2024年2月11日説教「幕 屋」松本敏之牧師
出エジプト記25章1~22節 ヘブライ人への手紙9章1~12節
(1)私は彼らの中に住む
出エジプト記は、25章から31章まで7章にわたって、細かい幕屋建設の指示について述べています。今回は、その最初の25章と26章を見ていきましょう。最初に、神様はモーセにこう言われました。
「彼らが私のために聖所を造るなら、私は彼らの中に住む。」25:8
これは、一つの神様の大きな約束であると言ってもよいでしょう。そして命じられます。
「あなたに示す幕屋の型、およびさまざまな祭具の型のように、あなたがたは造らなければならない。」25:9
25章では幕屋に収められる祭具の製作について、続く26章では幕屋そのものの製作についての指示がなされます。新共同訳では、以下のような分かりやすい小見出しが付いていました。まず25章。「箱」(10~22節)、「机」(23~30節)、「燭台」(31~40節)。
これまで出エジプトの民を導く神様の存在は、雲の柱と火の柱によって象徴されていましたが、ここから先、荒れ野における神様の導きを示すものは、この「幕屋」、そしてその中心にある「箱」となるのです。
(2)箱
「箱」というのは、今後、「契約の箱」、「神の箱」、「主の箱」、「律法の箱」などさまざまな呼ばれ方をします。
ここから非常に細かい指示が続きます。それらをすべて見ていくことはできませんが、最初の部分は、一例として見ておきましょう。
「アカシヤ材で箱を作らなければならない。その長さは二アンマ半。幅は一アンマ半、高さは一アンマ半である。」25:10
1アンマというのは、ひじから中指までの長さです。聖書巻末の度量衡換算表によりますと、約45センチ。私も自分の腕を計ってみましたが、ちょうど45センチでした。これで換算しますと、この箱の大きさは、長さ112.5センチ、幅と高さが67.5センチとなります。
「その内側も外側も純金で覆い、周囲に金の縁飾りを付けなさい。その箱のために金の輪を四つ鋳造し、箱の四本の脚に付けなさい。すなわち、一方の側に二つの輪を、また、もう一方の側にも二つの輪を付けなさい。それからアカシヤ材で棒を作って、金で覆い、箱を担げるように、その棒を箱の両側の輪に通しなさい。その棒は、箱の輪に通したままにし、外してはならない。あなたはその箱に、私が与える証しの板を納めなさい。」25:11~16
イスラエルの民が移動する時には、この箱をおみこしのように担いでいきました。やがて十戒の板がこの中に納められることになります。
その次は、「贖いの座」です。
「その長さは二アンマ半、幅は一アンマ半である。」25:17
先ほどの箱の上面と同じ大きさです。それが箱の蓋のようになるのです。
そしてケルビム。ケルビムというのは、手足と翼をもつ天的な存在、人間の理性と動物の威力をもつと考えられていました。
「そして打ち出し細工で贖いの座の両端に二つの金のケルビムを作りなさい。一つのケルビムを一方の端に、もう一つのケルビムを他方の端に取り付けなさい。すなわち、贖いの座の一部として両端にケルビムを取り付けなさい。ケルビムは両翼を上に広げ、その両翼で贖いの座を覆い、互いに向かい合って、ケルビムの顔は贖いの座に向いているようにしなさい。あなたは贖いの座を箱の上に置き、箱の中に私が与える証しの板を納めなさい。」25:18~21
これで箱と贖いの座のスケッチができあがりました。今日であれば、設計図で示すであろうものを、全部言葉で書いている。よくここまで細かく指示したなと思います。
そして、最も大事な言葉が記されます。
「私はそこであなたに臨み、贖いの座、すなわち証しの箱の上にある二つのケルビムの間から、イスラエルの人々のために命じるすべてのことをあなたに語る。」25:22
つまりここが、神様の現臨の場所、地上で存在を示す場所となるのです。目に見えない神の、目に見える現臨のしるしです。
(3)「机」と「燭台」のスケッチ
この後、25章では、さらに二つの祭具を製作するよう、命令されます。これは簡単にしておきましょう。最初は机です。何のための机か。最後に書いてあります。
「私の前に置く台の上に、常に供えのパンがあるようにしなさい。」25:30
供えのパンのための机です。今日の私たちからすれば、献金台のようなものでしょうか。あるいはパンということ、神様が食事をなさる場所ということから言えば、聖餐台にむしろ近いかも知れません。
その次は燭台です。純金で作られます。最後に重さは1キカルの純金とあります。これも聖書巻末の度量衡換算表では、1キカルは、34.2㎏ということですから、かなり重いものです。
この燭台はその後もしばしば登場します。皆さんもどこかでその絵をご覧になったことがあるのではないでしょうか。真ん中に1本の柱があって、その両方に3本ずつ腕のように支柱が出ている。そしてそこからアーモンドの花の形をした萼(がく)と花弁が出ているものです。輝くともし火は、神の守りのしるしでありました。
ちなみに新約聖書のヨハネの黙示録に、次のような言葉があります。
「私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、燭台の間には人の子のような方がおり、足元まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めていた。」黙示録1:12~13
燭台は神様の現臨を示すものであり、その間にキリストがおられたのです。
(4)旅の途上の幕屋建設
さて続く26章では、幕屋そのものの製作の指示がなされます。これが実際になされたのだとすれば、大変なことであったでしょう。彼らはまだエジプトから脱出して、約束の地カナンへ入る旅の途上にありましたので、幕屋建設と言っても、あくまで仮のものです。仮のものにしては随分大掛かりですが、彼らはこの後、移動の度にそれをたたみ、滞在する場所が決まったら、この幕屋を組み立てることになります。大変な作業ですが、彼らにとっては最も重要なことでありました。幕屋は、そこに神が住まわれる、神が自分たちの旅と共にあるということを、目で見える形で示すものでありました。
ブラジルを初め、ラテンアメリカの町々を見てみますと、街の構造がよく似ています。町の一番中心に教会があるのです。そこから放射状に町ができています。移住者たちは、何を建てるよりも前に、まず教会を建て、そこから町の建設をしたのだということがよくわかります。
さて1~6節では、まず「幕屋を覆う幕」の製作について語られています。「幕屋」というのは、(そこに神様が)宿られる場所というような意味です。
1節。
「幕屋を十枚の幕で造りなさい。上質の亜麻のより糸、青や紫、また深紅の糸を使って、意匠を凝らしてケルビムを織り出しなさい。」26:1
この「幕」というのは英語ではカーテン、あるいはタペストリーです。その方がわかりやすいかもしれません。
その後に、サイズと組み合わせ方が記されています。長さ二十八アンマに、幅は四アンマ。1アンマ=45cmで換算すると、長さが12.6m、幅が1.8mです。それを5枚つづり合わせるので、幅は9mになります。随分、大きな「幕」です。そして、それをまた輪(リング)で全体をつないでいくのです。生地は亜麻布です。それに意匠家(デザイナー)がケルビムの絵を描くことになります。
7節以下にあるのは、さらにそれを覆う天幕を作るということです。この「天幕」というのは英語ではテントです。こちらは山羊の毛で作ります。
15節以下では、その骨組みとなる横木と壁板の製作です。全体の大きさを計算してみますと、この幕屋は長方形ですが、南北の長辺が30アンマ(13.5m)、東西の短辺が9アンマ(4.5m)、高さが10アンマ+台座の高さということで、約5mです。大きなものです。彼らは、移動の度に、これを大急ぎでたたみ、また組み立てることになるのです。
(5)至聖所を隔てる幕
そしていよいよ至聖所の確保です。この至聖所には、先ほど述べた十戒の板を納めた「箱」が安置されました。それを仕切る垂れ幕がある。カーテンです。垂れ幕そのものは、最初のものと同じようですが(1節)、それをかける4本の柱は金箔で覆われており、フックも特別なものです。
最後の36節以下で、「天幕の入り口の幕」についての指示が述べられます。この天幕は、幕屋の外の庭を含めた大きな敷地全体を確保するものです。この庭はまだ野外です。そこで焼き尽くすささげものをしたりして中に入っていくことになります。
全体のイメージとしては、三重構造になっている。まず大きな天幕で仕切られた全体の敷地があります。その中に幕屋があります。その幕屋の中が聖所ですが、その奥に、さらに聖なる至聖所がある、という風にお考えください。
(6)信仰の原点にたち返る
さて、聞いているだけでも頭が痛くなりそうな設計の指示ですが、私たちは、この幕屋建設の指示から何を聞き取っていくことができるでしょうか。
まず神様がこのような幕屋建設を命令されたことと、それに従っていこうとする神の民の信仰というものに心を留めたいと思います。26章30節にこういう言葉があります。
「このように、あなたが山で示された設計に従って幕屋を建てなさい。」
25章で指示された祭具の製作も大変だったでしょうが、この26章の指示は、規模が大きいだけに、もっと大変です。彼らには、不可能な命令のように思えたのではないでしょうか。
そもそも彼らはまだ移動中です。「そんなことができるわけがない」とため息が出たことでしょう。しかし出エジプト記35章以下において、この幕屋建設が粛々と実行されていくのです。
神によってまず幻が与えられ、その幻を実現していく。そうした中で、逆に信仰が強められ、結束が強められていったのではないでしょうか。
これらの言葉が記されたのは、実はずっと後の時代であると言われます。恐らく紀元前6世紀頃、バビロン捕囚の時代です。(祭司制度が整っていた時代に書かれたものであることから、祭司資料と呼ばれます。)すでに幕屋の時代から、ソロモン王以降は神殿の時代になり、「箱」は、そのエルサレム神殿に安置されました。しかしそのエルサレムもバビロニア帝国によって滅ぼされ、神殿も破壊され、主だった人々はバビロンの地で捕囚の民となっていました。そのような中で、これが記されたと言われています。
幻が与えられ、それが実現し、さらに神殿となり、神の栄光が示された。しかしその栄光も過去のものとなってしまった。どん底の状態です。彼らはそこでもう一度、信仰の原点にたち返るべく、神が共にいてくださるという約束を思い起こすようにして、この幕屋建設の細かい指示を書き記していったのではないでしょうか。
私は、この細かい記述の中に、かえって彼らの執念のような約束へのこだわり、いやそこにこそ彼らの信仰を見る思いがいたします。そして何度、どん底を経験しようとも、神の約束は反故にされることなく、神様は神の民と共にいてくださるという約束を新たにしていかれたのです。
(7)ヘブライ人への手紙による説明
その神の民への約束は、私たちキリスト教の理解では、やがて神の子イエス・キリストの派遣という、より深い形、より広い形で引き継がれることになります。そのことについて詳しく述べているのが、先ほどお読みいただいたヘブライ人への手紙9章です。
ここで著者は、幕屋の状況について、わかりやすくまとめてスケッチしています。
「ところで、最初の契約にも、礼拝の規定と地上の聖所とがありました。すなわち、第一の幕屋が設けられ、その中には燭台、台、供え物のパンがありました。この幕屋が聖所と呼ばれるものです。」ヘブライ9:1~2
これは、出エジプト記25章に記されていたことです。
「また、第二の垂れ幕の後ろには、至聖所と呼ばれる幕屋がありました。そこには香をたく金の祭壇と全面を金で覆われた契約の箱があり、その中には、マナの入った金の壺、芽を出したアロンの杖(民数記17:23参照)、契約の石板がありました。また、箱の上では、栄光のケルビムが贖いの座を覆っていました。」ヘブライ9:3~4節
そしておもしろいことに、「これらについては、今は一つ一つ述べることはできません」(5節)と言うのです。私たちも同じ思いがいたします。その先において、ヘブライ人への手紙の著者が言おうとしていることは、「恵みの大祭司」であるイエス・キリストの登場によって、それまでのような幕屋、聖所、至聖所、そして雄牛や雄山羊の供え物は必要なくなったのだということです。
「キリストは、すでに実現している恵みの大祭司として来られました。人の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、もっと大きく、もっと完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によってではなく、ご自身の血によってただ一度、聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」ヘブライ9:11~12
私たちは、幕屋の設計や建設の物語を読みながら、神の民が神様とお会いするため、罪を赦していただくために、どれほど心を注ぎ、力を費やしてきたかを、改めて心に刻みたいと思います。そして、同時にイエス・キリストがそれらすべてを超えるお方として来てくださったことを安易にではなく、畏れと感謝をもって受け止めて、それに応えて生きる者となりたいと思います。