2025年8月17日奨励「平和を造る人」中松禎夫
おはようございます。
今年は昭和100年、戦後80年にあたります。毎年8月になりますと6日、9日、15日ということが言われます。6日は広島の、9日は長崎の原爆の日です。そして、8月15日は「敗戦の日」です。この日のことを「終戦記念日」と呼ぶ人もありますけれども、ただ、「戦争が終わった日」というだけでなく、日本が周りの国々に「無謀な侵略戦争」を仕掛けて「負けた日」だと、しっかり認識して「反省する日」でありたいと思います。
私たちはよく「空襲で焼け出されて、住む家も食べるものもなかった」、「防空壕は狭くて、暗く、息苦しかった」、「あんな戦争はもう二度といやだ」と言いますが、その一方で私たちの国、当時の日本は、近隣の国に対する「侵略者」や「加害者」でもあったということを決して忘れてはならないと思います。
石破総理大臣は、おとといの「戦没者慰霊式」で13年ぶりに「不戦の誓い」とともに、「反省」という言葉を使いました。石破さんの母方のひいおじいさんは、有名な「熊本バンド」の出身で、総理本人も18歳の時に、教団の「鳥取教会」で洗礼を受けているクリスチャンです。おとといのあいさつは少しはそのクリスチャンらしさが出たように思えます。
ところで今日のテーマ「平和」とはいったいどのようなことを指しているのでしょうか?
手元の辞書によりますと、「戦争や紛争がなく、世の中が穏やかな状態を指す」と出ています。しかしそれだけではありません。別のテキストによりますと「人々が安心して生活でき、神様との良好な関係が保たれ、一人一人の人権が守られ、不公平や暴力がない心穏やかな安心できる状態」を指すとされています。
また、この「平和」のことをヘブライ語では「シャローム」と言いますが、この言葉には「神の平和があなたにありますように」、「あなたの生活が健やかでありますように」という相手を思いやる気持ちと共に、「こんにちは」や「さようなら」という挨拶にも使われています。
ところが、イスラエルのネタニヤフ首相やイスラエルの軍隊は、口では「シャローム」と言いながら、一方では、ガザやヨルダン川西岸地区で罪もない女性や、子供、一般市民に対して残虐でひどい殺戮を毎日のように繰り返しています。旧約聖書のレビ記19章18節には「復讐してはならない。隣人を自分のように愛しなさい」という御言葉が出てきます。これは新約聖書のイエス様の言葉と同じです。
ところで、ユダヤ人、つまりイスラエルの人々にとっての「隣人」とは、自分たちと同じユダヤ人だけのことで、外国人、つまり「異邦人」は、隣人とは考えていないのではないかと思われます。
ユダヤ人は「自分たちだけは神様に選ばれた特別な民、つまり選民であって、ユダヤ教の神「ヤハウエ」は、ユダヤ人だけの、特別な神様だと考えているようです。これは旧約聖書や、詩編などを読んでいても、そんな風に感じます。
では、なぜ今、パレスチナで激しい戦闘や殺戮が行われているのでしょうか?
それは、第二次世界大戦後、1948年5月に認められた「イスラエルの建国」と深い関係があるのです。もともと「パレスチナ」とは旧約聖書の申命記に出てくる「乳と蜜の流れるカナンの地」のことで、本来は、「ペリシテ人の土地」という意味です。
今から3千年ぐらい前に、イスラエルの王様ダビデはペリシテ人を打ち破り、王国を統一したと言われていますが、旧約聖書の「サムエル記」には、少年ダビデが「投石機」つまり石を投げる道具を使って、ペリシテ人の巨人、「ゴリアト」を倒したという話も出て来ます。
聖書の後ろの方の地図を見ますと、何千年も前から「ガザ」や「ペリシテ」という地名が出ています。しかし、やがてこのペリシテ人たちは、バビロニアに滅ぼされてしまいます。ですから、今のパレスチナの人々は、ペリシテ人直接の子孫ではありません。でも、同じアラブ系の人々であることには変わりはありません。
イスラエルはその後、紀元70年に、ローマ軍によってエルサレムが破壊され、その後、ローマ帝国に征服されて、ユダヤ人たちは聖地エルサレムから追い出されました。これが国外離散(ディアスポラ)のはじまりです。
そして時は流れ、パレスチナで第二次世界大戦後に勃発した、ユダヤとの新たな対立の大きな原因は、アラブ人の住むパレスチナに、ユダヤ人の国「イスラエル」が建国されたことにあります。
そして、それ以上に、この問題を複雑にしたのは、実はイギリスなのです。イギリスは当時、パレスチナのあたりを自分たちの植民地として支配していたのですが、ユダヤ系の財閥からの資金援助をあてにして、ユダヤ人に対し「我々に協力すればパレスチナで、ユダヤ人の国家の建設を認めてあげますよ」と持ちかけました。
その一方で、当時オスマントルコの支配下にあったアラブ人に対しても、オスマン帝国の切り崩しを狙って「パレスチナでの独立」を約束したのです。さらにイギリスは、フランスともこの地域の土地を、自分たちで山分けする密約を結んでいました。これが有名な「イギリスの三枚舌外交」といわれているものです。
一方、19世紀末から20世紀初めにかけて、高い利息を取る金融業で成功して、大金持ちになっていた、ヨーロッパに住むユダヤ人たちの間では、「約束の地に自分たちの国をもう一度作ろう」という運動が次第に勢いを増していきました。これを「シオニズム運動」と呼びます。
一方ドイツでは、ワイマール憲法のもと民主的な選挙で選ばれたはずのヒットラーが、次第に独裁色を強めて、強引にユダヤ人の迫害を始めました。
それでも、逆境の中で、ヒットラーの率いるナチスドイツから、非人道的な差別を受け、「アウシュヴィッツ」や「ホロコースト」などの様々な虐待を受けていたユダヤ人たちは、なんとかして「自分たちの国を持とう」という気持ちを、ますます強めていきました。
第二次世界大戦が終わった後、世界各国や国連も、ナチスによる非人道的な行為に対する、大きな同情もあって、彼らの建国を認めました。1948年5月14日、ユダヤ人たちはついにパレスチナの地に土地を得て、イスラエルの建国を宣言しました。
ところがその翌日、パレスチナにいたアラブ人たちは周りのアラブ諸国の応援を受けて「ユダヤ人の新しい国」に対する戦闘を始めました。何故かといいますと「パレスチナ人の国」の方は認められないのに「イスラエル」という国ができ、自分たちは、これまで住んでいたところから追い出されることになったからです。これが「第一次中東戦争」です。それ以来、大規模な中東戦争は合計4回行われていますが、そのたびにイスラエルの方が勝ち、次第に領土を広げていきました。
このため現在パレスチナの人々は、「イスラエルの中の自治区」として、ヨルダン川西岸とガザ地区に追いやられています。
自治区とは言いますが、実際にはイスラエルが完全に統治しています。中でもガザ地区は「天井のない監獄」と呼ばれており、交通は遮断され住居や学校、病院は破壊され、国連やユニセフなどの人道援助も妨害され、薬品はもちろんのこと赤ちゃんのミルクさえ手に入らない状態です。G7の国々はこれまでこれらについて、黙って見て見ぬふりをしていましたが、ようやく最近になって、フランスが人道的な見地から「パレスチナを国として認めよう」と言い出しました。イギリスやカナダも、これに続こうとしています。
では、日本はと言えば、やはりというべきか、アメリカの顔色を窺っているもようです。本来なら、民主主義のお手本であるアメリカが、真っ先にイスラエルの横暴を止めるべきなのに、トランプ大統領は、イスラエルの肩を持ち、火に油を注ぐようなことをしています。何故なら、トランプ氏の岩盤支持層や、共和党支持の原理主義者たちは、裕福なユダヤ系アメリカ人と深い関係があるからです。
今年2月のトランプ大統領とネタニヤフ首相との共同記者会見で、トランプは「ガザをアメリカが引き継ぎ、アメリカの長期的な占領の下で、ここを中東の「リビエラ」にすると発言しています。その他、グリーンランドやカナダ、パナマ運河まで自分のものにしたいなどと、勝手なことを言っています。自国の利益のために、一方的に軍事的に占領した土地で経済活動を独占的に行うということは、19世紀の植民地主義、帝国主義と同じです。
「アメリカファースト」というのは「アメリカさえよければ他の国などどうなってもいい」ということで、これは「日本ファースト」であっても、「ロシアファースト」であっても、「中国ファースト」であっても今の時代に許されることではありません。
トランプ大統領のやっていることは、自分の独断と偏見、思い付きや好き嫌いによるもので、自分本位な考えです。「力が正義」だというのは、「子どもの喧嘩のガキ大将」や「ヤクザの親分の言い分」となんら変わりがありません。
「自分さえよければ」、「自分たちさえよければ、ほかの人たちはどうなってもいい」という自分勝手な考えは、今こそ改めなくてはなりません。今求められていることは、まさに「隣人を自分のように愛しなさい」ということなのです。
この地球という小さな星の上に、今生かされている私たちが、お互いに平和に生きていくためにはお互いの人権を尊重し、お互いの文化やお互いの信じる宗教も尊重しながら、仲良く生きていかなくてはなりません。
私たちは「世界中の人々が、すべてクリスチャンになってくれれば、これほど素晴らしいことはない」と思いますが、それはどの宗教も同じで、イスラム教の人はイスラム教で、ユダヤ教の人はユダヤ教で、自分たちの信仰が一番だと思っているのです。仏教や,神道でもそれは同じだと思います。
世界中の人々が仲良く暮らすためには、お互いの「信教の自由」を尊重し、お互いの宗教もお互いに認め合うしかありません。
私は神戸のすぐ近くの西宮で育ちました。あの甲子園球場のある街です。神戸までは電車で15分ぐらいしか掛かりません。この神戸の街では、いろいろな国の人々がみんな仲良く暮らしています。宗教もいろいろです。キリスト教の教会だけでも、教団ですとメソジスト系の栄光教会、会衆派、組合系の神戸教会などがあり、カトリックや、聖公会、ルーテル、バプテストの教会もあれば、ハリストス正教会もあり、日本のお寺や、神社、ユダヤ教のシナゴーグ、イスラム教のモスク、ヒンズー教やジャイナ教の寺院もあります。そして、みんな仲良く平和に暮らしています。
私たちに今求められていることは、まさに「隣人を自分のように愛しなさい」という御言葉を実践することなのです。
ところで、鹿児島には14年ぐらい前から、「鹿児島県宗教者懇話会」というユニークな集まりがあります。これは、仏教や神道、キリスト教、新宗教などいろいろな宗教の関係者が集まり、信徒の皆さんと一緒に「平和実現のために共に力を合わせよう」という運動で、毎月一回原則として第一日曜日の午後「平和巡礼」を行い、ザビエル教会から天文館、西本願寺、照国神社、原爆犠牲者の慰霊碑などを巡り、それぞれの信仰によって「黙とう」をささげ、それぞれの信仰によって平和を祈ります。行進をするときにはプラカードやポスターを持ちますが、声を出さず、心の中で祈りつつ歩きます。
今月は、8月6日の「広島の原爆の日」に行われ、気温35度の中、私も参加してきました。総勢40人ほどの小さな集団でしたが、カトリックの神父さんが先頭に立って力強く歩いておられる姿を見て、勇気と元気をもらい、大変感動しました。
「平和」とはそこにあるのではなく、私たちのたゆまない努力によって「積極的に造り出す」べきものなのです。これほど宇宙科学や医学、情報、教育、文化の発達した時代にありながら、ミサイルや、核兵器、ドローンなどによって、人と人が殺しあうということは、なんと愚かなことでしょうか。
先ほど読んでいただいた、イザヤ書2章4節には「彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す国は国に向かって剣を上げず、もはや戦いを学ぶことはない」という御言葉があります。アメリカ、ニューヨークにある国連本部の前の公園には「イザヤ・ウォール」、「イザヤの壁」と呼ばれる壁があって、この御言葉が刻まれているそうです。戦後80年の今は「新しい戦前」ではないかとも言われています。
私たちは聖霊と御言葉に導かれて祈りつつ、今こそ真剣に「平和を造る人」になりたいと思います。