「イエス様に祈られて」(2025年12月)
今からおよそ2000年前のこと、私たちが住むこの世界にイエス様がお生まれくださいました。皆さんも12月、それぞれのお家でクリスマスのお祝いをされるのかなと思います。クリスマスの目的は、神様から授かった救い主イエス様のお誕生日をみんなでお祝いすることです。そこでのイエス様はまだ生まれて間もない、飼い葉桶でスヤスヤと眠っておられる赤ちゃんです。
イエス様はどうしてこの世界に生まれて来られ、貧しい暮らしの中に人々と共に住まわれたのでしょうか。そして、どのようなお働きをされて最後はどんな終わりを迎えられたのでしょうか。イエス様は、「愛する」ことの本質を教えられました。この愛するとは、神様の私たちへの思いそのものです。いつの時代も人は変わらない温みにあふれる何かを探し求めているように思います。
33歳頃のイエス様は、12人のお弟子さん達と力を合わせて、神様のすばらしい教えを人々に伝えるという大切なお働きをしておりました。多くの人々がそのお話に耳を傾けられ、心の疲れが癒されて慰めを得たのです。イエス様の行くところどこにでも多くの人々で溢れていました。しかし、それを嫌う人たちもいました。その国の王様や偉い人らは、自分たちの暮らしを揺るがす邪魔な存在と考え「何とかしてアイツを捕まえて懲らしめてやろう」と企んだのです。何も責められるようなことはしていないのに、ついには命まで奪われたのでした。
天にいらっしゃるイエス様は、遠いところへ行かれたまま2000年近く過ぎた今日まで、ただただ静かに黙ってこられたのでしょうか。イエス様は今日も完全な御姿となられ天の世界にいらっしゃいます。イエス様が教えられた神様の愛が、今を生きる私たちとどのようにして繋がっているのでしょうか。聖書マタイによる福音書1:23には次のようにあります。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(マタイによる福音書1:23)
インマヌエルとは、ヘブライ語で『神我らと共に』という意味です。これには『いつもあなたと共にいるよ』というメッセージが込められています。「イエスさま」と心を傾けるとき、私たちはイエス様を通して神様と繋がることができるのです。神様の御子でありながら、人としてこの世界にお生まれくださり、貧しさを知り、死の苦しみを覚えられました。そうであればこそ今日もこの世界にある人々と神様の真ん中にあって、私たちをいたわりながら温かい御手を差し伸ばしてくださるのだろうと思います。
イエス様は、私たちに対して、草花な虫・海や野の生き物、水・光・風など多くの命ある存在を通して、また誰かの発せられる言葉を通して、あるいは何気に目に留まった絵や文字などから、大切な教えメッセージを送っているように思うのです。それは自分のために何かをくださいと願うことが前提ではなく、他の誰かのために祈る『とりなしのお働き』であると言えます。皆さんも例えば大切な誰かが病気をして長いこと床に伏していると知ったなら、祈り心に願うのではないでしょうか、「早く元気になりますように、また一緒に過ごせますようにどうかいやしてください」と。それが『とりなしのお祈り』です。
聖書の一節ルカによる福音書22-32に次のようにあります。これはイエス様が剣をもった兵士に捕えられてしまう前の場面のこと。兵士の前から弟子たちが皆怖がって逃げ去っていくということをイエス様は敢えて知りながら、愛する弟子ペテロへ告げたお言葉です。
「私は信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたが立ち直った時には、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカによる福音書22:32)
事実、兵士が目の前に現れるとペテロたちは捕まるまいと「イエスとは何の関わりもない」と言い放って逃げてしまったのです。それから後のことですが、このペテロが深い悲しみと悔しさから再び起ち上ることができたのは、先程のイエス様のとりなしのお祈りがあったからです。ペテロはその後、初代教会のリーダーへと引き上げられキリスト教の土台(岩)を築くこととなります。イエス様はペテロに対して、共に命を捨てることを求めず、「私に根を下ろして生きるんだよ」と「新しく与えられた命を輝かせながら人々に繋いでいってほしい」と願ったのです。
イエス様はご自身の生き方を通して、神様の愛は私たちへと向けられているんだよと教えられました。今も天にあって、この世界で生きる一人一人を覚えて祈っておられると私は信じています。人として生まれた私たちは、この地球という住まいの中で共に祈り・共に生きる恵みにあずかっているように思います。いのちは私たちの手の平にあるのではなく、神様の御手の内にあります。神様が私たちにくださった命の尊さを語り続けること、それが神様の平和を願う歩みとして、私たちもまたその役割を果たしていきたいと思います。
鹿児島加治屋町教会では、毎日曜日、午前9時からの子どもを中心とした家族礼拝と午前10時30分からの主日礼拝の、2回礼拝を守っております。「希望のダイヤル」をお聞きくださり、ありがとうございました。