2024年3月24日説教「苦難の僕」松本敏之牧師
イザヤ書52章13~53章10節
マルコによる福音書15章25~32節
(1)棕櫚の主日
本日は棕櫚の主日と呼ばれる日曜日です。イースターの1週間前の日曜日であり、今日から受難週が始まります。イエス・キリストが十字架にかかられるためにエルサレムへ入られたことを心に留める日曜日で、「棕櫚の主日」という呼び名は、ヨハネ福音書12章12節以下の記述に基づいています。こう記されています。
「その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。
『ホサナ。
主の名によって来られる方に、祝福があるように。
イスラエルの王に。』」ヨハネ12:12~13
「ホサナ」とは「どうか救ってください」を意味するホーシーアー・ナー(hoshia na)の短縮形 ホーシャ・ナー(hosha na)のギリシャ語読みしたものですが、キリスト教では、元来の意味よりも、歓呼の叫び、または神をほめたたえる言葉となりました。「万歳」くらいのほうが近いかもしれません。
また聖書協会共同訳および新共同訳聖書では「なつめやしの枝を持って」となっていますが、以前の口語訳聖書では「しゅろの枝を手に取り」と訳されていました。どうもこの植物は、日本語のいわゆる「しゅろ」とは違うということで、「なつめやし」と訳し直されたのでしょう。
古来、この棕櫚の主日に始まる一週間、受難週は、聖週間(Holy Week)と呼ばれ、一年の信仰生活において最も厳粛な時、大切な時とされてきました。すべての日に名前があり、カトリックなど教会暦を大切にする教会では、その日ごとの祈りがあります。順番に言いますと、棕櫚(枝)の日曜日のあとは、宮清めの月曜日、論争の火曜日、香油の水曜日、洗足の木曜日、受苦の金曜日、安息の土曜日という具合です。
私たちの教会では、水曜日の朝の「聖書を学び祈る会」を「受難週祈祷会」として、いつもの『マルコ福音書を読もう』ではなく、日本基督教団の聖書日課(つまり「信徒の友」の箇所)により、ヨハネ福音書でお話をします。夜は木曜日に「洗足木曜日礼拝」を夜7時から礼拝堂で行います。普段の「聖書を学び祈る会」に出られない方も、年に一度、受難週の時くらいは、ぜひイエス様のご受難を覚えて、教会で共に祈るようにしましょう。そのように厳粛な時を経て、来週のイースターを迎えたいと思います。
(2)第二イザヤ
さて、鹿児島加治屋町教会独自の聖書日課は、1月23日からイザヤ書に入り、2月25日の日曜日には、イザヤ書6章の「イザヤの召命」を中心にお話しました。その時にも申し上げましたが、実はイザヤ書は、3つの部分から成り立っていて、元来の預言者イザヤによって書かれたものは1章から39章までで、つづく40章から55章までは、通常、第二イザヤと呼ばれます。昨日の聖書日課は、イザヤ書53章でした。
先ほどはイザヤ書52章13節から53章10節を読んでいただきましたが、この部分は「苦難の僕」の歌と呼ばれます。
そこに入る前に、少し第二イザヤについてお話しておきましょう。第二イザヤは、イザヤ書40~55章までの部分で、それまでのイザヤ書から200年くらい後の、紀元前6世紀後半の預言を集めたものです。その歴史的背景としてはバビロン捕囚があります。紀元前587年、南王国ユダはバビロニア帝国によって滅ぼされ、その指導者の多くはバビロニア帝国の首都バビロンの郊外に捕らえ移されました。そしてその状態は、振興のペルシャの王キュロスによって解放されるまで、約半世紀続きました。これをバビロン捕囚と呼んでいます。
(3)解放と慰めの言葉
第二イザヤは、その捕囚末期に活動し始め、解放の時が近いことを告げ知らせ、捕囚の民がエルサレムを中心とする祖国に帰還することを強く促したのです。第二イザヤの冒頭近くの40章3節の言葉は有名です。
「呼びかける声がする。
『荒れ野に主の道を備えよ。
私たちの神のために
荒れ地に大路をまっすぐに通せ。
谷はすべて高くされ、山と丘はみな低くなり
起伏のある地は平らに、険しい地は平地となれ。
こうして主の栄光が現れ
すべての肉なる者は共に見る。
主の口が語られたのである。』」イザヤ書40:3~5
これは、新約聖書において、マルコも、マタイも、ルカも、洗礼者ヨハネの登場を預言した言葉として引用しました。
しかし元来は、実際にバビロンからエルサレムへの道を整える言葉として記されたものでした。第二イザヤの言葉は、そうした社会状況からして、概して慰めや励ましに満ちた救いの言葉です。先ほどの言葉に先立つイザヤ書40章の冒頭の言葉からしてそうです。
「『慰めよ、慰めよ、私の民を』
とあなたがたの神は言われる、
『エルサレムに優しく語りかけ
これに呼びかけよ。
その苦役の時は満ち
その過ちは償われた。
そのすべての罪に倍するものを
主の手から受けた』と。」イザヤ書40:1~2
(4)四つの「僕の歌」
また第二イザヤには、「僕の歌」と呼ばれる不思議な歌が四つ記されています。この僕とは一体誰なのか、さまざまな説があります。
第一の歌は、42章1~9節で「主の僕の召命」と題されています。
「見よ、私が支える僕
私の心が喜びとする、私の選んだ者を。
私は彼に私の霊を授け
彼は諸国民に公正をもたらす。
彼は叫ばず、声を上げず、巷にその声を響かせない。
傷ついた葦を折らず
くすぶる灯心を消さず
忠実に公正をもたらす。」イザヤ書42:1~3
この僕とは、一体誰なのか、古来、さまざまな説があります。預言者第二イザヤ自身であるという理解。いやイスラエル民族全体を指しているという理解もあります。そうした中、キリスト教会では、これは、イエス・キリスト自身の姿であるというふうに理解されてきました。特に第四の僕の歌は「苦難の僕」の歌として、イエス・キリストの受難を最もよく示している箇所として受け止められてきました。
(5)新約聖書、キリスト教の理解
キリスト教の歴史だけではなく、すでに新約聖書の中に、そういう記述があるのです。
それは、使徒言行録8章に出てきます。8章26節以下です。少し長めのお話をしますので、開ける方はお開きいただいてもよいかと思います。聖書協会共同訳では、新約聖書の224頁です。
ここにフィリポという人が出てきますが、彼は使徒言行録6章で、ステファノらと共に、教会の新しいリーダーとして選ばれた人でありました。そのフィリポがエルサレムからガザに向けて旅をしていました。(ガザというのは、今、イスラエル軍によって封鎖されているパレスチナ人の居住地域ですね。)すると、向こうからエチオピアの女王の高官がやってきます。彼は女王の全財産を管理しているエチオピアの宦官でした。彼はエルサレムに礼拝に来た帰り道でありました。彼は、馬車に乗ってイザヤ書を朗読していました。神の霊がフィリポのところへやって来て、「追いかけて、あの馬車に寄り添って行け」と言ったというのです。彼が走り寄ると、イザヤ書の朗読が聞こえてきました。彼は、「読んでいることがわかりますか」と声をかけます。エチオピアの宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言って、フィリポに馬車に乗って一緒に座るように、頼みました。そこでエチオピアの宦官が朗読していたのが、先ほどお読みしたイザヤ書53章7~8節の言葉でした。使徒言行録の引用では、こうなっています。
「彼は、屠り場に引かれていく羊のように
毛を刈る者の前で黙っている小羊のように口を開かない。
卑しめられて、その裁きも行われなかった。
誰が、その子孫について語れるだろう。
彼の命は地上から取り去られるからだ。」使徒言行録8:32~33
その宦官は、フィリポに「どうぞ教えてください。預言者は、誰についてこう言っているのですか。自分についてですか。誰かほかの人についてですか」と尋ねます。そこでフィリポは口を開いて、この聖書の箇所から説き起こして、イエスについての福音を告げ知らせました。そして水のあるところまで来ると、その宦官は「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」と尋ねます。そこで宦官はフィリポから洗礼を受けるのです。
興味深いことに、ここに8章37節が抜けていて、十字のようなマークが付いています。この37節が、後代の付加であることがわかったので、聖書協会共同訳聖書では、それを抜いて、使徒言行録の後ろに移されているのです。どういう言葉があったのかと言えば、「洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」と宦官が問うた後です。
「フィリポが、『真心から信じておられるなら、差し支えありません』と言うと、宦官は『イエス・キリストは神の子であると信じます』と答えた。」使徒言行録8:37、底本に節が欠けている箇所の異本による訳文
つまり、この言葉が入っている写本と、この言葉がない写本があって、ないほうが古い、誰かが後で付け加えたのだろうということになったわけです。つまりこの言葉が最初からあったならば、こんな大事な問答を削除するはずがない、ということです。それよりも、「何か差し支えがありますか」と尋ねた宦官に対するフィリポの答えがあったほうがよりよい、さらには、それに対する宦官の応答もあったほうが、より洗礼前のやり取りにふさわしいということで、誰かが挿入してしまったのだろうということです。もちろん、それはそれで興味深いことではあります。初代教会の洗礼式の様子がここに反映されていると思われるからです。
この人は、聖書(つまり旧約聖書)にはすばらしいことが書いてあると思って、わざわざ遠いエチオピアからエルサレムにまで礼拝に来ていました。しかし彼は異邦人です。同時に宦官です。ユダヤ教の外側にいる人間だと思っていたのでしょう。信じたいと思いながら、同時に自分は排除されていると感じていたのでしょう。
そこへ旧約聖書の預言とイエス・キリストの受難を結びつける福音に出会ったのです。彼は、これこそが自分が求めていたことだ、ぜひともこの福音を信じたいと思ったのでしょう。そして彼は、最初の異邦人クリスチャンとなりました。ユダヤ人以外で、最初に洗礼を受けた人となりました、それを導いたのはフィリポであり、そのフィリポを導いた神の霊、聖霊でありました。
(6)罵られ、嘲られるイエス・キリスト
さて今日は、マルコによる福音書15章25~32節をお読みいただきました。イエス・キリストの十字架上での出来事です。ここに罵られ、侮辱され、あざけられるイエス・キリストがおられます。
「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」マルコ15:31~32
どんなに罵られ、侮辱され、あざけられても、じっと黙っておられる。その姿は、確かにイザヤ書53章に記される「苦難の僕」の姿に重なってきます。
(7)本田哲郎神父の理解
この「苦難の僕」とは、誰かということについて、釜ヶ崎の日雇い労働者の町で働かれる本多哲郎神父は、その著書『イザヤ書を読む』において興味深いことを語っておられます。
「古来、この歌に語られる『わたしの僕』とは誰を指すのか、議論が絶えませんでした。大づかみな言い方ですが、ユダヤ教は『神の民のイスラエル』を指すとする集団説を取り、キリスト教は『新約のイエス・キリスト』を指すとする個人説を取ってきました。……私たちは、『主の僕』が神の民イスラエルを指すからこそ、イエス・キリスト個人において成就したと見ます。そして、イエス・キリストにおいて成就したことは、『新しい神の民』であるすべての人において実現されるべきこととして受け止めることになります。」本田哲郎『イザヤ書を読む』188~9頁
つまり、どちらかではなく、密接につながっている。循環しているということです。本田哲郎神父は、今、すでに80歳を超えておられて、もうずっと長く釜ヶ崎で働いておられます。この『イザヤ書を読む』という本は、彼がまだ40歳代の頃の書物ですが、そのプロフィールを見ると、もう釜ヶ崎で働いているということが書かれています。恐らく釜ヶ崎に入られた直後のものかなと思いました。以来、40年以上釜ヶ崎に留まっておられるのです。この彼の若い頃の著書を見ると、ここでこそ、この釜ヶ崎でこそ、福音が最もよくわかるというふうに決意した、若々しいものが伝わってくるような気がいたします。
イエス・キリストにおいてこそ実現した「苦難の僕」の姿。しかしそこで留まらないのですね。だからこそ、「イエス・キリストにおいて成就したことは、新しい神の民であるすべてのひとにおいて実現されるべきであることとして受け止められることになります」と言われる。
つまりここで私たちにおいても、それが当てはまるような姿勢が求められます。そして何よりも釜ヶ崎において苦しみを受けている人たち、社会のひずみを受けて困難を背負わされいる人たち。それはまさにイエス・キリストが背負わされたものを同じものをその人たちが背負わされているんだということです。
私たちは、釜ヶ崎の人たちは自分のせいでそうなってしまった。自業自得なんだと思っているけれども、そうではなくむしろ、私たちが負わなければならなかったはずの重荷を、私たちの代わりに、その人たちが代表して負っているのだ。イエス・キリストがそうであったように、彼らが、それを担っているのだ、という理解がここにあるように思いました。
そして私たち自身も、イエス・キリストが負ってくださった痛み苦しみを感謝すると共に、イエス・キリストに続く者として、イエス・キリストと共に、他者のために、苦しみを、担っていく者でありたいと思います。