2023年2月12日説教「私は望む。清くなれ」松本敏之牧師
ルカによる福音書5章12~16節
(1)規定の病
先ほどお読みいただいたルカによる福音書5章12~16節は、本日の日本基督教団の聖書日課です。今日は、そこから御言葉を聞いていきましょう。このように始まります。
「イエスはある町におられたとき、そこに全身規定の病を患っている人がいた。」 ルカ5:12
ここで「規定の病」と訳された言葉は、新共同訳聖書では「重い皮膚病」と訳されていました。随分、変わりました。どうしてなのか。この言葉、そしてこの病気について、少し丁寧に説明しておきましょう。聖書協会共同訳では、後ろから数えて(27)ページのところに解説がついていますので、あわせてご覧くださるとよいかと思います。
この「規定の病」は、旧約(ヘブライ語)では「ツァラアト」という言葉で、新約(ギリシア語)では「レプラ」という言葉です。以前の『口語訳聖書』では、両方とも「らい病」となっていました。『新共同訳聖書』は、初版(1987年)では、旧約のほうが「重い皮膚病」となり、新約のほうは「らい病」のままでしたが、1997年の版以来、新約のほうも「重い皮膚病」に改められました。
この「規定の病」「重い皮膚病」というのは、長い間、今日で言う「ハンセン病」だとされてきました。ハンセン病は、感染力は弱く、遺伝病ではないにもかかわらず、日本でも患者は隔離され、子どもをもうけることも禁じられてきました。現在では完治する病気でありながら、社会的差別はなお残っています。私たちは、聖書の読み方が、日本を含めて世界中のハンセン病患者の差別を助長してきた歴史があることを忘れてはならないでしょう。
(2)考古学、疫病学、聖書学に基づく変更
それらの背景には、差別的な言葉の読み替えや、「らい予防法」廃止(1996年)という事情もありますが、それ以上に20世紀後半の考古学・疫病学的な研究成果があります。例えば、レビ記が編集された時代(紀元前6~5世紀)、聖書の舞台であるユダヤ・パレスチナ地域には、今日の医学でいうところのハンセン病はまだ存在していなかったことがわかってきました。また旧約聖書で説明されている「規定の病」(ツァラアト)の症状は、ハンセン病の症状と必ずしも一致しません。つまり旧約聖書のレビ記13章に「規定の病」(ツァラアト)の説明があるのですが、こういうふうに記されています。
「祭司がその皮膚の患部を調べて、その患部の毛が白く変わり、皮膚の下まで及んでいるなら、それは規定の病である。」レビ記13:3
その後、さらに詳しく「規定の病」かどうか判断する基準が書かれているのですが、それは今日で言う「ハンセン病」の症状とは全く違うものです。それもそのはず、先ほど申し上げたように、それが書かれた時代のユダヤ・パレスチナ地方には、まだ今日で言うところのハンセン病は存在しなかったのです。そうしたことから、「ツァラアト」がハンセン病を含まないことは、今日ではほぼ定説になっています。
ユダヤ・パレスチナ地域にハンセン病が入ってきたのは、アレキサンダー大王の東方遠征の頃(紀元前4世紀後半)だと言われます。そういう意味では、新約聖書の時代には、ハンセン病は聖書の世界に存在したと思われます。
そうすると、新約聖書の「規定の病」(レプラ)には、今日のハンセン病も含まれる可能性はあります。ただし旧約の「規定の病」(ツァラアト)の場合には、症状・診断・治癒判定の詳しい記述がありますが(レビ記13~14章等)、新約の「規定の病」(レプラ)にはそれらが一切ありません。その一方で、宗教的・社会的処遇としては、旧約聖書の「規定の病」(ツァラアト)と全く同じ扱いを受けている。そうすると、新約聖書の「規定の病」(レプラ)は旧約の「規定の病」(ツァラアト)をそのまま受け継いでいると言えるでしょう(荒井英子『ハンセン病とキリスト教』参照。特に135頁以下)。
そうした事情から、『新改訳聖書』(いのちのことば社)は、2003年の第三版以来、「あとがき」に詳しい解説を付しつつ、旧約も新約も共にカタカナで「ツァラアト」としています。
聖書協会共同訳では、そうした研究を踏まえつつ、「規定の病」という新しい言葉を導入したのです。そこには、わかりにくいツァラアトという言葉(しかも旧約聖書のヘブライ語をそのまま新約聖書の「レプラ」にも当てはめるというのは、やや無理がある)ではなく、それなりにわかる日本語にしようということがあったのでしょう。
(3)三重苦を強いられた病気
しかしいずれにしろ、この「規定の病」は、単なる体の病気ではなく、宗教的に汚れた病気であると信じられていました。何か悪いことをしたから、この病気にかかったのだと、みんなが思っていました。そして健康な人との交わりを絶たれました。レビ記13章45節には、こう記されています。
「規定の病を発症した人は衣服を引き裂き、髪を垂らさなければならない。また口ひげを覆って、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない。その患部があるかぎり、その人は汚れている。宿営の外で、独り離れて住まなければならない。」レビ記13:45~46
誰か人が近づいてきたら、「自分は汚れた者です。近づかないでください。触らないでください」と叫ばなければならない。社会から抹殺される。身を隠して退かなければならない。生きていても生きていないかのごとく、歩いていても歩いていないかのごとく生活しなければならない。こんなにつらいことはないと思います。
この人は三重の痛み・苦しみをもっていました。第一は、もちろん肉体的病苦です。体がいうことをきかない。痛い、あるいは病気によっては、体がまひしてしまうこともあるでしょう。
第二は、宗教的断罪です。体の病苦はつらいですが、それでもみんなに支えられ、励まされれば、まだ救いがあります。しかしこの病気の場合、「お前が神の前で何か悪いことをしたから、罪があるから、その罰としてそういう目に遭っているのだ」と宗教的に断罪される。それによって罪悪感にさいなまれたことでしょう。
そして第三は、それに由来する社会的疎外です。みんなから仲間はずれにされる。だから治ったとしても体が癒されただけではまだだめです。癒された後で祭司に体を見せ、完全に治ったと認定してもらわなければなりません。そこで初めて全人的、社会的に回復するのです。そのこともレビ記に記されています。
「祭司は患部が白くなっているのを確認するなら、その患者を清いと言い渡す。その人は清い。」レビ13:17
この「規定の病」がどんな病であったかはわかりませんが、今日でも、そういう形態を取る病気、つまり肉体的病苦と宗教的断罪と社会的疎外という三重苦を強いられる病気は、形を変えて存在するのではないでしょうか。たとえば今日のエイズを巡る状況も、それに通じるものがあるのではないかと思いました。病気の苦しみ、死への恐怖に加えて、あれは神様からの天罰だ、本人が、あるいは親が悪いことをしたからあんな目にあっているのだと言われる。そしてついに、社会からも疎外される。家族も、自分の家族からエイズ患者が出たということを隠し遠そうとする。そうしたことがあったのではないでしょう。もちろん今では違ってきていますが、エイズが流行し始めた1980年代、90年代はそういうことがあったように思います。
(4)「主よ、お望みならば」
次にこの病気の人が何をしたかを見てみましょう。
「そこに、全身規定の病を患っている人がいた。イエスを見てひれ伏し(た)。」ルカ5:12
この人は主イエスの姿を見るなり、近寄ってきました。私が言ったことを思い出してください。律法によれば、この人は健康な人を見かけたら、どうしなければならなかったでしょうか。近寄ってはならないのです。むしろ退かなければならない。その意味では、この人は律法違反をしています。おそらく周りの人々や弟子たちが制止するいとまもなく、走り寄ったのではしょうか。だからこの人の病気の体を見て、逆に周りの人が跳び退いたのではないかと思います。そうすることによって主イエスに向き合い、ひれ伏して言いました。
「主よ、お望みならば、私を清くすることがおできになります。」ルカ5:12
「お望みならば」というところは、新共同訳聖書では「御心ならば」と訳されていました。これも聖書協会共同訳の新しい訳のほうが元の言葉に近いです。原文に即して言えば、「あなたが欲しさえすれば」ということです。英語の幾つかの聖書を見ますと、”If only you will,” “If you choose,” “If you want,” というように訳されていました。つまり「私が清くなれるかどうかは、あなたがそれを望まれるかどうか、あなたの意志にかかっています」ということです。
(5)「私は望む」
そうしたこの病人の大胆な信仰に対して、一体何が起こったでしょうか。さらに驚くべきことが起きました。誰もが近づくのもいやがる「規定の病」です。先ほど言いましたように、この時恐らく他の人はみんな跳び退いたことでしょう。しかしその中でたった一人退かず、逆に手を差し伸べて、この病人に触れた人がいました。それがイエス・キリストであります。
「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『私は望む。清くなれ』と言われると、たちまち規定の病は去った。」ルカ5:13
イエス・キリストは、誰かをお癒しになる時、必ずしもその人に触れられたわけではありません。ルカ福音書7章1節以下に出てくる「百人隊長の僕の癒し」にいたっては、触れないどころか、見てもいません。代理として主イエスのところにやってきた百人隊長の話を聞いて、遠く離れたところから癒されました。イエス・キリストにとっては、それで十分なのです。
それでは一体どうして、イエス・キリストは、わざわざこの規定の病の人に手を差し伸べて触れられたのでしょうか。イエス・キリストも後ろに跳び退きながら、「清くなれ」と叫ばれれば、よかったのではないでしょうか。
私が言ったことをもう一度思い起こしてください。この人の深い傷はどこにあったのか。それは単に体の病気のことではありませんでした。誰からも無視される。自分が歩けば、みんなが自分を避けて通る。誰も触ってくれない。自分でも「近づかないでください。私は汚れています」と叫ばなければならない。そこにこそ、この人の本当の深い傷があったのではないでしょうか。この人にとって、誰かに触れられるということが、どれほど大きな意味をもっているかを、イエス・キリストはよく知っておられたのです。イエス・キリストは、この人に手を置くことによって、その深い傷をいやされたのでした。
「私は望む」という言葉も、新共同訳聖書では違っていました。「よろしい」という言葉でした。今、考えてみると、随分大胆な意訳だったのだなと思います。忠実に訳せば、「私は確かにそれを欲する」「私は確かにそれを選ぶ」となります。”I do will.” “I do choose.” それは、この病人の「もしもあなたがそれを欲しさえしてくだされば」という願いに呼応しているのです。「そうだ。それが私の意志だ。清くなれ。」
(6)「誰にも話してはいけない」
イエス・キリストは、この人に「誰にも話してはいけない」(14節)と、厳しく命じられました。どうしてでしょうか。イエス・キリストはたくさんの癒しの奇跡をなさいました。しかしイエス・キリストは、そのことのもつ危険性も十分に承知しておられたのだと思います。癒しだけが一人歩きすれば、多くの人がどうにもならないほどに押し寄せたでしょう。
もっとも主イエスは、それを用いて伝道することもできたかも知れません。そうしたら十字架にかかって死ぬ必要もなかったかもしれません。そのまま「本物のメシア誕生だ」と持ち上げられて大宗教になっていったことも想定できます。今日でも、不思議ないやしを見せて、信者を獲得していくという宗教はたくさんあります。
(7)癒しを伝道の手段に用いない
ブラジルでは、キリスト教の中においてさえも、そういう教派をたくさん見てきました。伝道集会をテレビで放映して、牧師が「イエス・キリストの名によって立ち上がれ」と言えば、それまで歩けなかった人が立ち上がって、歩き始めるのです。私は、そういうのは何かインチキ臭いと思います。私は奇跡としての癒しを否定はしません。確かに神様の力が、今ここに介入すれば、そういうこともあるでしょう。神様にとってそんなことは何でもないことでしょう。 ただしそれを人に見せるために、あるいは人を集めるために用いてはならないし、主イエスもそんなことはなさらなかった。そこで根本的な思い違いが思ってくるということを、イエス・キリストはよくご存知であったのだろうと思います。
しかし、この規定の病を癒していただいた人は、主イエスが厳しくお命じになったにもかかわらず、言ってしまったのでしょうか。ルカ福音書では、そのあたりのことは書いていないのですが(マルコ1:45参照)、彼が言わなかったにしても、「規定の病」が癒されたというのは一目瞭然なわけですから、「一体どのようにして治ったのだ。イエスという人が不思議な力でどんな病気でも癒すそうだ」といううわさが広がったのでしょう。それにより一層多くの人が、イエス・キリストの癒しを求めて集まってくることになります。しかしイエス・キリストは、ここでも「寂しい所に退いて祈」られました(16節)。癒しの奇跡が、自分にとっても、人々にとっても誘惑となるということを見抜いておられたのでしょう。
イエス・キリストは、私たちのことを思い、それを何かに用いるためというよりは、その時その時に、最もよいことを備えてくださるお方です。この「規定の病」を患った人にも、そのように向き合われました。私たちもこの病の人のように、そのイエス・キリストのよき意志を信じて、そのもとに飛び込んでいく信仰をもち、大胆に歩み始めたいと思います。