自然と文明の保管者として
第30回西南支区平和と核廃絶を祈るつどい
2017年8月4日
創世記9章1~2、9~16節
ルカによる福音書15章11~24節
鹿児島加治屋町教会牧師 松本 敏之
(1)ジョージ・ケナンの言葉
なつかしい皆さま、こんばんは。本日は、第30回「西南支区平和と核廃絶を祈るつどい」のスピーカーとしてお招きくださり、ありがとうございました。
今回の話に「自然と文明の保管者として」という題を付けさせていただきました。随分大きな題名を付けてしまったと思いますが、これは、大江健三郎が、アメリカの政治評論家ジョージ・ケナンの言葉として紹介している言葉を元にしたものです。この人の言葉を、大江健三郎は講演の中で何度も引用するのです。私が知る限り、3回も引用しています。恐らくその中で一番古いのが、1987年10月に「信仰を持たない者の祈り」と題して行った講演です。(今日は平和と核廃絶を祈る集い、30回ということですので、その始まりの1987年にこだわりました)この講演は、岩波書店から出された『人生の習慣(ハビット)』(1992年)と題された講演集に出ています。あとの2回は、『あいまいな日本の私』(1995年)という岩波新書の中に出てきます。
ジョージ・ケナンという人はもともとアメリカの外交官だった人ですが、外務省を去って外交評論家になった人だそうです。彼が『核の迷走』という本の中で、こう言っているそうです。大江さん自身の訳です。孫引きですみません。
「われわれがそれについて話している文明は、われわれの世代のみの所有ではない。われわれはその所有者ではなくて、単に保管者なのである。それはわれわれより無限に大きく、重要な何ものかである。それは全体であり、われわれは単なる部分である。われわれがそれを達成したのではなく、ほかの者たちが達成したのだ。われわれはそれを創造しなかった。われわれはそれを受け継いだのだ。それはわれわれに与えられた。しかも、次のような暗黙の義務とともに与えられたのだ。それを慈しみ、よく保ち、発展させ、望むべくは改良して、あるいは少なくとも壊さず、そのままに、われわれの後に来るべき者らに渡せという、そのような暗黙の義務とともに」(『人生の習慣』32頁)。
心に響く深い言葉です。そしてジョージ・ケナンはこう続けます。
「自分たちが、自分たちの目先の政治的な課題のために自然の構造を破壊してしまう、そういう核兵器の使用というものを行ってしまうならば、それは傲慢、涜神、そして侮蔑だと思う。しかもそれは、怪物的なほど大きい規模の、神に向けられた侮蔑にほかならない」(同33頁)。
(2)大江健三郎の言葉
その後大江健三郎氏はこう言うのです。
「私はケナンのようにキリスト教徒ではありませんから、自分たちの神に対する侮蔑という資格はないでしょう。しかし私が考えることは、信仰を持たない人間にも神に対して侮蔑を働かないということはできるだろうということです。……そういうふうに、あらゆるところに『祈り』というものはある。そして現在、宗教のある人間もない者も含めて世界中でいちばん大きい祈りは何かというと、私たちの後にも世界が続くようにということじゃないかと思うんです。」
「いま核兵器が爆発してしまえば、世界中が冬の気候になって、生物も植物も動物も生きることはできない。根本的な環境の破壊というものが行われると科学者は警告しています。それを『核の冬』というふうに呼んでいるわけです。それに対して私たちは『生命の春』が、季節がめぐるごとに訪れてくるように念願している。……そのことを私は祈りたい。
私たち宗教を持たない人間、信仰を持たない人間にも祈るということはある。『生命の春』のために『核の冬』を拒むという願い、あるいは祈りは、もちろんキリスト教徒の方によって持たれているに違いない。あるいはイスラムの人々に持たれているに違いない。仏教の人に持たれているに違いない。そうすれば私は、本当に祈りというものをよく知っている、それに慣れている、それを意識化している人たちの共同に私たち信仰を持っていない人間が加わっていくということが大切だと思うのです。それが『核の冬』をふせいで『生命の春』ということを希望するための、いちばん根本的な行動じゃないかと思います」(同33~34頁)。
随分長い引用になりましたが、この祈りを新たにするということが、私が最もお伝えしたかったことです。ですから、もうこれで終わってもよいのですが、そういうわけにもいきませんので、続けます。
(3)鹿児島での働き
私は鹿児島へ転任して3年目になります。東京にいた頃も忙しかったですが、鹿児島でもそれなりに忙しくしています。鹿児島に行って最も大きく変わったことは何かと言えば、活動の幅が広がったことです。(もちろん幼稚園の園長でありますので、それは結構時間を取られます。)日本キリスト教団の教会は鹿児島市内には二つしかありません。鹿児島県内でも7つ、伝道所を入れて9つしかありません。ですから、日本キリスト教団の教会の交わりだけではなく、カトリックを含む超教派の交わり、そしてキリスト教以外の宗教の人との活動に参加することが多くなりました。YMCA、ユネスコなどの活動も結構あります。そうした活動のうち、明後日の8月6日にも興味深い行事が二つあります。
ひとつは、鹿児島加治屋町教会での平和聖日礼拝につづいて鹿児島ユネスコ協会との共催で行われる「平和の鐘を鳴らそう」という行事がです。これにはクリスチャン以外のユネスコ協会の会員の方も参加されます。多くの方はその前の「平和聖日礼拝」から出席されます。
さらに興味深いのは、午後4時から鹿児島宗教者懇話会主催で行われる「平和の巡礼」という行事です。鹿児島宗教者懇話会というのは、2011年の東日本大震災の後、宗教者たちが協力して平和のために何かできないかということで発足したものです。キリスト教の他に、仏教各派、立正佼成会、神道などの宗教者たちで設立されました。7年目の今年は「キリスト教」が世話役担当年ということで、カトリック鹿児島司教区の司教様が会長を務めてくださっています。
それに属する宗教者たちがそれぞれの宗教の正装で平和の巡礼を行うのです。カトリックのザビエル記念教会から初めて、西本願寺別院へ行き、それから照国神社へ行き、ザビエル記念教会へ戻って、「平和のための祈りとコンサート」を行います。
東京でも同様の行事があるのかもしれませんが、私は日本キリスト教団やせいぜいカトリックを含む超教派の交わりで手いっぱいでありました。しかし鹿児島ですと、同宗連(同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議)でも靖国問題を考える宗教者の会でも、なんでも私がプロテスタント側の代表、世話役になってしまいます。なにしろ他にやってくれる人がいませんので。お坊さんたちやカトリックの神父さんたちとの交わりはなかなか刺激的であり、教えられることも多くあります。
こうした活動は、先ほどの大江健三郎さんの言葉、「そうすれば私は、本当に祈りというものをよく知っている、それに慣れている、それを意識化している人たちの共同に私たち信仰を持っていない人間が加わっていくということが大切だと思うのです。」という言葉につながるものであると思います。
(4)30年の歩みを振り返って
さて、私が今回のスピーカーに招かれた大きな理由は、この「平和と核廃絶を祈るつどい」の30年の歩みを振り返ることであると伺いました。
私は、2002年4月から2015年3月まで13年間、経堂緑岡教会の牧師を務めましたが、そのほとんどの期間、西南支区社会担当にかかわってきました。そのうちの何年かは常任委員として協力委員会の責任ももちました。小河牧師から鹿児島にお電話いただいたとき、「活動の原点に返って、松本先生に」とおっしゃっていました。「私はそもそもの始まりは知りません。それなら平川寛子さんのほうが詳しいでしょう」と申し上げると、平川さんが丁寧に、最初の会の報告書と、30年の集会の記録(題名・講師のリストなどをまとめて送ってくださいました。これは貴重な記録ですので、それを皆さんにも配っていただくことにしました。
始まりについてですが、1988年1月1日付の「西南支区だより」に、梅ヶ丘教会の会員であった早川亨さんが書いておられる文章を読みますと、1985年3月の西南支区総会において「核廃絶」の問題にどう取り組むかが議論され、常任委員会に付託されることになり、翌年1986年に、社会担当のもとに「西南支区核問題を考える会」が設けられることになりました。そのような準備のもと、1987年8月3日、中渋谷教会において「核兵器廃絶を求め平和を祈る集い」が開かれました。演題は「核兵器入門、その恐ろしさ」(明治学院大学豊田利幸教授)でありました。
それ以降、毎年この時期に「祈る集い」が開かれ、今回で30年目(30回目)となった次第です。この他にも「核問題を考える会」は、年に4回ほどの例会を続けてこられましたが、2001年に推進役であった早川亨さんが天に召され、それから一緒にそれを支えてこられた平川寛子さんのお連れ合い平川剛志さんも亡くなられて、年4回の例会が途絶えてしまったようです。私が西南支区に来たのはちょうどその頃であり、社会担当を陣内厚生先生から引き継いだのはその翌年ですので、少し責任を感じています。
(5)鈴木伶子さんの講演
「核廃絶」の問題を考えるのに、大きな転機となったのは、やはり2011年の東日本大震災とフクシマ原発事故であると思います。それまでは、原爆、核兵器は絶対やめなければならないけれども、原発は平和利用もありうるというのが世間一般の多くの人の考えでありました。1987年3月の西南支区総会に「核兵器廃絶並びに核発電設備廃止を求める決議案」を提案できなかったのも、そうした事情からでしょう。
2011年の第24回「西南支区平和と核廃絶を祈るつどい」には、日本YWCA理事長であった鈴木伶子さんをお招きしました。鈴木さんは「分かれ道に立って考える~プルトーンの火を盗んだ人類の行方は?」と題してお話しされました。そして「日本YWCAは、最初から原爆と同時に、原発にも反対して活動してきた。女は原爆と原発の違いも分かっていない」という批判を受けながら、一貫してやってきた」と述べられました。
「プルトーンの火」というのは、原発専門の科学者として原発に反対し続けて、2000年に亡くなった高木仁三郎氏の表現です。私は、それまで高木仁三郎さんのことは恥ずかしながら、よく知りませんでした。多くの一般の人がそうではないかと思います。フクシマの原発事故が起きた時に、高木仁三郎さんが20世紀のうちに、すでに原発の危険性について専門的見地から預言者的発言をしておられたことを知ったのです。私もそれから彼の多くの本を読みました。
(6)被造世界の保管者
大江健三郎氏が引用したジョージ・ケナンの射程にあったのは核兵器、原爆ということでした。ですから原爆が破壊する文明ということで、われわれは「文明の保管者」として振る舞う、生きる」ということの大切さを訴えたわけです。しかし私は、原発や原爆が破壊するものとして、「文明」だけではなく、当然のことながら「自然」も忘れてはならないと思いました。原爆は文明をねらいますが、もちろん自然も破壊します。原発は文明をねらわないかもしれませんが、文明も自然も破壊するのです。それで「自然と文明の保管者として」という題を付けさせていただきました。
今から30年前、「西南支区核問題を考える会が発足した時に、支区総会に出そうとした議案(「核兵器廃絶並びに核発電設備廃止を求める決議案」)からすれば、この会は最初から原発反対も視野に入れていたということがわかります。
私は、この30周年を記念するにあたって、原点に帰るという意味でも、この頃、つまり1987年から90年ころに発表されたいくつかの言葉に耳を傾けたいと思います。
普通、自然と人間の関係について、聖書はどう言っているかを知ろうとする時、誰しもまず創世記1章の言葉に注目するでしょう。
「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の上を這う生き物をすべて支配させよう』
……
神は彼らを祝福して言った。
『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ、海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ』」
この「支配させよう」、そして「地を従わせよ」ということが、人間の自然への荒々しく傲慢な態度に根拠を与え、「創造の秩序を破壊する行為を正当化することに誤って用いられて来た」ことは、事実であると思います。
ゲルハルト・リートケという人はそうした理解を批判しながら、むしろ創世記6~9章の洪水物語に新しい光を当てます。そして「ノアたちが洪水に生き残った後で、人間は『地の支配者』ではなく、いわば被造世界全体の管理者とされたこと、それを前提として「二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはない」と保証されたというのです(リートケ『生態学的破局とキリスト教』参照)。
(7)高木仁三郎「聖書は核を予見したか」
高木仁三郎氏は、このリートケの言葉を受けて、さらに発展的に興味深いことを述べます。それは富阪キリスト教センター編集の『エコロジーとキリスト教』という論文集に収められているものです。高木仁三郎氏は仏教徒ですが、このキリスト教をベースにした本の中で「聖書は核を予見したか」という文章を寄せておられます。この書物は、1993年の発行ですが、富阪キリスト教センターの研究会で高木仁三郎氏が発表されたのが1988年9月ですので、やはり今から約30年前であります。
その中で高木氏は、リートケが語ったことを肯定しながら、「むしろ問題はそこから始まる」と言って、二つのことを述べます。
そのひとつは、「神が人間の暴走を食い止める手段として、洪水が選ばれた」ということです。そして、「私には現代の異常気象とぴたりと二重写しになってくる(温暖化、オゾンホール、酸性雨なども含めて)。「その意味では、創世記は人間の暴走が―神の怒りを媒介にしてはいるが―全地球的な環境破壊を招くであろうことをはるかに予見していた。しかし、この聖書の教えを、人間のほうが怠慢にも十分に読み取っていなかったのだ。このレベルを敷衍して言えば、核もまたはるかに予見されていたと言っても過言ではあるまい」(『エコロジーとキリスト教』19~20頁)。
(8)「天」と「地」の創造
高木仁三郎氏の論考でさらに興味深いのは、「神は天と地を創造された」ということについてです。最初にそういう言葉があるにかかわらず、聖書はそれ以降、「地上世界」しかも「人間」のことに関心が集中してしまっているというのです。神は天と地を創造されたということは、「天と地は別々の原理法則で動く世界として存在する。地上には地上の世界があり、天上には天上の世界がある」ということです。「両者は全く別の法則の下にある。そこには厳然たる区別がある。それは冒されてはならない。」そこには、自然の摂理があるのです。
「天上(星)の世界は、“光”を生み出している世界であり、核反応によって物質は常に消滅生成を繰り返し、物質がエネルギー(光)に変わっている。……それは激しい反応の世界であるが、私たちの生命は、物質の安定つまり核の安定の上にのみ成り立っている。核の安定があるからこそ、そこに生命は育つのである。だから、私たちが『地の守り人』であろうとするならば、核の安定を守る必要がある。」
私たちは天を見上げ、星を見て、美しいと感じますが、実はそこは生物が生きることができない世界です。絶えず核反応を繰り返している。そこでは地上(地球上)とは全く違う相いれない世界なのです。神様は、その二つの世界を、厳密に別の世界として創ったものを、侵してはならないということです。創世記は、最初にそのことを書きながら、その後は「地」の話になって、天のことを忘れているというのです。
「原子力というのは、本来の地上世界にとっての異物を導入して原子核の安定を破壊し、そのことによって非地上的な(天文学的な)までの力を得ようとする技術である。それは本質的に地上の生命世界の原理とは相いれず、その非和解的衝突を私たちは、広島、長崎、そしてチェルノブイリにおいて典型的に見ているのである。」
私たちは、今やここに「福島」を加えなければならないでしょう。
「このようにみれば、核(原子力)開発は、文字通りプロメテウスのごとく天の火を盗む行為であり、禁断の行為であったはずである」(以上、同21~24頁参照)。
私は、この言葉に、とても大きな衝撃を受けました。聖書の「天と地」というのを、そういう風な読み方をしたことはありませんでした。
このことこそが、鈴木伶子さんが「プルトーンの火を盗んだ人類の行方は?」ということで言おうとされたことでした。今、それを改めて思い返したいと思うのです。
高木仁三郎さんは、先ほど「地の守り人」という言葉を使っておられました。彼は「管理者」というより、こう表現したいと言っています。それは別の言葉で言えば、「執事」ということだとも言っています。執事というのは、主人に対して主人の意向通りに忠実に働く人のことです。
高木さんは「人間が真に地の守り人であるとするならば、……地の健全性、安全性を守らなくてはいけないのではないだろうか」と言われます。これは仏教徒である高木さんがキリスト教徒である私たちに突き付けられた大きな課題ではないでしょうか。彼は、その言葉を、1987年頃にすでに預言者的に語っておられるのです。
(9)エルネスト・カルデナルの言葉
さて最後に心に留めたいのは、先ほどのゲルハルト・リートケが、高木さんと同じ書物『エコロジーとキリスト教』の中で引用している言葉です。
リートケは、「被造物が立ち帰るまで」と題する論考の中で、エルネスト・カルデナルの言葉を引用しています。エルネスト・カルデナルは日本ではあまり知られていないかもしれませんが、ラテンアメリカの解放の神学を知っている人には有名な名前です。トラピスト修道会の修道士ですが、ニカラグアの解放闘争に加わり、軍政から民政になった後は大臣も務めた人です。(彼がニカラグアの貧しい民衆と共に福音書を読んだ記録が『ソレンチナーメの農民による福音書』という書物になっています。)
私は解放の神学の世界でカルデナルの本を読んでいましたので、リートケとカルデナルにつながりがあることは驚きでした。リートケが引用しているのは、次の言葉です。
「神の心は被造物全体がいなくなった子のようにその懐に帰るまでは休まることがない。」
少しわかりにくいかもしれませんので、補足して訳せば、「神の心は被造物全体がいなくなった子が帰ってくるように、その懐に帰るまでは休まることがない」となるでしょうか。
私は、これはすごい言葉であると思います。高木さんの言葉もすごいと思いましたが、これはある意味でそれを超えています。つまり高木さんは、神と人間の関係を、「主人と執事(地の守り人)」という関係でとらえ、その責任を果たすように告げました。私の今日の題名の「保管者」という言葉も同じレベルです。
しかしカルデナルはそれを超えて、神と被造物を「親と子」としてとらえている。神は人間が、いや人間だけではなく、すべての被造物が懐に帰ってくるまで、つまり本来的な形に戻るまで心配で心配で仕方がない。その日をずっと待っているという表現です。被造物が、そして人間が、神の愛情の対象なのです。人間に対して、この大地を委ねたのですが、それを執事として委ねたのではなく、子として委ねたのです。それをどのように守っているかを、主人が執事を見るようにではなく、親が子を見るように見守っている。そして本来的な形になるように祈り続けている。
(10)放蕩息子を思う父
私はそこで有名な放蕩息子の父親の姿を思い起こしました。
次男は、「お父さん、私が受け継ぐべき財産をください」と言いました。そして家を出ていきました。それも本当はまで、主人である父のものでしたが、それを息子の願い通りに与えてやりました。神様と私たち、そしてこの地上世界の関係も、その放蕩息子の物語の鏡のもとで見ることもできるのではないでしょうか。私たちはそれを元来の主人の思いのとおりに使うことこそが、求められているのですが、好き勝手に振る舞い、その心から離れてしまった。
しかし主人である父は、神は私たちを見捨てたわけではない。それは神が愛された大事な被造物である。大事な人間であり、大事な世界である。だからいても立ってもいられないのです。私たちに求められているのは、悔い改めて、この主人のもとに立ち返っていくことではないでしょうか。
あの放蕩息子の物語からすれば、すべてを失ってからでも遅くはないのかもしれませんが、私たちはそうは言っていられない。一刻も早く、創造主である神のもとに、悔い改めて立ち返っていかなければならないのではないでしょうか。