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大地のリズムと歌-ブラジル通信13「ランピアォンとカンガセイロたち」

 私たち一家は、1月の夏休みを利用して、ノルデスチ(ブラジル北東部)を車で旅行した。旅行の主な目的は、ノルデスチ奥地に広がるセルタゥンと呼ばれる乾燥地域を見ること、そしてセルタォンの英雄ランピアォンと、セルタォンの聖人シセロ神父ゆかりの地を訪ねることであった。ランピアォンとシセロ神父は、全く違った形ではあるが、共にセルタォンの貧しさの中でこそ現れ、伝説化されていった人物である。今回は主にランピアォンをめぐって記し、シセロ神父については次号で記すことにしたい。

 レシフェから大西洋を背にして、西の内陸部へ向かうと、すぐに森林地帯を意味するゾーナ・デ・マッタに入る、ただし現在は森林は伐採され、一面が砂糖きび畑である。その後アグレスチと呼ばれる、かろうじて農作が可能な地域。そこを通り抜けると、いよいよ延々と続くセルタォンである。

 セルタォンは、ブラジルで最も雨の少ない地域で、1年間の降雨量が500ミリメートルに達しないところも多い。乾期にはしばしば一滴の雨も降らず、川の水は完全に涸れてしまう。ここには普通の植物が育つ余地はなく、枯れたような茶色っぽい低いとげのある潅木が一面をおおい、ところどころサボテンが生えている。

 セルタォンでは、かつて何世紀もの間、警察や軍隊の力が全く及ばなかったので、大地主たちは、外敵から土地や身を守るために私的軍隊を雇わなければならなかった。(大地主はコロネルと呼ばれた。)一族同士が、何世代にもわたって、血で血を洗う戦いを続けるようなこともしばしばあった。

 他方、彼らにこき使われてきた労働者の中からは、徒党を組んで、反乱を起こし、武器を奪って牧場や農園を襲い、略奪を行う者たちが現れてくる。彼らはセルタォンの極端な貧しさと、深刻な社会的不正義が生み出した、一種の山賊であり、カンガセイロと呼ばれる。彼らの中には、略奪したものを貧しい人々や干ばつの被害者に配るロビン・フッドのような者もいたようである。

 ランピアォンは、本名をヴィルグリーノ・フェヘイラ・ダ・シルヴァと言い、1898年、レシフェから西へ400キロメートルのところにある小さな村(現在のセーハ・タリャーダ)に生まれた。彼の一族は、農業、牧畜などに携わっていたが、近くの有力なノゲイラ一族などと敵対関係にあったために、しばしば争いに巻き込まれた。そうした争いの中で、ついに両親を殺害されたヴィルグリーノは、弟達と共にセルタォンへ逃げ、10代半ばでカンガセイロのグループに身を投じた。やがて一団を取り仕切るようになると、彼のグループは、その冷酷さ、残虐さでノルデスチ中で恐れられ、名を馳せるようになる。深夜に民家を訪れては「飯を出せ」と言い、それを少しでもしぶると皆殺しにしたと言う。警察、軍隊は、彼の一団と10年以上にわたって、計100回以上の戦闘を繰り返したが、なかなか討伐することはできなかった。しかし1938年、ついに追いつめられたランピアォンは、セルタォンのある農場の洞くつで、愛人マリア・ボニータほか、9人の子分と共に射殺され、最期を遂げた。彼らの首は、何と約30年もの間、サルバドールの博物館に展示されていたそうである。

 ランピアォンとは、一体誰であったのか。軍政時代に発行された古い百科事典を見ると、どうしようもない極悪人としての評価のみがクローズアップされているが、どうもそれだけではないようだ。ランピアォンは、その残虐さにもかかわらず、ノルデスチの民衆文学の中で吟遊詩人たちによって、最も多く歌い継がれてきた人物である。金持ち、権力者に抑圧され続けた民衆は、抑圧する権力に屈せず、果敢に戦ったランピアォンの生き方の中に、英雄像を見いだしてきたのであろう。

 ノルデスチの人々の心の歌「アーザ・ブランカ(白い翼)」を始め、数々の名曲を作ったルイス・ゴンザーガ(1912~89)などは、いつも革の帽子、ネッカチーフ、弾薬帯に胴衣、胸甲にサンダルというカンガセイロの衣装で、セルタゥンの心を歌いあげたが、そうした中にも、ノルデスチの人々のアイデンティティーがうかがえる。

 昨年、ペルナンブッコ州の肝いりで、ランピアォンを主人公とする「かぐわしい踊り」という新しい映画が公開された。ランピアォンの貴重な実写フィルムが随所に使われた、なかなかよくできた映画である。生誕百年を迎え、ランピアォンの評価はさらに高まりつつようである。


(ランピアォン像-フォルタレーザ民族博物館所蔵)

 セルタォンのまっただ中、ランピアォンの生地セーハ・タリャーダから北へ30キロメートルほど入ったところに、トリウンフォという小さな美しい町が忽然と現れる。町はランピアォンが活躍した時代の面影を残しつつ、美しく整えられ、町の中心にある湖は、砂漠の中のオアシスのごとく、訪れた者の心を和ませてくれる。ランピアォンはこのトゥリウンフォの教会を、自分の守護教会として慕い、この町では一切悪事を働かなかったと言う。この教会のすぐ裏に「カンガセイロ博物館」があり、ランピアォンを初め、カンガセイロたちに関わる物、当時の生活道具などが展示してある。私はそこで改めて、セルタォンの人々のランピアォンに対する思い入れを感じつつ、シセロ神父の町ジュアゼイロ・デ・ノルチへ向かった。(つづく)

(『福音と世界』3月号、1998年2月)

ブラジルの地図がこちらにあります。今回の文章に出てくる町は印が付いていませんが、参考までにご覧ください。

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