2024年11月24日説教「義の預言者アモス」松本敏之牧師
アモス書5章14~15、21~24節
ローマの信徒への手紙12章9~15節
(1)収穫感謝日、謝恩日
本日は、収穫感謝日であり、謝恩日であります。収穫感謝をこの時期に行うのはアメリカ合衆国から始まったことですが、もともと収穫を感謝するということは聖書にも出てくる世界共通のことであります。私たちは、神様から多くのものをいただいておりますが、直接には、地の実りのものを改めて感謝していただくのです。
ちなみに私が住んでいたブラジルでは、収穫感謝日は6月でありました。6月には、3人の有名な聖人のお祭りがありますので、それらをまとめてフェスタジュニーナ(6月祭)と呼びますが、そのクライマックスが6月24日のサンジョアン(聖ヨハネ、洗礼者ヨハネ)の日です。なぜヨハネの誕生をこの日に祝うのかと言えば、カトリックの教会暦によっていますが、ルカ福音書1章のマリアの受胎告知の中で、天使ガブリエルが、マリアに向かって語った言葉に基づいています。
「あなたの親類エリサベトも、老年ながら男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六カ月になっている。」ルカ1:36
この言葉から、洗礼者ヨハネの誕生日はイエス様の誕生日、つまりクリスマスと半年違いということで、6月24日となりました。ブラジルでは北半球と季節が真逆なので、クリスマスは真夏です。秋から冬になる6月はちょうど収穫感謝を祝うのにふさわしい季節であり、それを兼ねてフェスタジュニーナが行われるのでしょう。農家が最も豊かになる時であり、楽しい村祭りのようになります。
また本日は、日本基督教団では謝恩日と定めて、隠退した牧師先生方を覚える日としております。その先生方なしには、今日の私たちの教会はなかったということを心に留めたいと思います。私たちの教会の中にも、町頭良行先生が出席されています。教会によっては、この日の礼拝献金をささげたり、教団からの奨めの運動として100円献金として、毎月100円をささげる運動を呼び掛けたりしています。鹿児島加治屋町教会では、毎月おささげいただいている宣教共有献金から、教団にお送りすることになっていますので、そうしたことも心に留めつつ礼拝をささげましょう。
(2)1年の終わりの日曜日
同時に、本日は教会の暦では1年の終わりの日曜日であります。来週からアドベント(待降節)が始まります。教会の暦はこの時から一回りいたします。その直前の日曜日は、終末、世の終わりを覚えながら過ごす。そこで再臨のキリストを待ち望みながら、同時にクリスマスを待ち望むアドベントに入っていきます。
福音書の中には、世の終わりにはどういうことが起きるかついて記したところが幾つかあります。マルコ福音書では13章、マタイ福音書では24章がそれにあたります。小黙示録と呼ばれることもあります。世の終わりというと、何か私たちを恐怖に陥れるようなものを連想される方もあるかもしれません。実際、先ほど申し上げた小黙示録には恐ろしいことがたくさん書いてあります。あまり好まれるテキストではありません。それに続いて、マタイ福音書25章の冒頭には、花婿を待ち望む10人のおとめの話が出てきます。
しかしイエス・キリストの誕生を祝うクリスマスを待ち望むということと世の終わりを迎える備えをするということは、深いところでつながっています。ユダヤ教には、メシア待望という信仰があります。いつの日かメシア(「油注がれた者」、ギリシア語で「キリスト」)がやって来られて、自分たちを救ってくださるという信仰であります。「その約束が果たされて、メシアがこの世界に来られた。その方こそがイエス・キリストであった」というのがキリスト教の教会暦です。
(3)十二小預言書
さて鹿児島加治屋町教会独自の聖書日課も、最後の部分の十二小預言書と呼ばれる部分に入ってきました。先週は、その最初の預言書であるホセア書を取り上げました。今日は、続けて、十二小預言書の三つ目にあたるアモス書を取り上げることにいたしました。十二小預言書と言っても、どういう書物があるか知らないという方も多いかもしれません。
皆さん、できましたら聖書の目次を少し見ていただけますか。創世記の前に目次が出ています。このホセア書以下が十二小預言書です。少し数え上げてみます。
ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ハガイ書、ゼカリア書、マラキ書となっています。聞いたこともないという方もあるでしょう。私自身、説教のメインのテキストとして取り上げることもほとんどありません(新約のメインのテキストと共にあげるサブテキストとして選ぶことは時々ありますが)。
これらはただ小さな小預言書の寄せ集めのように見えますが、実は意図的に配列されています。
ホセア書からミカ書までの6書は、紀元前8世紀(北イスラエル王国の滅亡の頃)に書かれたもの、ナホム書からゼファニア書までの3書は紀元前7世紀(南ユダ王国末期、つまりバビロン捕囚の前)に書かれたもの、そしてハガイ書からマラキ書までの3書はバビロン捕囚後の紀元前6世紀以降に書かれたもの、というふうに、歴史的背景を踏まえながら三つにまとめられているのです。神に背くイスラエル(ホセア書やアモス書)から、終わりの日の到来を予告する結末(マラキ書)に向かう預言の流れは、先ほど申し上げた本日の私たちの教会暦、つまり終末の預言からアドベントに向かっていく、私たちの本日のテーマに似ていると言ってもよいかもしれません。
(4)聖書覚え歌
さてそれにしても十二小預言書の順番などはわからない。だから目次を見ないと、聖書を開けない、という方も多いでしょう。実は、これらの順番もすぐにわかるという便利な方法があるのです。今日は、聖書日課も終わりに近づいてきましたし、順番を覚えるのが一番難しい十二小預言書を読んでいますので、皆さんにプレゼントとして、「聖書覚え歌」のプリントをお配りしました。この歌を覚えておくと、聖書のどこでもすぐに開けられるようになりますので、本当に便利です。古いというか、昔からのクリスチャンの方は、文語訳聖書の時代からある覚え歌ですので、知っておられる方もあるでしょう。「鉄道唱歌のメロディーで」というのですが、「汽笛一声新橋を~ はや我汽車は離れたり~」というメロディーです。今の時代では、「鉄道唱歌」を知らないで、むしろ「聖書の歌」というほうがぴんと来る方もあるかもしれません。
最初の部分を少し歌ってみますので、プリントをご覧ください。動画で説教を聴いておられる方は、原稿の最後に、歌詞を付けておきますので、そちらをご覧ください。
1 創・出・レビ・民・申命記
ヨシュア・士師・ルツ・サム・列王
歴代・エズ・ネヘ・エステル記
ヨブ・詩・箴言・コヘレ・雅歌
2番は預言書です。
2 イザヤ・エレ・哀・エゼ・ダニエル
ホセア・ヨエ・アモ・オバ・ヨナ・ミ
ナホム・ハバクク・ザファ・ハガイ
ゼカリア・マラキで39
これを覚えておけば、十二小預言書でも、すぐに開くことができます。ちなみに「39」というのは、旧約聖書の文書の数です。
一気に新約聖書のほうも、ついでにお教えしておきましょうか。
3 マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ
使徒・ロマ・コリント・ガラテヤ書
エフェソ・フィリ・コロ・テサロニケ
テモ・テト・フィレモン・ヘブライ人
4 ヤコブ・ペトロ・ヨハネ・ユダ
ヨハネ黙示、27
新旧両約あわせれば
聖書の数は66
私は、東京の教会で働いていた頃、近所の恵泉女学園という学校の中学1年生の聖書科の授業を受け持っていました。そして二学期にはこの覚え歌をみんなで憶えて、聖書の順番をテストの問題にしたりしていました。中学生はすぐに覚えます。
皆さんもぜひ覚えてください。意味も分からず、ただ呪文のように暗記するので結構です。老化防止に役立つかもしれません。
これは別に鉄道唱歌でなくても、7・5調の歌であれば何でも結構ですが、鉄道唱歌がテンポもよく、一番すぐれているようです。変わり種では「北の宿から」というのもあります。
「マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ、使徒・ロマ・コリント・ガラテヤ書」。なかなか最後までたどりつきません。でもちょうど「ヨハネ黙示27」で一番が終わるようになっています。やってみてください。
(5)正義を大河のように流れさせよ
さて、肝心のアモス書についてのべるのが遅くなりました。
アモス書が記されたのは、実はホセア書よりも前、そして三大預言書よりも前、つまり預言者の名前が付けられた預言書の中で最も古いものです。時期は先ほど述べましたように、紀元前8世紀です。ホセアも少し前の時代です。北イスラエル王国も南ユダ王国もとても繁栄していた時代でした。国が亡びるなどとは、王を初め、誰も予期していませんでした。でもすでに内部崩壊が始まっていたのです。その意味では、今日の日本やアメリカにも通じるものがあるような気がいたします。
国が繫栄するということは、しかしながら人々の心の緊張感が鈍くなり、堕落を招く結果となりました。アモス書2章6節以下では、こう記されています。
「主はこう言われる。
イスラエルの三つの背きの罪
四つの背きの罪のゆえに
私は決して容赦しない。
彼らが正しき者を金(かね)で
貧しき者を履物一足分の値で売ったからだ。
彼らは弱い者を地の塵に踏みつけ
苦しむ者の道をねじ曲げている。」アモス2:6~7
外面的な繁栄の陰に彼らの生活は乱れ、社会には不正不義が満ちあふれていました。そして最も大切な祭儀(神様への礼拝)も形式的で生命を失い、しかもバアル宗教(自分たちの繁栄を約束する偶像の神)に毒されていました。
そこで、田舎で羊飼いをしていて神に召し出されたアモス(アモス書7:14参照)は、このようなイスラエルの上流階級の人々に対して、「主なる神の仰せ」として、神の正義を主張し、その激しい怒りと厳しい審判を預言したのです。
「善を求めよ、悪を求めるな
あなたがたが生きるために。
そうすれば、、あなたがたが言うように
万軍の神である主は
あなたがたと共にいてくださるであろう。」アモス書5:14
そしてこう言うのです。
「公正を水のように
正義を大河のように
尽きることなくながれさせよ。」アモス書5:24
すばらしい言葉です。この言葉は、義の預言者、正義の預言者と呼ばれるアモスの信仰の根本を貫くものでありました。ですから、神の正義と公道を失ったイスラエルの運命は滅亡だと、アモスは神の審判を宣言しました。
(6)主の言葉を聞くことへの飢え渇き
「その日が来る――主なる神の仰せ。
私は地に飢えを送る。
それはパンへの飢えでも
水への渇きでもなく
主の言葉を聞くことへの飢え渇きなのだ。
人びとは海から海へと行き巡り主の言葉を探し求めてさまよい歩くが
見いだすことはできない。」アモス8:11~12
物質や水の飢饉も恐ろしいですが、それよりも重大なことは、神の言葉を聞くことの飢饉だと、アモスは言うのです。これは北イスラエル王国が、国の外面的な政治的安定と経済的繁栄に満足してしまって、人間の本当の幸福を無視し、真剣に神の言葉を聞くことがなくなりつつあることに対する痛烈な警告でありました。
あまりに激しい預言のために、アモスは支配者たちの反感を買い、国を追放されることになります(7:10~13)。その後のアモスがどうなったのかは何もわかりません。
しかし彼の主張した「神の正義」の預言は、イスラエルの預言者の良心として、いつまでも人々の心に訴え続けることとなります。そして彼の語ったイスラエル滅亡の預言は、30年後の紀元前721年に主とサマリアの陥落によって現実のものとなりました(以上、川崎正明『旧約聖書を読もう』参照)。
こういう表面的な繁栄の陰で、腐敗がはびこり、内部崩壊が少しずつ始まっている、というのは、現代の私たちの世界、日本やアメリカの社会についてもあてはまる。アモスは、現代の私たちに向かっても、警告を発しているのではないでしょうか。
貧しい人たち、力をもたない人たちを踏みにじるのではなく、繁栄をみんなで分かち合うことが求められている。収穫感謝の日に、そうしたことを、もう一度心に留めることは大事なこと、そして私たち自身が内側から豊かになる道を指し示していると思います。
1 創・出・レビ・民・申命記
ヨシュア・士師・ルツ・サム・列王
歴代・エズ・ネヘ・エステル記
ヨブ・詩・箴言・コヘレ・雅歌
2 イザヤ・エレ・哀・エゼ・ダニエル
ホセア・ヨエ・アモ・オバ・ヨナ・ミ
ナホム・ハバクク・ザファ・ハガイ
ゼカリア・マラキで39
3 マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ
使徒・ロマ・コリント・ガラテヤ書
エフェソ・フィリ・コロ・テサロニケ
テモ・テト・フィレモン・ヘブライ人
4 ヤコブ・ペトロ・ヨハネ・ユダ
ヨハネ黙示、27
新旧両約あわせれば
聖書の数は66