2026年1月18日説教「一つの希望にあずかる」松本敏之牧師
イザヤ書58:6~11
エフェソの信徒への手紙4:1~13
(1)キリスト教一致祈祷週間
本日は、午後3時から、鹿児島キリスト教一致祈祷会が鹿児島加治屋町教会で行われることになっています。それに先立って、朝の礼拝でも、それに因んだお話をすることとしました。
キリスト教一致祈祷週間は、1908年にポール・ワトソンという神父によって提唱されたものです。1月18日から25日の1週間ですが、これは、カトリックの聖ペトロの祝日と聖パウロの祝日の間の期間であり、日付そのものに象徴的な意味があるということです。ですから、もともとカトリックから始まった運動でありました。その後、1926年に、プロテスタントのエキュメニカル運動の一つであった「信仰と職制運動」が、「キリスト教一致のための8日間の祈りの提案」を開始しました。そして1958年に、プロテスタントでは世界教会協議会(WCC)が結成され、その中の信仰職制委員会とカトリックの機関が、祈祷週間のために資料を協同で準備し始めることとなりました。さらに、1964年、カトリックでは第二バチカン公会議が開催され、「エキュメニズム教令」が出されます。そこでプロテスタント教会も真実な教会であるということが正式に発表されて、エキュメニカル運動が一気に加速いたします。1966年には、プロテスタント側のWCC(世界教会協議会)の信仰職制委員会とカトリックのキリスト教一致推進秘書局(現教皇庁キリスト教一致推進省)が、祈祷週間テキストについて公式な協同の準備を開始しました。そしていよいよ、1968年に、第1回「キリスト教一致祈祷週間」が開催されました。
1975年には、はじめて地方教会のエキュメニカル・グループが作成した冊子を用いるようになります。この年はオーストラリアの教会が草案を作成しました。その形は今日も継続しています。また2004年には、WCCの信仰職制委員会とカトリックの教皇庁キリスト教一致推進評議会が同一の体裁で冊子を作ることが開始され、今日にいたっています。それが、キリスト教一致祈祷週間の歴史です。このようにしてみれば、この運動は、カトリックとプロテスタントのエキュメニカル運動の目に見える形として、大きな役割を果たしてきたことがわかります。
そして元となるテキストができた後、それぞれの言語に翻訳されるわけですが、それもまた各国のエキュメニカル運動の担い手が行ってきました。日本においては、日本キリスト教協議会(NCC)とカトリック中央協議会が協同で日本語のテキストを作成しています。またそれを用いて、世界各地、日本各地で、キリスト教一致祈祷礼拝が行われているのです。
鹿児島でも、この祈祷会を大切にしてきました。カトリックとプロテスタントが隔年で準備を担当し、毎年行われています。プロテスタントでは、日本基督教団の鹿児島教会と鹿児島加治屋町教会、聖公会復活教会、鹿児島ルーテル教会、日本バプテスト連盟鹿児島キリスト教会(鹿児島バプテスト教会)の5教会が交代で担当してきていますので、大体10年に一度、担当が回って来ることになります。それが今年、鹿児島加治屋町教会になったわけです。一昨年は聖公会復活教会、その前は鹿児島ルーテル教会が担当してくださいました。(今後は、牧師が不在なので難しいかもしれません)。
ちなみに、ブラジルでもこの祈祷礼拝が行われていましたが、南半球では1月というのは、夏休みの真っ最中ですので、5月か6月、ペンテコステに先立つ1週間が、このキリスト教一致祈祷週間にあてられていました
(2)アルメニアという国とその歴史
さて、今年のテキストの草案作成を担当したのはアルメニアの教会です。皆さん、アルメニアという国をご存じでしょうか。
アルメニアは、アジアとヨーロッパの間にあるコーカサス山岳地帯にある国で、旧ソ連の構成国でした。西にトルコ、北にジョージア(グルジア)、東にアゼルバイジャン、南ではイラン(とアゼルバイジャンの飛び地ナヒチェヴァン)と国境を接しています。トルコの向こうには黒海があり、アゼルバイジャンの向こうにはカスピ海があります。つまり黒海とカスピ海の中央に位置する内陸国です。人口は約303万人、鹿児島県の人口が150万人ですから、それの約2倍程度。面積は29,740 km²、九州の面積が36,780 km²ですから、九州の8割程度の面積です。言語はアルメニア語、首都はエルバンという町です。多くの方がご存じないであろうと思います。宗教はギリシア正教会系のアルメニア使徒教会が中心です。
煩雑になりますが、少しその歴史をたどってみましょう。その昔、アルメニア王国は紀元前1世紀にティグラネス大王のもとで絶頂期を迎え、世界で初めてキリスト教を公教(国教)として採用した国家となりました。301年のことです。ローマ帝国でキリスト教が公認されたのが313年のミラノ勅令において、国教となったのが392年ですので、それに先立つことでした。アルメニアは、現在も世界最古の国教会であるアルメニア使徒教会を国の主要な宗教施設として認めています。
16世紀から19世紀の間に、アルメニアは、オスマン帝国とペルシャ帝国の支配下にあり、何世紀にもわたって、2つのどちらかによって繰り返し支配されてきました。19世紀までに、東部アルメニアはロシア帝国に征服され、西部アルメニアはオスマン帝国の支配下にありました。第一次世界大戦中、150万人のアルメニア人がオスマン帝国の先祖代々の土地に住んでいたが、第一次世界大戦で組織的に絶滅させられました。これは、歴史上、最大の民族大虐殺であったと言われます。
1918年、ロシア革命後、ロシア帝国が消滅した後、ロシア以外のすべての国が独立を宣言しましたが、アルメニアも同様に、アルメニア第一共和国となりました。ただ4年後の1922年にはソビエト連邦の建国メンバーとなりました。そして70年の時を経て、1991年、ソビエト連邦の崩壊に伴い、現代のアルメニア共和国が独立しました。
(3)アルメニアの教会
アルメニア使徒教会は、世界でも最も歴史のあるキリスト教共同体の一つとして認識され、2000年近くにわたってアルメニア民族の霊的・歴史的アイデンティティーの形成に決定的な役割を果たしてきました。4世紀初期に設立され、使徒時代にその起源をもつこの歴史ある教会は、人々を霊的に導くだけでなく、苦難や外国支配の時代にあっても、アルメニアの伝統や言語、価値感を守り続けてきました。
波乱に満ちたアルメニアの歴史を通じて、アルメニア使徒教会は人々が生き延び耐え抜く上で不可欠な存在であり続けました。迫害、強制移住、大量虐殺といった困難の中でも、教会は一貫性と安定性を提供してきました。特に1915年には、アルメニア人集団殺害という悲しい出来事が起きるのですが、その際に教会は苦しむ人々の避難所となり、慰めを与え、よりよい未来への希望を守り続けました。教会は今でもこの悲劇の犠牲者を毎年追悼し、殉教者の記憶をたたえ、歴史的認識と正義の実現を訴えています。
1991年のソビエト連邦の崩壊後、アルメニアでは宗教が復興し、アルメニア使徒教会は社会における中心的な役割を再び取り戻します。またディアスポラ(国外に住む)アルメニア人共同体を支援し、一致をはぐくみ、世界中のアルメニア人の間で伝統と信仰が生き生きと保たれるように努めているとのことです。
ソ連の崩壊後、アルメニアに、ローマ・カトリック、東方正教会、プロテスタント諸教会を含むさまざまな教派が入ってきましたので、それらの教会との対話に取り組み、独自の遺産を大切にしながら共通の基盤を模索してきました。また対話への取り組みはキリスト教内部にとどまらず、イスラームなど他の宗教との宗教間対話にも広がっています。これらの対話はとりわけ多様な宗教と歴史的緊張を抱える地域において、平和と相互理解の促進に寄与してきました。この精神に基づき、アルメニアの教会は、複雑な世界の中での「愛」「思いやり」「尊重」といった価値への献身を反映させているとのことです。今回のテキストに書かれていることを参考にしながら、紹介させていただきました。
(4)今年の主題はエフェソ書4章から
さて、アルメニアの教会の人たちが、そうしたことを背景に、主題として選んでこられたのが、エフェソの信徒への手紙4章4節の言葉です。
「からだは一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。」エフェソ4:4、新共同訳
エフェソの信徒への手紙は、使徒パウロが最晩年に牢屋から書き送ったものとされています。パウロの名前によって、別の誰かが書いたとも言われますが、そうであったとしてもパウロの心をよく言い表していると思います。
4章のはじめ、著者はこう書き始めます。
「ですから、主の囚人である私は、あなたがたに勧めます。招かれたあなたがたは、その招きにふさわしく歩み、謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の鎖で結ばれて霊による一致を保つように熱心に努めなさい。」エフェソ4:1~2
この時、パウロは現実的にも牢屋の中につながれていました。囚人でした。何かどろぼうをするなどの罪を犯して、囚人になっているわけではありません。イエス様の弟子であることを公に言って、伝道活動をしていたから捕まえられたのです。ですからパウロは、自分のその境遇を考慮に入れながら、あえて自分は「主の囚人」だと言いました。それは、イエス・キリストにとらえられている、ということです。そしてその境遇を嘆くのではなく、喜んで、人々も同じように、イエス様の弟子としてふさわしく歩みなさい、と招くのです。
(5)7回の「一つ」
そして、4節から7節において、7回も「一つ」という言葉を語っています。
一つ目「体は一つ」。二つ目「霊は一つ」。三つ目「一つの希望」。四つ目「主は一人」。五つ目「信仰は一つ」。六つ目「洗礼は一つ」。七つ目「神は唯一」というのです。
これはエキュメニカル運動、世界教会運動の大事な基礎となるものです。私たちの見える教会は、さまざまです。プロテスタント教会とカトリック教会でも、随分違いますし、さらにギリシア正教会(ロシア正教会)も、かなり違います。鹿児島にも平之町にハリストス正教会があるのをご存じでしょうか。一見、全く違う宗教のように見えることもあります。でも、この7つの点で一致しているならば、私たちはイエス・キリストにある兄弟姉妹なのです。先ほどの7つのうち、三つ目に出てくる「一つの希望」のところだけ、少し書き方が違います。長くなっています。ここに私たちが一つであることの目的、目標が掲げられていると言えるでしょう。
「それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようになるためです。」エフェソ4:4
アルメニアの教会は、どんな感じなのか、全く想像できません。一致祈祷会のテキストでは、アルメニア教会の賛美歌を歌ったらよいということで、楽譜も出ていましたが、今日はあきらめました。しかしどんなに違っていても、私たちは同じ唯一の神を信じる同じ信仰の教会であるという確信に立つのです。
20世紀前半まではそうではありませんでした。カトリックとプロテスタントの間でも批判と否定のほうが多かったのです。でもそうした中で、1908年に、一人の神父さん(ポール・ワトソン)から、一致への祈りが始まっていたことはすばらしいことです。それが20世紀後半において実を結び始めました。
しかしさかのぼれば、それはすでに聖書の中に記されていることであり、パウロの祈り、パウロの確信でもありました。さらにさかのぼれば、イエス・キリストの祈りと確信でもありました。イエス・キリストは、十字架にかかられる直前に、こう祈られました。大祭司イエスの祈りと呼ばれるものです。
「聖なる父よ、私に与えてくださった御名によって彼らを守ってください。私たちのように、彼らも一つとなるためです。」ヨハネ17:11
この主イエスの祈りのもと、またあのパウロの確信のもと、私たちが教派、教会を超えて、一つの希望にあずかることができることを感謝し、一つであるからこそできる行動へと歩み出したいと思います。