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2025年5月25日説教「パウロの立つところ」松本敏之牧師

エレミヤ書1章4~10節
ガラテヤの信徒への手紙1章1~5節

(1)ガラテヤの信徒への手紙

本日から月に一度位になろうかと思いますが、ガラテヤの信徒への手紙を読んでいくことにしました。ガラテヤの信徒への手紙は、教会の基礎は一体何であるか、教会は一体どこに立っているのか、そしてどこに立つべきであるのかということを、教えてくれる大切な書簡、手紙です。特に今日は礼拝の後で、その大切な年度初めの定期教会総会が開かれようとしています。その意味でも、本日、これを始めることにも意味があるかなと考えました。宗教改革者ルターも、そのことを絶えず確認するために、このガラテヤの信徒への手紙を熟読し、愛したと言われています。ルターは愛妻家であったことで知られていますが、そのルターがこの手紙のことを「わが妻」と呼んでいたそうです。

少し煩雑になりますが、最初にこの手紙の背景などについて、簡単に申し上げておきます。まずこの手紙の著者は、今日のテキストにも出てきますように、使徒パウロです。新約聖書の中には、パウロの名前によって書かれた手紙がたくさんあるのですが、実はそれらすべてがパウロの手によるものではありません。

そうした中にあっても、このガラテヤの信徒への手紙は、すべての学者が、確実にこれはパウロの手によるものだと認めるものであります。しかもローマの信徒への手紙と並んで、パウロの思想、神学というものが最もよく表れており、またローマの信徒への手紙に比べれば、短く簡潔にそれを語っていますので、キリスト教の教理を学び、確認する上で、格好のテキストであります。

パウロという人は、三回ほど大きな宣教旅行をしておりますが、この手紙は、第三次宣教旅行の途中、約2年間エフェソに滞在していた時に書かれたであろうと言われています(使徒19:1、8~10、20:31)。

執筆時期としては、紀元後54年頃と推定されます。使徒言行録で、ガラテヤ教会に対するパウロのそれまでのかかわりをたどってみますと、この手紙を書く前に、彼は二度にわたってガラテヤ地方を訪れて、伝道したことがわかります(使徒言行録16:6、18:23)。

ちなみにガラテヤ地方というのは、現在のトルコの首都アンカラとその周辺であっただろうと言われます。聖書協会共同訳聖書の巻末には、12番「パウロの第三次宣教旅行とローマへの旅」という地図がありますが、その右上7Bあたりに「ガラテヤ」という地名があります。その前のページの地図には、もう少し大きく出ています。

(2)ガラテヤの諸教会へ

少し本文を読んでみましょう。

「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、この方を死者の中から復活させた父なる神とによって使徒とされたパウロ、ならびに、私と共にきょうだい一同から、ガラテヤの諸教会へ。」ガラテヤ1:1~2

この部分は、手紙の発信人と受取人が誰であるかについて述べています。発信人の方は随分長いのですが、これについては後でお話しします。受取人の方は、「ガラテヤの諸教会へ」と、これだけです。それだけを読みますと、別に何とも思わないかも知れませんが、他のパウロの手紙と比べてみますと、この書き方は非常に例外的であることがわかります。たとえばローマの信徒への手紙ではこうなっています。

「ローマにいる、神に愛され、聖なる者として召されたすべての人たちへ。」ローマ1:7

コリントの信徒への手紙の一では、こうなっています。

「コリントにある神の教会と、キリスト・イエスにあって聖なる者とされた人々、召された聖なる者たち、ならびに至るところで私たちの主イエス・キリストの名を呼び求めるすべての人々へ。」コリント一1:2

フィリピの信徒への手紙では、こうです。

「フィリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ。」フィリピ1:1

それぞれに、パウロの相手に対する愛情や思いがにじみ出ているような書き方です。それらに比べてみると、いかがでしょうか。「ガラテヤの諸教会へ。」実に素っ気ない書き方です。

実はこのガラテヤの信徒への手紙は、「戦いの手紙」と呼ばれることもあるのですが、厳しい、困難な状況に直面する中で書かれました。今日のテキストの直後、手紙の本文の書き出し部分で、彼はいきなりこう書くのです。

「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。」ガラテヤ1:6

挑発的な言葉です。いきなり手紙の書き出しでこう書かれたらいかがでしょうか。けんかを売っているようで、「何だ、こいつは」ということになりかねません。詳しくは次回に譲りたいと思いますが、こうしたところからも、パウロは、穏やかならぬ心で、この手紙を書き記していることが伺えるのです。とても「ガラテヤにある神の教会へ」とか、「ガラテヤの聖なる者たちへ」と書くことができなかったし、書く気にもなれなかったのでしょう。

(3)「生前の」イエスを知らないパウロ

宛名が素っ気ないのに対して、書き手である自分については不釣り合いなほど詳しく記しています。そしてその中で、自分がどういうものとして書いているのか、パウロの毅然とした態度がよく表れています。

日本語では語順が逆になってしまいますが、原文では、最初にはっきり「パウロ」と自分の名前を語り、そして「使徒」という言葉が続きます。「使徒」というのは「遣わされた者」という言葉です。パウロは「自分は使徒である」と言明するのです。パウロがこの手紙を書き送った背景には、「パウロが使徒であるというのはどうもあやしいぞ」という風潮が、あるいはそういう意見が多数あったのです。

あるいは使徒の中にも、無意識のうちに、あるいは意識的に、ランク付けがありました。パウロは上の方ではないのです。一番上はもちろん、ペトロを筆頭にするイエス・キリストの直弟子たちです。直接「生前の」(十字架にかかる前の)イエス・キリストから教えをこうむり、肌で触れ合った人々です。パウロは「生前の」イエス・キリストを知らないのです。

さらに悪いことには、彼はもともとクリスチャンに対する熱心な迫害者でありました。「イエス・キリストなどという、どこの馬の骨ともわからぬ者を救い主などと言いふらす者はけしからん。神の意志に反している。神を冒涜している。」そう信じて、迫害したのです。

「そんな過去をもっている奴が、イエス・キリストの使徒だというのだから、どうもあやしいものだ」ということでしょう。更に彼の説くメッセージは、イエス・キリストの直弟子たちの語るメッセージとは少し違っていました。ペテロなど直接の弟子たちは、どうしてもユダヤ教の枠の中でしかイエス・キリストの教えをとらえることはできませんでした。ユダヤ教が守ってきた律法を守りながら、それにイエス・キリストの新しさを付け加えたようなメッセージを語っていたのです。いわばユダヤ教イエス派(あるいはナザレ派)のようなものです。彼らに比べると、パウロはもっと大胆に、イエス・キリストによって何が新しくされたのかを語りました。

ひとつだけ典型的な例をあげますと、割礼という習慣についてです。異邦人がクリスチャンになる場合に、ペトロたちは「割礼を受ける必要がある」と考えましたが、パウロは「それは必要ない」と言ったのです。

もちろんパウロは、ユダヤ教についてよく知っています。ペトロなどよりずっと専門家でありました。有名なガマリエルという律法学者の門下生でありました。だからこそ逆に、ユダヤ教の教えの中で、何が本質的に重要で、何が二次的なことであるかを鋭く判断することができたとも言えるでしょう。何をキープし続け、何を刷新しなければならないのか。イエス・キリストによって、何が本質的に変わったのか、それを鋭く見抜く力をもっていたのであります。

(4)人によってではなく、神によって

しかしそうした彼の経歴も、彼の劇的な回心なくしては、生かされることがなかったでありましょう。彼の回心については、使徒言行録の9章に詳しく記されています。彼はその後も、その時の出来事を何度も自分の出発点として証し続けました。(このパウロとイエスの出会いについては、6月22日の礼拝で、徳田興一さんもお話しくださるようです。)

パウロは、復活のキリストと出会い、それに基づいて宣教をしていきました。これがパウロの立っていたところです。これが、パウロがイエス・キリストを語る根拠です。当時もっとも権威があったのは、ペトロを中心としたエルサレム教会でありました。そのエルサレム教会から派遣されたのであれば、その権威を背景に、それなりに敬意をもって受け入れられたでしょう。本家からのお墨付き。そしてペトロなど権威ある人によって任命されていたのであれば、敬意をもって受け入れられたことでしょう。ところが「あのパウロという男は一体何者だ。誰が彼のことを保証してくれるのだ」、そうした問いがうずまく中、パウロは毅然と書き始めるのです。

「私が使徒であるのは、人々からでもなく、人によってでもない。イエス・キリストと、この方を死者の中から復活させた父なる神とによるのだ。」

ここでパウロは、復活のキリストにのみ言及しています。そこには、「自分は確かに生前のイエス・キリストは知らない。しかし復活したイエス・キリストを知っている。それで十分ではないか。いやそれこそが最も大切なことではないか」という思いが表れているのではないでしょうか。

この意味において、21世紀に生きる私たちと、使徒パウロは、同じ地平に立っているということができるでしょう。私たちのうち誰一人として、ペトロのように生前のイエス・キリストを知る者はいないからです。しかしそれでもなお、復活のキリストに出会い、キリストによって生かされているならば、「キリストの使徒」と名乗ることがゆるされるのです。

パウロはそう語ることによって、「自分を使徒として立てているのは、エルサレム教会のような、(ある種の)人間的な権威ではないのだ」と、宣言するのです。少なくともエルサレム教会がその権威を独占することをきっぱりと拒否するのです。

それは、宗教改革者のルターがよって立ったところもそこでありました。ルターはローマ・カトリック教会が絶対的な権威をもっていた時代にあって、「このローマ・カトリック教会が、人を使徒として立てるのではない。絶対に違う。イエス・キリストと、キリストを復活させた神である。」そのことを発見したルター、その厳粛な事実に気づいたルターは、ローマ・カトリック教会の権威と決別し、宗教改革へと進んでいくのです。ローマ教皇のような権威ある存在があると、私たちは安心するのですが、プロテスタント教会は、そうした権威を置かないことを決めたのです。最近、ローマ教皇を決める「コンクラーベ」という「教皇選挙」が行われたので、時々、「プロテスタント教会で、ローマ教皇にあたる方は、誰ですか」と聞かれることがありますが、「そういう権威を置かない」というのがプロテスタント教会の立っているところなのです。

(5)独善的になる可能性

ただし問題はそれほど簡単ではありません。人間的権威を否定することで、問題は解決しません。そもそもどうして人間的権威を求めるかというと、私たちはいつもそれが本物であるかどうかの保証が欲しいからでしょう。

ある種の基準を設けて、「この人は大丈夫」という保証をするのです。日本基督教団の場合でもそうです。牧師になるためには、教師試験というものを受けなければなりません。それによって、この人はある審査を経たものであることを保証し、教師であることを認めていくのです。しかしそのことは、その人の言っていることが正しいという保証にはならないでしょう。教団の牧師だと認定してもらうことは、ある種の目安にはなるかも知れませんが、その人が間違った教えを語らないという保証ではあり得ないわけです。

そういう意味では、私たちも(祈りによって)目に見えるひとつの基準で、牧師を認定しながらも、本質的にはパウロと同じところに立っていると言えます。

なぜある種の権威による認定を求めるかというと、そうした権威を取り外してしまった時に、「それでは何でもいいのか」という混沌に陥りかねないからです。そして「人によってでもなく、人を通してでもなく」という時に、私たちはしばしば自己絶対化に陥ることがあるかもしれません。

「私は神によって使徒とされた」と誰かが言った場合、いかがでしょうか。他の人にはそれを直接証明する道は何もありません。こうした主張がなされるときに、私たちは逆に自分を絶対化して、誰か他者と対話することが不可能になってしまうことがしばしばあります。個人的権威を押しつけることになってしまいがちです。宗教者同士の対立が、世俗的世界の対立よりも根が深いのは、まさにそこにこそ問題があるからではないでしょうか。諸宗教間の対立にとどまらず、同じキリスト教内での対立もあります。いや同じ教派内にも、いやそこにおいてこそ熾烈な形で、「自分たちのほうにこそ、正しさがある」と譲らず、それぞれが自己絶対化し、硬直していくことがしばしばあるのです。残念ながら、日本基督教団の中にもあります。どちらが正しいかということが数によって決まる。ある種のパワーゲームのようなことが起きてくるのです。

(6)自分をも絶対化しない

私は、「人によらず、神による」という時、「人」という限り、その「人」の中に、自分も含んでいなければならないと思います。「人によらず」と言いながら、かえって自分を絶対化しているのであれば、何にもならないでしょう。

しかし考えてみれば、それは大変なことを語っているのではないでしょうか。すべての人間的保証を放棄して立とうとすること、何か空中に放り出され、めまいを起こすような事柄です。自分のよりどころを自分で振り払うような決意です。自分も含めて、一切の人間的足場に頼らない。ただキリストを見つめ、そのキリストを復活させた父なる神を見つめ、そこにのみ自分の言葉のよりどころを置く。ある人(加藤常昭牧師)は、これを「信仰のめまい」と呼んでいました。私たちが確かだと思って立っていたところが、実は確かではないことに気づいた。そしてもっと確かなもの、新しいものを求めて出ていこうとする。そうした飛び出しのようなものが、この言葉の中にはあるのではないでしょうか。

これはいつも新たにチャレンジされ、いつも新たに検証されていかなければならないことでしょう。つまりパウロがこう言ったからといって、それはその後ずっとそうだということにはなりません。今日の私たちにおいても、「神によって立てられた」と言っても、それを客観的な形では証明するものは何もないのです。その語っている中身、内容だけが、あるいはその言葉が指し示しているものだけが、それが真実かどうかを示していると言えるでしょう。

パウロは自分が伝道者となったことは、バルナバをはじめとする、多くの人のおかげだということを十分知っていたと思います。しかしそれでもあえて、自分が使徒であるのは、人によってではなく、神によるのだと言い切るのです。

客観的な保証は何もありません。またそれを固定化できるような権威でもない。いつもその語られる中身だけがその真理性を保証するのです。ですから使徒というのも、その人が、またその人の言葉が正しくイエス・キリストを証しし、イエス・キリストの力を私たちにもたらしてくださる限りにおいて、使徒と言えるのではないでしょうか。

(7)天からの権威

実はこの時のパウロと同じように、イエス・キリスト御自身も権威について問われたことがありました。

「イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った。『何の権威でこのようなことをするのか。誰がその権威を与えたのか。』」マタイ21:23

いかがでしょうか。イエス・キリスト御自身も、当時の宗教的権威者によって、問われたのです。それに対して、イエス・キリストは何とお答えになられかと言うと。直接的な形でお答えにはなりませんでした。洗礼者ヨハネを持ち出して、「そのヨハネの権威がどこからのものであったか」と問い返されるのです。結局ここでは明確な答えは出てこないのですが、ある大事なことをサジェスト(暗示)していると思います。

イエス・キリスト御自身は、天からの権威でもって語られたということは、私たちにしてみれば明らかでしょう。しかしその時にわざわざヨハネを持ち出されました。ある意味で、ヨハネを自分と同列に置かれたのです。それは、「もしもヨハネの行動や言葉がまことの悔い改めを促し、まことの神を指し示しているならば(つまりヨハネの中身が、点を指示しているならば)、天からの権威であるはずではないか」と暗に語っておられるのではないでしょうか。このことも今日の私たちのテキスト、ガラテヤ書の言葉にあわせてみれば、中身、内容こそが、その真理性を保証するということを示しているのだと思います。

私たちの教会、今日の教会の、よって立つべきところもそこにあると思います。またそこにしかありません。他のどこにも保証はないのです。いかに伝統のある教会であれ、鹿児島加治屋町教会であれ、あるいはもっと歴史のある教会であれ、ローマ・カトリック教会であれ、そうしたところに教会の真理性があるわけではないのです。ひとたび何かが起こるならば(例えば戦争)、どんなにこの世的に権威があろうとも、間違った教会になってしまう可能性があるのです。

聖書に基づいてイエス・キリストを正しく指し示し、イエス・キリストの力によって生かされ、イエス・キリストの宣教を正しくしていく場合に限り、教会は教会として立つことができる。そのことは、人の権威に頼ろうとする道ではなく、あるいは逆に自分を絶対化することでもない。神さまにのみ、イエス・キリストにのみ自分たちの根拠をおいていく道です。それは決して既得権を主張することのできない道です。

ガラテヤの信徒への手紙は、私たちに教会の原点を指し示してくれる大事な書簡です。特に今日は、これから定期教会総会が開かれようとしています。この大事な時に、私たちの教会がどこに立っているのかということを、もう一度確認していきたいと思います。

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