2024年10月20日神学校日 礼拝説教「シモンは沖へ漕ぎ出した」〈日本聖書神学校教授 カンバーランド長老教会田園教会牧師〉荒瀬牧彦牧師
ルカによる福音書5:1-11
お招きいただきありがとうございます。東京にある神学校で教員をしている者の一人として、神学校のためのご支援とお祈りへの御礼を申し上げます。明日の日本の教会のために、ぜひ、神学校へと伝道献身者を送り出してください。今日は、私たちがイエス様の宣教への呼びかけを聞いてそれに応える、ということの深さについて、聖書から聞き取りたいと思って参りました。
ゲネサレト湖という湖が出てきました。これは、われわれの良く知っている名でいえば、ガリラヤ湖です。この湖にはいくつも呼び名があります。旧約聖書では、キネレト湖という名前で登場しますし、ヨハネの福音書ではティベリアス湖です。アラム語訳の旧約聖書タルグムでは、ギンネサルの海。ルカではゲネサレト湖。こんなに多くの呼び名があるというのは、いろいろな人が侵入し、支配し、それゆえ複雑な歴史があるということです。そこで生きる人たちにしてみれば、幾多の困難があった、ということでもあります。
ルカではゲネサレト湖ですが、ちょっと呼びにくいので、ルカさんには怒られそうですが、今日はガリラヤ湖と呼ばせてもらいます。
ガリラヤ湖って、聖書を読む者にとってすごく大事な場所です。主イエスはこのガリラヤ湖を囲む土地で伝道をはじめ、町や村をまわって神の国を告げました。当然、この湖やその周辺の風土や社会は宣教に影響を与えているはずです。
そのわりにわたしたちは、ガリラヤ湖での人々の暮らしというものをあまり知らないのではないか、という気がします。よく知らないのですが、勝手に想像してあるイメージを抱いているところがあります。ちょうとわたしたちが、どこか知らない国の有名な観光地について、観光ガイドブックの写真だけ見て、美しいイメージを描いているようなものです。観光ツアーで有名なスポットだけ駆け足で回っても、そこに生きている人たちの生活はよくわかりません。
私は一度だけ、ガリラヤ湖に行ったことがあります。もう25年以上前のことですが、その記憶は鮮やかに残っています。小型の船に乗って波しぶきを浴びて、その後、湖畔の食堂で定番のセイント・ピータズ・フィッシュ(聖ペトロの魚=ティラピア)を食べました。感動しました。でもそれは、観光客向けに作られたガリラヤ像を見たに過ぎません。イエス時代にそこで漁師として生きていた人たちの生活感覚がわかったわけではありません。
イエス時代のガリラヤがどういう社会であったのかを、文化や政治や経済の構造まで含めて記した『イエス誕生の夜明け』という良い本を読み、そこで紹介されていた論文を読んだ時、ああ自分は何も知らなかったな、と思いました。それゆえ、聖書に出てくるガリラヤの人たちの生活感情への想像力が欠けていました。
まず私が認識を正されたのは、ガリラヤ湖で漁をして生計を立てるというのは、「漁をして取れたものを食べ、余分に取れたものは市場へ持っていって必要なものと交換して」、といった素朴で単純な話ではなかったということです。
ガリラヤ湖は食べられる魚が豊富に取れることで有名だった。おいしいと評判のティラピアがよく撮れた。ガリラヤ地方において、魚は非常に重要な商品でした。塩漬けにされて、地中海世界一体に輸出されていて、ローマでも評判がよかったそうです。したがってそれは、支配している人たちにとっては<絶対に手放せない権益>であって、きびしい管理体制がそこにあったのです。
漁をすることそのものが自由ではありません。漁業権が必要です。これには税金がかかります。まずそこで絞られます。
舟は、個人で持っている漁師の家もあったようだが、ものすごく高価で、多くの場合、重い借金を負っていきます。お金のない人たちは、高い賃料を払って借ります。
水揚げも自分のものというわけにはいきません。ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスは、贅沢好きで有名でしたが、その贅沢を支えていたものの一つは、ガリラヤの漁獲がもたらす利益だったようです。
ですから漁師は大変です。まず地元の豪族から利益を吸い上げられ、徴税人たちから税を取られ、その上にヘロデ・アンティパスが君臨し、さらにその上にローマ帝国がある・・・。
漁師とはいえ、魚を好きなだけ食べられるというわけではないのです。朝から晩まで働いて、手許にはほんの僅かの金しか残らない。自分たちはおいしい魚を口にすることはなく、都会では領主とその一族がぜいたく三昧。ローマはグルメの時代で、腹いっぱい食べては、指を喉につっこんで吐き出してまた食べるなんてことをしている。しかし、漁師というとても重要な仕事をしている人々は、経済的にいうと社会の底辺に近いほうに置かれていたのです。
「漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた」と福音書は記していますが、このとき、主イエスの周りには、「神の言葉を聞こうとして、群集がその周りに押し寄せていた」のです。救いを求める人たちがイエス様のもとに殺到し、それゆえにイエス様は、小舟の上から陸の群衆に向かって話さねばならないほど。そんな時に、漁師たちは網を洗ってたのです。彼らの内面をそこに見てよいのではないですか。「新しい預言者か何か知らないが、俺たちには関係のないことだ。」
ルカ福音書の順序でいくと、この時シモンはすでにイエス様を知っているのです。前の章に「イエスは会堂を立ち去り、シモンの家にお入りになった」とあります。シモンのしゅうとめがひどい熱に苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエス様にお願いして、イエス様は癒やしてくださっていました。なのに、シモンはイエス様の話を聞く群衆の一人にはなっていなかったのです。食べていくための仕事に追われていたのか、関心がなかったのかのどちらかです。
しかしそういうシモンに向かってイエス様は「舟を出してくれ」と頼みました。舟から群衆に語るためです。この時点で、シモンは、ただ頼まれた仕事として舟を出していたと思われます。
ところが、話が終わった後、イエス様は意外なことを言います。「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」。その時シモンはすぐ、「先生、わたしたちは夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」と言い返した。彼の心中を想像してみたら、どうでしょう。「なんだよ、このお偉い先生は。漁師の苦労なんて何もわかっちゃいないんだな。ここで生まれ育った俺らが一晩苦労して取れない。こういう時は何やったってだめなんだよ。」
でもシモンは言いました。「しかしお言葉ですから、網を降ろしてみましょう」
これをどう取りますか。人によってはこの「しかしお言葉ですから」というのを、受胎告知の時のマリアの、「お言葉通りこの身になりますように」というような素晴らしい信仰だ、と解釈します。でも、私はへそまがりのせいか、そうだったのかなあと疑ってしまいます。
しゅうとめを癒してもらっているという恩義があります。その義理から、イエス様を「先生」と呼んで立てて、先生のおっしゃることだから一応従うことにしたのではないか。それは、支配者たちのもとでこき使われてきた労働者としての処世術だったかもしれません。逆らうのは危ない。馬鹿らしくても、従っておくのが無難なのだ。
ところがそうやって網をおろしてみたら、取れないはずの魚が、信じられないほど取れてしまったわけです。舟が沈みそうなほどの大漁!
この時シモンは不思議な行動をします。大漁に大喜びするんじゃなくて、主イエスの足元にひれ伏して「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と、罪の告白をしたのです。
「ああ!この方はすべてを見抜いておられたのか!」ということだと私は解釈します。今までの自分の無関心、冷笑を見抜かれたのです。「どれだけ偉い先生が来たとしても、ガリラヤの現実は変わらないんだよ」と腹で笑っていた自分を、全部見ぬかれていたのです。自分の罪を知らされました。
こわくなったシモンは「わたしから離れてください」と言います。でも、この時、逆に、両者の距離はぐっと接近する。イエス様が迫ってくるのです。
イエス様はこう言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を取る漁師になる」。
この「今から後」が重要です。「たった今から」と訳してもいいでしょう。今この時、ちょうど今、あなたは違う人生を歩み始める。シモンにとっての「時の分かれ目」がここにどんと置かれました。これ以前とこれ以後では全く異なります。イエスという方ご自身が分岐点になるというのです。そして本当にそうなってしまいました。ガリラヤ湖で漁をしている人間に、違う明日なんてないと信じていたシモンの人生は、変わってしまいました。
「沖へ漕ぎ出して」という言葉に注目してみたいと思います。ギリシア語(エパナガゲ・エイス・ト・バソス)を直訳すると、「漕ぎ出せ、深み(深いところ)へ」となります。「深みへ向かえ」――意味深な言葉ではないでしょうか。この「深い」という単語は、他の個所ではどう使われているか調べてみると、ローマ書(11:33)では、「ああ神の富と知恵と知識のなんと深いことか」という風に使われています。エフェソ書(3:18)では、「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるか」の「深さ」に用いられています。とても大事な言葉なのです。
ならば、「深みへ」というのを、このようにふくらませて解釈するのは的外れではないでしょう。
<あなたはガリラヤ湖のがんじがらめの搾取の構造の中でずっと働いてきて、大変だったね。心も体も固くなっているようだ。この世の現実も自分の人生も何も変わらない。そう思っているだろう。しかし、そうではない。分岐点が来た。ここからが大事なんだ。あなたはこれから、深みに向かうのだ。>
「深み、深いところ」ってどこですか。それは、普遍的な万人向けの答えがあるというわけではなくて、私たち一人ひとりが考えねばなりません。しかし、この後のシモンや他の弟子となった人たちの歩みをみるならば、ひとつ、はっきり言えることがあります。それは「深み」というのは、人間の苦しんでいるところだということです。苦しみ、救いを求めてもがいている人たちがいるところです。
深みとは、人間が人間らしく生きようとして、もがいているところ。圧迫され、むしりとられ、傷つけられ、それでもなお、神の国を求めてもがいているところ。救いと解放を求めているところ。
ガリラヤ湖の漁業経済の過酷な構造があって、その搾取の現実の中を生きてきたシモンたちです。イエス様に会う前は、「それ以外の人生なんてない」と思っていたでしょう。世界が変わるとか、自分が変わるとか、そんなこと考えたこともなかったでしょう。ところが、イエスに声をかけられたら、そうはいかなくなるのです。
どうなるか?イエス様が見ている世界を見ることになる。イエス様が出会う人たちと出会うことになる。人間が苦しんでいる、もがいている、でも神の国を求めている。そこで、イエス様の弟子として、イエス様と共に人間に出会っていくのです。
「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」。
ルカはこの「とる」という言葉にゾーグレオーという動詞を使っていますが、それは辞書をひくと、「生け捕りにする」です。英語だと、catch aliveです。生け捕りなんだから、生きていなきゃ意味がない。塩漬けの商品にするためじゃない。
教会は勘違いしてはいけません。「人間を取る」とは、自分たちの組織拡張のために、使える「人材」を獲物にしていく漁に召されたのではないのです。人間をaliveな人間として取り戻すため、人間が人間らしく生きられるようにするために、人に出会っていく働きに召されたのです。
ご存じのようにシモンは、この後、初期教会の指導者になっていきます。最後はローマで殉教したと伝えられています。彼は、イエス様によって、本当に深いところへ行った人です。変な言い方をすれば、シモンは、「イエスにかどわかされて、深みにはまっちまった」のです。
「深みにはまる」というと、たいてい悪いことにはまることを言いますが、素晴らしい深みだってあるのではないでしょうか。シモンはキリストの深みにはまったから、神さまに与えられたいのちを生きることの素晴らしさを知ったのです。
後にペトロという名前をもらったシモンさん、シモン・ペトロは、福音宣教のためにいろんなところに行き、いろんな人に出会いました。分岐点以前は、ガリラヤ湖で自分の漁と家族のことだけ考えて生きていたのに、広い世界に旅をし、いろんな人たちに出会って、救いを求めている人たちの苦しみや痛みを知るようになりました。だから、ある意味、前よりも苦労が深くなったともいえるのです。でも、そこに起こる神の御業を見てることになりました。「生きるってことはこんなに素晴らしいことなのか」と喜ぶ救われた人たちを見ることができました。そこに関わる喜びを知りました。それは、今までにはない深い喜びだったに違いありません。
わたしたちがクリスチャンになるということ。そして福音の伝道に召されていくこと。それは、人生の苦労や悲しみが深くなる、ということでもあると、正直に言わねばなりません。イエス様についていくと、体験が深くなるのです。良いことも悪いことも、嬉しいことも悲しいことも、です。振幅の幅がすごく広がるのです。怖いでしょうか。でも、それが、人生を深く生きることではないでしょうか。
わたしたちはイエス様によってそういう濃厚な人生へと招かれているのです。せっかく生まれてきたのです。ただ一度の人生を生きているのです。深さを味わいましょう。人間を生け捕りにする漁師、出会った人と「生きててよかった」と喜び合える奉仕の道に踏み出しましょうよ!
沖へ漕ぎ出して人間と人生の深みを味わうのです。味わうというのは、ちょっとなめる程度の話ではありません。味わい尽くすのです。さあ、皆さん、イエス様と共に味わいつくしましょう。深みにはまりましょう!