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2023年2月5日説教「神は人が見るようには見ない」松本敏之牧師

サムエル記上16章1~13節
マタイによる福音書20章29~34節a

(1)サムエル記とは

鹿児島加治屋町教会独自の聖書日課、1月24日からサムエル記上に入りました。昨日はサムエル記上の11章でした。サムエル記は、旧約聖書の中でも物語として、とても興味深い部分ですので、ぜひ皆さんも一緒に読んでくださるとよいと思います。

今日はサムエル記について最初に全般的なことをお話し、その後、サムエル記上の前半の物語を少したどりながら、み言葉を聞いていきたいと思います。

サムエル記という名称は、その中の登場人物である預言者サムエルに因んでいますが、サムエルが登場するのは最初のほうだけで、サムエル記全体の主人公は、むしろダビデです。預言者サムエルは、先ほど読んでいただいたサムエル記上の16章で、このダビデに油を注ぐと姿を消します。あとは19章に一度と、28章に死後の話が一度、出てくるだけです。

サムエル記上下は、ユダヤ教のヘブライ語聖書の区分によれば、ヨシュア記、士師記、サムエル記上下、列王記上下が一つの区分となっており、難しい言葉で「前の預言者」と呼ばれます。ちなみに「前の預言者」に対し、イザヤ書、エレミヤ書以下の、私たちが「預言書」と呼んでいるものは「後の預言者」と呼ばれます。「ヨシュア記」の前の「モーセ五書」、つまり創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記が、天地創造から族長物語、エジプト脱出、律法の授与、荒野の放浪について語るのを引き継いで、ヨシュア記から列王記までの「前の預言者」では、イスラエル民族のカナン侵入、士師時代、王国までの歴史を記しています。あるいは描いています。サムエル記は列王記と共に、いわば「王国時代史」「王国盛衰史」について語っています。サムエル記上は、それだけで独立しているのではなく、最初の部分は、士師時代の名残を残しています。

サムエル記の舞台になっている年代は、紀元前1050年から紀元前1000年、つまり紀元前10世紀後半でありますが、それが編集されたのは、もっと後で、バビロン捕囚の時代、すなわち紀元前6世紀頃と言われます。

(2)ハンナの祈り

サムエル記上は、サムエル誕生の物語から始まります。サムエルの母となるハンナには子どもがいなくて、そのために随分差別を受け、屈辱を味わったようです。1章10節以下にこう記されます。

「ハンナは悲しみに沈んで主に祈り、激しく泣いた。そして誓いを立てて言った。
『万軍の主よ、どうかあなたの仕え女の苦しみをご覧ください。この仕え女を心に留めてお忘れにならず、男の子を賜りますならば、その子を一生主にお捧げし、その頭にはかみそりを当てません。』サムエル上1:10~11

そうすると、その誓いを伴う祈りが聞かれて、男の子が与えられます。ハンナは、誓った通り、サムエルが乳離れする時、祭司エリのもとに連れて行き、彼に自分の子サムエルを委ねました。エリには、ホフニとピネハスという息子がいましたが、いずれもならず者で、サムエルだけが正しい子どもとして育ちます。

ある夜のこと、サムエルは、自分に呼びかける声を聞きます。急いでエリのもとに行くのですが、エリは「私は呼んでいない。戻って休みなさい」と言いました。再び同じことが起きました。三度目に同じことが起きた時、エリは、サムエルを呼ばれたのは主なる神様だと悟って、サムエルにこう言いました。「もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております』と言いなさい。」(サムエル上3:9)

そして主が四度目に、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼びかけられたので、少年サムエルは、「お話しください。僕は聞いております」と答えました(3:10)。有名な言葉で、聖画にもなっています。

そこで語られたのは、とても厳しい言葉でした。エリの息子たちが自ら災いを招いており、エリはそれを知りつつ、戒めようとしなかった。その罪のために、エリの家を裁く。その罪はどんないけにえによっても償わることはない」というものでした。そしてその通りになっていきます。そして3章19節には、こう記されます。

「サムエルは成長し、主が彼と共におられたので、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。」サムエル3:19

(3)神の箱の帰還

それが3章ですが、4章から6章には、またとてもおもしろい話が記されています。神の箱についての物語です。

イスラエルの民はエベン・エゼルというところでペリシテ人と戦っていましたが、全然兵力が違い、打ち負かされてしまいます。そしてこう言いました。

「なぜ、主は今日、我々がペリシテ人に打ち負かされるままにされたのか。主の契約の箱をシロから運んで来よう。そうすれば、主は我々のただ中に来られ、敵の手から救ってくださるであろう。」サムエル上4:3

この「契約の箱」というのは、出エジプト記の後半で作られたもので、中には十戒の2枚の板が収められていたと言われます。神様の臨在のしるしでした。ペリシテ軍は、その「契約の箱」すなわち「神の箱」が届いたことを聞いて、恐れをなすのですが、それでも「男らしく戦え」とはっぱをかけられて戦い抜きます。その結果、「神の箱」はペリシテ軍に奪われてしまいました。

ところが、その無力に見え、奪われてしまった神の箱が相手先で、力を発揮し始めます。災いをもたらし始めるのです。最初は、アシュドドという町のダゴンの神殿に運び入れられ、ダゴンの像の傍らに置かれました。すると翌朝、ダゴンの像が主の箱の前で、地にうつ伏せに倒れていたのです。人々はダゴンを起こして元の場所に据えました。翌朝、今度はもっとひどいことが起きました。ダゴンの像は再びうつ伏せに倒れているのですが、頭と両手が切り取られていたのです。そしてアシュドドの人々の上に腫れ物の災いが起きました。アシュドドの人々は「イスラエルの神の箱を我々のうちにとどめて置いてはならない。この神の手は我々と我々の神ダゴンの上に災いをもたらす」(サムエル5:7)と言って、ガトの町にうつすことにしました。そうすると、今度はガトの町に腫れ物の病気をもたらすようになります。そこで彼らはエクロンという町に神の箱を送りました。エクロンの人々は大声で叫びました。「イスラエルの神の箱をここに移して、私と私の民を殺すつもりか。」

そこで、ペリシテ人の領主全員を集めて、「イスラエルの神の箱を送り返し、元の場所に戻ってもらおう」ということになります。疫病神のようなものです。7か月後、ペリシテ人は祭司と占い師に、どうしたらよいものかと尋ねます。彼らは答えました。

「イスラエルの神の箱を返すにあたっては、何も添えずに送ってはなりません。必ず償いのいけにえと共に送り返さなければなりません。」サムエル上6:3

それで神の箱を荷車に載せて、雌牛(めうし)を車につなぎます。子牛は引き離して小屋に戻しました。(そうすると普通雌牛は子牛のところへ行こうとします。)金の品々も車につけました。それでどうなるかを見守っていると、子牛を引き離されているにもかかわらず、それは自力で、イスラエルのベト・シェメシュにまで戻ってくるのです。しかもいろいろなおみやげ付きです。しかしその神の箱を覗き込んだベト・シェメシュの人々もまた、神様から打たれました。人々は、「神の箱をどうしたらよいだろうか」と言って、結局、キルアト・エアリムという町の丘の上のアビナダブという人の家の中に安置し、エルアザルが神の箱を守ることになります。

この話は、「神様は、人の意志を超えた自由な主権をもっておられる」ということを示していると思います。それは、人の意志を超えているのです。それがイスラエル人であれ、それと敵対する人であれ、その自由にはならないのです。私たちの意志を超えたところで、神の自由な意志が働くのです。

そのようにして、20年が過ぎていきました。何度もペリシテ人の脅威が迫ってきましたが、神様は雷鳴をとどろかせてペリシテ人を混乱させたりして、イスラエルに勝利をもたらしてくださいました。

(4)王が欲しい

さてイスラエルに王がいなく、サムエルが、かつての士師時代のように神様の声を聞きつつ、直接、イスラエルを治めていました。やがてサムエルは年を取り、自分の息子たちを裁き人にするのですが、この子どもたちがまたよくなかったのです。不正な利益を求め、賄賂を取って裁きを曲げました。イスラエルの長老たちは全員集まって、サムエルのもとに来て、こう言うのです。

「あなたは年を取られ、ご子息たちはあなたが歩んだように歩もうとしていません。ですから、今、他のすべての国々のように、我々を裁く王を立ててください。」サムエル上8:5

この要求は、サムエルの目に悪と映りました。それは神様を信頼していないからです。サムエルは神様に祈りました。神様の答えはこうでした。

「民の言うままに、その声に従いなさい。民が退けているのはあなたではない。むしろ、私が彼らの王となることを退けているのだ。」サムエル上8:7

「今は彼らの声に聞き従いなさい。ただし、彼らに厳しく命じ、彼らの上に立って治める王の権利を知らせなさい。」サムエル上8:9

どういうことかと言えば、「王を立てるということは、王のもとに服従させられることだぞ。男も女もひどく働かされ、しかも男たちは兵として戦争に駆り出される。そういうことがわかっているのか」と言ったのです。神様が直接治められるほうがよほどいいのだということです。サムエルはこう言いました。

「こうして、あなたがたは王の奴隷となる。その日、あなたがたは自ら選んだ王のゆえに泣き叫ぶことになろう。しかし、主はその日、あなたがたに答えてはくださらない。」サムエル上8:17b~18

しかし民はサムエルの忠告を聞き入れず、こう言いました。

「いいえ、我々にはどうしても王が必要なのです。我々もまた、すべての国々同様、我々を治める王が必要であり、王が陣頭に立って進み、我々のために戦の指揮を執るのです。」サムエル上8:19b~20

(5)神が悔やむ

そして第9章で、サウルが選ばれ、最初の王として立てられていきます。サウルは、9章2節によれば、「優れた若者で、その美しさに並ぶ者はイスラエルにおらず、民の誰よりも肩から上の分だけ背が高かった。」(サムエル9:2)

その後の詳しいことは省略しますが、サウルは油を注がれて、王として立っていきます。最初はサウルも謙虚でしたが、次第に傲慢でわがままになっていきます。

そしてついにサウルが退けられる日が来るのです。サムエルに対して、神様の言葉が降ります。15章11節

「私はサウルを王として立てたことを悔やむ。彼は私から離れ去り、私の命令を実行しなかった。」サムエル上15:1

ここに「神が悔やむ」ということが記されています。一体、神が悔やむことがあるのでしょうか。神が「災いを思い直される」ことはあります。モーセの執り成しによって、金の子牛像を作ったイスラエルの民を滅ぼすことを思いとどまられました(出エジプト32:12~14)。またエレミヤ書でも、人々が悪から立ち帰る時、下そうとしていた災いを思い直されることはありました(エレミヤ18:7~10)。ヨナ書においてニネベの人々が悔い改めた時も、災いを思い直されました(ヨナ3:10)。しかしその逆、つまり「よかれ」と思ってなされたことを、神が「悔やむ」ことがあるのか。事実、この直後の、サムエル記上15章29節にはこう記されています。

「イスラエルの栄光である方は、偽ることも悔いることもない。人ではないので、悔いることはない。」サムエル上15:29

サムエルは、そう言っています。その意味で、サウルを王として立てたことを、神が悔やまれた、というのは、とても珍しい記述です。

(6)ノアの洪水物語

聖書の中に、もう1回だけ、「神が悔やまれた」ということが記されている箇所があります。皆さん、どこかご存じでしょうか。それは創世記6章6節です。ノアの洪水物語の初めの部分です。

「主は、地上に人の悪がはびこり、その心に計ることが常に悪に傾くのを見て、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。」創世記6:5

この2箇所だけなのです、恐らく。「神様がよかれと思ってなさったことをを悔やんだ、」いうことが記されているのは。その「悔やみ」の結果、洪水を起こして、世界を一新する決心をなさるのですが、その話を追っていくと、結局、神は洪水の後で、こう言われるのです。創世記8章21節。

「主は宥めの香りを嗅ぎ、心の中で言われた。『人のゆえに地を呪うことは二度としない。人が心に計ることは、幼い時から悪いからだ。この度起こしたような。命あるものをすべて打ち滅ぼすことはもう二度としない。』創世記8:21

結局、大洪水の結果、何が変わったのかと言えば、人間のほうではなくて、神様のほうだった。神様は一旦悔いたけれども、もう二度とあんなことをしないと心に決められたのでした。そしてそのために多大な犠牲を払うことになる道を選ぶ決意をされたのではないかと思うのです。私は、その延長線上にイエス・キリストの十字架が見えているように思います。

(7)ダビデの選び

さて、サムエル記のほうに戻りますが、サウルを王として立てたことを悔やまれた神は、やがてサウルを退けて、ダビデを次の王として立てることを決心されるのです。その経緯の物語を、今日はお読みいただきました。

大体よんでいただいた通りですので、詳細は述べませんが、ここで印象的なのは、神は人が見るのとは異なった見方をなさるということです、サウルは背丈も高く、容姿も優れていたようです。しかし、ここでは見た目に惑わされてはならない、と告げられます。エッサイの息子たちの中から、次期の王を立てると告げられ、サムエルはエッサイのもとに赴きます。そして一人ずつ進みゆかせます。長男が現れた時、きっとこの人だと思ったのでしょう。しかし神様は言われました。

「容姿や背丈に捕らわれてはならない。私は彼を退ける。私は人が見るようには見ない。人は目に映るところを見るが、私は心を見る。」サムエル上16:7

そしてそこにいる兄弟がすべて退けられた後、まだ少年であったダビデが現れ、彼の上にひそかな「油注ぎ」(王の即位式)がなされるのです。

そこからサウルとダビデの交代劇が始まって行くのですが、その物語もまたスリリングです。3月にもう一度、サムエル記上の話をしたいと思っております。皆さんもぜひダビデ物語を読んでいただきたいと思います。

(8)人の思惑と神の計画

さて最後に、新約聖書との関連についてお話したいと思います。

イスラエルの民が自分たちにも他の国と同じように王が欲しいと願ったのは、神様を信じ切れない不信仰のゆえであったということができるでしょう。「民が退けているのはあなた(サムエル)ではない。むしろ、私(主なる神)が彼らの王となることを退けているのだ」(サムエル上8:7)とありました。それは、「目に見えない神様だと不安だから、目に見える王が欲しい」ということでしょう。しかしその不信仰で始まったイスラエルの王政ですが、その中でサウルの次にダビデが立てられ、ソロモンが立てられていきます。しかし神に見捨てられたわけではありませんでした。神様のほうが不信仰なイスラエルに寄り添うように、神様のほうが軌道修正をしてイスラエルの歴史の中に入って来られるのです。

そしてダビデの名は、ダビデの後の人々にとっても希望の象徴、救い主の称号になっていきます。今日、読んでいただいたマタイによる福音書20章29節以下では、二人の盲人がイエス・キリストに向かって「ダビデの子よ、私たちを憐れんでください」と叫んでいます。それが救い主の称号であったのです。不信仰から始まったイスラエルの王政が神の歴史になっていくのです。

さらに大きなことを言えば、「目に見えない神様だと不安だから、頼りないから、よくわからないから、目に見える王が欲しい」という民のわがままな願いは形を変えて、イエス・キリストの誕生につながっていくのではないでしょうか。イエス・キリストこそは、目に見える〈人になった神様〉に他ならなかったからであります。人々の不信仰な願いをも神様に用いられてクリスマスにつながっていくのです。

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