大地のリズムと歌-ブラジル通信19「フェスタジュニーナ」
ブラジルらしいクリスマスについて、日本から尋ねられて、返答に困ることがある。ブラジルでは、12月は真夏であるのに、いろんなことが北半球の寒いクリスマスの模倣のようで、どうも季節はずれの感じが否めない。案外南半球のブラジルでは、クリスマスとちょうど半年違いのフェスタジュニーナ(六月祭)が、いろんな意味で北半球のクリスマスに似ているのかも知れない。
(アルト・ダ・ボンダーデ教会付属幼稚園のフェスタジュニーナ)
フェスタジュニーナはカトリックの暦で、聖アントニオ(12日)、聖ヨハネ(23日)、聖ペトロ(30日)の3人の聖人の日を覚えて祝うものであるが、この中で、バプテスマのヨハネの誕生日を祝う23日(およびその前夜)がピークとなるため、フェスタジュニーナ全体をサンジョアン(聖ヨハネ)祭と呼ぶことも多い。言うまでもなく、彼の誕生日は、マリアがイエスを身ごもった時、叔母のエリザベトはバプテスマのヨハネを身ごもってはや6ヶ月になっていたという聖書の記述(ルカ1:36)によるものである。6月は収穫の季節であるので、フェスタジュニーナには、収穫感謝祭の意味合いもある。農村では1年で一番豊かな、喜びに満ちた時である。
フェスタジュニーナには、ブラジルの農村文化が集約されており、興味深い風習がたくさんある。まずはたき火。村中のいたるところで、大きなたき火、小さなたき火がたかれる。一年で一番寒い時、一年で一番日の短い時に、たき火は暖房やイルミネーションとして大きな役割を果たす他、とうもろこしやさつまいもを焼く火にもなる。たき火の由来として、バプテスマのヨハネが生まれた時、エリザベトがたき火をたいて、マリアに知らせたと言う伝説もあるそうだ。
このたき火を囲んで、焼きとうもろこし、焼きいもの他、とうもろこしを使った甘菓子やケーキを食べ、クアドリーリャと言うダンスを踊る。子どもからお年寄りまで楽しめるフォークダンスである。男女がそれぞれ一列になって向かい合い、一斉に挨拶をした後、男女が一組になってみんなの前を通り過ぎたり、一人ずつ異性の列の前を自分をアピールしながら通り過ぎたりする。また神父と新郎新婦の仮装をした人があらわれ、田舎の結婚式の寸劇が行われる。大抵は、若い男がどこかの娘を連れて駆け落ちしたのを娘の父親が警察を使って呼び戻したところ、すでに妊娠しているので、神父に頼んで結婚式をあげてもらうと言うお決まりのパターンであるが、その都度みんな笑いの渦に包まれる。6月は、農村の人々にとってお金のできる時であるので、本当に結婚する人も多い。
フェスタジュニーナは、このクアドリーリャからもわかるように、恋人探しの時でもある。特に聖アントニオは、縁結びの聖人として知られる。若い娘たちは、アントニオに願いをかけて、恋人ができるまで、アントニオ像を後ろ向きにしたり、ひどいのは井戸に逆さ釣りにしたりするそうだ。またいろんな恋占いもする。例えば、たき火の中に小銭を投げ込み、翌日、燃え滓の中からその小銭を探す。それが見つかった時に通りかかった男の人に、何か頼み事をする。その人がそれに答えてくれたら、名前を聞く。その人の名前が自分の将来の恋人の名前というわけである。(ブラジルでは名前の数はそう多くない)。またバナナの木に新品のナイフを差し込み、翌日抜き取る。そこについた染みが何のイニシャルに見えるか。それが将来の恋人の名前のイニシャルであるという。ちなみにブラジルでは、聖アントニオの日の前日、6月11日は恋人の日であり、この日は恋人にプレゼントをしたり、恋人と過す日となっている。
最後の聖ペトロの日の前夜には、レシフェ、オリンダなどの海のある町では、ペトロ像を掲げた船を先頭とし、大漁を祈って船の行列が行われる。ペトロは漁師たちの守護聖人なのである。
(レシフェのフェスタジュニーナ)
ブラジルでは、30年前、農村人口が70パーセントで、都市人口が30パーセントであったが、その後、大量の国内移民により、この比率が逆転してしまった。生活も様変わりした。例えば、都会の給与生活者にとっては、お金のあるのは6月ではなく、ボーナスのある12月である。6月はあまり意味が無く、サンパウロのような都会では、フェスタジュニーナは農村の真似事をするお祭りのようになってしまった。しかしここノルデスチ(北東部)では、フェスタジュニーナは、伝統的なものを継承しつつ、若者たちのエネルギーが爆発する、新しい祭りに進化しつつある。レシフェから奥地へ入ったカルアルー、カンピーナ・グランデという町では、巨大な野外ステージが設けられ、6月中連日、さまざまなアーティストを呼び、若者たちはその前で肌をすり寄せて踊る。
ちなみに、プロテスタント教会では、聖人崇拝に直結するフェスタジュニーナに対して、概して否定的である。男女が体を密着させて踊ったりする新しい傾向についても、禁欲的なプロテスタント教会としては、否定的にならざるを得ない。フェスタジュニーナを全く否定してしまう教会もあるが、祭り好きのブラジル人はそれもつらいようである。伝統文化を継承することにもそれなりの意味があろう。レシフェ近郊のメソジスト教会では、「ノルデスチ文化の賛美の夕べ」と題して、聖人崇拝などカトリック的なものを排して、とうもろこしのお菓子を食べ、例の結婚式の寸劇を楽しみつつ、メッセージと賛美を中心にした集会を持った。カンピーナ・グランデでは、プロテスタント諸教会が合同でプログラムを組織し、巨大ステージのあるフェスタジュニーナ会場のすぐ隣の公園で、同様の賛美とメッセージの夕べを、連日開いているそうである。
今年のフェスタジュニーナは、ワールドカップと重なったため、サンジョアン・ナ・ペンタ(五度目のチャンピオンになるサンジョアン祭)と呼び、ブラジルが決勝戦で敗れた7月12日まで祭りが続いた。もしも優勝していたら、さらに祭りは続いたことであろう。
(レシフェのフェスタジュニーナ)
(『福音と世界』9月号、1998年8月)