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2025年12月24日キャンドル・サービス「正義と平和の口づけ」松本敏之牧師

詩編85, 9-14 ルカによる福音書2, 1-14

(1)今年の漢字「熊」。「人」?

クリスマス、おめでとうございます。今年も残すところ、あと1週間となりました。

毎年、年末が近づきますと、日本漢字能力検定協会が主催し、その年の世相を表す一文字を全国から募集します。そして投票によって「今年の漢字」というのを決めています。応募総数: 189,122票のうち、23,346票を獲得して第一位に選ばれたのは「熊」という漢字でした。その理由の第一は言うまでもなく、各地での熊の出没と被害です。秋田県をはじめ、全国的に熊の出没が相次ぎ、人的被害が過去最多を記録するなど、生活に深刻な影響を与えました。また、漢字で「熊猫」と書くパンダの話題もありました。中国の「熊猫」(パンダ)が返還されたことも、この漢字が選ばれる一因となったようです。

パンダは、中国と日本の友好関係の象徴でしたが、今や日本と中国との関係は冷え切っています。次にパンダが送られてくるのはいつか。いやそもそも中国がパンダを送ってくれるのかどうかも分からない状況になっています。

12月12日には、京都の清水寺で、森清範(せいはん)貫主が縦1.5メートル、横1.3メートルの大きな和紙に、大きな筆で「熊」の漢字を書いている姿がテレビでも放映されました。そのすぐ後のことですが、Facebookなどで、恐らくAIで作成したパロディー画像がアップされました。それは、熊が大きな紙に「人」という漢字を書いている画像でした。思わず、くすりと笑いました。熊の世界では、今年の一番のテーマは「人」だったということなのでしょう。

今年は、熊の世界である森の中で、木の実などが不作で、食べ物を求めて人間の世界まで降りてきてしまった。熊のほうも驚いたことでしょう。多くの熊たちが人間によって撃ち殺されました(人間の世界では「駆除」というそうですが)。そうしたことが今年の最大の話題になったということなのでしょう。

このパロディーのような画像は、反対の立場から見てみると、ものごとは全く違って見えてくるということを示唆しているように思います。

(2)NHKの朝ドラ「あんぱん」

このテーマ、「ものごとを反対から見てみる」ということは、今年4月から9月に放映されたNHKの朝ドラ「あんぱん」を通しても考えさせられたことでした。

皆さんは、NHKの朝ドラを見ておられますか。我が家では、午前8時は敬愛幼稚園のお祈りと打ち合わせの時間なので、録画をして、夕食時に夫婦で観ることにしています。現在放映中の「ばけばけ」もなかなか面白いものですが、上半期の「あんぱん」は、内容的にも興味深く、視聴率も高かったようです。NHKのホームページには、こう記されていました。

「戦後80年を迎える2025年。第112作目の連続テレビ小説『あんぱん』は、“アンパンマン”を生み出したやなせたかしと小松 暢(こまつ・のぶ)の夫婦をモデルに、生きる意味も失っていた苦悩の日々と、それでも夢を忘れなかった二人の人生。何者でもなかった二人があらゆる荒波を乗り越え、“逆転しない正義”を体現した『アンパンマン』にたどり着くまでを描き、生きる喜びが全身から湧いてくるような愛と勇気の物語です。」2026年4月26日

7月28日に放映された回では、こういう場面がありました。主人公の柳井崇(やないたかし)は、将来妻となるのぶを追いかけて、高知の新聞社を辞めて、「東京に行きたい」ということを編集長に申し出るのですが、それを聞いた編集長の言葉です。

「仕事よりも大変な使命がある。入社試験でお前はこう言いよった。『例えば、自分が正義だと思っていても相手の立場になれば、自分は悪になってしまう。何が正しいのか。『逆転しない正義』とは何か。のぶもおんなじことを言いよった。お前とのぶは性格も行動力も正反対やけんど、根っこのところが似ちゅうがかもしれんにゃ。何年かかっても、何十年かかっても、ふたりでその答えを見つけてみい。わかったな。」

高知弁がなかなか難しいですが、そういう言葉でした。「のぶもおんなじことを言いよった」というのは、彼女は、戦時中は軍国主義教育の先頭をきって行くような小学校教師だったのです。戦争が終わったとき、彼女は子どもたちの前で、ふかぶかと頭を下げて「先生はまちごうちょりました」と言って、教壇を去っていったのです。その経験について、彼女は高知新聞の入社試験で述べたのでありました。

(3)「逆転しない正義」とは「献身と愛」

モデルとなっているアンパンマンの作者、やなせたかし氏は、「逆転しない正義」とは何かを求めて、やがて「アンパンマン」というキャラクターにたどり着きます。「アンパンマン」はヒーローらしくないヒーローです。弱々しくて、正義を主張せず、相手を完全に否定することはしません。そして自分の頭であるアンパンを差し出して、相手を生かすヒーローです。相手を完全に打ち負かさないというのは、例えば「アンパーンチ」と言って「ばいきんまん」にパンチを浴びせるのですが、ばいきんまんは「バイバイキーン」と言って飛んで行ってしまいます。しかし翌週になると、何事もなかったかのように、また元気に登場します。

主人公のモデルとなったやなせたかしさんは、2013年に94歳で亡くなっていますが、その年に、児童向けに『わたしが正義について語るなら』という本を出版しています。その中で、やなせさんは、こう述べています。

「聖戦だと思って行った戦争だって、立場を変えてみればどうでしょう。中国の側から見れば侵略してくる日本は悪魔にしか見えません。そうして日本が戦争に負け、すべてが終わると日本の社会はガラッと変化しました。それまでの軍国主義から民主主義へ。それまでは天皇が神様だと言っていたのに、急にみんな平等だ、民主主義だと言われるようになりました。……正義のための戦いなんてどこにもないのです。正義はある日逆転する。」

そして最後に、やなせたかしさんは、こう述べます。

「逆転しない正義とは献身と愛です。」『わたしが正義について語るなら』20~21頁

朝ドラの主人公である崇とのぶは、やがて何十年かかかって、この結論にたどりついたとも言えるでしょう。「逆転しない正義とは献身と愛です。」いい言葉ですよね。この「献身と愛」というのは、実は、イエス・キリストのその生き方そのものです。いや生き方だけではありません。十字架という死に方を含めて、つまり身をもって証しされたこと、そこにこそ真実があると示されたことです。「献身と愛」、それがイエス・キリストの生涯であったということもできるでしょう。

やなせたかしさんはクリスチャンではなかったようですが、その考えはだれよりもクリスチャン的だと言えるかもしれません。(というと、やなせたかしさんに、「私は世のクリスチャンほど好戦的ではありません」と、叱られそうですが。)

(4)正義と平和が口づけする

先ほどは詩編85編を読んでいただきましたが、その中にこういう言葉がありました。

「わたしは神が宣言されるのを聞きます。 主は平和を宣言されます。」詩編85:9

主の宣言される平和とは、一体どういう平和なのでしょうか。詩編はこう続きます。

「慈しみとまことは出会い、 正義と平和は口づけし、 まことは地から萌えいで、 正義は天から注がれます。」詩編85:11、新共同訳

何と美しい言葉、しかも何と奥深い言葉でしょう。これは私の大好きな聖句の一つですが、聖書の中で最も大事な言葉の一つであると思います。正義と平和が口づけするのです。

人は「正義のために戦争をするのだ」と言います。しかしその正義は、本当の正義ではないでしょう。平和と口づけをしていないからです。一方、差別され、抑圧されている人に我慢を強要しながら、平和を口にするのは本当の平和ではないでしょう。その平和には正義が存在していないからです。

「慈しみとまことは出会い」とあります。「慈しみ」とは「愛」と言い換えてもよいでしょう。「まこと」とは真実です。主が宣言される平和のもとでは、「愛」と「真実」が出会い、「正義」と「平和」が口づけをするのです。

イエス・キリストとは、まさにこの言葉が受肉したような方ではなかったでしょうか。「言葉が受肉する」とは難しい言い方ですが、クリスマスを指し示しています。つまりこの方(イエス・キリスト)のもとでこそ、この詩編の言葉は出来事となったのです。

(5)キング牧師「敵の視点からものを見る」

実は、アメリカ合衆国で公民権運動を進めたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師も、今から38年前に、「敵の側に立ってものを見ること」の大切さについて述べました。

それは、1967年4月4日、ニューヨークのリバーサイド教会において語った「ベトナムを越えて」という演説(説教?)において、でありました。その頃のキング牧師の主たる活動は、アメリカ合衆国において、黒人たちが公民権を得るための活動でした。彼はそこで非暴力抵抗運動を展開していました。有名な「私には夢がある」(I have a dream)という演説から4年の歳月が流れていました。

「私には夢がある。……アラバマ州でさえ、いつの日か、幼い黒人の少年少女が、幼い白人少年少女と手に手をとって姉妹兄弟となることができるという夢がある。私には夢がある……。」

そういう演説でした。彼の活動は白人たちからも賛同を得て、ようやく実りをもたらそうとしている時でした。しかしアメリカ合衆国は、もう一つ、アメリカ社会を分断させる大きな問題を抱えていました。それは、ベトナム戦争への参戦でした。アメリカには、「ベトナムを共産主義者たちから解放する」という大義名分がありました。しかしベトナム戦争は次第に泥沼化していっていました。そこで、キング牧師がベトナム戦争について何かを語ることは危険なことでした。得策ではありませんでした。せっかく賛同を得て大きな運動となってきた公民権運動を分裂させかねない危険性をはらんでいました。しかしキング牧師は黙っていることはできませんでした。彼は、この演説において、自分たちが悪だと決めつけている相手の視点からものを見ることの重要性を訴えています。少し引用したいと思います。引用する前半はちょっと難解ですが、ちょっとがまんしてお聞きください。

「彼らはわれわれが掲げる政治目的に疑問を持ち、彼らを排除してなされる平和解決を拒否している。彼らの異議申し立ては恐ろしいほどに妥当性を持っている。わが国アメリカは再び政治神話を作り上げ、それを新しい暴力によって補強しようとしているのだろうか。  ここに憐みと非暴力の真の意味と価値がある。即ち、それは敵の側に立ってものを見ること、敵の問いに耳を傾けること、敵が自分たちをどう見ているかを理解することの大切さを教えてくれる。というのは敵の視点から見ることによってこそ、われわれが巻き込まれている状況に潜む根本的弱点を発見することが可能になるからである。もしわれわれが成熟した人間であるならば、われわれは敵と呼ばれる兄弟の知恵から学び、そのことを通して成長し、利益を得ることができるのだ。」『私には夢がある』170~171頁

なんという示唆的な言葉、預言者的な言葉でしょうか。

(6)天に栄光、地に平和

世界では今、「自国ファースト」を掲げるリーダーが主導権をとる国が増えてきました。何よりもアメリカ合衆国のトランプ大統領がそうですし、その他の国でも「ミニ・トランプ」みたいなリーダーが増えてきています。

日本の高市早苗首相も、今は全体の合意を得るためになりを潜めているように見えますが、元来は保守陣営のホープで、タカ派の発言で知られていた人です。そうした彼女の本音ベースのことが中国にも見透かされているように思えます。

私たちは、今こそ、対立している相手の視点から、ものごと見直す訓練をしなければならないと思います。それは、神様がどのような世界を築こうとしておられるかを知ろうとすることに通じる態度でもあるでしょう。

そうしたことこそが、まさに、このクリスマスのテーマ、「いと高き所には栄光、神にあれ」と天に栄光を帰しつつ、「地に住むひとには平和あれ」と祈ることなのだと思います。

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