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2024年9月22日説教「生ける神の僕ダニエル」松本敏之牧師

ダニエル書6章1~11節、19~24節
マタイによる福音書10章26~31節

(1)ダニエル書の時代背景

鹿児島加治屋町教会独自の聖書日課は、今、ダニエル書を読み進めています。ダニエル書は、全体で12章と、さほど長くないので、9月13日から読み始めましたが、今週の9月26日で終わります。ダニエル書は、イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書の、いわゆる三大預言書の次に置かれていますが、預言書の中でも一風変わった書物、事情を知らないで読むと、ちょっと奇妙に思える書物です。実は、わざとそういう書き方がしてあるのです。ダニエル書の物語設定は、紀元前6世紀のバビロン捕囚の時代ですが、実際に書かれたのは紀元前2世紀のギリシアの支配下の時代です。紀元前2世紀、イスラエル、パレスチナ地方はギリシアのセレウコス王朝の支配下にあって、ユダヤ教徒の大迫害が始まっていました。そうした苦難の中、どう生き抜いていけばよいのか、という励ましを目的に書かれているのです。ただし自分たちが今生きている時代について、直接、語ることはできないので、過去のバビロン捕囚の時代に重ね合わせて語っているのです。そういうややこしい事情はまた後にして、物語に即してお話しましょう。

(2)ダニエルと3人の仲間たち

舞台は、紀元前6世紀初頭の第1回バビロン捕囚の時代です。北イスラエルはすでにアッシリアによって滅ぼされていました(紀元前721年)。何とか続いていた南王国ユダもバビロニアによってほぼ壊滅状態になっていました。紀元前598年に、バビロン軍のエルサレム侵略によって、南王国ユダの主だった人たちはバビロニアに連れて行かれましたが、その中に少年ダニエルもいました。

バビロニアの王ネブカドネツァルは、エルサレムから連れて来た人々の中から、容姿端麗で、知恵に満ち、豊かな知識と理解力のある少年を選び出し、将来、王宮に仕えることができるように、特別な教育を受けさせるのです。その中にダニエルがいました。ダニエルの他にも、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤという少年たちがいました。彼らは、一生けん命勉強をして、バビロニアの誰よりも賢くなりました。

王は彼らに対して王と同じような豪華な食べ物と飲み物を用意させるのですが、その中にはユダヤ人たちが忌み嫌うものもありましたので、ダニエルたちはそれによって身を汚してはならないと思って食べませんでした。ある時、食事係が、「その食べ物と飲み物を定めたのは王です。もしもあなたがたがそれを食べないことによって何かが起きたら、私の責任が問われます」と言って、なんとか食べさせようとするのですが、ダニエルたちは断ります。そして「水と野菜だけをくださって、10日間試してください」と言いました。そして10日経ってみると、ダニエルとハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの4人は、王の食事を食べた他のどんな若者よりも血色がよく、体も肥えていました。体重が増えていた。

そしてこう記されています。

「この4人の若者たちは、神から知識とあらゆる書物を理解する能力と知恵を与えられていた。中でもダニエルは、あらゆる幻と夢を説くことができた。」ダニエル1:17

王はますます彼らを重宝するようになります。そこまでが第1章のお話です。

(3)ネブカドネツァルの夢

第2章は、バビロニアのネブカドネツァル王が不思議な夢を見るところから始まります。王の心はかき乱され、眠ることもできなくなってしまいました。そして、夢解きをさせるために、国中の魔術師、祈祷師、呪術師などを呼び寄せます。ここまでは、創世記のヨセフ物語に似ています。ヨセフ物語の場合は、エジプトの王ファラオが見た夢の解き明かしを奴隷になっていたヨセフが解いて、エジプトの大臣(宰相)になっていくという話でした。ところが、このダニエル書では、ネブカドネツァル王は、魔術師たちに、自分がどんな夢を見たのか話そうとしません。本当に夢の解き明かしができる人物であるならば、自分がどんな夢を見たのかも言い当たられるだろうというわけです。ちょっと無茶苦茶な話です。彼らは、「そんなことをできる人物はどこにもいません」と答えますが、王は激しく怒って「それができないならば、バビロンの賢者を皆殺しにしてしまえ」という命令を出します。ダニエルたちのところにもその指令が来て殺されそうになった時に、ダニエルは「どうしてこのような厳しい命令を王様から出されたのですか」と問い、「その解釈を示すために、しばらく時間をください」と願い出ます(ダニエル2:15~16)。

ダニエルは家に帰り、仲間のハナンヤ、ミシャエル、アザルヤに相談し、4人でお祈りをしました。すると、夜の幻の中で、ダニエルにその秘密が啓示されました。そして侍従長のもとへ行き、こう言いました。

「バビロンの賢者たちを殺さないでください。私を王様の前に連れて行ってくだされば、私が王様に解釈を示します。」ダニエル2:24

侍従長は「ユダの捕囚の中に、王様に解釈を申し上げられる者を見つけました」と言ってダニエルを連れてきます。ダニエルは王の前で、こう話しました。

「王様、あなたが寝床で思い巡らしておられたのは、この後に何が起こるかということでした。」ダニエル2:29

「王様、あなたが見ておられると、一つの大きな像があり、その像は巨大で、異常なほどに輝き、あなたの前に立っていました。それは恐ろしい姿でした。……見ておられると、一つの石が人手によらずに切り出され、鉄と陶土でできた像の足を打ち、これを粉砕しました。すると、鉄、陶土、青銅、銀、金も一緒に粉々に砕け、夏の麦打ち場のもみ殻のようになり、風がそれを吹き払って跡形もなくなりました。その像を打った石は、大きな山となって全地に満ちました。これがその夢です。」ダニエル2:31~36

ダニエルは「その解釈を私たちは王様の前で申し上げましょう」と言って話し始めました。かいつまんで言えば、その像というのは地上の国々のことで、「一つの石が現れて、それらを打ち砕く」というのは、天の神様が永遠に滅ぼされることのない王国が立てられる」ということだと話します。

そんな話を聞かされると、場合によっては、ダニエルが王に憎まれて殺されてもおかしくはないでしょう。しかしネブカドネツァル王は、その話を聞いて、ダニエルの前にひれ伏すのです。ダニエルの話が王様の見た夢に合致していたからでしょう。そしてこう言いました。

「お前がこの秘密を啓示することができたからには、まことに、お前たちの神こそ神々の中の神、王たちの主、秘密を啓示する方だ。」ダニエル2:47

こうして王はダニエルに高い位を授け、バビロンの全州を治めさせ、バビロンのすべての賢者たちを統治する長官に任ぜられました。そこまでが第2章です。

忘れてはならないのは、これは紀元前6世紀を舞台にしていますが、実際の著者は、紀元前2世紀、ギリシアの支配下で苦しんでいるユダヤ人だということです。彼ら(紀元前2世紀の人々)にとっても、やがて神様が現れて地上の国を打ち砕いて永遠の神の国を建てられるということが苦難の中の希望だったのです。

(4)3人の仲間たちの試練

さて第3章は、ネブカドネツァル王が金の像を造り、それにひれ伏すように命じるところから始まります。

「諸民族、諸国民、諸言語の者たち、あなたがたに告げる。角笛、横笛、琴、竪琴、三角琴、風笛、その他あらゆる楽器の音を聞いたなら、ひれ伏してネブカドネツァル王が立てた金の像を拝め。ひれ伏して拝まない者は誰でも、火の燃える炉の中に直ちに投げ込まれる。」ダニエル3:4~6

バビロニア国内のすべての人たちはその命令に従うのですが、ダニエルの3人の友人たちは、それに従いませんでした。ダニエルはどうもその時はいなかったようです。その3人のことが王様に告げられ、王様は怒って、この3人を連れてくるように命じました。王様としては信頼していた3人に裏切られた思いであったのでしょう。王はこう問いかけます。

「お前たちが私の神々に仕えず、私が立てた金の像を拝まないというのは本当か。今、……ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよい。しかし、もし拝まないならば、直ちに火の燃えさかる炉の中に投げ込まれる。私の手からお前たちを救い出す神とは何者か。」ダニエル3:14~15

王様としては、彼らに最後のチャンスを与えたつもりだったのでしょう。しかし彼らはこう答えます。

「このことについて、私たちがあなたに言葉を返す必要はありません。もしそうなれば、私たちが仕えている神は、私たちを救い出すことができます。火の燃える炉の中から、また、王様、あなたの手から救い出してくださいます。たとえそうでなくとも、王様、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えることも、あなたが立てた金の像を拝むこともいたしません。」ダニエル3:16~18

この「たとえそうでなくとも」という言葉が重く響きます。このダニエル書が書かれた時代のギリシアによる迫害も、ここに二重写しに見えてきます。

安李淑という人の『たといそうでなくても』という書物がありますが、それは第二次世界大戦中の日本軍の支配下にある朝鮮半島の人々、クリスチャンたちが受けた迫害について書かれたノンフィクションの本です。

さてこの時、バビロニアの王ネブカドネツァルは、怒って炉を通常の七倍熱くするように命じました。また王の軍隊の中で特に強い者たちに3人を縛り上げるように命じました。そのようにして3人は燃える火の炉の中に投げ込まれることになります。しかしそこで不思議なことが起きます。王は彼らがどうなるかを見届けようとしていました。すると王の目に不思議な光景が映りました。

「あの三人は、縛ったまま火の中に投げ込んだのではなかったか。」「王様、そのとおりです。」「しかし私には、四人の者が縄目を解かれ、火の中を歩いているのが見える。しかも何の害も受けていない。四人目の者の姿は、神の子のようだ。」

ネブカドネツァル王は、3人にすぐに出てくるように命じました。

「火は彼らの体に何の害も及ぼさず、頭髪も焼け焦げず、上着も変化なく、火の臭いすらしなかった。」ダニエル3:27

王は、「神は御使いを遣わし、神に信頼するその僕たちを救い出された」と言って、この3人をバビロン州で高い位に据えられました。それが第3章です。

(5)ライオンの穴に投げ込まれたダニエル

その後、ダニエルのもとにも試練が訪れます。第6章、本日の聖書箇所として読んでいただいたところです。時代はネブカドネツァル王の時代から、ダレイオス王の時代に変わっていました、ダニエルは62歳になっていました。

ダレイオス王は、120人の総督を配置して国全体を治めるのがよいと考え、その上に3人の大臣を置きます。そしてそのひとりにダニエルを任命したのです。ダニエルは、忠実に王に仕えていました。しかしダニエルはバビロニアの人々にとっては外国人、よそ者です。そのよそ者ダニエルがトップにいること自体が面白くありません。特に共に任命された他の二人の大臣にとって、そうでありました。彼らはなんとかして、ダニエルを陥れようとして訴える口実を見つけようとするのですが、ダニエルの中にどのような口実も欠点も見つけることはできませんでした。

そして、「このダニエルを訴えるには、彼の神の律法の中に口実を見つける以外にない」ということになります。大臣と総督たちは、ダニエルを陥れる計略をたてます。「これから30日間、国中の者たちが、王様だけを祈りの対象とし、それ以外の誰かに祈ってはいけない。もしもそれを破った者がいたら、ライオンの穴に投げ込む」という告知を出すというものでした。ダレイオス王は、何か自分が偉くなったような気がして、まんまとその作戦に乗ってしまい、その禁令に署名をしてしまうのです。しかしダニエルはその禁令にもかかわらず、ヤハウェの神さまだけに祈っていました。一日に三回、これまで通りです。大臣たちは王様に申し出ます。

「王様、ユダの捕囚のひとりであるダニエルはあなたにも、またあなたが署名した禁令にも敬意を示さず、日に三度、祈っています」ダニエル6:14

ダレイオス王は、それがダニエルだと知って大いに心を痛めるのですが、王といえども、王の名前で出した禁令を取り消すことができませんでした。なんとかダニエルを救おうと苦慮しましたが、できません。そして王はとうとうダニエルをライオンの穴に投げ込むように命じるのです。王はその夜断食をして眠れずに過ごしました。そして夜が明けると共に起き出して急いでライオンの穴に行きました。ダニエルのいる穴に近づくと、王は悲痛な声で叫びました。

「生ける神の僕ダニエルよ、お前がいつも仕えているお前の神は、ライオンからお前を救い出すことができたか。」ダニエル6:21

ダニエルは生きていて、答えます。

「王様がとこしえに生き長らえますように。私の神が御使いを遣わしてライオンの口を塞いでくださったので、ライオンは私に危害を加えませんでした。神の前に私が無実であることが認められたのです。王様、あなたに対しても私は悪いことをしてはいません。」ダニエル6:22~23

そこで王様は大いに喜んで、ダニエルを穴から引き出すように命じました。ここでも忘れてはならないのは、この物語が記されたのは、ダニエルの時代より300年くらい後の紀元前2世紀、パレスチナ地方に住むユダヤの民がギリシアの圧政のもとで苦しんでいた時代であるということです。この物語を記すことによって、神様は自分たちが今受けている迫害からも救い出してくださるという信仰を新たにしたということです。

(6)黙示文学

ダニエル書は、7章から後半に入りますが、ここから先は「黙示文学」という手法で書かれています。黙示というのは黙って示すという字です。「隠されたものを顕す」ということです。新約聖書ではヨハネの黙示録が黙示文学にあたります。ダニエル書の著者(紀元前2世紀)は、自分たちが直面している破局的現実を、紀元前6世紀の苦難に重ねて物語を展開するのです。そしてこの未曽有の危機はいつまでも続くものではないと予告します。

「私は夜の幻を見ていた。
見よ、人の子のような者が
天の雲に乗って来て
日の老いたる者のところに着き
その前に導かれた。
この方に支配権、栄誉、王権が与えられ
諸民族、諸国民、諸言語の者たちすべては
この方に仕える。
その支配は永遠の支配で、過ぎ去ることがなく
その統治は滅びることがない。」ダニエル7:13~14

迫害され、窮地に追い込まれている人々を励ますために、ダニエル書は「人の子」が天から到来し、終末の神の支配が完成すると預言しました。さらに、12章2節で復活の希望が語られることになります。

「地の塵となって眠る人々の中から
多くの者が目覚める。
ある者は永遠の命へと
またある者はそしりと永遠のとがめへと。
悟りある者たちは大空の光のように輝き
多くの人々を義に導いた者たちは
 星のようにとこしえに光り輝く。」ダニエル12:2~3

この終末の支配者を指す「人の子」という称号は、イエス・キリストへと受け継がれます。イエス・キリストは、ご自分を指して「人の子」と言われました(マタイ16:13等参照)。そして「人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来る」(マタイ24:30)と、ご自分の再臨を預言して言われるのです。マタイ24章はマルコ13章と共に、小黙示録と呼ばれます。

(7)人々を恐れてはならない

今日は、マタイ10章26~31節をお読みいただきました。「人々を恐れてはならない」という言葉です。イエス・キリストの時代にも、やはり権力者の前に引き出されて何かを言わなければならないことがありました。そして福音書が書かれた時もそうでした。その頃はローマ帝国の支配下にありました。

しかしそこでも、あのダニエルや3人の友人たちが当時の支配者たちを恐れなかったように、イエス・キリストは当時の人々を「恐れるな」と言って励まされたのです。私たちもまた、この系譜に連なるものです。何かを証言しなければならない時、世の流れに逆らって歩まなければならに様な時にも、恐れることなく言うべきことを言って、歩んで行きたいと思います。

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