「ヨブのようになれたら」(2022年9月)
「何をやってもうまくいかなくて落ち込んだ時は、聖書にあるヨブ記を読んだらいい」と誰かに聞いたことがあります。それで、私はものすごく落ち込んだ時は、ヨブ記を読むことにしました。短い物語ではないので、本当に落ち込んだ時は最後まで読めませんでしたが、最後まで読んだことは何回かあります。
正しい行いをしてきたヨブという人が、財産をなくしたり、重い皮膚病にかかったり、子どもを全くなくしたりしてしまいます。こんなに苦しいのなら、この世に生まれてこなければよかったのにと思うようになりますが、神様をのろうことはしませんでした。
私の父は長崎で原爆にあっています。爆心地からそれほど遠くない所で被爆しましたが奇跡的に助かりました。もしその時、父が亡くなっていれば、私が生まれてくることはありませんでした。それで、本当に苦しい時は「生まれてこなければ、こんな苦しみを味わうこともなかったのに」と思うことはありました。だから、ヨブの気持ちは理解できます。
ヨブ記2章の10節には「わたしたちは神から幸いを受けるのだから、災いも受けようではないか」とヨブが言う場面があります。災いはできることなら起こってほしくないと思ってしまいますが、ヨブは違いました。不幸のどん底にある時、こんな風に考えることができるなんて簡単にはできませんが、災いさえもいただこうなんて考えられたら、どんなにいいだろうと、うらやましくなりました。