2022年8月14日説教「私は復活であり、命である」松本敏之牧師
ヨハネ福音書11章17~27節
(1)召天者記念礼拝
鹿児島加治屋町教会では、毎年、8月第二日曜日(時々、8月15日のこともありますが)、召天者記念礼拝をまもってきました、一昨年と昨年はコロナ禍にあって、中止となりました。従って、今年は3年ぶりの召天者記念礼拝であります。例年は、それに先立つ1年間に召天された方々のお写真を前に並べるのですが、今年は3年間の召天者ということで、16人の方々のお写真を並べています。皆さんにお配りした「召天者名簿」の1頁目の右上にお名前が記されています。2019年8月以降は、篤秀子さん、原田和子さん、天野朝子(ともこ)さんの3人。2020年は、島本昌子さん、長野ミヤ子さん、塩倉安伸さん、塩倉良昭さんの4人、2021年は、前田千恵さん、植松忠雄さん、町田利子さんの3人、2022年は、坂口浜子さん、井手ヶ原フヂさん、岡倉恵美子さん、別府三郎さん、吉永イサさん、青木加代子さんの6人です。教会でお葬式をした方もありましたが、多くの方々はコロナ禍にあって、教会ではなく、斎場やご自宅での葬送式となった方もありました。教会員の参列は控えていただき、ご家族だけの葬送式であった方もありました。ただ私が司式を務めた方々については、教会での葬送式と同じように、心をこめてさせていただきました。1年間の召天者が3人位の場合には、そのお一人お一人について簡単に紹介することもあるのですが、今回は16人もおられるので、難しいですし、一部の方だけ語るのもどうかと思いますので、控えさせていただきます。
むしろ、聖書が死について、命について、復活について述べていることを聞いていきたいと思います。
(2)ラザロは確かに死んだ
召天者記念礼拝にちなんで、本日のテキストとして選ばせていただいたのは、ヨハネ福音書11章17~27節、ラザロの復活物語の中ほどの部分です。こういうふうに始まります。
「さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に4日もたっていた」(17節)。
イエス・キリストのところへ、ベタニアのマルタ、マリア姉妹から「兄弟ラザロが病気で死にかけている」という伝言をもった使いがやってきましたが、イエス・キリストはそれから2日経ってからようやく出発されます(6節参照)。片道2日かかる距離であったのでしょうか。あるいは使いがベタニアから主イエスのおられたところへ到着するのに1日、主イエスがそこからベタニアに到着するのに1日かかったとして、合計4日であったのかも知れません。
ここにわざわざ「4日もたっていた」と記されているのは、ラザロが本当に死んだのだということを強調するためでしょう。つまりこの後、ラザロは復活するのですが、それは単なる蘇生ではなかったということを示そうとしているのです。当時のユダヤ人の間では、死者の霊は、死後3日間はまだ遺体のそばに留まっている。しかし4日目になるとそこを離れて、蘇生の望みは全くなくなると信じられていました(日本にも同じような考えがあります)。肉体的にもそうでしょう。4日目になると、腐敗が始まります(38節参照)。
(3)マルタの嘆き
マルタとマリアのところに多くのユダヤ人が兄弟ラザロのことで慰めに来ていました。いわゆる葬儀の弔問客であります。当時のユダヤの葬儀は随分長く、1週間位続いたそうです。マルタは、「イエスが来られた」と聞いて、弔問客を家に残したまま、迎えに飛び出していきました。
マルタは、イエス・キリストに向かって、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」(21節)と言いました。どういう思いでこの言葉を語ったのでしょう。
少しうらみがましい言葉のようにも聞こえます。「どうしてすぐに出発してくださらなかったのですか。今頃来られてももう手遅れです」。彼女は、まさしく彼女自身の家で、主イエスが不思議な仕方で多くの病人をいやして来られたのを、何度も見てきたことでしょう。「ラザロが生きていさえすれば、どんな瀕死の病気でもいやしてくださる」と思ったに違いありません。
あるいは、何かを期待するということよりも、せめてその場にいて欲しかった。主イエスに看取られて死なせてやりたかった、という思いかもしれません。またもしかすると、別にうらんでいるわけではなく、ただイエス・キリストの顔を見た途端に何か言わずにいられなかったのかもしれません。いずれにせよ、彼女の深い悲しみ、嘆きがこの言葉に表れていると思います。彼女は、こう続けました。
「しかし、あなたが神にお願いすることは何でも神はかなえてくださると、私は今でも承知しています。」(22節)
これはさきの言葉と矛盾する言葉に思えます。彼女は「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った後で、「あっ、まずいことを言ってしまった」と思ったのかも知れません。自分で不信仰な言葉だと気づいたのでしょうか。失礼な言葉を語ってしまったという思いもあったのでしょうか。「イエス様だって、すぐには出られない事情もあったでしょう。それを考えもせず、ひどいことを言ってしまった。」自分で自分の言葉を一所懸命フォローしようとしたのかもしれません。そうした様子、気が動転している様子が伝わってきます。愛する人を失った時というのは、そういうものではないでしょうか。誰しも、やや支離滅裂になります。
(4)頭の中での理解
マルタの「あなたが神にお願いすることは何でも神はかなえてくださると、私は今でも承知しています」という言葉は、本気ではないのかと言えば、必ずしもそうとは言えません。少なくとも、頭ではそのように理解しています。信仰の論理からすれば、そうなのです。私たちにも同じようなところがあるのではないでしょうか。「神様であれば、何でもできる。イエス・キリストであれば、何でもできる。」その通りです。でも本気で信じているわけではない。そういう思いがあります。彼女も「あなたが神にお願いすることは何でも神はかなえてくださる」と言いながら、兄弟ラザロが、その日のうちに復活させられるということは全く考えてもいないのです。
ですから、主イエスが、「あなたの兄弟は復活する」(23節)と言われても、特に何の感動もありません。心は動かず、通り一遍の返事をします。
「終わりの日の復活の時に復活することは存じています。」(24節)
当時、ファリサイ派の人々はそう信じていました。ちなみにサドカイ派と呼ばれる人たちは、それと対立して、「復活はない」と言っていました(マタイ22:23~33参照)。マルタはファリサイ派の教えに従って、「自分もそれは信じています」と言ったのです。
(5)最も有名な言葉のひとつ
しかし主イエスは、このマルタの言葉を否定せず、言葉を続けられました。
「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(25~26節)
これは聖書の中でも最も有名な言葉のひとつです。私の前任地、経堂緑岡教会の墓地の墓碑にはこの言葉が刻まれていました。ヨハネ福音書11章のラザロの復活物語全体のクライマックスは、この言葉にあると思います。物語全体が、この言葉のためにあると言ってもいい程です。
「私を信じる者は、死んでも生きる」ということと、「生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない」ということ。これは、同じことを裏表で語っています。命の源であるイエス・キリストにつながる時に、死は死でなくなるのです。
本日の聖書箇所から少し前のところ、11章4節に、「この病気は死で終わるものではない」という言葉があります。私たちの人生は、死によって、ある日突然、終わります。切られてしまいます。ところが聖書は、この切断は絶対的なものではないというのです。「これはただ単に肉体の死だ」と。私たちは死によって愛する人と隔てられてしまいますが、命の源であるイエス・キリストとつながることによって、私たちはずっとつながっているのだということです。それが聖書の根幹にあるメッセージです。私たちの前に立ちはだかる肉体的な死、それを超えるものがあるのです。
ラザロの復活物語は、それを証しするために、その一つの例として示されているのです。
(6)ボンヘッファーの最期の言葉
私は時々、ヒトラー暗殺を企てるほどの地下政治組織にかかわり、それが発覚して処刑されたドイツの神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーの話をしています。ボンヘッファーは、1945年4月9日にナチスの手で処刑されますが、それが決定したのはわずか数日前のことでした。彼自身、処刑の数日前まで、自分がいつか釈放されるということを信じていたようです。ヒトラー暗殺計画をもつ組織の一員であったヴィルヘルム・カナーリス提督(海軍大将)の完全な日記がナチスに発見されて、その中にボンヘッファーの名前が組織の一員として記されていたことが決定的となりました。4月5日のヒトラーを囲む国家治安庁中枢部の昼食時の協議の席上でのことでした。
ボンヘッファーは1945年4月8日、収容所から収容所へと移送中、シェーンベルクという村の小学校に滞在していました。そこで突然、呼び出されてフロッセンビュルク収容所へ移送され、その日のうちに死刑判決を受け、翌日4月9日に処刑されたのでした。
移送中の最期の1週間を共に過ごしたペイン・ベストというイギリス人に、ボンヘッファーは、別れ際にイギリス国教会のチチェスターのベル主教にある伝言を託しました。ベル主教というのは1932年以来、エキュメニカル運動において、ボンヘッファーと親交のあった人物です。それはこういう言葉でした。「これが最期です。-わたしにとっては生命の始まりです」。これは、ボンヘッファーがこの世に遺した最後の言葉として有名になりました。「これが最期です。私にとっては生命(いのち)の始まりです」。後にベル主教はより詳細に報告しています。
「私にとってはこれが最期です。しかしそれはまた始まりです。あなたと共に、私は、あらゆる国家的な利害を超越するわたしたちの全世界的なキリスト者の交わりを信じています。そして私たちの勝利は確実です。」(E・ベートゲ『ボンヘッファー伝』Ⅳ、501頁)
ボンヘッファーが肉体の生死を超えたところに、まこと「生」「いのち」を見ていたということが伝わってきます。
(7)命は、主イエスの御手の中に
今日はこの後、『讃美歌21』575番「球根の中には」を歌いますが、その3節は次のような言葉です。
「いのちの終わりは いのちの始め。
おそれは信仰に、死は復活に、
ついに変えられる 永遠の朝。
その日、その時を ただ神が知る」
「いのちの終わりはいのちの始め。」イエス・キリストにつながる時に、私たちの命は、肉体の死を超えていく。イエス・キリストは、それをマルタに告げ、「このことを信じるか」と言われました。マルタはこう答えました。
「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると私は信じています。」(27節)
彼女がどのレベルで信じたのか。どの程度、本気で信じているのか、疑わしいものがあります。この後の彼女のラザロの墓の前での行動を見ていますと、どうも主イエスがおっしゃったことの深い意味は理解していなかったようです。しかし私は、彼女の応答はそれでも意味があると思うのです。
「このことを信じるか」と言われて、彼女は、とにかく「はい」と答えました。そこには、疑いもあるかもしれません。しかし意識的にそう言いました。これは私たちの信仰告白に似ているのではないでしょうか。一旦、そう告白した後でも、私たちの心は揺れます。本当にそう信じているのかと言われると、疑問もあります。しかし、私たちのそのようなあやふやな信仰告白の上に、私たちの救いがあるのではありません。イエス・キリストがすでに命の主として立っておられるということが根本的に大事なのです。私たちはただそれに「はい、主よ、信じます」と応答するだけです。私たちの手の内にではなく、イエス・キリストの御手の内に、私たちの命、救いがある。このイエス・キリストに、私たちも「はい、主よ、信じます」と応答して、新しく歩み始めたいと思います。