2025年9月21日説教「神の不思議な計画」松本敏之牧師
詩編139:13~18 ガラテヤの信徒への手紙1:11~24
(1)パウロの回心
1か月に一度くらいのペースで、使徒パウロの書きましたガラテヤの信徒への手紙を続けて読んでおります。今日は1章11節以下の部分から御言葉を聞きたいと思います。この箇所には、「パウロが使徒として選ばれた次第」という題が付けられています。パウロの回心という、彼の生涯における決定的な転換の出来事とその前後について語っています。
パウロは、もともとは熱心なユダヤ教徒であり、キリスト教徒の迫害者でありました。13節で、彼自身がこう記しています。
「私がかつてユダヤ教徒としてどのように振舞っていたかは、あなたがたが聞いているとおりです。私は神の教会を徹底的に迫害し、破壊しようとしていました。」ガラテヤ1:13
もちろんこの時、彼自身は悪いことをしようと思ってやっていたわけではありません。自分は正しいことをやっていると信じていました。こう続けます。
「同世代の多くの同胞よりもユダヤ教に精進し、先祖の伝承に対しては極めて熱心でした。」ガラテヤ1:14
ユダヤ教の律法も一生懸命守ろうとしていたに違いありません。その熱心さゆえに、先祖からの伝承を破棄してしまうかのように見えたキリスト教徒を、信仰の敵と信じて、迫害したのです。使徒言行録第9章のはじめの部分には、こう記されています。
「さて、サウロ(パウロ)は、なおも主の弟子たちを脅迫し、殺害しようと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂宛ての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。」使徒9:1~2
誰よりも信仰熱心であったことが、彼をそこまでやらせたと言えるでしょう。しかしながら、彼は今日のテキストの中で、わざわざ「神の教会を迫害し」と書いています。自分は「神のために」と信じてやっていたけれども、実は神に敵対していたのだということを、自戒の念を込めて書いたのでしょう。
「しかし、母の胎内にいるときから私を選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子を私に示して、異邦人に御子を告げ知らせるようにされた…。」ガラテヤ1:15~16
使徒言行録9章には、パウロの劇的な回心の出来事がルカによって書き記されています。ダマスコへ行く途上で、突然、天からの光が彼の周りを照らし、サウロは地に倒れます。「サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか」という声が聞こえてくる。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「私はあなたが迫害しているイエスである。立ち上がって町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」(使徒9:5~6)
しかしガラテヤの信徒への手紙では、確かに回心前後のことが書いてありますが、使徒言行録のように劇的なことは何も記していません。あっさりと簡単に記しています。物足りないくらいです。ガラテヤの教会はパウロによってたてられた教会でしたから、そうしたことは何度も直接彼らに語っていたので、もうここでは記す必要がなかったのかもしれません。しかしそれだけではないと思います。パウロがここで最も語りたかったことは、自分の身にどういうことが起こったかということではありませんでした。それは二次的なことに過ぎない。最も大事なことは、「神が御心のままに、御子を私に示して」くださったということです。これは一種の信仰告白です。
(2)神による
最初の言葉へ帰りましょう。
「きょうだいたち、どうか知っておいてほしい。私が告げ知らせた福音は人によるものではありません。なぜならこの私は、その福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、実にイエス・キリストの啓示を通して受けたからです。」ガラテヤ1:11~12
前にも申し上げましたように、パウロは生前の(十字架以前の)イエス・キリストを知りませんでした。ですから、使徒としては、生前のイエスを直接知っていたペトロたちよりも下だと思われていました。二流の使徒だと言うことです。「それにもかかわらず、偉そうにエルサレムの人々と違うことを主張している」と思われていたのです。パウロはそうした批判を意識してか、宣言するかのように「私は福音をイエス・キリストの啓示を通して受けた」、と書きました。「人に相談することもしなかった」とも書いています。16~17節では、こう述べます。
「(神が)異邦人に御子を告げ知らせるようにされたとき、私は人に相談することはせず、また、私より先に使徒となった人たちがいるエルサレムに上ることもせず、直ちにアラビアに出て行き、そこから再びダマスコに戻ったのです。」ガラテヤ1:16~17
人には相談せず、先輩使徒たちにお伺いを立てることもせず、ただひたすら黙想をし、神に祈った、というのです。
それから三年経って、パウロはようやくエルサレムへ赴くことになります。もうこのときにはパウロはしっかり自分なりの考え、信仰を持っていたでしょう。ですから先輩使徒にお伺いを立てるためにエルサレムへ行ったのではありません。18節に「ケファを訪ね」とありますが、この「ケファ」というのは、ペトロのことです。ペトロというのは〈岩〉という意味のギリシア語ですが、そのアラム語がケファです。ペトロと伝道者仲間として会いたい。知り合いになって励まし合おう。そういう思いで出かけたのです。だから他の使徒には誰にも会わなかった。「主の兄弟ヤコブを除き」とありますので、ヤコブには会ったのでしょう。ただそれも偶然会ったという書き方です。わざわざ訪ねたのではないと匂わせているのでしょう。イエス様の兄弟ですから、ペトロと並ぶ権威があったのでしょう。
ガラテヤの教会には、パウロが去った後、エルサレムから新しい伝道者が来ていました。彼らは「パウロという男が言っていることはどうもエルサレムの先生たちがおっしゃっていることとは違うぞ」と思って、「あいつの言ったことはあまり信用するな。あいつは本家の考えとは違う」とガラテヤの人々に言っていたのです。つまりエルサレムから来た伝道者たちがパウロ批判の拠り所としていたのは、ペトロであり、ヤコブです。しかしパウロは、そのペトロやヤコブと、自分は対等な形で会っているのだということを言いたかったのでしょう。
(3)伝承と啓示
パウロは、ここでは、「私はその福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、実にイエス・キリストの啓示を通して受けた」(12節)と述べます。しかし「福音」というのは、「人から受けること、教えられること」と関係がないわけではありません。パウロ自身、別の箇所では一見、矛盾するようなことを語っております。
コリントの信徒への手紙一15章3節以下です。
「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、それから十二人に現れたことです。」コリント一15:3~5
これは本当、まるで正反対のことを言っているかのようです。ガラテヤの方では、「この福音は人から受けたものではない」と言い、コリントの方では、「この福音は私も人から受けたものだ」と言っています。
パウロも復活のイエス・キリストが突然ダマスコ途上で彼の前に現れるまで、全くキリストについて知らなかったわけではありません。何らかの知識はもっていました。クリスチャンが何を信じているか、どんなことをするのか、知っていたのです。断片的かも知れませんし、歪んだ知識であったかも知れませんが、少なくとも何かは知っていて、それでもって、「けしからんやつらだ」と思って迫害したのです。
しかしそれを知識として「人から教わり、受ける」だけでは信仰にはいたりません。パウロの場合も、イエス・キリストについて知識として知ってはいたけれども、それを信じるにはいたってはいませんでした。むしろその知識でもって憤慨し、相手を迫害していました。イエス・キリストについての知識、聖書についての知識は、そのままではまだ信仰ではないということです。
今日の私たちの場合もそうでしょう。教養として、ギリシア神話やシェイクスピアを読むように聖書も読んでいる人もいます。そうした知識としての聖書の内容は、人から人へと伝えることのできるものでしょう。それもそれなりに意味のあることであろうと思います。しかしそれだけではまだ信仰ではありません。そこに神が啓示を与え、生きて語りかけてくださるときに、その知識に命が与えられ、福音となり、私の内に生き生きと生き始めるのです。そして私を生かす力となるのです。
(4)ビジョンが与えられる
パウロはイエス・キリストの啓示を受け、聖霊を受けたとき、それまでと世界が全く違って見えてきました。それまでは自分がユダヤ教徒のエリートであることを誇りに思い、さらに「一生懸命律法を守って立派な人間、立派な信仰者になるんだ」ということが生き甲斐でありました。そうした生き方を否定するようなものは許すことのできない厳しい人間でした。しかしながら、イエス・キリストの福音は、彼を根本から変え、福音によって生きる人間にしました。もっとも彼がそのことを知ったのはその啓示を受けたときでしたが、神様のほうではずっと前から、不思議な御手、不思議なご計画で、彼の生涯をその日まで導いてこられたのでした、ということにはっと気づいたのです。「神は私を母の胎にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった」(15節)。彼が有能であったからではありません。何もない時から恵みをもって彼を御心に留めて、ずっと共にいてくださったのでした。
そして彼はそのように過去を振り返った時に、自分はこれから何をすべきであるかということも、同時に聞き取りました。それはその次の行に書いてあります、「異邦人に御子を告げ知らせるようにされた」(16節)。彼にはビジョンが与えられたのです。自分のこれまでの人生には神の見えざる御手が働いていた。「自分を絶えず導いてくださった方がおられた」。そのことを信じる者、そこには神の恵みがあったことを知る者は、それを感謝するだけでは終わりません。それと同時にこれから先も同じように神が導いてくださることを信じることができる。そこでビジョンが与えられ、そのビジョンに向かって歩み始める勇気が与えられるのです。
(5)ジョン・ウェスレーの回心
私達の教会は、メソジストという伝統に連なる教会ですが、その創始者とされるのはジョン・ウェスレーという人です。ジョン・ウェスレーにも、パウロのような回心の経験がありました。
1738年5月24日のことです。この日の夜、午後9時15分頃、ジョン・ウェスレーは、ある集会に出ていましたが、集会の司会者が宗教改革者マルチン・ルターの書いた『ローマの信徒への手紙』序文の初めの言葉を読むのを聞いていました。父なる神さまが、キリストを信じることにより私たちの心に働いてくださるというところに来たときです。それを聞いていたウェスレーの内に何かが起きたのです。その時のことをウェスレーはこう記しています。
「わたしは不思議に心が燃えるのを感じた。わたしは救いのために、キリストを、キリストにのみ、より頼んでいるのを感じた。そして主が、わたしの罪を取り去り、わたしを罪と死との法より救ってくださるという確信が与えられた。」
彼は「わたし」と「わたしの」というところにアンダーラインを引いています。彼はそれまでもキリスト教の伝道者でありましたが、このときそれまでとは全く違った形で、彼ははじめてキリストを「わたしの」救い主として受け入れ、信じ仰ぐことができた、というのです。
聖書の知識、それは客観的な知識として、人に伝えることができます。ウェスレー自身もそれを語っていました。その聖書の真理が単なる知識ではなく、彼の体験となったのです。それが1738年5月24日という日付が、彼に意味したことです。このウェスレーの回心の出来事から、信仰刷新運動が始まり、後のメソジスト教会の母胎となっていきました。
ウェスレー自身は生涯、イギリス国教会に留まり続けましたが、その後継者たちがメソジスト教会を産み出していきました。ちなみにメソジストという名前は、もともと彼らのグループのことを、「メソッドを重んじる」、つまり「規律をはみ出しさない」、「がちがちの融通の利かない人たち」と呼んだあだ名でありましたが、彼ら自身が、この言葉を積極的な意味に転換して受け入れていったのでした。「そうだ。私たちはメソッドを重んじるクリスチャンだ。」それゆえにメソジスト教会では、この5月24日を、「ウェスレーの回心記念日」として、大事にしています。いわばメソジスト教会の創立記念日のようなものです。ウェスレーは、『世界はわが教区』という有名な言葉を残しました。
パウロの場合にも、自分のこれまでの歩みに、絶えず神さまが係わっておられた、いや自分が生まれる前から、自分を御心に留めておられたということに気づいた時に、異邦人伝道というビジョンが与えられました。それと同じように、ウェスレーたちにもそのように、世界伝道という大きなビジョンが与えられたと言えるでありましょう。
(6)私の人生にも神さまの導きがあった
私たちはそのようにキリストと出会うときに、つくりかえられていくのです。私自身はこれまでのつたない人生を振り返るときに、パウロやウェスレー兄弟が経験したような劇的な回心経験というのは、残念ながらありません。しかし私もまた、神さまは私が母の胎内にいるときから、不思議なご計画により、見えざる御手をもって、常に導いてくださったということは、信じることができます。これまでさまざまな経験をしてきましたが、今振り返ってみますと、それらのうちひとつとして無駄であったことはありません。神さまはいつもふさわしいときに、ふさわしいこと、ふさわしいものを備えてくださいました。その当座は何でこのようなことをしなければならないのかという思いもありましたけれども、あとで振り返ってみますと、そのひとつひとつが必要なものとして、神さまが備えてくださったものであったと、わかるのです。
キリスト教の勉強をし始めた時も、その後神学校に行って牧師になるということは、想定していませんでした。しかしながら、そのようにひとつひとつの経験を積み重ねながら、神さまは、私が自分の召命を感じるよりも以前に、私の道を備えてくださったのだと思います。アメリカに留学した時も、ブラジルに宣教師として行った時も、不思議な形でいつも必要なものを備えてくださいました。そのようにしてまた不思議な形で鹿児島加治屋町教会に導かれてきました。そのようにして今があります。
(7)人に伝えられるのは、生きざまを通して
パウロは、今日のテキストの最後のところで、こんなことを述べています。
「ただ彼らは、『かつて我々を迫害した者が、当時は滅ぼそうとしていた信仰を、今は告げ知らせている』と聞いて、私のことで神を崇めていました。」ガラテヤ1:24
私は宣教の基本、伝道の基本とは、こういうことであると思います。「神から聞いたことだ」といくら声を高くして言っても、それだけでは、その人の独りよがりであるだけかも知れない。しかしながらその人の生き方、生き様、「その人が神さまによって立てられ、神さまから聞いた福音によって生きている」ということを人は見るのです。私自身は偉そうなことは言えませんけれども、そういうふうにしてしか、人には伝えられないものであると思います。私たちも同じ福音を受け、同じ神さまによって選ばれ、母の胎内にあるときから導いてくださったということを感謝して、前を向き、ビジョンをもって歩んでいきましょう。