は、「保育・教育の多文化・国際化に対応できる保育者・教員の必要性、そして定着」という文脈で述べられていますので、あくまでその範囲で、控えめに書いておられるのだろうと察します。

(2)多文化共生社会に向けて
 実は咲間先生も、内心では、私と同じように、さらに踏み込んだことを考えておられるのではないかと察するのです。
 もう一度、先ほどの咲間先生の言葉を引用します。
「抜本的な少子化対策が困難な現状を鑑みれば、外国人と外国につながる子どものマンパワーは、持続可能な社会を構築する上で不可欠のものとなるということです。」
 まさにその通りです。そして、さらに言いたいことは、日本がさまざまな外国につながる人々を積極的に受け入れつつ、その人たちと共に、日本の将来を築いていくこと、ゆるやかに、多文化共生社会、多民社会に移行していくこと、そこにこそ、明るい日本の未来像があるのではないかと思っています。急激な変化は、多くの日本人には受け入れがたいかもしれません。しかし、少しずつ少しずつ門戸を開き、やがてはたとえば20%位外国につながる人々がいる社会、それは、私はとても楽しいし、豊かな社会であると信じるのです。もちろん困難はあるでしょうけれども、私たちはそれに耐える力をもっています。
 今、政府は異次元の少子化対策と言って、何とか子どもを産みやすい社会、子どもを育てやすい社会を作り出そうとしています。それはよいことだと思います。しかし咲間先生も指摘されていますように、限界があります。もっと根本的な異次元の少子化対策は、日本が外国人にもっと門戸を開くことであると思います。
 日本人だけで日本の将来を思い描こうとすることは、異次元の少子化対策ではなく、同次元だと思うのです。異次元という時には、そういうことを考えていく必要があると思います。
 日本に住みたいと願う人、日本で働きたいと願う外国人、日本が大好きな外国人はたくさんいます。この人たちは、実は日本の将来を左右するキーパーソンズだと思うのです。もっと言えば宝です。どうしてそこに目を向けないのだろうかと私は思います。
 特に一番深刻なのは、難民として国を追われ、日本に助けを求めている人たちの締め出しです。
難民支援協会のHPによれば、2021年の日本の難民認定率は0.7%でありました。他の先進諸国に比べて極端に少ないのです。例えば英国は63%、カナダは62%、米国は32%、ドイツは26%、フランスは17%。それに対し、日本は0.7%です。
しかも今まさに出入国管理法の「改正」(改悪?)案が国会で審議されています。法案が成立すると、難民申請3回目以降はたとえ母国で危険が待っていようとも、強制送還が可能となってしまうのです。私は、少子化対策と、難民・移民の受け入れ制限と拒否、これは何と矛盾することをやっているのだろうと思わざるを得ません。

(3)ブラジルでの経験
私が、恐らく他の人よりも強く、日本が多文化共生社会になってほしいと願うのには二つの背景があります。
第一に、1991年から1998年まで、ブラジルで牧師・宣教師として働いた経験です。前半の4年半、サンパウロにある日本人教会で牧師をし、日本語幼稚園の園長を務めました。。その幼稚園の園児の8割は日本からの駐在員などの子どもたちでしたが約2割は現地の3世、4世の子どもたちでした。母語はポルトガル語です。それは全く違うグループでしたが、子どもたちはすぐに仲間になって不思議な調和な世界がありました。お互いに知らない情報の交換(遊びとかおまちゃとか)をしながらリスペクトしあっていました。3世、4世の子どもたちの親御さんは、家ではポルトガル語を話しているのですが、今の日本の子どもがしゃべる普通の生の日本語に触れさせたいと願って、入園させておられました。私はポルトガル語を勉強していて、その子たちが一番身近なブラジル人でしたから、ポルトガル語で会話をしたくなります。そうすると、子どもたちはポルトガル語のほうが楽なわけですから、ポルトガル語で返してきます。そうすると、ばれるのですね。「園長先生、ポルトガル語禁止です。この子たちは、日本語を学ぶために来てるんです」と、先生たちからられたこともありましたが、そういう全く違うグループが一緒に過ごすというのは、おもしろいな、すばらしいなと思いました。
その後の2年あまりは、日本人が全くいない赤道近くの町で、牧師をいたしました。そしてそこでも保育所で、毎週子どもたちに聖書のお話をしました。日本のAVACOの紙芝居がとても役に立ちました。ただポルトガル語に訳したものを、日本人の私が読んだだけでは、子どもたちには通じませんので、「わー」とか「やー」とか大げさにジェスチャーを交えて話していました。それもある種のインターカルチュラルな経験でした。
そういう文化交流があることは決してマイナスのことではなくて、社会全体が、そして学校や幼稚園が豊かになっていくことであろうと思うのです。

(4)アルセンヌさんとの出会い
もう一つは、私は日本に帰って来てから、東京の経堂緑岡教会という教会の牧師をしましたが、そこで難民申請をしている人と出会ったことです。それは、私の聖霊体験とでもいうべきもので、私の人生の中で最も大切な出会いの一つでありました。彼は、アルセンヌ・グロジャさんと言って、コンゴ民主共和国から祖国での迫害を逃れて難民申請をしている人でありました。2004~05年頃のことです。
アルセンヌ・グロジャさんは、祖国コンゴ民主共和国の内戦において、目の前で家族全員を虐殺された後、不思議な導きにより命からがら日本へ逃げてきた人でした。2003年9月に入国した後、難民申請をしましたが認められませんでした。日本の難民認定は国連の難民規定を無視し、世界基準ともかけ離れ極端に厳しいのです。先ほどの難民認定率の数字からもわかることでしょう。
彼は異議申し立てをしましたが、2004年9月、それも却下され、その場で品川にある東京入国管理局に収監拘束されてしまいました。彼は祖国でもとてもつらい経験をしましたが、日本でも思いがけなく、つらい経験をすることになりました。窓のない狭い部屋に拘束され、しかも後に牛久に移送される時には手錠もかけられたのですが、手錠をかけられたことが、とても大きな心的トラウマになっていたようでした。
 私は、ある女性の依頼により、彼に面会に行くようになったのですが、収監拘束されている彼の姿や表情は、あたかも現代に生きるキリストのように神々しく輝いて見えました。共に祈るとき、特に彼の祈りを聞くとき、私の心は熱く燃えました。
 私は、こうしたことは遠い世界のニュースとしては了解していましたが、そのように迫害を受け、そこから逃れて助けを求めている人が、私のすぐそばにいるとは想像もいたしませんでした。
私たちは、つい先日、5月28日に、ペンテコステ(聖霊降臨)を祝ったばかりですが、私は、「今日(こんにち)、『我は聖霊を信ず』と告白するとは、どういうことか」と、その時に思いました。それは「神様が今も生きて働いていることを信じる」ということに他ならないと思うのです。そして「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」という約束は、アルセンヌさんのことと関係ないはずはない、と思いました。
 アルセンヌさんへの面会を依頼してきた女性は、その後、熱心に教会生活を送り、半年後に、経堂緑岡教会で洗礼を受けました。彼女の受洗を機に、教会を挙げてこの問題に取り組むようになりました。全国の諸教会に向けて、アルセンヌさんの「仮放免と在留特別許可を求める署名願い」を出し、これに対し、全国から1万5千人以上の署名が集まりました。皆さんの中にも、この署名にご協力くださった方があるかもしれません。
 アルセンヌさんとその女性は、彼が収監中に婚姻届けを出しましたが、それでも国外退去令はなかなか取り消されませんでした。しかし署名活動その他の支援活動が功を奏したのか、少しずつ解決の方向に向かいました。そして数年後に特別在留許可が下りたのです。
 私は、何かに突き動かされるように、この問題に取り組みました。そして私だけではなく、多くの人たちがこの活動を通して、信仰が燃える経験をいたしました。
 アルセンヌさん夫妻とは、今も友人として親しい交わりがあります。私は、あのとき、イエス・キリストが、アルセンヌさんとして、私に出会ってくださり、私の信仰に再び火を付けてくださったのだと思うのです。そういうことこそが聖霊の働きなのではないでしょうか。

(5)寄留者を大事にしなさい
 今、日本は難民認定が厳しいという話をしましたが、難民申請をしている人がどういう生活をしているかというのは、「マイスモールランド」という映画を、ぜひご覧くださるとよいと思います(2022年)。埼玉在住のクルド人家族の物語です。アムネスティなどが中心になって、今でも全国各地で上映会などが行われています。
 話は広がりましたが、皆さんも、外国につながる子どもたちとかかわり、その人たち、その家族と共に、日本の将来を築いていく大事な役割、幼稚園、保育園、認定こども園として、その最初の場所を作っていってくださればと思います。それは、きっと「寄留者を大事にしなさい」と言われた神様の喜ばれる道であると信じます。

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