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2024年8月11日説教「死から命へ」松本敏之牧師

ミカ書7章18~20節 ヨハネ福音書5章19~30節

(1)召天者記念礼拝

本日は、年に一度の召天者記念礼拝です。コロナ禍の間は中止したりいたしましたが、一昨年あたりから再開しています。またこれまで教会員が召天された時には、どなたかに「からしだね」に追悼文を書いていただいていましたが、「からしだね」の発行が月刊から隔月刊になり、掲載することが難しくなりましたので、昨年より「からしだね」特別号として、それに先立つ1年間に召天された方々の追悼文をまとめて載せることにいたしました。今年は、その第2回目の発行となりました。編集の時間の都合上、7月から翌年の6月までの召天者を紹介するようにしています。そのため2023年8月5日に召天されたMMさんは、前回ではなく、今回の号に追悼文が寄せられています。

昨年の召天者記念礼拝の後、召天された教会員は、YUさん、SOさん、AOさん、MKさん、IKさん、MKミルさんの6名です。また「からしだね」特別号の巻頭言にも書きましたが、5月25日に76歳で召天されたKTさんも鹿児島加治屋町教会の召天者として心に留めたいと思います。KTさんは、ご子息がおられる鹿児島に数年前に引っ越して来られ、クリスチャンのお連れ合いであるKTさんと共に、鹿児島加治屋町教会の礼拝にご夫妻で通っておられました。数カ月前に病気がわかり入院中でした。死を間近に控えて、洗礼を受ける決心をされて、洗礼志願書も提出されていました。役員会でも承認され、天に召された日の二日後が病床洗礼の予定日でした。洗礼が間に合わなかったのは残念でしたが、KTさんの信仰告白はしっかり主イエスのもとに届き、天の御国で安らかに迎え入れられていることと思います。

この1年間に召天された方々について、少し述べておきましょう。

(2)MMさん

まず、昨年は触れられませんでしたので、MMさんから述べておきます。MMさんは、昨年8月5日に82歳で召天されました。召天される2週間前の7月23日の礼拝までご出席され、8月末に東京で開催される「こころの友伝道」全国大会には、ご夫妻で参加される予定で、航空券やホテルの手配もすでにしておられるなど、お元気でしたので、本当に驚きました。

志布志教会から戻って来られて、長く役員を務められ、責任役員も務められました。また教会学校高等科教師、聖歌隊員、伝道部委員、音楽部委員、こころの友伝道委員など、さまざまな役職を担ってくださいました。

最後に入院なさる直前まで、朝食前には「アッパールーム」という黙想の本に従って聖書とそのメッセージを読み、昼食時には、加藤常昭牧師の祈りの本を読み、夕食前には、「信徒の友」の聖書箇所とメッセージを読む生活を、ずっと朝昼晩と続けてこられました。MMさんの聖書は、全体が真っ赤になるほど線が引いてありました。

(3)YUさん

YUさんは、昨年8月30日に92歳で召天されました。YUさんは、若い頃から難病を患っておられたそうですが、歳をとるにつれて、体もだんだんとご不自由になっていかれたそうです。しかしYUさんを知る教会の方やご親族のお話では、どんなに不自由なことがあっても、いつも明るく前向きで、かわいい感じのする方であったとのことです。YUさんは、郡元の近くにあった鹿児島新生館(キリスト教センターの前身)でお働きになりました。そこはYUさんにとってふさわしい職場であり、そこでYUさんは喜んで、そして使命感をもって誠実にお働きくださいました。

YUさんは、1976年9月発行の「からしだね」第8号に「図書室のうた」と題して、短歌を5句寄せておられますが、その中の二句をご紹介します。

「プレハブの 屋根轟かす どしゃぶりの 図書室にひとり 讃美歌うたう」

「雨降りて 来館者なき 図書室に 吾は破損書を つくろいており」

キリスト教センター(新生館)でのお働きの様子をよく言い表し、またどんな気持ちで働いておられたかが、上手に歌い込まれている、すてきな歌であると思います。

(4)SOさん

SOさんは、昨年10月6日に91歳で召天されました。最晩年はホームに住まわれましたが、その1年前まで、KOさんご夫妻と共に南林寺町に住まわれ、コロナ禍になる前は、しばしば鹿児島加治屋町教会の礼拝に出席されていました。同世代のAOさんやMSさんたちと親しく交わられ、教会に通うのを楽しみにしておられました。またご高齢の方々を励まし、皆さんの面倒を見るのがお好きだったようです。20年ほど前に、ご一家でとてもつらい経験をなさったことをきっかけにグレイト・ハーベスト・チャーチにてご家族で洗礼を受けられましたが、その後、2008年のクリスマスに、鹿児島加治屋町教会に転入されました。

(5)AOさん

AOさんは、今年1月21日にご長男が院長を務めておられるO循環器病院にて、92歳で召天されました。ご実家も、嫁ぎ先の沖野の家も、ノンクリスチャンホームでしたが、妹さんが東京で牧師の息子さんと結婚され、時折、会うたびに甘えっ子だった妹がすっかり変わっていくのを不思議とさえ思っておられたそうです。ご長男が敬愛幼稚園に入園したことから、聖書を読み始め、妹夫婦のもつ独特の雰囲気は、「イエス・キリスト」によるものであることに気づかされました。そして、「こんなにも妹を変えてしまったイエス・キリストを私も信じたい」としきりに思い始めて、洗礼を受けられたそうです。AOさんは、教会の役員を長く務められ、バザーにおいても、二度にわたるパイプオルガンの導入においても大きな貢献をしてくださいました。また敬愛幼稚園が1975年に学校法人敬愛学園となった時に、創立時の学園理事も4年間務めてくださいました。AOさん宅の家庭集会から教会に導かれた方はたくさんおられます。

(6)MKさん

MKさんは、今年3月5日に102歳で召天されました。

長くご長女のMTさんご一家と同居しておられました。数年前、T家の近くのホームに移られましたが、コロナ禍の時期に入り、直接触れ合う面会ができなくなりました。私もそのホームの玄関でガラス越しに100歳のお祝い、101歳のお祝いに伺いました。ガラス越しではありましたが、MKさんはとても喜んでくださり、ややおどけた感じで、入口のガラス戸の向こうから、しきりに手招きをして、「こっちへいらっしゃい」と態度で示しておられました。職員の方が横であわてて止められていました。最後の数カ月は、やや遠くはなりましたが、直接触れ合えるホームに移られ、手を取り合って喜びを分かち合いました。昨年のクリスマスには、病床聖餐式も行いました。

MKさんのお父様、MKさんは、戦前の日本メソジスト教会の牧師であられました。当時のメソジスト教会は任命制で、毎年年度末に監督(ビショップ)によって任命され、任地が定められました。K牧師も任命によって西日本各地に派遣され、異動なさいましたが、そうした中、MKさんは、広島県にてお生まれになりました。その後、この教会の前身である日本メソジスト鹿児島中央教会に任命され、MKさんは不思議にも敬愛幼稚園に入園・在園されました。

その後、お父様はまた異動となり、お父様が在任されていた姫路の教会で信仰告白をされました。私の郷里が姫路だということで話が弾みました。晩年、「私は松本先生の若い頃を知っている」とよくおっしゃいましたが、それはMKさんの勘違いというか、うれしい思い込みでした。私の母の母校、日ノ本女学校の先輩でもありました。その後、HKさんと結婚されたことで、再び鹿児島とのつながりができ、この教会で多くのご奉仕と証をしてくださり、お子様方も敬愛幼稚園で育たれました。

(7)IKさん

IKさんは、今年3月23日、75歳で召天されました。IKさんは、教会の主日礼拝にもおいでになっていましたが、特に、午前9時の家族礼拝にはほぼ毎週来ておられ、召天された週の3月17日の家族礼拝にも出ておられました。IKさんは、鹿児島加治屋町教会の役員も長く務められたHKさんのご子息であられましたが、その影響のもと、幼い頃からキリスト教の環境の中で育たれました。お父様も、IKさんご本人も、兄弟姉妹も、そしてお二人のお子さんたちも、敬愛幼稚園のご出身でした。

珍しくルカ福音書16章1節以下の「不正な管理人のたとえ」がお好きであったそうです。K薬局を20年間、お連れ合いのYKさんと共に営んでこられましたが、事業の経営者として、この管理人のように、困った方々を多く助けて来られたのだろうと思いました。2,3年前に脳梗塞を発症された後は、「自分はこの人生を生き切って満足している」というようなことを、お連れ合いのYKさんに語っておられたそうです。

(8)MKさん

MKさんは、今年5月15日、99歳で召天されました。MKさんは、若い頃、身近な人にクリスチャンはおられなかったそうですが、書物などを通してキリスト教に興味を持ち、川内教会の門をたたき、洗礼を受けられました。鹿児島で最初の1級和裁技能士となられ、鹿児島へ引っ越された後は、ご自宅にて和裁教室を開いたり、多くの方々からご指名を受けて和服づくりをなさったりしていました。また90歳から95歳くらいまでの5年間は、半年間は東京のお嬢様のお宅に住み、あと半年間はお嬢様が東京から鹿児島へ来られて、動物園近くの平川町に一緒にお住まいになっていました。東京におられる間に吊るしびな教室に通われ、それを作るのも楽しみにしておられました。平川町のお宅の座敷には吊るしびながたくさん吊るされていて、それは圧巻でした。71歳の時に聖地旅行をなさり、その時に詠まれた短歌を「からしだね」に5句掲載されていましたが、そのうちの2句をご紹介します。

「神おわす シナイの山に登り来て 涙あふるる 七十路の我」

「満天の 星がかがやき 沈黙の曲をかなでる シナイの夜空」

(9)復活の主であるお方

さて今日は、ヨハネ福音書第5章19~30節を読んでいただきました。この箇所は、何かの出来事ではなく、主イエスの説話、説教とでも言えるような長い話です。少しわかりづらいのですが、ここにイエス・キリストがどういうお方であるかということが示されています。ここから二つのことをお話しておきましょう。

一つは、「イエス・キリストは復活させられた方であり、同時にまた私たちを復活させてくださる方である」ということです。イエス・キリストこそ、命の主であり、命をお与えになる方であります。5章20節の後半は、このように続いています。

「また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたがたは驚くことになる。父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、自分の望む者に命を与える。」ヨハネ5:20~21

「これらのこと」というのは、5章の最初に出てきた奇跡、つまり歩くことのできなかった病人を立ち上がらせ、歩けるようにさせられた出来事のことでしょう(ヨハネ5:8~9)。その中の「起きて(起きよ)」という言葉は、実は「死人よ、よみがえれ」という言葉と同じ言葉なのです。つまり、足の歩けない人を立ち上がらせた出来事は、死者の復活をも指し示していたのだと言えるでしょう。そして、このようにもおっしゃっています。

「よくよく言っておく。私の言葉を聞いて、私をお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁きを受けることがなく、死から命へと移っている。」ヨハネ5:24

何と力強い宣言であり、何と大きな慰めでありましょう。

(10)聖書の言う「死」と「命」

さて、この言葉の内容ですが、それは「イエス・キリストの言葉を聞いて、神を信じる者は死から命へと移っている」ということです。この言葉が意味する「死」とか「命」とか言うのは、私たちの肉体的な死や命、あるいは生物学的な死や命ということを超えたものを指し示しています。

聖書が言う「命」というのは、神様とつながっている状態のことなのです。逆に「死」とは、神様から切り離された状態というふうにお考えくだされば、よいのではないでしょうか。ですから私たちが肉体的な死を経験していても、神様とつながっているならば、「命」は途絶えないのです。逆に肉体的には生きていても、心臓が動いて、脳が働いていても、神様から切り離されているならば、それは死んでいることになると、言わなければならないかも知れません。

しかしそれは、私たちのもとに来てくださったイエス・キリストにつながることによって回復する。イエス・キリストにつながる時、私たちは死すべき存在であっても、死んだのと同じ状態であっても、再び命の中へ入れられる。死から命へと移されるのです。それが聖書の語る真理、聖書の語るメッセージです。

そして「よくよく言っておく」と、もう一度繰り返して、次のように告げるのです。

「死んだ者が神の声を聞き、聞いた者が生きる時が来る。今がその時である。」ヨハネ5:25

この言葉は、聖書の時代を超えて、私たちに告げられたイエス・キリストの力強い約束ではないでしょうか。「私につながれ。わたしとつながって命を得よ。私の声を聞いた者は生きるのだ。」そのように、イエス・キリストの声は、私たち一人一人に向かって告げられているのだと思います。

(11)裁きの権能をもつお方

もう一つのポイントは、「イエス・キリストは、裁きの権能を父なる神から授かっておられるお方である」と言うことです。

「また、父は裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。このことで驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞く。そして、善を行った者は復活して命を得るために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るであろう。」ヨハネ5:27~29

この言葉は、私たちを戸惑わせるかも知れません。それは一見、「いいことをした人間は天国へ行き、悪いことをした人間は裁かれて地獄へ行く」という、いわばどこの国にもある、あるいはどの宗教にもあるような、因果応報の考えをあらわしているように見えるからです。確かにそのことと無関係ではありません。私たちはそのように自分の生活、行いを、神様の裁きという視点から見ておかなければならないでしょう。しかしそういうことを前提としながら、聖書のメッセージはそうした考えを超えているのです。

聖書は、人間の行った善いことと悪いことを天秤にかけて、善いことの方が重かった人間を天国へ送り、悪いことの方が重かった人間を地獄へ送るという単純な考えではありません。むしろそのようにするならば、「誰一人として、救われる者はいない」ということになってしまうでしょう。

先ほど、「これらのことよりも大きな業を子にお示しになった」(20節)というのを、キリストの復活を指し示していると申し上げましたが、もっと厳密に言えば、その前に十字架があったということを見落としてはならないでしょう。もっと「大きな業」というのは、十字架と復活の両方を指し示しているのです。

私たちはこの大きなキリストの恵みの御業、十字架の上で、イエス・キリストがなさった業をしっかりと受け止め、それを単純化、矮小化してはならないと思うのです。イエス・キリストは、十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。自分で何をしているか知らないのです」と祈られましたが、それはクリスチャンだけではなく、すべての人を包み込む祈りです。裁きは神様の領域に属する事柄です。私たちの領域ではありません。このところの言葉で言えば、イエス・キリストにこそ、その権能が授けられている。確かに「私の言葉を聞いて、私をお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁きを受けることがなく、死から命へと移っている」(24節)と書いてあります。この言葉は、そのまま信じてよい言葉でしょう。それは私たちに与えられた聖書の約束です。そして私たちはそのように生きるように促されています。

しかし私は、クリスチャンにならなかった方も含めてすべての人がイエス・キリストのよき御手の中に置かれているのだということを信じるのです。なぜならば、こういうふうにも書いてあるからです。

「子も、自分の望む者に命を与える。また、父は誰をも裁かず、裁きをすべて子に委ねておられる。」ヨハネ5:21~22

この言葉の中に、私は大きな希望と限りない慰めを見るのです。私たちの死と命、それは私たちの手を超えたところで神様の御手の中にある。そしてイエス・キリストの御手の中にあるということを深く心に留めたいと思います。

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