1. HOME
  2. ブログ
  3. 2025年6月1日説教「キリストの愛に生かされて」天門教会 貴村かたる牧師

2025年6月1日説教「キリストの愛に生かされて」天門教会 貴村かたる牧師

創世記3章16節
エフェソの信徒への手紙3章17~19節

加治屋町教会創立147周年の記念礼拝をこころよりお祝いを申し上げます。

このたび、創立記念礼拝の説教者としてお招きいただき、心より感謝申し上げます。

私にとって加治屋町教会は、信仰の原点であり霊的な母のような存在です。この大切な日に、皆様と御言葉を分かち合える恵みに胸がいっぱいです。
主題「キリストの愛に満たされる」は、私の歩みそのものを表す言葉です。

人生を振り返ると、いたる所にその愛のしるしを見出せます。

本日は、私自身の証しを通して、キリストの愛の確かさをご一緒に見つめてまいりましょう。

「母」や「妻」と聞いて、まず思い浮かぶのは「愛」ではないでしょうか。

妻は夫に愛されたいと願い、母は子を愛する義務を感じます。その関係の中心には、まず愛があります。私も少女時代、多くの物語や恋愛小説、文学作品から様々な愛の形を見ました。けれども最後には、「この世には本当の愛はないのだ」と思うようになったのです。

私は一度だけ恋をしましたが、失恋に終わりました。その時、「男女の高尚な愛など無いのだ」と思いました。精神的な愛、変わらない愛──そんなものは文学の中にも見つかりませんでした。私は「プラトニックラブ以外の恋はしない」と心を閉ざしてしまったのです。だから、私の人生にはいわゆる恋物語はありません。「色気がない」と言われたこともあります。けれども私は、本当の愛、高く深く、変わらない愛を心から求めていました。その愛がどこにあるのか、ずっと探し続けていたのです。

そんな私も年頃になり、幼なじみと結婚しました。けれども、夫が求めていた愛は、私にはありませんでした。そして夫は、その愛を外に求めたのです。それを知った私は、「やっぱりこの世には本当の愛はない」と感じ、心が真っ暗になりました。

とても大きな失望でした。20代の私は、傷ついた心を抱えながら、3人の子どもの子育てに励みました。21歳で結婚し、27歳で離婚。その後も、心も体もやせ細りながら、子育ての時代を歩んでいきました――47歳になるまで。

30代になると、さらに大きな試練が襲ってきました。自営業をたたみ、生活も苦しくなり、これまで経験したことのない貧しさを味わいました。心も荒れ、余裕を失っていきました。恥ずかしい話ですが、これが私の実際の歩みであり、証しです。

そんなある日、試練の中でふと耳にしたキリスト教のラジオ番組が、私の人生を変えるきっかけになりました。私はただ、「神よ、光をください。明るい家庭をください。でなければ、私の命を取ってください」と必死に祈っていました。

放送を聴き続ける中で、人生の意味や自分自身を見つめるようになりました。そして初めて、「罪」という言葉が自分に関係あるものとして迫ってきたのです。私は自分が罪人であることに気づき始めました。嘘、恨み、悪口──そうした道徳的な罪もありますが、それ以上に深い罪。それは、神の愛を知らず、自分のことばかり考えて生きていた罪でした。

神が人を造られたのは、神が愛する存在として、私たちの「霊」を造られたからです。一般的には、人は肉体と魂からできていると思われていますが、聖書は「霊」が命の中心だと語ります。たとえて言うなら、人は卵のようなものです。殻が肉体、白身が魂(人格)、そして黄身が霊です。霊こそが命の中心であり、神が特に愛しておられる部分です。卵の黄身に血がついているのを見たことはありますか?聖書は「血は命である」と語ります。神は、その霊=命を、瞳のように大切に愛してくださっているのです。私はそのことを聖書を通して少しずつ知るようになりました。世の本や雑誌――例えば「文藝春秋」や「婦人公論」なども読んでみましたが、心は満たされませんでした。読み終えても虚しさが残るばかりで、私の本質である霊を本当に助けてくれるものではありませんでした。

教会の先輩方に祈りを教えていただき、聖書を毎日読み続ける中で、私はあることに気づきました。それは、自分がキリストを“知識”として知っていただけで、人格的な関係がなかったということです。この気づきが、私の本当の聖書の学びの始まりでした。早天祈祷や徹夜の祈りにも励みながら、私は心から叫びました。

「神は愛です」「愛は神です」と聖書は語ります。愛そのものが神ではありませんが、神のご性質はすべて愛で満ちています。私は、その愛なる神に命がけで向き合いました。「どうか教えてください! 私と子どもたちを助けてください!」と、必死に祈り求めたのです。

「あなたがたの中で知恵に欠けている者がいれば…」ヤコブ1:5

私は祈りの中でこの御言葉に導かれ、神からの知恵を求めました。すると、罪とは「神に背き、神の愛から離れること」だと示されたのです。愛から切り離された私たちの霊は、花が茎から切られて枯れるように、内側から弱ってしまいます。アダムとエバの時から、人は神に背き、愛を失い、呪いの中を生きるようになりました。だから、世界中どこでも、人が愛を感じられないのは当然だったのです。このことを知った時、私は心から思いました。「ああ、私だけが愛を知らないのではなかった。人類すべてが失っていたのだ」と。そして、「では、その愛をどうやって取り戻せばいいのか」と思い始めたのです。そこから私に、勇気と生きがいが湧いてきました。私は必死で御言葉に耳を傾け、ラジオの福音放送を聴き続けました。「一日も早く、この失われた愛を取り戻したい。変わらない、永遠の神の愛を、自分のものとしたい」と願って。

私たちは、人間の愛、特に異性の愛を「本当の愛」だと思いがちです。けれども、もしそれが本物なら、なぜ変わってしまうのでしょうか?なぜ冷めるのでしょうか? 色あせ、裏切られることがあるのでしょうか?地上の人々は皆、愛を求めて生きています。文学のテーマの多くは、愛への飢えと渇きです。小さな子は母の愛を求め、思春期になると異性の関心を強く意識します。創世記にあるように、人は神から離れたときから、失った愛を回復しようとしています。「誰かに愛されたい」という思いは、人間の本能のようなものです。特に女性にとっては、その渇きが深くなることもあります。聖書もそのことを裏付けています。けれども、多くの人が、その愛を求めながら得ることなく、人生を終えていきます。数えきれないほどの人が、失われた愛のまま、この世を去っているのです。

けれども皆様、イエス・キリストだけは違いました。私は、ほんとうの愛がどんなものかを、イエス様から教えていただきました。愛とは、自分にとって最も大切なものを差し出すことです。それは命です。イエス様は、私たちのためにご自身の命を与えてくださいました。イエス様は罪を犯したことがありません。それなのに、私たちすべての罪を背負って、十字架にかけられたのです。しかも十字架の上で、こんなふうに祈られました。「父よ、彼らをお赦しください。何をしているのか分からずにいるのです」と。自分を殺す者のために赦しを祈ることができる――この方こそ、神の霊を持っておられるお方だと私は信じています。聖書は、ここにこそ神の愛があると教えているのです。

私は罪人です。本来なら、私が神から罰を受けるべき存在でした。けれども、イエス様が私の罪を背負い、身代わりとなって十字架にかかってくださった――そのことが心に深く分かったのです。私はずっと何かを求めていましたが、それが神の愛だとは知りませんでした。神を知らずに、夫にだけ精神的な愛や肉体的な愛を求めていたのです。しかし、イエス様の十字架の愛を知ったとき、私は初めて感謝の祈りができるようになりました。その時から、別れた夫や隣人を、まったく新しい目で見ることができたのです。私は神に愛されている。そして夫もまた神に愛されている――

肉眼ではなく霊の目で見たとき、私は夫の中に神の尊い愛、尊い血潮を見ました。

私の理想や期待に応えてくれなかったという不満ではなく、神が夫を愛しておられるという事実の中で、その存在を無条件に認めることができました。ある日、偶然、車で彼を見かけたとき、私は追いかけて謝りました。それ以来、もう40年近く、彼の救いのために祈り続けています。

聖書の創世記には、女は男の助け手として造られたとあります。けれども私は、結婚生活の中で、夫に仕えることをしてこなかったと気づきました。その思いから、私は仕える心を学ぶために、家政婦として仕える訓練を受けました。夫とは別れましたが、今は彼のために祈る祈り手となっています。心から願い、祈っています。「どうか、深い神の愛が彼に注がれますように。神の慈しみに満たされますように。私が仕えられなかった部分を、神が豊かに補ってくださいますように」と。それが、今の私の愛のかたちです。

また私は、神が義なるお方、公義の神であることも知りました。神はご自身の計画を決して譲らず、変えることもありません。少女だった時も、世に心を奪われた時も、戻って来た今も、神はずっと変わらぬ愛で私を愛しておられます。そして今も、「永遠の神の国で共に生きよう」と招いておられるのです。この永遠の愛が、キリストと共に私の内にあるなら、神にも仕えることができ、また子どもたちにも、母として新たな姿を見せることができます。何かあると、子どもたちはこう言います。「お母さん、祈ってください」――それが今の私の喜びです。

皆様、私たちのうちに宿っている神の愛は、日ごとに深さを増していきます。人の愛は時と共に色あせることもあります。別れや死によって、途切れてしまうこともあります。けれども、神の愛は違います。その愛は決して変わらず、絶えることなく、
やがて神の国で共に生きるその時まで、永遠に続くのです。

テモテ第一の手紙5章4〜5節には「やもめ」についての言葉があります。

やもめとは、夫を亡くした女性――つまり未亡人のことです。昔は「男やもめ」という言葉もありましたが、今はあまり使われませんね。聖書で語られる「やもめ」は、生活の支えを失い、何も持たない人のことです。私も、やもめという言葉を知識としては知っていました。けれども、実際に自分がやもめとなった時、「見ること」「聞くこと」「触れること」…すべてが失われたように感じました。希望も、不満さえも消えて、心の中に何も残らない。それが、やもめの孤独であり、現実なのです。

私たちの信仰生活も、「やもめ」の生活と似ているところがあります。神を知らずに生きることは、魂が支えを失い、空虚になることです。聖書には「みなしご」という言葉もあります。親を知らず、頼る人も、愛してくれる人もいない――それがみなしごです。父なる神を知らない霊は、まさに「やもめ」と同じ、「みなしご」と同じなのです。けれども聖書は、そのような人々を「愛しなさい」と語っています。

旧約から新約に至るまで、神はやもめとみなしごに心を注いでおられます。今、私たちの隣人の中にも、霊的にやもめのような姿が見えることがあります。

たとえ外見が立派でも、その人の霊を見つめる目を持ちましょう。神のまなざしにならって、私たちも心を向けていくこと――それが、永遠の愛の中に生かされている私たちに与えられた大切な務めなのです。

思えば、私の信仰の出発点には、やもめであり、みなしごのようであった私を愛してくださった、加治屋町教会の存在がありました。もし教会のお支えがなければ、途中で献身の志をあきらめていたかもしれません。現実には、生活が苦しいこともありました。ある土曜の夜、とうとう電気が止められました。電気代を滞納していたからです。けれども不思議と、不安はありませんでした。月明かりの中で「明日は礼拝だ」と思い、カーテンを開けて主を見上げながら眠りについたのです。

翌朝、礼拝後に週報ボックスを開けると、封筒が一つ。「かたるさんへ」と書かれ、中には十万円が入っていました。差出人は「天より」。涙があふれて止まりませんでした。すぐに電気代、水道代を支払い、必要を満たすことができました。キリストの愛が、こんなにも具体的に届いたのです。それだけでなく、日々の中で「なぜこれをご存知だったのか」と思うようなタイミングで、必要な助けが与えられる――そんな経験が何度もありました。きっと誰かが祈りの中で気づき、応答してくださったのでしょう。加治屋町教会は、神の愛の器となって、私を支えてくださったのです。

神学校に進む時、私は経済的に非常に厳しい状況にありました。しかし、教会は「貴村かたるを支える会」を立ち上げてくださり、4年間、毎月封筒に学費や寮費を入れて支えてくださったのです。それは単なる経済的な支援ではありませんでした。

「祈っています」「応援しています」「あなたを信じています」――そんな思いがその中に込められていました。その愛に支えられて、私は献身の道を一歩一歩歩むことができました。このすべての支援は、私にとって「神は生きておられる」という信仰の確証となりました。「あなたは見捨てられていない。私はあなたとともにいる」――

そう語ってくださるキリストの声として、私の心に深く刻まれています。

亡き母(松岡トミ)も、神の愛に導かれた一人でした。母は長い間、教会とは直接関わっていませんでしたが、毎月届く「からし種」や「こころの友」などの機関誌を通して、神のことばに触れ続けていました。それは、今は召された姉妹方が何十年も粘り強く送り続けてくださったものでした。その働きの中で、母はやがて家庭集会に誘われ、信仰を持ち、加治屋町教会の教会員へと導かれていったのです。母の歩みを見ながら、私は学びました。教会の愛は、一時的なものではなく、信仰の実が結ばれるまで決してあきらめない――それは、神の愛に根ざした真実な愛だということです。母が洗礼を受けたときの証しは、今も私の心に深く残っています。

教会は、ただ日曜日に集まる場所ではありません。それは、神の愛がこの鹿児島の地に現されるための通路であり、愛の器です。教会を通して、神は人を導き、育て、癒し、そして用いてくださいます。私自身、この教会の交わりの中で、何度も神の愛を実感してきました。どんなに困難な時も、「あなたはひとりではない」「祈っている教会がある」――そう信じられることが、何度も私を立ち上がらせてくれました。母教会でいただいた愛は、私の奉仕の歩みを常に支え、背中を押してくれています。

キリストの愛は抽象的なものではありません。それは「必要なところに届く愛」、「決して放っておかない愛」、そして「今、ここに共にいてくださる愛」なのです。

加治屋町教会の草創以来、この教会が私だけでなく、多くの献身者に手を差し伸べ、真実と行いをもって支えてくださったことを、私は身をもって知っています。そしてこれからも、加治屋町教会がキリストの愛を証しする主の働き人を送り出す教会として、主に仕えていくと信じています。

私自身もまた、加治屋町教会で受けた愛を、次の世代へと手渡していきたいと願っています。あの日、私にそっと渡されたあの封筒のように――誰かの必要に静かに応える者でありたい。名を記さずとも、天の父がそのすべてをご存知であることを信じつつ。

「キリストの愛に生きる」とは、自分が受けた愛を、さらに他者へと流していく歩みです。教会はその愛の循環の真ん中にあるのです。どうかこれからも、加治屋町教会がキリストの愛に根ざし、その愛を携えて世に仕える器として、皆様が用いられていきますように。そして私たち一人ひとりが、その愛の証人として歩み続けることができますように。

心より、感謝してお祈りを申し上げます。アーメン

関連記事