私たちが現在の任地レシフェ/オリンダに着いて、ようやく1年が過ぎた。この1年を振り返って、思い起こす二つの経験について述べてみたい。
最初は苦い経験である。私はここへ来る前はサンパウロに住んでいたが、ご存知のように、サンパウロは日本国外で、最も日本人・日系人人口の多い町である。サンパウロでは、日本人は、さまざまな形で社会的、経済的、文化的貢献をしているので、それなりの市民権を得、尊敬も受けている。日本人であることを特に意識することもなかった。
ここでは事情が全く違う。ここには日本人はおろか外国人はほとんどいない。自分がよそ者であることを強く感じる。町の人々は生きた日本人(東洋人)を知らないせいか、町を歩いているだけで、今でも多くの人がはっとして振り返る。あからさまに冷やかされたり、からかわれることもしばしばである。
また私たちは、中流階級の住宅地区に住み、貧しい地区の教会に通っているが、家の近所では二重に奇異な目で見られる。ひとつは日本人であるため、もうひとつは、私がアルト・ダ・ボンダーデという、オリンダでも最も貧しく、治安も悪いと言われている地区の牧師をしているためである。私が「アルト・ダ・ボンダーデの教会の牧師」と名乗ってからは、隣近所で「場違いな人間がここに住んでいる」とうわさをされるようになってしまった。あまりかかわりたくない地域の人々と、積極的にかかわっている、しかも不可解な外人が隣に住んでいることは、彼らにとって落ち着かないことであったのかも知れない。思い切って引っ越しをし、少しはよくなったが、今でも時々似たようなことが起きる。
しかしこうした経験を通して、寄留者として外国に生きるとは、どういうことであるかを、私も身にしみて感じることができるようになった。かつて移住者としてブラジルにやって来た日本人もきっと同じ思いをもったであろうし、現在、日本にいる外国人労働者達も多かれ少なかれ、そういう経験をしているに違いない。
幸いなことに、教会のある貧しい地区では、みんなの好意をいつも感じつつ、仕事をしている。もちろんそこでも私たちは変わった存在であることには変わりない。わざわざ寄ってきて、「アリガト、アリガト」と叫ばれたり、教会の子どもたちからは、「どこに住んでいるの」と聞かれる。「日本。日本から毎日通っているんだよ」という答えを期待しているのだ。
もうひとつ思い起こすことは、楽しい経験である。この1年の間に、「本物の」日本に住んでいる日本人が何人か、はるばる私たちの小さな貧しい教会を訪ねてきてくれた。
8月には日本基督教団の阿佐ヶ谷教会などの青年達4人がやって来た。教会の少女達は学校から民族衣装のスカートを借りてきて、二つのダンスを披露してくれた。ひとつは、この地域の漁師の家族たちに伝わる椰子のダンスである。底の固い一種のサンダルをはいて、カタカタと音を立てながら踊るのであるが、その音が乾いた椰子の実を互いに打ちつける音に似ていることから、そう呼ばれるようになったという。現在では、これをきちんと本格的に踊れる人はほとんどいなくなってしまったそうである。
(ダンスを披露した教会の少女たち)
その後は、子どもの遊びのようなシランダ。輪になって手をつなぎ、4拍子のリズムに合わせ、1拍目で左足を前に強く踏み込んで踊る。単純なメロディーにのせて、誰かがいろんなことを語るように歌い、折り返し部分で、簡単な言葉をみんなで唱和する。私たち日本人もいっしょに輪の中に入れてもらい、「いいとこ、いいとこ、ボンダーデはいいとこ」と歌った。
日本の青年たちは、カレーライスを教会の人々にご馳走し、沖縄の民族色の強い音楽家、喜名昌吉の「ハイサイおじさん」に合わせて、即興で踊った。即興のダンスなら、ブラジル人の方が一枚上である。見ているだけではつまらないとばかりに、この楽しい沖縄の音楽に合わせて、すぐに大きな踊りの輪ができた。
礼拝や祈祷会では、「神の国と神の義」や「輝く日を仰ぐとき」などの他、ブラジルの賛美歌「新しいときをめざし」(『讃美歌21』480)も二カ国語で歌った。またこの歌に合わせて、手をつなぎ輪になって、シランダ式に踊った。彼らが阿佐ヶ谷教会から持ってきてくれた古着は、後日バザーをし、会堂の屋根取り付け資金として用いられ、布地は婦人会の活動のために使わせていただいた。
(古着を手渡す阿佐ヶ谷教会の青年たち)
12月には、同じく教団の弓町本郷教会の青年たちがやって来た。彼らのうち一人は公衆衛生が専門の医師であった。彼は歯ブラシを配り、歯の磨くことの大切さを語り、歯の磨き方の指導をしてくれた。ここでは食べ物を買うことが最優先で、なかなか歯のことまで気が回らず、歯ブラシを年に一度位しか取り替えない人も多いという。貧しい地区では、公衆衛生教育は大きな意味を持っている。
また彼らは、教会学校では、細長い風船をくねくねと曲げながら、手品のように犬やうさぎやキリンを作った。目の前でいろいろな動物が現れる光景に、みんな目を丸くさせながら大喜びをした。
こうした出会いと交わりは、双方に大きな喜びをもたらし、間に立った私たちにも、信仰を新たにする機会を与えてくれた。このような経験から新たな人材が育ち、新たな宣教協力が生まれてくることを願いたい。みなさんもどうぞ、この地をお訪ねください。
(風船を喜ぶ子供たち)
(『福音と世界』2月号、1998年1月)